一章
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扉を開けると、クルーヤは努めて明るくふるまおうとした。
「おばば、おばばの名前出したら、みんな賛成してくれたぞ」
「おや、それはご苦労さんなこった」
ネイファはほめるふりをして、クルーヤのスネを足先で軽く蹴る。
クルーヤはてへへ、と苦笑いついでに舌をだした。
「まあ、これでしばらく小僧は安静にできるってことだね」
「けっこう怪我、ひどいもんな。俺も、スペルステスが追い出されなくてよかったと思うよ」
外套を脱ぎ、赤々と燃える炉の火にあたりながら、クルーヤはしみじみと言う。
ネイファはうん、と不思議そうに首をかしげた。
「誰だい? スペルステスってのは?」
「あいつの名前なんだってさ」
そう言いながら、クルーヤは隣の部屋の入口を見やった。
今、クルーヤたちがいる部屋と、患者用の部屋は扉で隔てられているわけではない。
しゃがんでいるクルーヤからも、ネイファが使用している低い机と椅子、そして患者用の寝台が見える。
ネイファは養い子から返答を得られたものの、ますます首をかしげた。
「どういうことだい? あの小僧はどっからどう見ても〈アンプロセア〉の一族だろ? それなのに名前に〈ラ〉の発音がつかない、だって?」
「だって、スペルステスがそう言ったんだもん」
ぴっ、と細い手を挙げて発言したのは、床に降り立っていたポーエだ。
ネイファはぐっと前かがみになると、まるっこいポーエを細い目でじっと見る。
ポーエは突然迫ってきた迫力満点の老婆の顔に一瞬腰を抜かしそうになったが、それはネイファにはわからなかった。
それからしばらく、ポーエは先ほどクルーヤに話したことと似たような内容を、ネイファに説明していた。
クルーヤは手に暖かい血が通いだしたのがわかると、立ち上がり、異種族の少年の元へと移動する。
寝台に横たわる、一度も口を利いたことのない少年は、いまだ目覚めてはいなかった。腰まで伸びた赤い髪が、ふわりと波打って広がっている。
自分と同じ、〈碧き瞳〉と呼ばれていた種族の少年。
自分と同じく、生き残った少年。
けれど、違う一族の血を引いているのだ。その髪の色が、それを如実に物語っている。
はかない白い肌。閉じられたまぶたの下には、青い瞳があるのだろう。
額には汗がいくつか浮かび、形の良い眉根が寄せられ、苦悶の表情が浮かんでいる。
わずかに開かれた口からは、時折息使い以外のものがもれていたが、何を言っているのかまでは、判然としない。
クルーヤはネイファがよく使う椅子に腰をおろし、夢のはざまに漂う少年を凝視した。
口はまだ聞いたことがない、スペルステスという少年。
少々華奢であることや背恰好からして、おそらく自分よりは少し年下だろう。
クルーヤはあることを考えていた――この少年は、何を見てきたのだろうか。
殺戮か、呪いか、憎悪か、血か、死か、永遠の別離か――それらは、全部自分が見てきたものだ。
やっとの思いでこの村にたどり着くまでに、幼かったクルーヤが、見たくもなかったのに見たもの。
出会いたくもなかったのに出会った運命。