めくる、眩めく
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3
•·················•·················•
「セイカさんは珍しく少しお疲れのご様子でしたね」
三名が出て行くのを見送って、マスカットが口にした。
そやったか?
カラスバは先程のセイカの様子を思い起こす。どんな表情をしていたか。いつも通り…というか最近はあんな感じなのではないだろうか。
最近……セイカとふたりになっていない。事務所が集会所のようになってトレーナーも勤め人もよく出入りしていて、忙しない。
というのは言い訳で意図的にセイカと二人になるのを避けていた。
何を、言うたらいいのか分からん。
「セイカは、オレからフォローしときます」
努めて感情を出さずに告げた。オレの個人的な感情は別に取引先としてフォローしておく必要があった。
「いいんですか?カラスバさんなら、わたくしどもも安心です」
買い被りとちゃうか?
いつでも真剣で真面目な態度を崩さないマスカットに軽口を叩く気になれず、カラスバはただ頷いた。
オレでアイツの機嫌を取れるんやろか。
タワーの件からずっとMZ団をサビ組は良いように使っていた。巷ではサビ組に弱みを握られてこき使われているなどと噂されるほどに。友好的な関係だと思われてもアイツらに迷惑だろうから、噂を否定して回ることはしなかった。
生まれ育った街を、土煙と禍々しく剥き出しになった鉄骨や破壊のあとそのままにはしておけず、使えるものはベビーポケモンのシッポだろうと使いたかった。
それで、ついセイカの人の良さに甘えて、何も言えないまま何もしないまま来てしまった。
甘えとるよな、オレ。
今さら、セイカに何を言うべきなんか分からん。
セイカがミアレの土地を踏んでからあっという間にこの街とカラスバを変えてしまった。
以前はカタギとつるむなんて考えてもいなかった。利用できるやつは利用して、それ以外はなるべく関わらずにコソコソと薄暗い世界を小狡く生きていくつもりだった。
それが今や、ちゃんとした会社の人と一緒に働いとるんやから。
マスカットの横顔を盗み見る。こんな胡散臭い連中と組まされて腐るどころか揺るがない自信を身体の内側から漂わせていた。
そんな人と協力してサビ組で異次元の歪みへの対処を買って出るのも以前は考えられなかったことだ。
まともに生きられるはずなんかないって、思うとったんやけどな。
セイカを見ていると不思議と自分を変えたくなった。
半端ない腹の括りかたを短期間でよう決めたものやと思う。
アイツが街の為にやっている無私の行いを見て自身のなかの正義や悪の在り方が揺らいだ、と言えば聞こえはいい。
本音はそんなものではない。
セイカに惚れてしまったからだ。
近付きたい。男が覚悟を決める──みたいに言えば聞こえはいいがもっと単純な動機だった。
セイカが可愛くて、側に置きたい。
そういう感情を身体の内側に持っていたことを初めて思い知った。
セイカを知れば知るほど、掴みどころのない強さとその源泉に惹かれる。
圧倒的な暴の力を感じさせない無防備な笑顔と、機嫌に合わせてすぐ変わる表情。
ただそれらを眺めているだけで、誰とも深く関わらず半端者として燻っていた身が、実は前からそうしたがっていたと思えるほどに、熱く燃え上がった。
恥ずかしくて誰にも言えたものではない。
まともに、なれるかもしれん。少なくとも、そうなりたいとは思っている。厳冬の雪の下で根を張り春を待つ草が己の内側にも芽生えていた。
だから──何かを成し遂げたくて焦っている。オレがちんたら過去を贖おうともがいている間にセイカが誰かを好きになってしまうんやないかとか、そもそもコチラが好かれているかも分からないが。少しでも側にいて誇れるような自分になりたいと、ようやく腹を括ったところだ。
それなのにミアレの危機だとか火急の事態なのをいい事にセイカとの接触も避けている始末なのだから。人を好きになることは、こうもままならない。
このままやったらマズイよなあ。
表情には出さずに、カラスバは苦々しく思った。
現状は芳しくない。
「セイカさんはわたくしどもの無茶振りにいつも答えてくれてますからね……頼りすぎていてわたくしどもも不甲斐なく思います」
カラスバの心境と呼応するようにマスカットがセイカへの感謝と申し訳なさを口にする。
そう、オレだけではない。あどけなくまだ頼りなく見えるセイカに、この街は何度も救われている。
オレを含め、どれほどの人間がアイツに恩義を感じているか。
いつだったか、まだ二人で話せていた頃。
カラスバの目の前で、街を東西に分かつ運河が日を照り返しいつ届くとも知れない海へとゆっくりと流れている。優雅を通り越して呑気な流れと、四角い建物群を無機質に照り返す物寂しい姿は、カラスバの脳裏にありありと浮かぶかつての頃と何も変わらなかった。
運河の流れを汲んだ地下水道がカラスバの背後にあり、セイカがそこにいる。
かつてカラスバが運河の周りをウロチョロし1丁前に縄張りを気取っていた頃とそう変わらない歳の女の子を、自ら送り込んだ。
それにはガイという並外れたお人好しを餌にした。
仲間の為とは言え縁もゆかりも無い土地で出会っただけの相手の為に、サビ組を向こうに張り女の子ひとりでどこまでやれるか試してみたくなった。
部下の報告によると彼女はつい先程入り口を見つけ出し、ボールを携え入っていったらしい。
あの実力と度胸なら、すぐ片付けて出てくるやろ。
カラスバの元にはロワイヤルでの八面六臂と、彼女と時を同じくして現れた暴走した個体への速やかな対処の情報が届いていた。だからカラスバからは、街の面倒ごとをプレゼントするつもりでいた。
ところが彼女はなかなか出てこなかった。カラスバが運河を前に自分の歳若い頃に記憶を飛ばし始めた頃、地下水道の入口からセイカは現れた。
「ご苦労さまやな」
セイカは驚きを隠しもせずカラスバを見つめた。まただ──わざわざボスが出向く必要があるだろうか、とその目が語っていた。
「やるやん」
まずはサビ組から逃げなかった事を誉めた。
名誉に思っていい。
イキのいい若者、喧嘩自慢、色んなヤツがいる。サビ組を利用しようと息巻いている気の荒い連中だ。けどよそういうヤツらもいざことを構えると尻尾を巻いて逃げようとする──コイツはそんな素振りがない。
「思ったよりも時間かかったな」
セイカがボールを握り込む。いくらか中で戦闘があったようだ。
「暗いとこを好むポケモンも多いさかいなあ」
セイカは頷き、静かに話を聞いていた。あまり心を開いていないようだった。
「思ったよりオモロくて、冒険してもうたか?」
そう問うと初めてセイカの表情が柔らかな笑顔に変わり、うん、と頷いた。
そうか、楽しかったか。
カラスバの心も解けた。
昔を懐かしむようにある恩人の名を呟いた。
「オマエ、フラダリさんと知り合いなんか」
コイツと繋がりがあることは分かっている。ただ事実確認のために出す必要があるだけの、その名前が舌の上で懐かしい音を響かせた。昔懐かしい、恩人の響き。間を置かず感傷が胸に去来し、カラスバの柔らかい部分をえぐった。
運河をぼうっと見つめていたせいかもしれない。
セイカは話の要点が掴めないようで返答に困っている。
いいか、今からオレの秘密を話してやる。
誰にも言わない類のものだ。
「──言うたら利子、めっちゃ増やすで」
この言葉でセイカにも伝わったはずだ。ふたりの秘密なのだと。
相反する思考がカラスバの頭にあった。
何故話してしまったんだろう。
いつかこうなる気がしていた。この人には気を、許してしまうと。
いずれにせよフラダリさんがコイツを気にかける限りはオレもこの突然現れた異分子を放っておけない。
その後は知っての通りで──
自由に宇宙空間を飛び回るはずだった星がある日突然地に落ちてしまうように、アイツに着地していた。心を解いて奥の柔らかいところまで見せたくなった。
コイツがミアレにゆかりのない異邦人だからだろうか……それもあったんだろうが。たぶん、それだけではない。分別がつき始める年齢を迎え誰にも己のことを知ってもらえないのは寂しいことなのだと、誰しも感じることをカラスバも悟り始めていた。
けど誰にでも話せるような楽しい人生でもあらへんしな───
理解されることを拒んで諦めていたカラスバの前に現れた、全てを許してくれそうな肝の決まった女。
しなやかな樹のように風を受けて佇むセイカに、もたれかかりたくなった。
可愛いとか見ていたくなるとか衝動に任せた部分を省けば、これがカラスバがセイカの手にストンと落ちていったあらましだ。
それで、あの。とマスカットが続けてカラスバに切り出す。
「花を贈るのはいかがでしょう。わたくし、女性が綺麗なものを贈られて怒るところはあまり見たことがないので」
「ええですね。喜ぶと思いますわ」
マスカットはすっかり安心しきった様子でニコニコと笑みを浮かべていた。
花、か。悪ないな。
手元には残らず、けれど美しい。
特段に嫌がられる要素がなく贈り物に適した選択に思える。
オレにはもっとアイツに贈るべきものがある。
詫びとか、献身的な働きへの礼とか。いや、それよりも、さっき考えていたような胸の内をそのまま綴るのがよいのだろうが──
それがいっちゃん難しいんやけどな。
臆病さが、胸を占める。
生き延びる為に身につけた小賢しさが、前に進もうとするカラスバの足を引っ張る。
セイカに対して約束できることなんか何もなかった。
まともになってみせると腹を括り部下に組を大きくするから今まで以上に必死について来いと啖呵を切ったけど、どうなるかは天にも分からない。この先、何年かかるかも。
もし、失敗なんかして上手くいかんかったら格好つかへんやん?
マトモに陽の当たるところにいる自分が想像もつかない。
オレを不安にさせる懸念材料はいくらでもあった。こんな半端者を、選んでくれるのか。真っ直ぐ太陽を浴びて育ったセイカが。
いくらアイツがお人好しで、ぼーっとしていると言ってもこのまま都合良くずっと傍にいてくれるわけがなかった。
セイカがいなくなって困るのは他の誰でもないオレのほうやのに──
必死に追いかける側はオレなのに、黙って見ていてほしいは虫が良すぎる。
好きになるほど臆病並外れなっていったオレに言えそうなこと。
たとえばやけど、簡潔に。
オマエがやってくれたこと全てに感謝している。今やってるアレコレが落ち着いたら、改めて二人だけで話したい──
これくらいの事なら、言っても許されるんじゃないか。花を贈るだけでももちろん問題はないが。
今はまだどうなるか分からないけど、しばらくでいいからオレの悪あがきに付き合って、その、できればだがついでにその間だけは、隣をオレの為に開けておいてほしい──
そういう事がセイカに伝わればいい。
──なんや、それだけの事を言うのに、こんなに決心がいるんか。ウジウジしよってからに。
いつかは言わなくてはならない。セイカが、離れて手の届かない人になる前に。
オレと同じくらい肚を決めてくれ、とか、オマエの未来をくれ、とかそういう類の、男してのけじめを今つける必要はない。いつかは向き合わないといけないが──
その前に今のありのままのみっともない姿を見てもらうしかなかった。
オマエがいるから、今日のようなしんどい時は気張っていられる。弱いオレを変えてくれてありがとう、と。
遊び心がふと芽生えた。小さな賭け事をしよう。
決心を固めて少し肩の荷が降りたせいか生来の勝負好きが顔を覗かせていた。
贈り主がオレだということは伏せて花とカードを贈る。もしセイカがオレと似た思いでいるなら綴られた文章からオレのことだと気づいてくれるはずだ。もし気付いてくれないなら始めからオレの一人相撲だったということ。
もしこれがお天道様のお眼鏡に適うやり方なら。
小さな賭けにオレを勝たせてくれる。
やることを決めると、雲が晴れ頭が冴えてくる。
「マスカットさん」
「はい、なんでしょう」
「異次元の歪みの件、オレらとクェーサーで絶対に何とかしたりましょう」
「……!はい!」
照準は定まった。
あとは真っ直ぐぶち抜くだけ。飾りつけのない、スッピンのオレで。
4
•·················•·················•
セイカさん宛ての、差出人のない荷物をボクは抱えていた。
いつまでも抱えているわけにもいかない。女性宛だと一目見て分かる柔らかい色合いのブーケをセイカさんはボクから受け取った。
「セイカさん宛…みたいです」
姿勢を正してボクからブーケを受け取りセイカさんは不思議そうにそれを眺めた。
「誰からだろう?ありがとう」
彼女も贈り主に思い当たらないらしい。
大丈夫だろうか。正体不明の人間からの贈り物なんて、気味悪いに違いない。女の人なら特に。
セイカさんの手が、青地に金色の縁取りのメッセージカードを引き抜く。
そこにも名前らしき記載はなかった。
セイカさんの指先がカードを開く。
ボクに中身を見る権利はないから、そっと離れて元いたソファに戻った。
裁縫に集中し直そうと息を整えると、短い困惑の声が耳に入った。
カードを開いたセイカさんの顔が驚きに染まっている。
よくない事が書いてなければいいけど──
しばらくカードを読み耽っていたセイカさんが立ち上がり、カウンターへ向かう。それからおもむろにホテルの台帳をめくり始めた。
そこにある、誰かの名前を探しているらしかった。
業務に関するメッセージだったんだろうか。差出人はここへ訪れたことのある宿泊客の誰かなのか。
従業員への労いとして贈られたものだとするとやや個人的過ぎるが。
あるページで手を止めたセイカさんが、台帳を指でなぞる。静かで、優しい手つきだった。もちろんここから名前は見えない。
台帳とカードを見比べるように目線を行ったり来たりさせるセイカさんはいつになく真剣な顔で、ああ、この人はボクよりちょっとお姉さんなんだ、と思った。
見ていると悪い気がしてボクは目の前の作品に視線を戻した。
セイカさんはソファに戻ってくると、ブーケが収まった籠をお腹に乗せて、お行儀悪く足を放りだし──プラプラと動かし始めた。
手にはカードを持ったまま。それを眺めながら怪訝そうに眉をひそめたと思ったら、口元が弛むのを抑えられず笑ったり、忙しなかった。
さっきの、セイカさんの長くうまくやっていきたい相手はカードの向こうにいるんだろうか。確証は無いけどきっとそうなんだろうと思った。
セイカさんを萎ませたり、驚かせたり、色んな表情を引き出す人が、カードの向こう側から彼女へ微笑んでいる。さっきの優しく台帳をなぞる指先が、じっとカードを見つめる彼女の目が、それを示している気がした。
いったい、何が書いてあったんですか。
好奇心が湧き上がってくる。現実の人間関係、こと恋愛を怖がっているボクにしては珍しいことだった。
ボクのところまで花の香りが漂ってくる。押し付けがましくない甘さが鼻腔をくすぐった。
贈り主はセイカさんのことを愛しく思っているに違いなかった。ぎゅっと敷き詰められた花たちと、甘く優しい香りにボクはそんなことを思った。
/End
•·················•·················•
「セイカさんは珍しく少しお疲れのご様子でしたね」
三名が出て行くのを見送って、マスカットが口にした。
そやったか?
カラスバは先程のセイカの様子を思い起こす。どんな表情をしていたか。いつも通り…というか最近はあんな感じなのではないだろうか。
最近……セイカとふたりになっていない。事務所が集会所のようになってトレーナーも勤め人もよく出入りしていて、忙しない。
というのは言い訳で意図的にセイカと二人になるのを避けていた。
何を、言うたらいいのか分からん。
「セイカは、オレからフォローしときます」
努めて感情を出さずに告げた。オレの個人的な感情は別に取引先としてフォローしておく必要があった。
「いいんですか?カラスバさんなら、わたくしどもも安心です」
買い被りとちゃうか?
いつでも真剣で真面目な態度を崩さないマスカットに軽口を叩く気になれず、カラスバはただ頷いた。
オレでアイツの機嫌を取れるんやろか。
タワーの件からずっとMZ団をサビ組は良いように使っていた。巷ではサビ組に弱みを握られてこき使われているなどと噂されるほどに。友好的な関係だと思われてもアイツらに迷惑だろうから、噂を否定して回ることはしなかった。
生まれ育った街を、土煙と禍々しく剥き出しになった鉄骨や破壊のあとそのままにはしておけず、使えるものはベビーポケモンのシッポだろうと使いたかった。
それで、ついセイカの人の良さに甘えて、何も言えないまま何もしないまま来てしまった。
甘えとるよな、オレ。
今さら、セイカに何を言うべきなんか分からん。
セイカがミアレの土地を踏んでからあっという間にこの街とカラスバを変えてしまった。
以前はカタギとつるむなんて考えてもいなかった。利用できるやつは利用して、それ以外はなるべく関わらずにコソコソと薄暗い世界を小狡く生きていくつもりだった。
それが今や、ちゃんとした会社の人と一緒に働いとるんやから。
マスカットの横顔を盗み見る。こんな胡散臭い連中と組まされて腐るどころか揺るがない自信を身体の内側から漂わせていた。
そんな人と協力してサビ組で異次元の歪みへの対処を買って出るのも以前は考えられなかったことだ。
まともに生きられるはずなんかないって、思うとったんやけどな。
セイカを見ていると不思議と自分を変えたくなった。
半端ない腹の括りかたを短期間でよう決めたものやと思う。
アイツが街の為にやっている無私の行いを見て自身のなかの正義や悪の在り方が揺らいだ、と言えば聞こえはいい。
本音はそんなものではない。
セイカに惚れてしまったからだ。
近付きたい。男が覚悟を決める──みたいに言えば聞こえはいいがもっと単純な動機だった。
セイカが可愛くて、側に置きたい。
そういう感情を身体の内側に持っていたことを初めて思い知った。
セイカを知れば知るほど、掴みどころのない強さとその源泉に惹かれる。
圧倒的な暴の力を感じさせない無防備な笑顔と、機嫌に合わせてすぐ変わる表情。
ただそれらを眺めているだけで、誰とも深く関わらず半端者として燻っていた身が、実は前からそうしたがっていたと思えるほどに、熱く燃え上がった。
恥ずかしくて誰にも言えたものではない。
まともに、なれるかもしれん。少なくとも、そうなりたいとは思っている。厳冬の雪の下で根を張り春を待つ草が己の内側にも芽生えていた。
だから──何かを成し遂げたくて焦っている。オレがちんたら過去を贖おうともがいている間にセイカが誰かを好きになってしまうんやないかとか、そもそもコチラが好かれているかも分からないが。少しでも側にいて誇れるような自分になりたいと、ようやく腹を括ったところだ。
それなのにミアレの危機だとか火急の事態なのをいい事にセイカとの接触も避けている始末なのだから。人を好きになることは、こうもままならない。
このままやったらマズイよなあ。
表情には出さずに、カラスバは苦々しく思った。
現状は芳しくない。
「セイカさんはわたくしどもの無茶振りにいつも答えてくれてますからね……頼りすぎていてわたくしどもも不甲斐なく思います」
カラスバの心境と呼応するようにマスカットがセイカへの感謝と申し訳なさを口にする。
そう、オレだけではない。あどけなくまだ頼りなく見えるセイカに、この街は何度も救われている。
オレを含め、どれほどの人間がアイツに恩義を感じているか。
いつだったか、まだ二人で話せていた頃。
カラスバの目の前で、街を東西に分かつ運河が日を照り返しいつ届くとも知れない海へとゆっくりと流れている。優雅を通り越して呑気な流れと、四角い建物群を無機質に照り返す物寂しい姿は、カラスバの脳裏にありありと浮かぶかつての頃と何も変わらなかった。
運河の流れを汲んだ地下水道がカラスバの背後にあり、セイカがそこにいる。
かつてカラスバが運河の周りをウロチョロし1丁前に縄張りを気取っていた頃とそう変わらない歳の女の子を、自ら送り込んだ。
それにはガイという並外れたお人好しを餌にした。
仲間の為とは言え縁もゆかりも無い土地で出会っただけの相手の為に、サビ組を向こうに張り女の子ひとりでどこまでやれるか試してみたくなった。
部下の報告によると彼女はつい先程入り口を見つけ出し、ボールを携え入っていったらしい。
あの実力と度胸なら、すぐ片付けて出てくるやろ。
カラスバの元にはロワイヤルでの八面六臂と、彼女と時を同じくして現れた暴走した個体への速やかな対処の情報が届いていた。だからカラスバからは、街の面倒ごとをプレゼントするつもりでいた。
ところが彼女はなかなか出てこなかった。カラスバが運河を前に自分の歳若い頃に記憶を飛ばし始めた頃、地下水道の入口からセイカは現れた。
「ご苦労さまやな」
セイカは驚きを隠しもせずカラスバを見つめた。まただ──わざわざボスが出向く必要があるだろうか、とその目が語っていた。
「やるやん」
まずはサビ組から逃げなかった事を誉めた。
名誉に思っていい。
イキのいい若者、喧嘩自慢、色んなヤツがいる。サビ組を利用しようと息巻いている気の荒い連中だ。けどよそういうヤツらもいざことを構えると尻尾を巻いて逃げようとする──コイツはそんな素振りがない。
「思ったよりも時間かかったな」
セイカがボールを握り込む。いくらか中で戦闘があったようだ。
「暗いとこを好むポケモンも多いさかいなあ」
セイカは頷き、静かに話を聞いていた。あまり心を開いていないようだった。
「思ったよりオモロくて、冒険してもうたか?」
そう問うと初めてセイカの表情が柔らかな笑顔に変わり、うん、と頷いた。
そうか、楽しかったか。
カラスバの心も解けた。
昔を懐かしむようにある恩人の名を呟いた。
「オマエ、フラダリさんと知り合いなんか」
コイツと繋がりがあることは分かっている。ただ事実確認のために出す必要があるだけの、その名前が舌の上で懐かしい音を響かせた。昔懐かしい、恩人の響き。間を置かず感傷が胸に去来し、カラスバの柔らかい部分をえぐった。
運河をぼうっと見つめていたせいかもしれない。
セイカは話の要点が掴めないようで返答に困っている。
いいか、今からオレの秘密を話してやる。
誰にも言わない類のものだ。
「──言うたら利子、めっちゃ増やすで」
この言葉でセイカにも伝わったはずだ。ふたりの秘密なのだと。
相反する思考がカラスバの頭にあった。
何故話してしまったんだろう。
いつかこうなる気がしていた。この人には気を、許してしまうと。
いずれにせよフラダリさんがコイツを気にかける限りはオレもこの突然現れた異分子を放っておけない。
その後は知っての通りで──
自由に宇宙空間を飛び回るはずだった星がある日突然地に落ちてしまうように、アイツに着地していた。心を解いて奥の柔らかいところまで見せたくなった。
コイツがミアレにゆかりのない異邦人だからだろうか……それもあったんだろうが。たぶん、それだけではない。分別がつき始める年齢を迎え誰にも己のことを知ってもらえないのは寂しいことなのだと、誰しも感じることをカラスバも悟り始めていた。
けど誰にでも話せるような楽しい人生でもあらへんしな───
理解されることを拒んで諦めていたカラスバの前に現れた、全てを許してくれそうな肝の決まった女。
しなやかな樹のように風を受けて佇むセイカに、もたれかかりたくなった。
可愛いとか見ていたくなるとか衝動に任せた部分を省けば、これがカラスバがセイカの手にストンと落ちていったあらましだ。
それで、あの。とマスカットが続けてカラスバに切り出す。
「花を贈るのはいかがでしょう。わたくし、女性が綺麗なものを贈られて怒るところはあまり見たことがないので」
「ええですね。喜ぶと思いますわ」
マスカットはすっかり安心しきった様子でニコニコと笑みを浮かべていた。
花、か。悪ないな。
手元には残らず、けれど美しい。
特段に嫌がられる要素がなく贈り物に適した選択に思える。
オレにはもっとアイツに贈るべきものがある。
詫びとか、献身的な働きへの礼とか。いや、それよりも、さっき考えていたような胸の内をそのまま綴るのがよいのだろうが──
それがいっちゃん難しいんやけどな。
臆病さが、胸を占める。
生き延びる為に身につけた小賢しさが、前に進もうとするカラスバの足を引っ張る。
セイカに対して約束できることなんか何もなかった。
まともになってみせると腹を括り部下に組を大きくするから今まで以上に必死について来いと啖呵を切ったけど、どうなるかは天にも分からない。この先、何年かかるかも。
もし、失敗なんかして上手くいかんかったら格好つかへんやん?
マトモに陽の当たるところにいる自分が想像もつかない。
オレを不安にさせる懸念材料はいくらでもあった。こんな半端者を、選んでくれるのか。真っ直ぐ太陽を浴びて育ったセイカが。
いくらアイツがお人好しで、ぼーっとしていると言ってもこのまま都合良くずっと傍にいてくれるわけがなかった。
セイカがいなくなって困るのは他の誰でもないオレのほうやのに──
必死に追いかける側はオレなのに、黙って見ていてほしいは虫が良すぎる。
好きになるほど臆病並外れなっていったオレに言えそうなこと。
たとえばやけど、簡潔に。
オマエがやってくれたこと全てに感謝している。今やってるアレコレが落ち着いたら、改めて二人だけで話したい──
これくらいの事なら、言っても許されるんじゃないか。花を贈るだけでももちろん問題はないが。
今はまだどうなるか分からないけど、しばらくでいいからオレの悪あがきに付き合って、その、できればだがついでにその間だけは、隣をオレの為に開けておいてほしい──
そういう事がセイカに伝わればいい。
──なんや、それだけの事を言うのに、こんなに決心がいるんか。ウジウジしよってからに。
いつかは言わなくてはならない。セイカが、離れて手の届かない人になる前に。
オレと同じくらい肚を決めてくれ、とか、オマエの未来をくれ、とかそういう類の、男してのけじめを今つける必要はない。いつかは向き合わないといけないが──
その前に今のありのままのみっともない姿を見てもらうしかなかった。
オマエがいるから、今日のようなしんどい時は気張っていられる。弱いオレを変えてくれてありがとう、と。
遊び心がふと芽生えた。小さな賭け事をしよう。
決心を固めて少し肩の荷が降りたせいか生来の勝負好きが顔を覗かせていた。
贈り主がオレだということは伏せて花とカードを贈る。もしセイカがオレと似た思いでいるなら綴られた文章からオレのことだと気づいてくれるはずだ。もし気付いてくれないなら始めからオレの一人相撲だったということ。
もしこれがお天道様のお眼鏡に適うやり方なら。
小さな賭けにオレを勝たせてくれる。
やることを決めると、雲が晴れ頭が冴えてくる。
「マスカットさん」
「はい、なんでしょう」
「異次元の歪みの件、オレらとクェーサーで絶対に何とかしたりましょう」
「……!はい!」
照準は定まった。
あとは真っ直ぐぶち抜くだけ。飾りつけのない、スッピンのオレで。
4
•·················•·················•
セイカさん宛ての、差出人のない荷物をボクは抱えていた。
いつまでも抱えているわけにもいかない。女性宛だと一目見て分かる柔らかい色合いのブーケをセイカさんはボクから受け取った。
「セイカさん宛…みたいです」
姿勢を正してボクからブーケを受け取りセイカさんは不思議そうにそれを眺めた。
「誰からだろう?ありがとう」
彼女も贈り主に思い当たらないらしい。
大丈夫だろうか。正体不明の人間からの贈り物なんて、気味悪いに違いない。女の人なら特に。
セイカさんの手が、青地に金色の縁取りのメッセージカードを引き抜く。
そこにも名前らしき記載はなかった。
セイカさんの指先がカードを開く。
ボクに中身を見る権利はないから、そっと離れて元いたソファに戻った。
裁縫に集中し直そうと息を整えると、短い困惑の声が耳に入った。
カードを開いたセイカさんの顔が驚きに染まっている。
よくない事が書いてなければいいけど──
しばらくカードを読み耽っていたセイカさんが立ち上がり、カウンターへ向かう。それからおもむろにホテルの台帳をめくり始めた。
そこにある、誰かの名前を探しているらしかった。
業務に関するメッセージだったんだろうか。差出人はここへ訪れたことのある宿泊客の誰かなのか。
従業員への労いとして贈られたものだとするとやや個人的過ぎるが。
あるページで手を止めたセイカさんが、台帳を指でなぞる。静かで、優しい手つきだった。もちろんここから名前は見えない。
台帳とカードを見比べるように目線を行ったり来たりさせるセイカさんはいつになく真剣な顔で、ああ、この人はボクよりちょっとお姉さんなんだ、と思った。
見ていると悪い気がしてボクは目の前の作品に視線を戻した。
セイカさんはソファに戻ってくると、ブーケが収まった籠をお腹に乗せて、お行儀悪く足を放りだし──プラプラと動かし始めた。
手にはカードを持ったまま。それを眺めながら怪訝そうに眉をひそめたと思ったら、口元が弛むのを抑えられず笑ったり、忙しなかった。
さっきの、セイカさんの長くうまくやっていきたい相手はカードの向こうにいるんだろうか。確証は無いけどきっとそうなんだろうと思った。
セイカさんを萎ませたり、驚かせたり、色んな表情を引き出す人が、カードの向こう側から彼女へ微笑んでいる。さっきの優しく台帳をなぞる指先が、じっとカードを見つめる彼女の目が、それを示している気がした。
いったい、何が書いてあったんですか。
好奇心が湧き上がってくる。現実の人間関係、こと恋愛を怖がっているボクにしては珍しいことだった。
ボクのところまで花の香りが漂ってくる。押し付けがましくない甘さが鼻腔をくすぐった。
贈り主はセイカさんのことを愛しく思っているに違いなかった。ぎゅっと敷き詰められた花たちと、甘く優しい香りにボクはそんなことを思った。
/End
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