一章
ポーエが肩によじ登り、じっと見上げてくる。クルーヤは左手で黒い毛並みをなでつつ、誰にともなく呼びかけた。
(聞きたいことが、あるんだ)
ゆわあ、と、クルーヤの傍に何かが寄り添った。
クルーヤが感じているのは気配だけで、姿はどこにも見えない。ポーエに至っては、気配すら感じていない。
それもそのはずで、これは、今ではクルーヤだけにしか感じることができないのだ。
(〈風〉ニ用カ? タダヒトリ生キ残ッタ、「語リト記憶ヲ強イラレシ種族」ノ者ヨ)
高くもなく低くもなく、男でも女でもない声。
ただ、聞いているとずっしりと腹に響くような、年かさの者がもつ独特の威厳のようなものが感じられる。
(その、「語りと記憶を強いられし種族」って言い方、今の俺には、けっこうこたえるな……)
酷薄な笑みを浮かべると、〈風〉は少し黙った。次に発せられた言葉は、沈痛な色を帯びている。
(オ前ニハ、確カニツラカロウ。本来ナラバ、〈風〉ハ同時ニ数名ノ王族ト契約ヲ交ワスノダカラ。シカシ今、青キ髪ト瞳ヲ持ツ種族ノ王族ノ血筋ハ、オ前シカイナイノダ――クルーヤ)
最後に名前を呼ばれ、全身が強張った。
逃げるな、と、言っているのだろうか。この、さだめから。
(俺は、説教が聞きたくて読んだわけじゃないだ、〈風〉。そこはわかってほしい………。それで、質問だけど、どうして〈歌〉を歌うだけで、こんなに体に負担がかかるんだ? しかも、苦しみをとりのぞく〈歌〉は、けっこう簡単な部類に入るはずだろ? 俺はこんなことさえできない。どうしてだ?)
脳裏にスペルステスの寝顔を思い浮かべつつ、すがるように尋ねる。
〈風〉から帰ってきた答えは、いたって簡単だった。
(ソレハ、私ガオ前シカ、頼リニスル者ガイナイカラダ)
(……というと?)
(マズヒトツ断ワッテオクガ、オ前ノ持ツ力ハ決シテ低クハナイ。ソコハ覚エテオクトイイ。タダ、〈風〉デアルコノ私ガ、オ前トダケシカツナガッテイナイタメニ、オ前自身ニソウトウナ負担ガカカッテイルノダ。コレハ今マデ、ナカッタコトダ。〈風〉トツナガリ、〈エピストーリア〉トナルベキ者ガ、タダ一人シカイナイナドト……)
そこで〈風〉は言葉を区切る。沈黙の中に、怒りが隠れているように、クルーヤには思えた。
島の住民たちを追い出してしまった、人間たちへの、怒り。
(〈ファンティーア〉ノ王族タチハ、アラユルコトヲ覚エルベキ者タチ、島ガ抱エル記憶ヲ伝エル者タチデアラネバナラナカッタ。シカシ、滅ンデシマッタノダ――クルーヤ、イクラオ前ガ優秀ナ力ノ持チ主デアッテモ、スベテノ記憶ヲオ前一人デ抱エルノハ、ソモソモガ無理難題。
オ前ハ常日頃、記憶ノ重サニサイナマレテイル。故ニ、力ノ使役ヲ短期間ノウチニ繰リ返セバ、限界ガ簡単ニ来テシマウノダ……)
ああ、そうか、たったそれだけのことだったのか。クルーヤは脱力しかけた。
樹の幹に背をあずけ、もたれかかる。
「要するに、俺は、弱いってことだ……」
(ソレハ違ウ……!)