愛を乞うひと

『彼と付き合えることになった!』
とLINEが来たのが午後4時、「今、寿々木楽器にいるよ!」と返事してから、息を切らせた長身がやってくるまでものの15分だった。
大きなベースを背負って(でも小さく見える)自動ドアを駆け込んできたその姿に、思わず私も小走りに駆け寄った。がし、と両手で握手した。それから顔を見合わせて、たまらず背伸びして首に抱きついた。応えるように抱き返される。やったやった!とはしゃぎながら抱き合って、抱き合ったまま2人でぴょんぴょんと跳ねた。
「優希君から言ったの?」
「ううん、なんか、レッスン終わるの待っててくれて、それで向こうから…」
ぎゃー!と2人で盛り上がってまた抱き合った。
「どーしよ、夜ちゃん。嬉しくて死にそう…」
そう涙声で言うから、私も嬉しくて切なくて、抱きついたままよしよしと優希君の頭を撫でた。

文化祭前の一件以来、秘密を共有し合う私達は、すっかり仲良くなった。「他に話せる人がいない」という彼の恋にまつわる話や、万里と喧嘩した時の愚痴、もちろん今まで通り映画の話なんかも。夜中に延々LINEし合う、同性の友達のような付き合い方をしている。
同じベースの先生に付いているという彼の想い人は、ふたつ年上の高校2年生。ずっと趣味友達として仲良くしてきて、最近距離がかなり縮まってきた気がする、という話を聞いたところで、まさかの急展開だ。

私たちの大騒ぎを聞きつけて、なんだなんだと職人達がバックヤードから続々と出てきてしまう。騒いでごめんなさい、と慌てて2人で謝った時、ばさ、と反対側から何かが床に落ちる音がした。
振り返ると、万里。足元には書店の袋。そう言えば待ち合わせをしていたんだった。
「日下君?どうし…」
どうしたの?と問う前に、私ははたと優希君の首から手を離した。彼も思い出したように私の身体から手を離す。
「え?何?なん…え?」
真っ青になりながら万里が言葉にならない言葉を吐いた。
「えっなんで四方田?えっこれジャズ研のデフォルトだっけ?」
私達のスキンシップのことを言っているのだ。文化祭前の一件から、万里には本当に何も話してない。私は慌てた。これじゃあ彼氏の前で堂々と他の男の子と抱き合ってる(そうなんだけど)という風にしか見えない。でもそれ以上に優希君が慌てていた。
「あっ日下!違う違う!誤解しないで!えっ夜ちゃんマジで何も言ってないの!?」
私はぶんぶんと首を縦に振った。うわぁ…、と優希君は拳を額に当てて途方に暮れる。
「取り敢えず3人であそこ行こう!ね!」
そう言って優希君は、斜向かいのファミレスを指差した。そのまま2人で万里を挟んで両腕を掴むと、引きずり出すようにして店を飛び出したのだった。


「そういうわけで、夜ちゃんとはなんでもないというか、どうにもなり得ないので…でもごめん、いい気持ちしないよね、あんなの見せられたら」
「や、ごめん。俺も動揺し過ぎた」
万里と優希君は、向かい合ってぺこぺこと頭を下げ合った。なんとなく空気が和んで、私達はしばし無言でそれぞれにお茶を飲む。私と万里は珈琲、優希君はアイスティー。
「ごめんね優希君。こんな形でカミングアウトさせて…」
「ううん。日下には話していいって、前にも言ったじゃん。まさか本当に律儀に黙ってるとは思わなくて…夜ちゃんの誠実さが裏目に出たね、今回は」
苦笑しながら言う。
「黙ってたっていうか、軽く忘れてまして…」
夜子ぉぉ、と隣の万里が私のほっぺたを摘んだ。むにむにと伸ばされる。ごめぇん、と私は素直に謝った。
「夜子は同性の友達には結構スキンシップ多いもんな」
「まったく同じノリなんだけど、相手が僕だと見た目がショッキングだよね」
あはは、と優希君は笑う。
「もうわかったんで大丈夫」
そう言って万里は珈琲のカップを口元に持っていく。ゆっくりと味わうように飲んでから、にやぁっと笑った。
「で?彼どんな人?」
「万里なんかやらしい…」
「なんだよーいいじゃん!俺だって人の恋バナ聞きたいよー!」
駄々をこねるように言う。
優希君がそれを可笑しそうに笑って、またひとしきり話に花が咲いた。

「なんか四方田って無口だと思ってたけど、話上手いね。面白いなぁ」
万里が感心したように言うと、優希君は大いに照れた。
「そんな…日下も夜ちゃんも聞き上手だから、なんか調子に乗って喋り倒しちゃったね。ごめん」
なんで謝んの?と面白そうに万里は言って、何杯目かわからない珈琲を飲んだ。そろそろ6時。かれこれ2時間もたらたらとお喋りをしている。受験生の行動じゃないな。
「日下、ほんとに普通だね」
「? 何が?」
「まったく偏見ないんだなって…」
少し言いにくそうにする。ああ、そのこと?と万里は微笑った。
「だって別にどうでもいいことでしょ。それに俺は夜子んちにすごいくい込んじゃってるからさ、益々気にならない。嫌なこと言う奴もいると思うから、オープンにするのは難しいかもしんないけど、堂々としてなよ。なんも間違ってないんだから」
「うん…ありがとう」
そう言って優希君はソファ席の背もたれに深く背中を預けて、私たちを眺めた。
「なんか、日下と夜ちゃんていいね。すごく『合ってる』」
そんな風にセットで評価されるのは初めてで、少し嬉しい。
「でしょ?」
万里は涼しい顔でそう言って、テーブルの下の私の手を人差し指でなぞるように撫でた。
さて、と優希君は左手首を持ち上げて時計を確認する。
「僕、そろそろ塾行かないと」
「お、もうそんな時間か…はいこれ」
そう言って万里は駅前の本屋のショッパーを私に差し出す。中を改めると、参考書今日の待ち合わせの目的だ。万里おすすめのものを借りる約束だったのだ。
「俺もうそれ一通りやっちゃったから、あげるよ」
ありがとう、と言って私はそれをリュックに収める。『流石のトップ』な台詞をさらりと言ってくれる。負けないように勉強しよ。
「夜子、今日俺家まで送れないんだけど…大丈夫?」
「大丈夫。まだ6時だよ?」
「絶対公園の道使うなよ」
「わかってます。表通り使うから」
「ほんとー?」
「ほんと!もー万里過保護!」
私たちのやり取りを苦笑しながら聞いていた優希君が、はい、と手を挙げた。
「塾、夜ちゃんちの向こうだから、僕が送ってくよ」
「頼んだ。夜子、ちゃんと四方田の言うこと聞いて大人しく帰ってね」
もー、と私がむくれると、万里はふと眉間にしわを寄せた。
「塾って、東栄?」
「うん」
「Aの久我城、東栄だよな」
「うん…と言っても久我城は特進クラスエリートで僕はパンピーだけど」
「久我城ってどんな奴?」
「あんまり付き合いないからなぁ…特進でもトップで、めっちゃ講師達に期待されてるけど…ああ、なんかいつも聖北の綺麗な女の子と一緒にいるよ。彼女かな?」
「ふーん…」
そう相槌を打って、万里は考え込んでしまう。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
なんでもないって顔かねそれが。
「なんか…天野がAのトラブルに関わってるよね。そのこと?」
「げ、3Cそっちまで知れ渡ってんの?」
「天野目立つからね…A組って不登校の子、居たよね」
「堀田ね。まぁその辺の話よ。それ関連で3Aの委員長さんはどんなお人かなとね」
察したように優希君は頷いて、ベースの入ったケースを背負った。
「気さくで評判のいい奴だけど…屈託のある人間に見える、かな」
万里はにこりと笑って、優希君の肩を叩いた。
「四方田の目は信用できる。ありがとう」

店を出ると、私達は二方向に分かれた。万里に手を振って、私は優希君の自転車の後輪に乗せてもらう。
「重たくない?」
「平気だよ。しっかりつかまってね」
そう言って、自転車はすーっと滑るように走り出した。
冷たい風が髪を後ろに撫で付ける。もうかなり寒くなってきた。私も今年は新しいコートが欲しいな。
夜ちゃん、と優希君が私を呼んだ。
「なにー?」
走っている自転車の前後だと、少し声を張らないと聞こえない。
「日下、いい奴だね」
「そうー?」
「うん。それに、本当にあいつは夜ちゃんが好きなんだね。もうめろめろじゃん」
「…そんなにわかりやすい?あの人」
「わかりやすい。学校でちゃんと隠せてるの?って心配になっちゃった」
あはは、と2人で笑う。
「僕もがんばるよ。まだ始まったばっかりだし、なんにもわかんないけど、夜ちゃん達みたいなの、すごくいいなって思うから」
ありがとー! と叫んだ。
嬉しくて、久しぶりに乗った自転車も気持ちよくて、すっかりハイだ。
私もあの人すごーく好きなの。他の人なんて見えないの。ほんとはみんなの前で叫びたいくらいなんだ。

この気持ちはきっと、宝物だ。
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