四章
それは、クルーヤの直感だった。
(これからさきの、スペルステスの歩む道を、どこまで知っていたんだろう)
「名も知らない〈ファンティーア〉の語り部よ、君は、僕に会って、何を知りたいんだい?」
促すような問いかけを受け、クルーヤは〈風〉の言うとおりに、答えた。
「あなたの……過去を知りたい」
(ソウスレバ、アノ娘ノコトニツイテ、少シハ知ルコトガデキルハズダ)
深く繋がりたい、と、そう〈風〉に表現されてしまったことを、今さらながら意識する。
「俺には、どうしても知っておきたいことがあるんだ」
たとえそれが、相手を傷つけるようなことになっても。
クルーヤは気がつかなかったが、それは彼が、命からがら生まれ故郷から逃げ伸びて以降、ほぼ初めて明確に抱いた、切なる熱意だった。
「そのために、あなたの協力が必要だ。〈アンプロセア〉の王よ」
クルーヤなりの礼をとると、ユーグレラは苦笑する。
「もう、そんなふうにされるような、偉い立場だとは思えないな」
「いえ、対面して少ししか会話していない俺でも、わかります。あなたは、他者の上に立つのに相応しい威厳と、心を持ち合わせている」
クルーヤは、気がつかなかった――心なしか、ユーグレラの表情に陰りがさしたことを。
語り部が顔を上げる前に、赤い髪の若き王は、表情を穏やかなものに戻した。
「微力ながら、君の望むように協力しよう。〈ファンティーア〉の語り部よ」
クルーヤは、〈風〉の言葉を再び繰り返した。
「では……あなたの額に、触れることを許してほしい。あなた自らが、話す必要はないから」
ユーグレラは、目を閉じた。無言の許可の合図だと思ったクルーヤは、膝でゆっくり近づき、血と泥で汚れた白い額に、そうっと指をあてた。
冷え切った泉の温度を、おそるおそる確かめるように。
体がまた、見えない力に無理やり引っ張り上げられる。
「……っ!!」
*********
まぶたの裏で、スペルステスがこちらに背を向けていた。
腰まで水につかった白い肢体の上を、透明な雫が滑り落ちていく。
赤い長髪を手で梳いていた彼女は、ふとこちらを振り向いた。
氷のように固まり、愕然とこちらを見返す少女。唇を震わせ、数歩あとずさっていく。
脅える少女に何も言えないまま、クルーヤの視界は黒く塗りつぶされていく。
*********
年下の兄弟は望めないのだ、と悟ったのは、いつだったか明確に覚えていない。
ユーグレラはかなり早い段階で、父と母が不仲であることに気がついた。
皆の前では、王と王の妻らしく、務めを果たし、笑みを交わす二人だったが、家の敷地内では、とたんによそよそしくなるのだった。
二人は、ユーグレラに亀裂を知られないよう、振舞ってはいたのだが、聡明な少年は、そんな二人の努力を醒めた思いで見ていた。
兄弟のある幼なじみたちがうらやましく、母に訴えたこともあったが、それもいつしかしなくなっていた。
(ちちうえもははうえも、仲が良くないならば、どうして夫婦になったりしたんだろう)
ユーグレラが知っている範囲でだが、乳母や身近な兵士たちで、既に生涯の相手を見つけているものは、皆相違はあれど、楽しそうであるし、幸福そうだった。
憎まれ口を叩いたり、喧嘩も時にはするらしいのだが、根底には必ず一定以上の愛情が存在していた。少なくとも、ユーグレラはそう感じていた。
だが、自らの父と母はどうだろうか。
どうして二人は、未だ一緒に暮らしているのか。〈アンプロセア〉の王の義務のためか。
(無理して、僕の前に、いてくださらなくてもいいのに)
だが、その言葉をはっきりと口にすることは、ついにできなかった。
いくら、父と母の心情を慮れても、この三人でいる空間を、決定的に破壊するようなことは、まだ幼かったユーグレラには、不可能だったのだ。
かりそめの絆であっても、繋がっていたいという切望――それが、早熟で頭がまわると褒めそやされたユーグレラの、唯一といっていい、繊細でもろい部分だった。
だが結局は――見て見ぬふりをし続けることが、ある日突然できなくなってしまった。