Stage 3


月子は、教室に一人きりでいた。

鋭い夕日の差し込む、橙色に染まったそこで、彼女は一人きりだった。

つい先日転校してきた、新しい教室をその瞳に映しながら、もやのかかった頭で考える。

そういえば、自分はどうしてここにいるのだろう。今日は真っすぐ、家へ帰ったはずだったのに。引っ越してきたばかりの、あの新居へと。

そうだ。確か帰り道、重苦しい気持ちを抱え、いろいろと考えをめぐらせていた。そして突然現れたあの憎らしい少年と言い争いになって、その後、は――

ずきっと、こめかみに小さな痛みが走る。

「違う。私は、いつも通り家に帰って、テレビを見て、宿題しなさいってお母さんに怒られて……え?」

今、勝手に口が動いた。月子は恐る恐る唇に触れる。

彼女の意志とは関係なく、今言ったことを事実だと思い込ませるために、誰かが月子に言わせた。そんな奇妙な違和感があった。

教室は静かすぎた。外の雑音すら、耳に入ってこない。廊下からも、窓の外の校庭からも、誰の息使いも足音もしない。

月子の肌に、徐々に鳥肌が立ってくる。

まさか、自分はここに一人で放りだされたのではないだろうか。

自分がよく知っているそっくりな世界を作り上げた、悪意を持った第三者が、月子が戸惑いおびえるのを楽しむために、置き去りにしたのだろうか。

そこまで想像を飛躍させて、脳裏にある光景がきらめき、月子は首をぶんぶんと振った。

「違う……私、あいつに助けられて、それで……」

まだ名前を覚えていない、顔がきれいで非常識で、でも、優しかった少年。

己の両腕よりも、月子の足首の怪我を気遣った彼。一体今、どこにいるのだろう。

月子は教室内を見渡し、やはり人影がないことを再確認し、一歩へ踏み出した。

その時、前触れなく扉がひらき、思わず悲鳴をあげそうになる。

「真守、いないのか?」

あらわれたのは、月子が思い描いていた、まさにあの少年だった。

名を呼ぼうとして、口を噤む。相手の名前がわからないとは、何と不便なことなのだろう。やはり、最初にしっかり聞いておくべきだったのだ。

と、そこで、月子は違和感に思い当たる――彼はもしかして、自分の姿が見えていないのか?

先ほどから、「真守」の名しか口にしていない。

月子だけがいる教室内を、いもしない友人を探し、必死に首をめぐらしている。

「あ、えっと……」

「先に、帰ったのか?」



少年がそう一人ごちて、踵を返そうとした時。いつのまに現れたのか、月子の背後から彼へと、追いすがる人影が飛び出した。

「弦稀っ!」

ほとんど絶叫に近い声をあげ、手を伸ばしていたのは、真守だった。

(遠城寺君?)

しかし、真守もまた、月子の姿が見えていないようだった。彼が求めていたのは、親友ただひとりだった。

「待ってくれ、弦稀!」

聞いてるこちらの胸が痛くなるような声なのに、親友は振り返らずに足を進める。

その姿があまりに必死で、あまりにひたむきで。月子は嫌な予感にとらわれた。

彼は親友に存在を気がつかれなかったら、奈落の底まで沈んでしまうのではないだろうか。

真守が叫ぶ。彼は振り返らない。扉は、閉ざされようとしている。

月子の口から、不安の衝動が飛び出した。

「駄目、待って! こっちを向いて!」

――あんたは、遠城寺君を置いていったら 絶対に いけ   な

○○

高いところから低いところへの、急激な落下感。月子は飛び起きた。

たらり、と額から汗が垂れる。服の下も不快な湿り気を帯びていて、先ほどの夢がいかにすさまじい悪夢だったか、改めて実感する。

月子は、無言で拳を握りしめた。

教室で一人、月子が置き去りにされていたシーン。それは別に、思い起こしても何ともない。

やや恐怖感は残っているが、それよりも気になるのは、真守が親友の名を必死で呼んでいた、あの場面だ。

「大丈夫か? 具合はどうだ?」

すぐ傍で低音が響き、月子は横を向く。まだ名を覚えていない彼が、椅子に腰かけていた。

両手を、月子の片方の手のひらに添えている。そこで初めて、ずっと手を握ってくれていたのだと、気がついた。

「……うん」

曖昧な返事をしながら、もやもやした予感を言うべきかどうか、逡巡する。

単なる妄想かもしれない。でも、無視できない透明な拘束力を感じる夢だった。

「あのさ……」

口を開こうとして、はたと動きが止まった。
見なれない造りの部屋だ。小さなベッドの他に、敷物としての動物の毛皮があるだけの簡素な装いで、しかも壁だと思っていたのは、よく見ると、白い布ではないか。

ということは、ここはテントの中なのだろうか。

「え? ここはどこなの?」

頭をかかえ、何があったかを思い出そうとするが、すかさず弦稀が説明する。
 
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