🦊花狐風月(着物カラスバ×主)
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狐🦊まとめ読み
1.始まりの日
私が生まれた国には不思議な言い伝えがある。
狐に選ばれた子は祝福を受けてなんでも思い通りにできる力を手に入れるけど、お狐様を裏切ると不幸になる───
お狐様というのは特定の生き物を指すものではない。フォッコやマフォクシー、ロコンやキュウキンが混ざって不思議な力を持った存在とされる。姿は見えなくても、狐に選ばれた子にはそれを感じることができる。
その言い伝えを信じる地方に私は生まれた。
小さな頃に家から遠く離れたお家へ連れて行かれたのを覚えている。大きなお屋敷では大人があちこち行き来していて子どもには退屈だったけど、外の世界と切り離された静かで不思議な所だった。
「セイカちゃんはここの坊ちゃんと結婚するかもしれないから、大きくなったらまたここに来て狐様の前で儀式をしてね」と言われた。意味は分からなかったけどそこのお家にいる男の子のことはなんとなく分かる。女の子と別に3人の兄弟がいて、1人は私から見てほとんど大人に近くて随分お兄ちゃんだったから残った2人のどちらかなのだろう。周りの子に比べて意地悪をするでもなく物静かな子で、それは嫌ではなかった。
本当は、嫌だ、と思っていたけれど、逆らう力がなかった。
それから時々、狐の夢を見るようになった。なんて事のない普通の日だったり節目だったりタイミングは様々で、豪華な輿に乗った狐が体の中に入ってくる感覚が起きても体に残っていて存在を側に感じた。感覚だけはどんどん強くなるので、いよいよ言い伝えが迷信ではなく真実なのだと感じてきた。誰にも話せないまま私は大きくなり、その時は近付いていた。
長い旅路を列車と飛行機に揺られ、本宅を訪ねる前に実家へ戻った。ちょっとゆっくりすることができた。母親に「セイカの好きにしていいんだからね」と言われる。そう言われてもどうしていいか分からない。ミアレに行ったのだって最後のワガママだったのだ。そこで一生分の冒険をして、気の許せる友達ができた。これ以上望む事はないはずだ。もし我儘を言えるなら、ポケモンだけは手放したくない。ずっとポケモンを追いかけて走り回っていたい。これから会う人がどうか私の願いを分かってくれる人でありますように。
いつ来てもここは静かで不思議な場所で、心がざわつく。
一歩敷地へ足を踏み入れるとポケモンの気配どころか人に気配も消えてしまうみたいに静かで空気が澄んでいる。前に来た時と違うのは背が少し伸びたのと相棒がポーチで待っていることか。
屋敷に通されて、人の手が入った庭の緑を眺めていると声をかけられた。
「お休みのところ申し訳ありません。旦那さまがお待ちですので」
ついに、来たか。覚悟を決めようと決意した。向こうだって家の決まりで私と結婚させられるなんて望んでいないはずなのだから協力していいパートナーになろう。できるはず。ポケモンと心を通わせるようにいけば、の話だが。
決意してふすまを開けて顔を上げた。
「遠いところからはるばるいらっしゃい」
にこ、と微笑みかける男性を見て声を失った。着物に羽織りをかけて佇んでいた人が見知った人にそっくりだったからだ。
──カラスバさん?
2.
「こんにちは」
言葉を失い動揺する私に彼は再び優しく語りかけた。上の空でこんにちは…と返事をして立ち尽くす。服装こそ違えど特徴的な髪の毛や瞳の色も彼そのもので。失礼に当たるのを承知で凝視した。黒地に銀糸を織り込んだしっかりした作りの着物を着こなして、腕を組み堂々と立っている。いや全身、どこを見ても──
「えらい可愛い子で嬉しいわあ、一人で大丈夫やったか?」
耳をくすぐる独特の口調、揶揄うような口振り、それに混ぜてこちらへ向けてくる気遣いが私を面映くさせるところまでも。カラスバさんの姿で、声もそうで。
ええと、なんだっけ、ご挨拶を。この度はわたくしをそちらの家にお迎えいただき───、頭の中で準備していた感謝の挨拶をなんとか口から出した。ちゃんと言葉になっていただろうか……
「こっちおいで」
彼はそう言って微笑むと私の手を引く。
濡れ縁を隔てて中庭を臨み隣に座らされたと思うといきなり抱き竦められた。普段感じることのない男性の体を肌身に感じて私はぎこちなく固まる。許嫁って言うけどいきなりこういうことをするのもその範疇に入るんだろうか。
「ずっとこうやって抱き締めたかってん」
ぱちぱちと瞬きが止まらない。形式的な挨拶に終わると思っていたのに、口説かれて、いや、それ以上のことが始まっている。カラスバさんに似ているとは言え、いま挨拶したばかりの人だよ?だめでしょ。
「えらい怖がっとるなあ」
質のいい着物越しに感じる香りまでカラスバさんに似ている気がする。重い毒のような甘い匂いに親しみと、抱き寄せられている腕に対する緊張とを感じて心臓がずくずくと鼓動した。そ、そう、抱き締めているだけ。これくらいなら私にもたぶん大丈夫。
「ほんに可愛い子で嬉しいわあ。つい好き勝手したくなる」
そういう事を言うのを少しだけでも休んでくれないか──そう思っていると顔を掬い上げられた。近い距離で目線がぶつかり合う。
カラスバさんと全く同じ琥珀色の瞳が近付いてくる。見慣れた色だけどこんなに近くにあったことがない。こういう時、目って瞑るんだっけ?……、ぎゅっと目を瞑ってこらえているが、予測していたそれが来ない。
……恐る恐る目を開くと、顔を背けて肩を揺らしているところだった。くっく、としゃくり上げながら愉快そうに笑って彼が言う。
「セイカ、オレやで」
…………
口をぱくぱくさせて驚く私に、たまらないと言った様子でもうひと笑いする。
「あー受けた。いつ気付くかと思ったら全然気付いてくれへんから意地悪してもうた」
羞恥心と驚きと気が抜けたのとで全身から力が抜けていく。
「あーごめんごめん。怖がらせるつもりはなかってん」
瞳から涙が溢れてきていたことに気がついた。ミアレを発ってから張り詰めていた気持ちも全部目から溢れてきてしまう。
「……カラスバさんのこと嫌い」
「悪いのはオレやけどいけず言わんといて。怒るのは好きなだけしてええから」
「なんでカラスバさんがここにいるの?」
「うん、それは泣き止んでからにしよな」
長い時間はかかったがそう言って待ってくれていたお陰でいくらか落ち着きを取り戻せた。カラスバさん?に聞きたいことはいくらでもある。
「どうしてここにいるんですか?」
ここへ来る前、事務所で挨拶をしてカラスバさんには送り出されたのだ。その人がどうしてここで私を待っているのか。
「オマエが発ってからすぐにオレもミアレを離れてな。オレは途中寄るところもなかったから、ここで待ってたわ」
「…知ってたんですか?その時言ってくれても…」
「みんなに黙ってて貰った。どんな顔するかなと思って」
「なんでそんな意地悪……私がどんな思いで……」
不満を述べる私にカラスバさんが意外なことを口にした。
「相手がオレやって分かってセイカが来てくれんかったら寂しいやん」
「そんな事で約束破ったりしない」
「ほんま?」
「待ってください、相手って……。あの、カラスバさんなんですか?」
「うん」
そんなあっさり、うん、て……
ここのお家に男性は3人いた。そのほかに、女兄弟も。この度末っ子が普通の女性と結婚しまして(時代やね)、決まり通りの婚姻ができる人がいなくなりました。
「それで傍系であるオレに声がかかった。小さい頃に拾われたきりで縁が無かったのにムシの良い話やけど、後腐れがなくて使い勝手が良かったんやろなあ」
そう説明されて呆気に取られた。ここの人は私のことを一体なんだと、いや、意思に従い望み通りの結婚をしたことを讃えるべきなのだろう。
びっくりした?と問われて首を縦に振る。カラスバさんは満足そうに笑う。
「前向きに考えてくれたら嬉しいわ」
……
この人も何を言ってるの?
3.
日が明けても、全てが予想と違う方へ行ったことで私は途方に暮れていた。
肝心のカラスバさんには「ゆっくり観光して行きや」と追い出されるし(仕事があるから仕方ない)ひとりでぶらついていた。ミアレとは雰囲気は違うがここも観光地だ。1番違うところは神様や見えない存在を祀る場所があちこちにあること。
お屋敷と違って人の気配がするのでほっとする。考えを整理するのにはいいのかも。
カラスバさんとミアレ以外で会うのも、カラスバさんが前向きに見えることも全てが予想外だ。
それにカラスバさんの揶揄いに戸惑いよりも嬉しさが勝っていた自分に対しても怖くなった。
近過ぎる距離に緊張して強い反応を返してしまい、そこから逃げている。
嬉しいけれど怖い。
昔から決まっている事だからと自分の感情を覆い隠していたので、恋に憧れているところがある。その相手がよく知っている相手だと……勝手が違ってくる。
よりにもよってカラスバさんかあ。強い人だし、街の為とは言え私のことも気にかけてくれている。人一倍優しいところのある人だと言うことも嫌という程見てきた。
そのとき、ポーチの中でボールが微かに揺れた。あ、そうか。
「出ておいで」
私の相棒はボールから出てきて不思議そうに辺りを見回している。
「ごめんね、遠くまで連れて来ちゃって」
家にも連絡しなきゃなあ。
どう話したもんかと悩んでると電話はすぐに繋がった。
「母さん?こっち着いたよ。向こうの人とも会った。……うん。全部聞いた。ビックリしたけど良かった、うん。良い事だもんね」
家で会った時より母の声に元気が無いような気がする。心配をかけているんだろうか?
「私は大丈夫だよ。……あー、うん、その人とも会った。良い人だから大丈夫」
良い人、の辺りでお母さんの「いいから帰って来なさい」の声に話を遮られる。いや、えーと、カラスバさんて一見すると物凄く癖が強いけど街の為を思ってて根は真っ直ぐな人で……という私の声と、娘を思う母の説教がぶつかり合って。
気付けば町を行く人の視線が集まっていた。
「落ち着いたらまた連絡するから。ポケモンも一緒だしあんまり心配しないで待ってて」
人に干渉することを好まないミアレと違いここではとても目立ってしまう。
一方的に捲し立て電話を切ると溜息が出てきた。先行きが思いやられる…。
「迷惑だから電話はやめようか。ゆっくりあちこち見ていこうね」
そう言うとポケモンが上機嫌で可愛く鳴いた。
4.
「セイカおかえり、オレも今仕事終わったとこ。休憩しよ」
戻るなりカラスバさんの歓迎を受ける。今一番顔を見たくて、一番会いたくない人だ。
カラスバさんは昨日と違い若草色の着物でリラックスした雰囲気を纏っている。似合っているのは昨日同様で私よりずっと違和感なくここに馴染んでいた。
私のじろじろ見ている視線を気取られたのか「似合うてる?」と問われて、頷いた。
「昨日は初対面やからごっつ張り切ったお着物着せてもろてんけど、今日はちゃんと普通やろ」
普通ってなんなんだろうか。落ち着いた色だけど作りは立派に見える。それをここまで堂々と着こなしている人はそういない。カラスバさんからお茶を受け取ると、
「親御さんなんて言うてた?」
と聞かれた。
私と実家のやり取りを察していたようだ。
「……」
「あかんかったみたいやな」
「私の説明が下手で」
「オレが行って説明しようか?」
「そうした方がいいかも。私じゃ手に負えない」
お世話になってる人だからと言おうものなら余計に拗れるのが私にも予想できた。カラスバさんのこと、どうやって説明したらいいのか……
「なんでそこまでしてくれるんですか?」
「せやって困るやろ。狐さん怒らせたら祟られるんやから」
狐様の祟り。
それもそうなんだけど。
カラスバさんはそんなこと無視しても良いわけで。
「あー、私が動けなくなったら異次元ミアレに飛び込める人が減ってしまうのか。そうか、大問題だ」
困るなーと納得しているとカラスバさんは空気を噛んで、言い淀んだ。
「ま、それもあるんやけど…………」
歯切れのいい彼には珍しい物言いに私の好奇心が刺激された。
「なんで?」
「…………言えない」
言えないってなんだ。そんな答えになってないもので引き下がれない。
聞き出すまで出て行かないつもりでじっと見詰めた。
う、とか、ぐ、とか唸る声が暫く続いてから、カラスバさんが私を見る。
「オレ小っちゃい時にここでオマエと会うてる」
どういう事?
「覚えてないよなあ…。
小さい頃初めてここに来た時、周りの大人誰もよう知らんで1人でいじけとった時にオマエと会ってる」
「あんまり説明になっていないような?」
あー、とかうーん、と呻いて髪の毛を掻き上げてカラスバさんは続けた。
「……オレは1人で身寄りがいなかったから。オレの側には誰もいないって話をしたら、オマエがオレのそばに来て、私がずっと一緒にいようか、どうしようか?って聞いてきて……オレより小さかったから覚えてないやろ」
知らない、と言うとカラスバさんは更に続けた。
「1人で生き延びて頑張っとったらオマエがミアレに来るし……
何の因果か知らんけど、嬉しかった。小っちゃい頃からずっとひとりでおるもんやと思ってたのにその度にオマエに邪魔されてる気がする。正義の味方みたいに絶対来てくれる、どこかでまた会える気もしてて、だから、その……頑張ってみるのも悪くないなって…………うん」
そう言ってからカラスバさんは俯いた。目の端は薄赤くて、顔を背けたけど決まり悪げなのは明らかで。
「……言うつもりなかってんけど黙ってるのはフェアじゃ無いよなあ…………」
「つまり?」
カラスバさんが驚いた顔で私を見た。
やっとこっち見た。
「オマエって鬼?」
「いや、狐、かな?いや、それも違うか」
「もう帰れ、オレ仕事あったわ、今日は帰れ」
ぐいぐいと背中を押されて部屋から押し出される。
「なんで。さっき終わったって」
「大人は色々あんねん」
障子が閉められて、どんな顔しているのか分からなくなった。
「カラスバさん、あの、私気になってるお店がいくつかあって……一緒に行きませんか」
障子越しに掛けた声に、手のひら分の隙間が開いて
「行く」
と返ってきた。
「後で?」
「後で。今はあかん」
もう一度ピシャリと閉められた障子の向こうにこれ以上彼の気配を感じることはできなかった。
1.始まりの日
私が生まれた国には不思議な言い伝えがある。
狐に選ばれた子は祝福を受けてなんでも思い通りにできる力を手に入れるけど、お狐様を裏切ると不幸になる───
お狐様というのは特定の生き物を指すものではない。フォッコやマフォクシー、ロコンやキュウキンが混ざって不思議な力を持った存在とされる。姿は見えなくても、狐に選ばれた子にはそれを感じることができる。
その言い伝えを信じる地方に私は生まれた。
小さな頃に家から遠く離れたお家へ連れて行かれたのを覚えている。大きなお屋敷では大人があちこち行き来していて子どもには退屈だったけど、外の世界と切り離された静かで不思議な所だった。
「セイカちゃんはここの坊ちゃんと結婚するかもしれないから、大きくなったらまたここに来て狐様の前で儀式をしてね」と言われた。意味は分からなかったけどそこのお家にいる男の子のことはなんとなく分かる。女の子と別に3人の兄弟がいて、1人は私から見てほとんど大人に近くて随分お兄ちゃんだったから残った2人のどちらかなのだろう。周りの子に比べて意地悪をするでもなく物静かな子で、それは嫌ではなかった。
本当は、嫌だ、と思っていたけれど、逆らう力がなかった。
それから時々、狐の夢を見るようになった。なんて事のない普通の日だったり節目だったりタイミングは様々で、豪華な輿に乗った狐が体の中に入ってくる感覚が起きても体に残っていて存在を側に感じた。感覚だけはどんどん強くなるので、いよいよ言い伝えが迷信ではなく真実なのだと感じてきた。誰にも話せないまま私は大きくなり、その時は近付いていた。
長い旅路を列車と飛行機に揺られ、本宅を訪ねる前に実家へ戻った。ちょっとゆっくりすることができた。母親に「セイカの好きにしていいんだからね」と言われる。そう言われてもどうしていいか分からない。ミアレに行ったのだって最後のワガママだったのだ。そこで一生分の冒険をして、気の許せる友達ができた。これ以上望む事はないはずだ。もし我儘を言えるなら、ポケモンだけは手放したくない。ずっとポケモンを追いかけて走り回っていたい。これから会う人がどうか私の願いを分かってくれる人でありますように。
いつ来てもここは静かで不思議な場所で、心がざわつく。
一歩敷地へ足を踏み入れるとポケモンの気配どころか人に気配も消えてしまうみたいに静かで空気が澄んでいる。前に来た時と違うのは背が少し伸びたのと相棒がポーチで待っていることか。
屋敷に通されて、人の手が入った庭の緑を眺めていると声をかけられた。
「お休みのところ申し訳ありません。旦那さまがお待ちですので」
ついに、来たか。覚悟を決めようと決意した。向こうだって家の決まりで私と結婚させられるなんて望んでいないはずなのだから協力していいパートナーになろう。できるはず。ポケモンと心を通わせるようにいけば、の話だが。
決意してふすまを開けて顔を上げた。
「遠いところからはるばるいらっしゃい」
にこ、と微笑みかける男性を見て声を失った。着物に羽織りをかけて佇んでいた人が見知った人にそっくりだったからだ。
──カラスバさん?
2.
「こんにちは」
言葉を失い動揺する私に彼は再び優しく語りかけた。上の空でこんにちは…と返事をして立ち尽くす。服装こそ違えど特徴的な髪の毛や瞳の色も彼そのもので。失礼に当たるのを承知で凝視した。黒地に銀糸を織り込んだしっかりした作りの着物を着こなして、腕を組み堂々と立っている。いや全身、どこを見ても──
「えらい可愛い子で嬉しいわあ、一人で大丈夫やったか?」
耳をくすぐる独特の口調、揶揄うような口振り、それに混ぜてこちらへ向けてくる気遣いが私を面映くさせるところまでも。カラスバさんの姿で、声もそうで。
ええと、なんだっけ、ご挨拶を。この度はわたくしをそちらの家にお迎えいただき───、頭の中で準備していた感謝の挨拶をなんとか口から出した。ちゃんと言葉になっていただろうか……
「こっちおいで」
彼はそう言って微笑むと私の手を引く。
濡れ縁を隔てて中庭を臨み隣に座らされたと思うといきなり抱き竦められた。普段感じることのない男性の体を肌身に感じて私はぎこちなく固まる。許嫁って言うけどいきなりこういうことをするのもその範疇に入るんだろうか。
「ずっとこうやって抱き締めたかってん」
ぱちぱちと瞬きが止まらない。形式的な挨拶に終わると思っていたのに、口説かれて、いや、それ以上のことが始まっている。カラスバさんに似ているとは言え、いま挨拶したばかりの人だよ?だめでしょ。
「えらい怖がっとるなあ」
質のいい着物越しに感じる香りまでカラスバさんに似ている気がする。重い毒のような甘い匂いに親しみと、抱き寄せられている腕に対する緊張とを感じて心臓がずくずくと鼓動した。そ、そう、抱き締めているだけ。これくらいなら私にもたぶん大丈夫。
「ほんに可愛い子で嬉しいわあ。つい好き勝手したくなる」
そういう事を言うのを少しだけでも休んでくれないか──そう思っていると顔を掬い上げられた。近い距離で目線がぶつかり合う。
カラスバさんと全く同じ琥珀色の瞳が近付いてくる。見慣れた色だけどこんなに近くにあったことがない。こういう時、目って瞑るんだっけ?……、ぎゅっと目を瞑ってこらえているが、予測していたそれが来ない。
……恐る恐る目を開くと、顔を背けて肩を揺らしているところだった。くっく、としゃくり上げながら愉快そうに笑って彼が言う。
「セイカ、オレやで」
…………
口をぱくぱくさせて驚く私に、たまらないと言った様子でもうひと笑いする。
「あー受けた。いつ気付くかと思ったら全然気付いてくれへんから意地悪してもうた」
羞恥心と驚きと気が抜けたのとで全身から力が抜けていく。
「あーごめんごめん。怖がらせるつもりはなかってん」
瞳から涙が溢れてきていたことに気がついた。ミアレを発ってから張り詰めていた気持ちも全部目から溢れてきてしまう。
「……カラスバさんのこと嫌い」
「悪いのはオレやけどいけず言わんといて。怒るのは好きなだけしてええから」
「なんでカラスバさんがここにいるの?」
「うん、それは泣き止んでからにしよな」
長い時間はかかったがそう言って待ってくれていたお陰でいくらか落ち着きを取り戻せた。カラスバさん?に聞きたいことはいくらでもある。
「どうしてここにいるんですか?」
ここへ来る前、事務所で挨拶をしてカラスバさんには送り出されたのだ。その人がどうしてここで私を待っているのか。
「オマエが発ってからすぐにオレもミアレを離れてな。オレは途中寄るところもなかったから、ここで待ってたわ」
「…知ってたんですか?その時言ってくれても…」
「みんなに黙ってて貰った。どんな顔するかなと思って」
「なんでそんな意地悪……私がどんな思いで……」
不満を述べる私にカラスバさんが意外なことを口にした。
「相手がオレやって分かってセイカが来てくれんかったら寂しいやん」
「そんな事で約束破ったりしない」
「ほんま?」
「待ってください、相手って……。あの、カラスバさんなんですか?」
「うん」
そんなあっさり、うん、て……
ここのお家に男性は3人いた。そのほかに、女兄弟も。この度末っ子が普通の女性と結婚しまして(時代やね)、決まり通りの婚姻ができる人がいなくなりました。
「それで傍系であるオレに声がかかった。小さい頃に拾われたきりで縁が無かったのにムシの良い話やけど、後腐れがなくて使い勝手が良かったんやろなあ」
そう説明されて呆気に取られた。ここの人は私のことを一体なんだと、いや、意思に従い望み通りの結婚をしたことを讃えるべきなのだろう。
びっくりした?と問われて首を縦に振る。カラスバさんは満足そうに笑う。
「前向きに考えてくれたら嬉しいわ」
……
この人も何を言ってるの?
3.
日が明けても、全てが予想と違う方へ行ったことで私は途方に暮れていた。
肝心のカラスバさんには「ゆっくり観光して行きや」と追い出されるし(仕事があるから仕方ない)ひとりでぶらついていた。ミアレとは雰囲気は違うがここも観光地だ。1番違うところは神様や見えない存在を祀る場所があちこちにあること。
お屋敷と違って人の気配がするのでほっとする。考えを整理するのにはいいのかも。
カラスバさんとミアレ以外で会うのも、カラスバさんが前向きに見えることも全てが予想外だ。
それにカラスバさんの揶揄いに戸惑いよりも嬉しさが勝っていた自分に対しても怖くなった。
近過ぎる距離に緊張して強い反応を返してしまい、そこから逃げている。
嬉しいけれど怖い。
昔から決まっている事だからと自分の感情を覆い隠していたので、恋に憧れているところがある。その相手がよく知っている相手だと……勝手が違ってくる。
よりにもよってカラスバさんかあ。強い人だし、街の為とは言え私のことも気にかけてくれている。人一倍優しいところのある人だと言うことも嫌という程見てきた。
そのとき、ポーチの中でボールが微かに揺れた。あ、そうか。
「出ておいで」
私の相棒はボールから出てきて不思議そうに辺りを見回している。
「ごめんね、遠くまで連れて来ちゃって」
家にも連絡しなきゃなあ。
どう話したもんかと悩んでると電話はすぐに繋がった。
「母さん?こっち着いたよ。向こうの人とも会った。……うん。全部聞いた。ビックリしたけど良かった、うん。良い事だもんね」
家で会った時より母の声に元気が無いような気がする。心配をかけているんだろうか?
「私は大丈夫だよ。……あー、うん、その人とも会った。良い人だから大丈夫」
良い人、の辺りでお母さんの「いいから帰って来なさい」の声に話を遮られる。いや、えーと、カラスバさんて一見すると物凄く癖が強いけど街の為を思ってて根は真っ直ぐな人で……という私の声と、娘を思う母の説教がぶつかり合って。
気付けば町を行く人の視線が集まっていた。
「落ち着いたらまた連絡するから。ポケモンも一緒だしあんまり心配しないで待ってて」
人に干渉することを好まないミアレと違いここではとても目立ってしまう。
一方的に捲し立て電話を切ると溜息が出てきた。先行きが思いやられる…。
「迷惑だから電話はやめようか。ゆっくりあちこち見ていこうね」
そう言うとポケモンが上機嫌で可愛く鳴いた。
4.
「セイカおかえり、オレも今仕事終わったとこ。休憩しよ」
戻るなりカラスバさんの歓迎を受ける。今一番顔を見たくて、一番会いたくない人だ。
カラスバさんは昨日と違い若草色の着物でリラックスした雰囲気を纏っている。似合っているのは昨日同様で私よりずっと違和感なくここに馴染んでいた。
私のじろじろ見ている視線を気取られたのか「似合うてる?」と問われて、頷いた。
「昨日は初対面やからごっつ張り切ったお着物着せてもろてんけど、今日はちゃんと普通やろ」
普通ってなんなんだろうか。落ち着いた色だけど作りは立派に見える。それをここまで堂々と着こなしている人はそういない。カラスバさんからお茶を受け取ると、
「親御さんなんて言うてた?」
と聞かれた。
私と実家のやり取りを察していたようだ。
「……」
「あかんかったみたいやな」
「私の説明が下手で」
「オレが行って説明しようか?」
「そうした方がいいかも。私じゃ手に負えない」
お世話になってる人だからと言おうものなら余計に拗れるのが私にも予想できた。カラスバさんのこと、どうやって説明したらいいのか……
「なんでそこまでしてくれるんですか?」
「せやって困るやろ。狐さん怒らせたら祟られるんやから」
狐様の祟り。
それもそうなんだけど。
カラスバさんはそんなこと無視しても良いわけで。
「あー、私が動けなくなったら異次元ミアレに飛び込める人が減ってしまうのか。そうか、大問題だ」
困るなーと納得しているとカラスバさんは空気を噛んで、言い淀んだ。
「ま、それもあるんやけど…………」
歯切れのいい彼には珍しい物言いに私の好奇心が刺激された。
「なんで?」
「…………言えない」
言えないってなんだ。そんな答えになってないもので引き下がれない。
聞き出すまで出て行かないつもりでじっと見詰めた。
う、とか、ぐ、とか唸る声が暫く続いてから、カラスバさんが私を見る。
「オレ小っちゃい時にここでオマエと会うてる」
どういう事?
「覚えてないよなあ…。
小さい頃初めてここに来た時、周りの大人誰もよう知らんで1人でいじけとった時にオマエと会ってる」
「あんまり説明になっていないような?」
あー、とかうーん、と呻いて髪の毛を掻き上げてカラスバさんは続けた。
「……オレは1人で身寄りがいなかったから。オレの側には誰もいないって話をしたら、オマエがオレのそばに来て、私がずっと一緒にいようか、どうしようか?って聞いてきて……オレより小さかったから覚えてないやろ」
知らない、と言うとカラスバさんは更に続けた。
「1人で生き延びて頑張っとったらオマエがミアレに来るし……
何の因果か知らんけど、嬉しかった。小っちゃい頃からずっとひとりでおるもんやと思ってたのにその度にオマエに邪魔されてる気がする。正義の味方みたいに絶対来てくれる、どこかでまた会える気もしてて、だから、その……頑張ってみるのも悪くないなって…………うん」
そう言ってからカラスバさんは俯いた。目の端は薄赤くて、顔を背けたけど決まり悪げなのは明らかで。
「……言うつもりなかってんけど黙ってるのはフェアじゃ無いよなあ…………」
「つまり?」
カラスバさんが驚いた顔で私を見た。
やっとこっち見た。
「オマエって鬼?」
「いや、狐、かな?いや、それも違うか」
「もう帰れ、オレ仕事あったわ、今日は帰れ」
ぐいぐいと背中を押されて部屋から押し出される。
「なんで。さっき終わったって」
「大人は色々あんねん」
障子が閉められて、どんな顔しているのか分からなくなった。
「カラスバさん、あの、私気になってるお店がいくつかあって……一緒に行きませんか」
障子越しに掛けた声に、手のひら分の隙間が開いて
「行く」
と返ってきた。
「後で?」
「後で。今はあかん」
もう一度ピシャリと閉められた障子の向こうにこれ以上彼の気配を感じることはできなかった。
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