一章
「スペルステス……僕の話を、聞くんだ……」
ユーグレラは震える指先で、自分の懐からあるものをとりだし、それをスペルステスにつかませる。
「それを、僕の代わりに、あずかってほしい……守って、ほしいんだ」
血に濡れた手から託されたそれも、赤く光っている。
両手につつまれたものをそっと確認し、スペルステスは困惑した。
疑問を口にする前に、ユーグレラが、スペルステスの両手に、さらに自分の両手を重ねる。
びくっと、スペルステスは震えた。
ユーグレラの瞳は、苦痛の中にありながらも、怖いぐらに真剣だった。
「いいかい、スペルステス……君は、それを、人間にだけは渡してはいけない……もっというと、他の誰にもわたしちゃいけないんだ。それは守るべきもの、だから……」
「こんなものが、ですか……?」
こくりと、ユーグレラはうなずき、その場にどうっと横に倒れる。
スペルステスはユーグレラの体を泣き叫びながらゆさぶった。
名前を連呼しつづければ、いつものように笑みを返してくれると思ったのに、そのやわらかな微笑さえ、今は見ることができない。
「スペルステス、僕は、もう……」
「ユーグレラ様、ユーグレラ様!!」
「早く……君、だけでも……にげ……るん、だ……」
「いや、いやです!! ユーグレラ様、ずっとそばにいます!!」
ふうっと、ユーグレラが頬を緩める。
「聞き分けの………ない、子だな……」
そして、とても冷たくなった指先が、軽くスペルステスの頭にふれた。
次の瞬間。
どうっと、鈍い音が響いて、ユーグレラの体がこわばる。
スペルステスは、自分のすぐわきから剣が飛び込んできたことに、少し遅れて気が付いた。
細身の剣は、ユーグレラの胸を深々と貫いている。
さっと白刃が抜き取られ、血が舞った。
ユーグレラの全身を、スペルステスの全身を、あたたかい命を示す血が、これでもかとばかりに染め上げる。
「あ………あ、あああ……」
スペルステスは、自分が悲鳴にならない悲鳴をあげていることさえ気がつかなかった。
鮮やかな赤が目に容赦なく飛び込んでくる。
ユーグレラはせきこみ、ごぼりと口から血塊が出てきた。
濁った瞳が自分をとらえ、その唇が、言葉を紡ごうとして震える。
けれどそれっきり、ユーグレラは動かなくなった。
スペルステスの世界が、色のない無音になる。
何も考えられぬ頭が少しでも動いたのは、頭上から降ってきた声のせいだった。
「……ふん、死んだか。王といえど、はかないものだな」
ゆるりとふりあおぐと、そこには見覚えのある大人が立っていた。
数度しか見かけたことはない。
ユーグレラの叔父、パナケイラという名だった気がする。
先王の弟にして、〈アンプロセア〉を裏切って、人間の側についた者。
彼の存在のせいで、〈アンプロセア〉は壊滅状態になり、滅亡の道を歩む羽目になったのだ。