四章
「父上は、どこにいらっしゃる?」
それは、ユーグレラが生を受け、ちょうど十四の季節が廻った頃。
その日、久しぶりに昼から剣の稽古をつけてくれるとの約束だったのに、いっこうに父――アウローラは姿を現さなかった。
アウローラの側近に聞いても、自分の乳母に聞いても、心あたりはないという。
「カーラ、父上から何か聞いているか?」
ユーグレラは、いつも自分につき従っている、白髪の魔法使いの青年に問うた。
「いいえ、わたくしはなにも――ただ」
「ただ――どうした?」
声を低くしたまま、続きを喋ろうとしない魔法使いを、促す。
「その……ユーグレラ様は、王妃様が、例の森へ出かけたことをご存じですか?」
ユーグレラの皮膚に、ぴりりと緊張が走った。
すばやく周囲に視線をやり、誰の目もないことを確認して、カーラのほうへと一歩近づく。
「いや。また、母上は出かけられたのか?」
「あなた様が、王妃様の習慣に気がついて、はや一年です。あまり考えたくはありませんが、とうとう王も気がつかれた可能性があります」
ユーグレラは、たっぷり沈黙し、魔法使いに短く告げた。
「少し、散歩をしてくる。もし父上が戻ってきたら、剣の稽古はまた後日にしたいと、伝えておいてくれ」
「はい、かしこまりました」
カーラは、ユーグレラの意図していることが理解できたのだろう。労わるような目をしただけで、何も言わなかった。
ユーグレラは、わざと大げさにため息をついてみせる。
「カーラが何を考えているか、だいたい想像がつくよ。お互い、とりこし苦労だといいな」
ユーグレラは剣を腰に佩き、広大なな森の奥へと歩を進めた。
この島は――〈エツテルネ〉島は、極端に巨大な島ではないのだが、かといって狭くはない。
ゆえに、その島に住む者たちであっても、普段近づかない領域というのは当然あるのだ。
ユーグレラが向かっているのは、〈アンプロセア〉たちが居住を構えている場所から、歩いて半日も経たずに到達できる、深く暗い森だった。
迷ってしまって出てこれなくなるかもしれないから、訪れない方がよい、とさんざん大人達からたしなめられた危険な場所に、母であるサラマンドラの姿が吸い込まれていくのを見たのは、一つ前の夏だ。
その時母を尾行し、見てしまった光景に、ユーグレラは蓋をした。
母に問い詰めることもなく、父に告げ口をすることもなく、最近自分と同じように気がついてしまったカーラ以外には、誰にもこのことを話さなかった。
自分と、カーラだけに秘めておいた秘密が、とうとう白日のもとにさらされてしまうのだろうか――
(見てしまったことを言って、母上を説得した方がよかったのか……いや、まだ父上が気がついたと、決まったわけじゃない)
わきあがる不吉な予感を打ち消しながら、日が傾いでく空に注意を払いながら、無言で歩を進めた。
そして、どれくらい時が経った頃だろうか――
薄暗くなりつつある足元に警戒していたユーグレラは、声を聞いた。
それも、辺りを切り裂くような、悲痛な叫び声。
ユーグレラは舌打ちしたくなるのをこらえ、声のした方へ向かって可能な限り全力で駆けた。
(母上か? まさか、父上が……?)
そんなことはないはずだ、と否定する自分がいる一方で、醒めた考えが頭をよぎる。
アウローラは、サラマンドラのあの行為を許すようなことは、ないだろう。
だからこそユーグレラも、最悪の事態を想定して、言いだせなかったのだ。
ユーグレラは、焦燥のままに駆けた。そして、前方から現れた人影を視界に捕える。
その小さな人影は、何度か見たことのある、小さな少女だった。
「……っ!!」
泣きじゃくる哀れな幼子のすぐ後ろに迫っているのは、すでに剣を抜き、逃げまどう少女の背に憎悪を突き刺すアウローラ。
その王は、石に足を取られ躓いた少女の背に向かい、鈍く光る剣を高くふりあげた。
「父上っ!!」
ユーグレラは二人の間に何とか自分の身を滑り込ませ、膝まづき、渾身の力を込めて叫ぶ。
「おやめ下さい、父上!! どうぞ怒りを鎮めて下さい!!」