二章
クルーヤはスペルステスに肩を押されて地面に倒される。水にぬれた肌の香りが、鼻をついた。
声をあげようとしたとこへ、首筋に、銀色に輝く剣があてられる。
少しばかり、痛みが走った。
自分の上に覆いかぶさり、獣のような目でにらんでくる、少年だと思っていた少女を見上げながら、クルーヤは内心あせりを覚えた。
相手は衣服をひとつも身にまとっていない。
「ちょ、ちょっとまて! 頼むから落ち着け。落ち着け。落ち着けええええ!」
「僕よりお前が落ち着いたらどうだ」
侮蔑のこもる声に同意し、それもそうだな、と妙に納得した。改めて、スペルステスを見やる。
月明かりに照らされた肢体に見惚れそうになるが、相手の剣呑な目線も感じる。
――この世で一番きれいなものを拝めたからといって、喜べるような状況でないことは確かだ。
こう着した空気を何とかして動かそうと、からからに乾いた口をひらく。
「お前、スペルステス……だよな? 何で、女なんだ? お前、男じゃないのか?」
冷たく、見下すような言葉が返ってきた。
「何をまの抜けた顔をしているんだ。僕は自分のことに関して、お前たちには何も言ってない。僕がいつ、僕は男だと言った?」
「え、いや、だって、俺、お前の包帯を何度か交換したし、その時は……ってうわっ?!落ち着け!やめろおっ!!」
突然首筋に痛覚が増え、命の危機を感じてクルーヤはわめいた。
「しょうがねえだろ。おばば一人だけじゃあれだけ大きな傷を手当するのは難しかったんだよーっ!」
険しい視線を固定したまま、スペルステスは上体を起こした。
そうすると、クルーヤは、非常に扇情的な体の線を下から見上げることになってしまうのである。
年頃の男子にとってはかなり貴重な瞬間であることに間違いはないが、次の瞬間自分がどうなるかわからないという緊急事態においては、そんなことはまったくもってどうでもいいことになり下がってしまっている。
と、クルーヤは、もうひとつ違和感を感じた。
(あれ、傷がひとつも……ない? あれだけ大きな傷だったのに、きれいに消えてる?)
「何をじろじろ見てるんだ」
「いやだから、誤解だってば! 今にも殺してやりたいっていう目をするなー!」
「……正直なところを言えば、僕は今すぐ、お前を始末したい。いろんな意味で、な」
剣を構えたままのスペルステスにむかって、それはぜひとも思いとどまってほしいと、クルーヤは心の中で叫んだ。
「だが、お前が僕を助けたのは事実だ。あのままでは、僕は確実に冥府の住人になっていた。その点は、礼を言わないといけない。つまり、お前は命の恩人ということになる。始末するのは道理にあわない」
そうだそうだその通りだと、クルーヤは首を縦に何度も振った。