二章
少々安堵はしたものの、その後が問題だった。
スペルステスの顔が、たちまち険しくなる。燃え盛る憎悪を全身に宿して、男をねめつける。
そしてあろうことか、スペルステスは身を起して男へ飛びかかろうとしたのだ。クルーヤがうつ伏せに倒れ込んだ彼女を押さえつけなければ、危うく木の外へ出ていたかもしれなかった。
「落ち着け、スペルステス!」
「放せ、放して、くれ……!」
熱にうなされながら、傷に苦しめられながら、彼女はクルーヤの腕を振り払ってもがいた。どこにそんな力があるのかと、いっそ関心を覚えるくらいに、スペルステスは自分の腕を何度も男へと突き出す。
「僕は、あいつを……仕留めなきゃ、いけないんだ!」
「そんな体で何ができるってんだよ! とにかく今は、あいつがここを離れるまで隠れるしかないんだ!」
スペルステスが吠える。
「もう逃げるのは嫌なんだっ!」
その言葉に、クルーヤは頬をひっぱたかれた心地になった。
そうだ、自分もスペルステスも、成す術もなく人間たちから逃げまどうしかなくて、同じ血を引いた一族が減っていくのを、指をくわえて見ているしかなかったのだ。
だが今、降り積もった感情に惑わされている余裕などない。
「仇をとりたい気持ちはわかるけどな、そんな体じゃ無理だ。無謀だ、わかってるだろ!」
両手をまきつけるようにして、スペルステスの体に抱きつく。もがいていた相手は、いきなりのことに驚いて身を固くした。ここぞとばかりに、クルーヤは畳みかける。
「お前は、無駄死を望んでいるのか!?」
はっと、息を飲む音がして、スペルステスは抵抗をやめた。だらりと、体から力が抜ける。
腕越しからでも、スペルステスの体調不良のせいで上昇した体温が感じられて、クルーヤはすまない気持ちになる。早く、彼女を介抱してあげたかった。
「あいつは、〈アンプロセア〉の王弟だ……私が仕えていた人の、叔父だったんだ」
荒い息の下から、かすかな声がする。いまさらその距離感を意識して、クルーヤの心臓は跳ね上がる。
が、スペルステスの唐突な告白が、それ以上の衝撃をクルーヤにもたらした。
「あいつが、人間の側に寝返ったせいで、あの方は死んだんだ……私に、これを託して」
胸に手を当てるしぐさが気になったが、その理由は問えない気がした。
「ユーグレラ様……」
名を呼ぶその声が、あまりにも重く切なかったから。
クルーヤは、スペルステスを抱きしめたまま、ぴくりとも動くことができなかった。
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男は、いつの間にか去っていったようだった。
クルーヤは、再び苦痛にうなされ始めたスペルステスへと、〈歌〉を歌ってやる。