四章
「本当に、忌々しいほどに、お前はあの女にそっくりだなあ、ユーグレラ? この目の形、肌の白さ。それに、私を睨み返す時の、その表情」
もう片方の手が頬に当てられ、ユーグレラの頬が、ひくりとひきつった。男の瞳が、ますます炯々と輝く。
「お前が本当に女ならば……命と引き換えに、体で許してやってもよかったんだぞ?」
「……」
添えられた下卑た笑みに、ユーグレラは何も答えず、反応も返さなかった。
しばしの沈黙の後、男は表情を無にしユーグレラを床にたたきつけ、立ち上がる。
「一日、時間をくれてやる。今後の身の振り方を、よく考えるんだな」
戸が乱暴に閉まり、足音が、徐々に遠ざかっていく。
全くの静寂が訪れ、クルーヤは息を深く吐いた。
身動き一つすることすら、ためらわれるほどの緊張感だった。脱力のあまり、床に座り込んでしまう。
(今のは……なんだったんだ。どうして、こんな仲違を……?)
考え込もうとした、その時。
「君……そこの君?」
「……え?」
ふと視線をあげると――床に横たわったユーグレラと、目が合う。
先ほどの男と対峙した時とは全く違う、穏やかな表情で、彼はクルーヤを見ていた。
「君は、〈ファンティーア〉だね」
「……え、あ、ええっと」
「叔父上は君に気づかなかったようだね。まあ、それも仕方がないか。一体、どうしたんだい? こんな辺鄙な場所に、どんな用事があるの?」
自分がここにいるこの状況を、どう説明したらよいのか、あるいは反対に何を問えばいいのか。
クルーヤは、とっさに叫んだ。
「あなたは、平気なのか? ずいぶん、ひどい怪我をしているけれど」
何とも間抜けな言葉だと、言った後で悔いる。
ユーグレラは、どうみても満身創痍だった。さっきの男の言葉からして、人間の側に捕えられた後なのだろう。
そんな状態で、厚遇されるはずがないのに。
「いや……正直なところ、痛くて我慢できそうにないよ」
淡々と、いっそ穏やかといえるような声に、クルーヤの背が凍りつく。
「覚悟したことだけれど、いざとなると、心が折れそうだ……ところで、君は、僕と会話ができるんだね?」
「え?」
「知識としては、知ってたんだよ。〈ファンティーア〉の中には、過去や未来を自由に行き来し、時を渡る者もいるんだと。けれど、その力を持つ者は、だんだんと減っているとも聞いた。君は、希少な存在なんだね」
(俺より、詳しく知ってるのか……?)
クルーヤの心中の疑問に、〈風〉が答えた。
(アノ者ハ、〈アンプロセア〉ノ王ダ。ツマリ、〈赤髪ノ秘儀〉ノ継承者ダ。普通ノ者ヨリモ、他ノ〈碧キ瞳〉ノコトニツイテ、知ッテイテモ不思議デハナイ)
〈風〉が言った言葉を確かめるように、クルーヤは問うた。
「あなたは……王なのか」
ユーグレラは、力なく笑んだ。
「確かに、そう呼ばれる立場だ。僕の名は、ユーグレラ。おそらく僕が、〈アンプロセア〉の最後の王となるだろう」
ユーグレラ――時折スペルステスが、苦しそうに名を呼んでいた相手が、目の前にいる。
スペルステスを、過去のしがらみに縛りつける、大きな要因のひとつ。
もやもやとした黒い渦が、ほんの刹那、胸の中にわだかまった。
「どうして、そんなことがわかるんだ」
「わかるさ。僕はもう、長くはない。一族も守れず、叔父には裏切られ、ここで朽ちていくだろう」
クルーヤは、拳を握った。目の前の青年は、心の中で、闇よりも深く辛い、死を受け入れる準備をしているのだ。
目の前のユーグレラは、現在のクルーヤと比べ、やや年上であるように見える。
似たような年の者が、溢れるほどの無念と後悔をかかえ、命を落としていくさまを、今、見なければいけないのか。
目をそむけたかった。腹の中が、きつくしめあげられる心地がする。けれど、唇をかんで思いとどまる。
(ここにいるのは、俺の意思だ。力の暴走の結果であろうと、俺が、望んだことだ)
クルーヤは、〈アンプロセア〉の王へ向かって、顔をあげた。
(俺は、語り部なんだ。語り部が、この島に起きた過去を、無視していいはずがない)
「……良い目を、しているね」
ユーグレラが、眩しいものでも見たかのように目を細める。もともと穏やかな性格なのか、口調は威圧的ではなく、親しみさえ覚えるほどだ。
拝謁すれば、自然と頭を下げたくなるような、人望や知性に恵まれた王だったのだろう。
(そうじゃなかったら、スペルステスが自分の体を痛めつけてまで、忠義を貫くとは思えない)
だが、ひとつ疑問が残るのだ――この王が、スペルステスに、性をつくりかえるような酷な命令を下したとは、考えられないのだ。