花の関(カラ主/ユカ主/単発)
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二人だけの夜。
「なんや、この手」
今まさに口付ける為に体を寄せたカラスバが腹立たしげに言った。
二人の唇をセイカの手が隔てる。この手の向こうにセイカの柔らかい唇があることは知っている。カラスバは忌々しげに一瞥し、続きを急いだ。
「…やから、なんやこの手は」
そのまま進めば唇に触れるはずが、再び阻まれ、半ばやけくそにその手に口付ける。
「退けてくれるまで何度もやるで」
一度、二度、三度と繰り返すとセイカが泡を食って体勢を崩す。
「ま、ま…って!分かった…」
観念して手をどけた向こうに、セイカの顔が現れる。
「どないした」
「……」
問いかけに恥ずかしげに目を伏せるさまは、雰囲気としては悪くない。ふたりで『楽しい』時間を過ごすに相応しい夜のはずだ。
二人の楽しい夜を一度諦めカラスバは小さくため息を零した。
体勢を崩したセイカの体を引っ張り上げて正面に座らせる。強引にことに及んでもつまらない。
「…………」
推し黙るセイカの顔を覗き込む。頬を染めぱちぱちと瞬きを繰り返す様子は“今はキスをしてもいい”と言っている。
焦らされてるんか?
再び顔を近づけ、膨らんだピンクの唇へ触れようとした。
「あ、あ、あの…………、別の人の顔が、思い浮かんじゃって」
は?
血が冷える。
これからキスをしようという時に別人のことが頭を過ぎる?
それはつまり、そういう事か?
怪しい男がセイカの周りにいたら少なくとも耳には入るはずだ。じゃあなんだ、オレが重たい男だとバレるか、とにかく嫌われて、ていよく振られようとしている?
厄介な男と切れるには嫌われるのが手っ取り早い。セイカにそんな腹芸ができるのか……カラスバの知る限りセイカにそんな器用な真似が出来るはずがなかった。
じゃあ本当に。
心臓が石になったかのように重くのしかかった。セイカが?
誰?
掠れた低い声でようやく出たのはその一言だけだった。
場合によっては排除してもいい。獲物の名前さえ分かれば。
鉛のように重い心臓をなんとか動かしてカラスバは続ける。
誰?
二度目の問いかけはより冷たく響いた。
セイカが、ギクリと身を硬くする。
「言いたくなさそうやな」
顎に手を添えてじっと見据える。
相手のこれからを悟り、セイカの瞳に怯えが混じった。追い討ちをかけるように、掠れる声で、耳元に吹き込んだ。
「調べたらすぐに分かる事やで?」
セイカが小さく呻いた。目を泳がせて唇を固くする。そこまでして、庇いたい相手か────カラスバの血がさらに冷たく、底へ、暗い方へと沈んでいった。
あ、あの──
↓ ↓ ↓
風に若葉の香りが混ざり始めた頃──、セイカの好きな季節だった。
スマホロトムを携え屋上の間を疾駆し、春の風を浴びる。ここへ来るまでロトムをこんな風に使ったことはなかったが足裏に伝わる着地の感覚が今では心地良い。
時々下を歩く人が上を見上げてこちらを指差す。
さして、気にならなかった。別の自分を装っているせいだ。
きっかけは少し前のこと。名前が売れたせいで顔を指されるようになり、慣れない有名人扱いにくたびれている彼女を見てピュールが「男の子の格好でもしてみたらどうですか」と言ったことだった。
始めは人を騙すみたいで気が引けた。
変装はロワイヤルで効果絶大だった。先入観を持たれて相手が萎縮するのも、逆に気迫のこもりすぎた対戦相手に追われることもない。
眼下に広がる通りに目を落とす。街路樹が作る木陰が目に入った。しばし足を止めて休むにはちょうど良さそうだ。木陰を目がけてセイカが降り立った。
二人の人間がセイカの目の前に現れる。一人は日傘を手に、もう一人は扇子を唇へ当てている。
突然目の前に現れた人物に、互いが驚いた。
わずかにセイカのほうが早く動いた。彼女の目にかかった髪の毛を、セイカが手で払い、目を見る。
「失礼、マドモワゼル……お怪我は?」
「何ともありませんわ──」
ユカリ。空から振ってきた『少年』と危うくぶつかりそうになっても体勢を全く崩さず、堂々たる振る舞いを保っていた彼女の顔が、わずかに赤らんだ。
自分でも今の振る舞いはキザだったと思う。男の子らしい仕草なんて『物静かにぶっきらぼうに』程度しかしてこなかったせいで古い映画のような振る舞いになった。
「驚かせて申し訳ありませんでした……それじゃ」
帽子を深く被り直し、そこから足早に離れた。
角を曲がって遠目に二人の後ろ姿を見る。
……びっくりしたー……。あのユカリさんが外を歩いてると思わなくて……、槍が降るよ。
私だってバレた?大丈夫かな…
大丈夫、きっと気にも留めない──
「ハルジオ、今の子見まして!?」
頬を染め少女のように驚く主人の後ろでハルジオは無表情を保った。
セイカ、オマエだろ?
服装が違ったけどすぐに正体が分かった。竜並の嗅覚と喧嘩の経験で、バトルしたことのある相手なら見抜ける。
セイカが他人を装った理由も分かる。なるべくユカリに興味を持たれたくないのだ。この女は腕の立つトレーナーに目がない。軟禁して競わせることも厭わない。手を抜いて敗北して逃げようとするのも許さない、勝てばさらに執着する。
それを可能にする財とコネクションも持っている。
まあ、関わらないのが一番だわな。裏目に出て興味持たれてるけど。
清潔感があって、健康的な赤い唇。肌理細かい肌に澄んだ瞳、綺麗な女性を見ても態度に表さない。中身が女子だから当たり前なんだが、爽やかな男の子として強く印象に残る。
「今時珍しい古風な殿方だったわ」
そりゃ、男じゃないからな。
「調べるのは簡単なのよね。けれどそれじゃつまらないわね…」
ユカリがパチンと扇子を閉じた。
「放っておきましょう。そのうちフェアリーさんが会わせてくれる気が致しますの」
❤︎ ーーーーー ❤︎ ーーーーー ❤︎ ーーーーー
カフェで甘い物を食べるこの時間が、街の一員になった気がして好きだ。セイカの目線の先を、雑踏をいく人たちが通り過ぎる。
「失礼、マドモワゼル」
テーブルの向かいに見知らぬ人が腰掛けた。突然の無礼な振る舞いにではなく洗練された物腰に驚かされた。
「僕、君に似てる男の子と会った気がするんだよね」
思わず背後を振り返るが、他に誰もいない。
「記憶の中を探っても辿り着けるはずがなかったんだよね。男の子のはずがないんだから」
会話は支離滅裂で、恐怖を覚えるべき場面なのだろうが不思議と聞き入ってしまう。
今まさに乗馬を終えて降りてきた、という形容がぴったりな貴族の物腰で、口を挟ませない品格を纏っていた。
深い肌の色にエキゾチックな瞳を湛えて彼が続ける。
「ねえ、まだ分からない?」
私がこんな美青年と知りないの筈がない────
青年が手を後ろにやり首を軽く振ると、縛られた毛束が靡いた。チェックの乗馬帽の後ろで豊かに髪の毛が揺れる。高級なサラブレッドの鬣のような気品に満ちた毛流れにうっとりしていると、彼がにっこりと笑う。
「僕はほんの少し話して気付いたのに。セイカさん、薄情じゃないかな」
薄情。
そう言った時の顔に影が差し、笑顔の中に寂しさが見えた。
罪悪感を覚えてますますセイカは言葉に詰まる。
「挨拶がまだだったよね」
青年が立ち上がりセイカの手を取った。舞踏会に招かれたような錯覚に陥る。
甘くて濃厚な花の香りが広がった。どうして私はこの香りを知っている?
「そう言えば、さっき私の名前──」
呆気にとられたセイカに青年が近付く。
ダンスのステップの最中のように両手を取られて、翻弄されたセイカに、青年が顔を寄せた。気が付くと唇が触れるか触れないかの距離に彼の唇があった。
なに、なに、な、何これは.....待って、この濃厚でミツハニーの蜜のような甘い香り……
「もしかして……ユカリさん……?」
❤︎ ーーーーー ❤︎ ーーーーー ❤︎ ーーーーー
セイカはもじもじと体を揺すり、爪を噛んでいる。
「ユカリさんを思い出しちゃって、変な感じ…っていうか」
「いや何でやねん」
は〜…
オレはてっきり…
カラスバは緊張を解すために手指の関節を鳴らしながら盛大な溜息をついた。
「…要するに、気まずい?」
「そう、それ」
「しょーもな。キスすんで」
「だから!」
みたび、セイカの手に阻まれてカラスバのキスが失敗に終わった。手の向こうから不機嫌な顔を覗かせセイカを睨む。
「どけろや。理由も分かったしそんな貰い事故で怒らへん。早よイチャイチャしよや」
「ムードが終わってますカラスバさん…」
ぽっと出の男に負けるくらい…いや女か。ムードが無いと言われ、立つ瀬がない。
セイカは唇を尖らせて不貞腐れる。
「しょうもなく無いし……。
カッコよかったんだから。スポーツ万能で品があって誰からも好かれるって感じ。今ポニータから降りてきましたって感じの…。私の男の子の格好なんかより10倍はカッコよかったよ…」
年甲斐もなく、カラスバの胸に対抗心のようなものが芽生えた。
「セイカ、嫉妬させようとして言うとる?」
「え?いやまさか…」
それもそうだ。腹芸のできる器用な女ではない。
だから厄介だ。
カラスバが振り回されて、他に男ができたかもとか、1パーセントの可能性に脅えているとか、醜い男の、腹の底に気が付くこともない。
「オマエがしたくないとか、あんま関係ないと思わへん?」
背もたれを後ろにして、セイカから逃げ場を奪い覆い被さる。
少しの怯えを見せたあと観念したように目を瞑ったセイカに、腹の底の支配欲が満たされた。
いっときの支配で得られる陶酔はまやかしだが、縋るしかなかった。
「もっといい顔して」
セイカは眉を寄せ考え込む。
指を繰り、タイを引っ張り、カラスバを待つ。
ほんのりと赤く染まった頬はこれから起こることへの期待を表していた。
今度こそ。
「……」
「……カラスバさん?」
「あっかん……余計な人間の顔が浮かんで……」
可愛くて触れたいはずのセイカの唇を眺めていると、頭に浮かぶここにはいない人物。あと数ミリと言うところだったのにセイカとの唇の距離を縮められない。
「なんっやねん……」
「まあ…無理しないでも…」
「彼女とチューするのに無理もくりもあるかい」
皮膚を鳥肌が伝い、ぶるっと震えるカラスバはどう見ても無理をしている。
「…意地になってませんか…?」
「は?しょーもない。オレが?無関係の他人のせいで?そういう人間に見えるんか」
「……」
珍しく自分のペースを失い崩れるカラスバを、セイカは根気強く見守った。セイカには分からない、彼なりの意地があるようだった。
数分の奮闘。もっと長かったかもしれない。セイカにあまり向けられたことのない表情を観察していると短く感じられた。
「オレも…今回ばかりは…ムリかも…」
先にカラスバの気力が尽きた。
「お疲れさま…?」
セイカは、力尽きて萎びた恋人の背中をさすった。揶揄う雰囲気でもない。もしかすると、泣くところを見てしまうかもしれない。それくらいの真剣さだった。
「優しく励ましたほうがいいですか…?」
「…」
落ち込んでいると、かわいい。棘を取られ、毒を抜かれたロズレイドのような──一味違う様子に、庇護欲が湧いて胸が温かくなる。
折れて弱った頑固者をどうやって励まそう。
『別の相手を挟めば平気になるのでは?たとえば手持ちの子たちとか』
というアイデアが浮かんだが、いきなり元気を取り戻されてもとても着いていけそうにない。しばらくはこのままで、しおれたカラスバさんを愛でていよう。
end
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