序章
川底は静かだった。
スペルステスは水の流れに押されて、ゆっくりと川下へ移動していくのがわかった。
じきに水の流れは速く凶暴になって、完全にスペルステスを流し去ってくれるだろう。
そしてそのまま冥府へと下ってしまえば、もう、少年たちと顔を合わせることもなく、嫌がらせをされることもからかわれることもないのだ。
水の流れに抱かれて、スペルステスは太陽を見上げた。
水の中から見る太陽は、流れに合わせて歪む。
縮んだり千切れかけたりしていたけれど、まばやく輝くその姿は、とてもきれいだった。
本当は眼を焼いてしまうから直接は見れないけれど、水の中からでは、太陽はとてもきれいなんだ。
息が苦しくなってくる。
空気が吸いたくて、体が爆発しそうだった。
でも、我慢しないと、いつまた少年たちが来るかわからない。
もう、あんな目にあうのは嫌なのだ。
だから、我慢しなくては。何が何でも……。
そう思った矢先、どこかで、水が身震いする振動が皮膚に伝わってきた。
誰かが飛び込んだのだ。そう思うのと同時に、突如現れた影に強く抱き締められる。
スペルステスは目をみはった。
影の正体は、ユーグレラだったのだ。
ユーグレラはスペルステスの腰のあたりに手を回すと、そのまま持ち上げて川岸まで運ぶ。
ふわっと、新鮮な空気が鼻につく。
スペルステスは我知らず欲張るように大きく息を吸うと、
次の瞬間には激しくせき込んでいた。
胸が上下し、激しい鼓動が耳の奥から聞こえる。
今更ながら、どれだけ自分が我慢していたかを身をもって思い知った。
背に掌のぬくもりを感じ、見上げると、ユーグレラと目が合った。
夕焼けのように燃え上がる赤い髪に、静かな水面にも似た深い青の瞳。
その色彩は、〈アンプロセア〉の血族であるなら、だれもが例外なく所有する色だった。
このとき、ユーグレラの年は十五か十六だったはずだ。
総じて目鼻立ちが整って美しい〈アンプロセア〉の民の中でも、彼は際立っていた。
同じ年頃の少年たちで、聡明さでも身のこなしでも彼に勝る者はなく、王のただ一人の男児として大切にされ、慕われ、敬われていた。
スペルステスも、ユーグレラを慕う者の一人だった。
「スペルステス………」
ユーグレラは苦しそうに眉根をゆがめ、自分の名を呼んだ。
その表情は、怒っているようにもとれたし、悲しんでいるようにもとれる。
その視線にびくっと震え、スペルステスはあわててうつむいた。
「ごめんなさい、ユーグレラ様……」