四章
鈍い打音が耳に届いて、クルーヤのまぶたがぴくりと動く。
倦怠感に抗いながら、ゆっくりと目を開け――驚愕で一瞬息を止めた。
そこは狭い小屋の中のようだった。満月の明かりが薄く差し込んではいるが、小屋の隅までを照らしてはいない。
クルーヤの目の前には、一人の青年と、一人の男がいた。
青年は床に横たわり、後ろ手に縛りあげられている。身にまとっている服は泥で汚れ、体のあちこちに傷が見られた。
かろうじて届く月明かりに照らされた、苦痛にゆがむ顔に、疲労の色が濃く浮かんでいる。
もう一人の、立っている男は、うめく青年の腹を、思いきり蹴りあげた。
「がはっ……!!」
続いて何度も、容赦なく、男は青年の腹につま先をめり込ませる。
突然の異様な光景に、クルーヤは唖然とするほかなかった。
そして、自分が突然ここに現れたというのに、驚くべきことに、二人にはクルーヤの姿が見えていないようなのだ。
そしてもうひとつ、気になることがあった。
(二人とも――髪が、赤い)
その見た目からすぐに、〈アンプロセア〉の血族なのだと知る。つまりスペルステスの、同族なのだ。
なぜここに、二人も〈アンプロセア〉がいるのだろう。彼らは、そのほとんどが滅び去ったはずなのに。
それになぜ、片方が片方に、見ていられないほどの暴力を振るっているのか。
視線をうつしたクルーヤは、ふと、男に既見感をおぼえた。
(こいつ……まさか、スペルステスを追っかけてきた人間の集団に、混じってた奴じゃないか?)
別人だとは思えなかった。長時間彼を眺めていたわけではないから、確実に覚えているわけではないのだが、クルーヤは確信を持った。
(まさか、スペルステス以外に、生き残りがいたのか……?)
横たわる青年に、視線を戻す。
「強情だな、ユーグレラ」
吐き捨てるような、男の声が耳に届く。
青年は、激しい痛みに苛まれながらも、何とか男を見返した。
諦めたような、憐れむような、まなざしだった。
「何度僕を痛めつけても、無駄ですよ、叔父上。石の在り処は、あなたに言うわけにはいかない」
その二人のやりとりに、クルーヤの記憶が刺激される。
(ユーグレラ……叔父上……)
――あ、いつ……どうして、ここ……に?
――あいつは、〈アンプロセア〉の王弟だ……私が仕えていた人の、叔父だったんだ
――あいつが、人間の側に寝返ったせいで、あの方は死んだんだ
――ユーグレラ様……
スペルステスの言葉が次々に思い出される。そこから組み立てられる推測に、クルーヤはますます混乱していく。
(そんな……だって、スペルステスの話だと、ユーグレラは死んでるはずだろ?)
クルーヤの推測が正しければ――今、目の前にいる二人は。
乾いた唇で、導き出した答えを紡いだ。
「俺は、過去に来た……のか?」
にわかには、信じがたいことだった。
だが、自らが〈ファンティーア〉の語り部である〈エピストーリア〉であれば、そのような信じがたい力を持った理由も、わかる気がする。
「〈風〉……お前の、せいか?」
背後に感じる気配に、呆然と問いかけた。
(ソウダ)
「何で俺は、こんなところに……どうして、過去に来たんだ」
(アノ娘ト、モット深ク繋ガルコトヲ、オ前ガ望ンダカラ、ダ)
「それが、どうして……俺の単なる我儘がどうして、スペルステスの過去を盗み見るようなことになってるんだ?!」
これも、自らが未熟なせいなのだろうか。
語り部である〈エピストーリア〉は時として、正確な物事を語る為に、過去を垣間見ることもできた、とは聞いたことがある。
だが、あくまで必要最低限の分しか、見ることができないとも聞いた。
こんな、語り部の我儘で、過去を垣間見させるようなことを、〈風〉がするなどと、到底信じられない。
(俺は……俺は一体、過去を見ることで、何をしようとしてるんだ?)
もう一度、鈍い音とぐぐもった声が響き、クルーヤははっと目の前に意識を戻す。
「ガキ一人を助けるために、敵地に戻ってきて捕えられるとは、底なしの間抜けだ。これが、一族を率いてきた若き王のなれの果てか」
「好きに、嘲弄すればいい。僕は、後悔などしていない」
男は舌打ちし、ユーグレラの胸倉をつかみ、乱暴に引っ張り上げた。
息が触れるほどに顔を近づけ、狂気の笑みを浮かべる。