書を捨て、コートへ出よう

ゴーゴーレッツゴーレッツゴーへーちゃん♪

すっかり空気が冷たくなってきた昨今だけど、今、体育館内は熱気に満ち満ちている。女子たちの黄色い声もひときわ大きい。頭上から降ってくる特定個人たちへの声援に、膝を抱えた私は思わず首をすくめた。

本日は球技大会。男子バレーボール、3Dの初戦の相手は2A。「万里と天野君がいれば大抵のことは大丈夫」と思っている我が3Dだけど、佐々木君と天野君の不仲が影響して、戦況は微妙。原因はなんだかわからないけど珍しいことだ。2人ともとてもわかりやすい少年性を持ち合わせているから、まっすぐにぶつかってしまうこともあるんだろう。それにしたってタイミングが悪い。万里も少しやりにくそうに2人の間を交互に行ったり来たりして、修復を図っている様子だ。さて、どうなることやら。

私もメンバーとして参加した女子バスケでは、シュートは2回決めてそれなりに貢献したけど、2回戦で敗退。因みに「手取り足取り教えてあげる♡」と言っていた万里は、その言葉通り、私の身体をベタベタ触りまくった挙句に「左手は添えるだけ」なんてどこかで聞いたような台詞を吐くだけだった。役に立ったような、立たなかったような。
あっさり暇になってしまったので、同じくバスケに参加していた久々留に付き合って、こうしてネット近くの特等席に陣取って男子バレーを観戦しているというわけだ。
万里は言うに及ばず、天野君はあの小さな身体でよくも、と言うくらい大きく動く。佐々木君や木村君もジャンルは違えど運動部所属だから、やっぱりボールに対する勘が良い。女子よりダイナミックでスピード感のある試合になる。そもそも身体的な差があるんだから仕方がないけど、こういうのを見てしまうと、やっぱり男の子が羨ましくなってしまう。
「…私ももっと大きくて力があったらなぁ」
「なんでよ。夜子は今のサイズでいいの。可愛いよ♡」
隣できゃあきゃあ言いながら観戦していた久々留が可愛く返事してくれる。
「だって私あんな重たいスパイク打てないもん。物理的に力があったら、もっとわかりやすく守ってあげたりできるのに」
「なぁにぃ?守ってあげたい男の子がいるんだ?あ、でも好きな人いるって言ってたもんね♡」
しまった、なんか迂闊なことを言ってしまったな。久々留は嬉しそうに私の肩を肘でうりうりとつついた。私は降参のため息をつく。
「それもそうだし、なんか…なんて言うか私いっつもなめられるんだもん。弱そうに見えるのが嫌。ミラ・ジョヴォヴィッチとか、シガーニー・ウィーバーとかさ、ああいうのがよかったな」
日本人にあれは無理よ、とたしなめられる。そりゃそうなんだけどさ。
「そもそも男と女じゃ身体の作りが違うんだから、こればっかりは仕方ないじゃん。物理的に守ってもらうのは男の子に任せて、女は心を守ってあげればいーの!夜子だってそうしてるじゃん。その可愛くて華奢な容姿に惹かれてやってくる輩の精神片っ端から破壊しまくってー。こないだだって、あのE組の子、せっかく告ってくれたっていうのに理詰めで半泣きにさせてさ」
「だって公衆の面前で『君を守りたい』なんて馬鹿にしてるじゃん。だからその必要が全くないということを教えて差し上げただけです。精神壊すほどじゃなかったよ、人聞きの悪い」
久々留は澄ました顔で、私のおでこを弾いた。
「夜子のそういう強いとこ、大好きだけど、ちょっと『強さ』に固執しすぎるのよくないし、なんか心配。物理的に力を持っていないのは、女子である以上事実。現実は受け入れなさい。『強さ』の定義はそれだけじゃないでしょ…まぁ、あれはちょっと、大分キモかったね」
「でしょ?あんなのばっかりで疲れた。これ『モテ』とは違う気がする。やっぱり『なめられてる』」
久々留は困ったように笑った。それから何事か言おうと口を開いたのが見えた瞬間、顔面に衝撃。そのまま世界はぐるりと回って、頰から足にかけて冷たい床の感触。横倒しになったのだと理解するのに数秒かかった。
「夜子!」
久々留が叫んだ。ぴーっとホイッスルの音が聞こえて、タイムタイム!と誰か男子が叫ぶ声も聞こえた。コートの周りがざわついている気配がする。私は片腕をついて自分の身を起こす。顔面がじんじんする。痛いというより痺れてる。肩に久々留の手が添えられるのがわかった。膝をついて立ち上がろうとすると、鼻の奥が鉄臭い。ぬるりと何かが滑り落ちてくる感触。思わず手で押さえると、指の間から鮮血が床に滴るのが見えた。げげ、鼻血。
鼻を押さえたまま上を向こうとすると、誰かが駆け寄ってくる足音と同時に、私の身体の上に影が落ちた。見上げる暇もなく、大きな手で鼻を摘まれた。慣れた香りと、布の感触。
目を開けると、白いTシャツが視界いっぱいに広がっている。もう片方の大きな手が私の首を抱き寄せるようにしている。Tシャツの裾を引っ張ってそのまま私の鼻を摘んでいるようで、手探りで腰の辺りにしがみつこうとしたら(身体にすぐ腕を回してしまうのが癖になっている、と後で認識して後悔した。)、ダイレクトに肌の感触があった。慌てて、手を上に移動させて、Tシャツの布地を掴む。
「あんまり上向かない。喉に血が入るよ」甘いテナー。
「ねぇ、ちょっとお腹出てる…」
鼻を摘まれているせいで、声がくぐもってしまう。声の主は呆れたように噴き出した。
「今そんなこと言ってる場合かね…ククルちゃん、タオル持ってる?」
「舞台の上に…ちょっと待ってて取ってくる!」
パタパタと走り去る足音。入れ違いに少し重い足音がこちらへ近づいてきた。
「誰ですか?えっ森住先輩?すみません!ほんっとすみません!」
「おい吉田ぁ!このノーコン!」
木村君の声だ。ごめん陸上部の後輩、と私に呼びかける。彼の手元が狂って、サーブが私のところまで突っ込んできたようだ。そうか、ぶつかったのはバレーボールか。
久々留が持ってきたタオルを受け取って、万里は私の鼻にあてた。Tシャツの裾を下ろして身体を離す。視界が開けた。心配そうなチーム3Dの面々と久々留の顔が見える。私はタオルで鼻を押さえたまま、顔を上げた。万里は改めて私の顔を覗き込んで、鼻の付け根に少し触れて、大丈夫、折れたりはしてないよ、と言う。
吉田、と呼ばれた彼は、大柄な短髪。泣きそうな顔でこちらを見ているので、安心させたくて目だけで笑って見せた。
「すみません、先輩。申し訳ありません!」
深々と頭を下げる。
「大丈夫だよ。すぐ止まるから。事故なんだから気にしないで」
それでも尚すみませんすみませんと謝りまくる彼の頭を、木村君がばし、と叩いた。実際出血はそんなに派手じゃないし、相変わらず顔は全体的にじんじんしてるけど、泣くほど痛い訳でもない。
「とりあえず保健室行って冷やしといで。ククルちゃん、連れてってやって」
久々留はうん、と頷いて私の肩を抱いた。
はい、試合再開ー!と万里が手を叩くと、それで場に区切りがついた。男子たちは一斉にコートに散っていく。私は去り際に、赤く染まってしまった彼のTシャツの裾をそっと引っ張った。
「ごめんね、血が…」
万里は私の頭を少しかき混ぜると、そのままコートに戻ってしまう。私は久々留に支えられながらゆっくりと保健室を目指した。
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