魔女の領分
病室を出て廊下を曲がると、前方から東一中の制服を着た女子の群れがこちらへ向かって来るのが視認できた。3D女子じゃない。知らない顔ばかりだ。多分万里のファンクラブの子たちだろう。私は廊下の隅に避けるように進路を修正しながらすれ違おうとした。
「森住先輩」
呼び止められた。振り返ると、先頭にいるボブの女子がこちらを見ている。おそらく彼女が声をかけたのだろう。まったく知らない顔だ。『先輩』と付けるからには下級生なんだろうけど。
「森住夜子先輩ですよね?」
確認するようにフルネームで呼ばれる。険のある声だ。
「そうですけど、何か?」
私もつい、冷たい声で応じてしまう。万里がいたらたしなめられてしまいそうだ。
「どちらへいらしてたんですか?」
「…友達が入院しているので、お見舞いに」
「『友達』って、日下先輩ですか?」
「そうです」
「おひとりで?」
「ひとりだと問題がありますか?」
ああ、だめだ。流せばいいのに。でも今の私はすこぶる虫の居処が悪い。私の万里に歪んだ愛情をぶつける『好かれ隊』とやらも、マスコットのように扱うこの子たちもみんなまとめて泣かせてやりたい。
女子たちは総勢10人程。ファンクラブ自体はもっと大人数なはずだから、きっと精鋭メンバーなんだろう。そういうヒエラルキーも他人事ながら腹が立つ。坊主も袈裟も寺もみんな憎い。
彼女たちは一斉に私の方を向いて、少し間合いを詰めて来る。取り囲まれるような形になってしまうけど、絶対に怯んでなんてやるもんか。
「問題なら大ありです。私、2年の飯田と申します。常盤の出身です。これだけで何が言いたいかわかりませんか?」
「わからないね。私はあなたのことは知らないよ」
「あなたは男の人に取り入って思い通りに動かすのが得意なんですよね?そういう人が男の人の所にひとりで来るなんて、目的が分かり易すぎると思うんですけど」
飯田さんの発言に、他の女子たちがどよどよとさざめく。そうか、常盤ではそういうことになってたのか。
「言いたいことがわからないな。あなたは私の目的がなんだと思ってるの?具体的に言ってください」
「だから!日下先輩を自分のものにしようとしてるんでしょう?そういうの、やめてください」
しようとするも何も、あれは私のものなんだよ。
「…たとえそうだったとして、どういう問題があるの?」
「日下先輩はみんなのものなんです」
「それは日下君自身のものではないということ?」
「はぐらかさないでください!」
「はぐらかしてなんかいないよ。日下君に意思はないの?それをあなたたちが決めるの?」
飯田さんは答えない。拳をぎゅっと握りしめて、私を睨みつけている。
「じゃあ質問を変えよう。あなたたちはさ、どういう目的で活動をしているの?みんな日下君が好きなんでしょう?彼の特別になりたいと思う人はいないの?」
女子たちはお互いを小突き合いながらさわさわとささめきあう。
「…私たちの間には協定があります。誰もそういう薄汚い抜け駆けはしないんです」
薄汚い、ね…と私はため息をついた。
「つまりジャニヲタみたいなもの?アイドルを愛でる為の集団?でも彼はただの中学生だよ。グラビア眺めてニタニタしてる程度には普通の男子中学生。お金をもらってアイドルを演じているわけじゃない。彼の気持ちや行動を制限する権利はあなたたちにはなくない?」
「日下先輩があなたを好きなら問題ないと言いたいんですか?」
「仮の話だよ。逆に言えばただのクラスメイトが見舞いに来たって問題はないでしょ?」
「『ただの』クラスメイトならそうですね。でもあなたは違います」
やっぱり何が言いたのかわからない。もしかして私たちの関係を知ってるのか?と少し身構えた。バレたらバレたで仕方ない。戦争するだけだ。
「私は常盤の出身だと言ったじゃないですか。あなたの本性を知ってるってことです。”男を操る小悪魔”。あなたはそうじゃないですか。男性教師たちに媚びて贔屓させて、親戚の男の人たちに取り入って裕福に暮らして。その綺麗な顔を使って男に頼って生きるのが得意だって、みんな知ってます」
鳩が豆鉄砲を食らう、とはこのことだ。
「えっ、私そこまで言われてるの?知らなかった…」
純粋にびっくりしてしまう。件の週刊誌の記事もそこまでは書いてなかったような…。
飯田さんの冷ややかな視線に、私はため息をついた。なるほど、つまり私は彼を惑わす魔女ということなのだ。一度も会話したことのない相手に、聞きかじった他人の評価だけでここまで憎悪をぶつけられるなんて、素直で羨ましい。
私は冷たい気持ちで腕を組んだ。窓枠にもたれる。
「一応言っておくと、私は男の人に媚びた覚えはないよ。得したこともないな。確かにやけに優しい先生はいたけど、下駄履かせてもらわなくても勉強はできたから、身体触られて気持ち悪い思いしただけだし、両親が亡くなったら6親等内には叔父たちしかいなくて、彼らはもともと家族同然だったから後見人になってくれただけだよ。それとも養護施設にでも行けばよかった?親を亡くした子供は貧しく不幸でいるべき?」
飯田さんの瞳を見据えてから、ファンクラブの面々の顔にゆっくり視線を滑らせる。飯田さん以外誰一人、私の顔をまともに見ようとしない。
「ずいぶん不遜なんですね」
「そう?じゃあどういう態度がお望みかな?」
「私はあなたが嫌いです」
「私はあなたのことは嫌いじゃないよ。嫌えるほどあなたを知らないし、興味もない。飯島さんだっけ?」
「飯田です」
名前を間違えられて、若干不愉快そうにする。わざとですよ?
「失礼しました。飯田さん、今日初めましてだよね?一度も話したことのない私がどうして嫌いなの?それとも会ったことがある?」
「…ありませんね」
「じゃあ噂と週刊誌か。訂正するね、あなたのことは嫌いじゃないけど、とても怖いです。自分の目も耳も頭も使わない人間は、私は怖い。自覚も悪意もなく暴力を振るうからね」
少しヒートアップしてきたのを、今私は自覚してる。冷静にならないと泣くまでいじめてしまいそうだ。クールダウンさせる意味も込めて長いため息をついた時、呑気な声が空気を破った。
「こんなとこにいたのかよ。何やってんだ」
その場にいた全員が一斉に声の主を振り返った。うお、と声を漏らしながら、長身が怯んだように後ずさる。
「…のの」
女の子たちをかき分けるようにして、ののは私の元へと近づいてきた。
「…おひとりじゃなかったんですか?」
飯田さんは緊張を少し解いたように呟いた。
「ひとりだとは言ってないじゃない。大体ひとりで来るわけないでしょ。そんな危ないことする女子、うちの学校にいないんじゃないの?」
ねぇ?と近くにいた別の女の子に振ると、首をすくめて縮こまってしまった。あれ。
「そういうわけで、全部あなたの勘違いです。その割に死ぬほど失礼なこと言われて悲しくて泣きそう」
ため息をつくと、飯田さんは少しばつが悪そうな顔をした。
「なんだ夜子お前、ひとりで…ひいふう…ひとりで10人いじめてんのかよ。怖ぇなぁ相変わらず」
ののが呆れたように言う。
「どうしてそうなんの!?どう見たって私がいじめられてたじゃない!やっぱり来るんじゃなかった…」
悪い悪い、とののはからからと笑う。それから女の子たちを見渡した。
「もしかしてこいつが抜け駆けして万里んとこひとりで来たと思ったの? 俺がジャズ研としての見舞いで引っ張ってきたんだよ。ユウキが風邪っぴきで来れなかったからさぁ」
そう言うと、ののはやんわりと私の腕を掴んで人の輪から引きずり出した。
「万里んとこ行くなら早めに行った方がいいよ?もう退院するっつって荷物まとめてたし」
ののの言葉に女の子たちはさわさわと焦り出した。それを飯田さんが「静かに!」と一喝した。
「東雲先輩、ありがとうございます。私たちはこれで失礼します。…森住先輩」
「はぁい」
「勘違いして無礼なことを申し上げました。お詫びします。でも、私のあなたに対する評価は変わりません。私自身の事をどう思ってくださっても結構です…くれぐれも、日下先輩に近付かないでください」
「はいはい」
不真面目に返事してやると、ぎらりと睨みつけられた。こわ。
踵を返して彼女たちはぞろぞろと万里の病室を目指して去っていく。その後ろ姿に思い切り舌を出してやった。
「なんだあれ、おっかね。ずっと相手してたの?馬鹿だねお前」
「るさいな。こっちは被害者」
「あんまりおせーからあのままやってんのかと思った」
脇腹を殴ってやった。いでー!とののは大げさによろけてしくしくと泣き真似をする。
「せっかく助けてやったのにこの仕打ち…」
「くだんないこと言うからだよ!馬鹿のの!」
ひとしきり応酬して、私たちはロビーへ抜ける道を歩き出す。ののがちらりと私を見下ろした。
ののが気を利かせてくれたことも、私と万里の関係がバレないように取り繕ってくれたことも、今少し私を心配してくれてることも全部わかってる。ほんと、いい奴。
「ねぇ、のの」
自動ドアをくぐり抜けて外へ出ると、辺りはすっかり暗くなっている。何やらスマホをいじっていたののは、ん?と私を再び見下ろした。
「私ってさ、いつも男の人誘ってるようなかんじ?」
「は?何それ?」
「…いいや、なんでもない」
あの週刊誌の記事が出て以来、いや、そのずっと前から、時折そういう風に言われることがあった。『男に媚を売ってる』『ちょっと可愛いからって』『見た目で得してる』。男の人にはあからさまに身体を触られたり、下卑たことを言われることもあった。もしかしたら私は生まれつきそうなんだろうか。無自覚に男の人に何か訴えかけてたりするんだろうか。見て、触って、そんな風に。
「…むしろ逆じゃね?俺はお前よりお堅い女は知らないけどね」
理詰めでくるから怖いんだよまじで、とののは嫌そうに言う。それから少し気遣わしげな表情で続けた。
「あいつらに何言われたか知んねーけど、お前は目立つから、ああいう奴らはこれから一杯出てくるよ、残念ながら。井上とか、桜井とか、蘭子たちとか、お前をちゃんと知ってる友達は万に一つもそんなことないのはわかってる。俺もね。今はそれで我慢しな。傷付いたら負けだぞ」
「うん、ありがとう…」
「それよりさっき『バレたら危ない』って話ししたその足でファンクラブの連中に正面から絡みやがって、自分の立場わかってんのかよ」
「う、ごめんなさい…」
「万里に言いつけるからな。てゆーかもう言いつけた」
意地悪く笑ってスマホを振る。えっ!と声を上げると同時にポケットの中のスマホが震える。
取り出すとLINEの通知。万里だ。
『後で電話するから』
ああ、と私は顔を覆った。ののは心底可笑しそうに、いつまでも笑っていた。
「森住先輩」
呼び止められた。振り返ると、先頭にいるボブの女子がこちらを見ている。おそらく彼女が声をかけたのだろう。まったく知らない顔だ。『先輩』と付けるからには下級生なんだろうけど。
「森住夜子先輩ですよね?」
確認するようにフルネームで呼ばれる。険のある声だ。
「そうですけど、何か?」
私もつい、冷たい声で応じてしまう。万里がいたらたしなめられてしまいそうだ。
「どちらへいらしてたんですか?」
「…友達が入院しているので、お見舞いに」
「『友達』って、日下先輩ですか?」
「そうです」
「おひとりで?」
「ひとりだと問題がありますか?」
ああ、だめだ。流せばいいのに。でも今の私はすこぶる虫の居処が悪い。私の万里に歪んだ愛情をぶつける『好かれ隊』とやらも、マスコットのように扱うこの子たちもみんなまとめて泣かせてやりたい。
女子たちは総勢10人程。ファンクラブ自体はもっと大人数なはずだから、きっと精鋭メンバーなんだろう。そういうヒエラルキーも他人事ながら腹が立つ。坊主も袈裟も寺もみんな憎い。
彼女たちは一斉に私の方を向いて、少し間合いを詰めて来る。取り囲まれるような形になってしまうけど、絶対に怯んでなんてやるもんか。
「問題なら大ありです。私、2年の飯田と申します。常盤の出身です。これだけで何が言いたいかわかりませんか?」
「わからないね。私はあなたのことは知らないよ」
「あなたは男の人に取り入って思い通りに動かすのが得意なんですよね?そういう人が男の人の所にひとりで来るなんて、目的が分かり易すぎると思うんですけど」
飯田さんの発言に、他の女子たちがどよどよとさざめく。そうか、常盤ではそういうことになってたのか。
「言いたいことがわからないな。あなたは私の目的がなんだと思ってるの?具体的に言ってください」
「だから!日下先輩を自分のものにしようとしてるんでしょう?そういうの、やめてください」
しようとするも何も、あれは私のものなんだよ。
「…たとえそうだったとして、どういう問題があるの?」
「日下先輩はみんなのものなんです」
「それは日下君自身のものではないということ?」
「はぐらかさないでください!」
「はぐらかしてなんかいないよ。日下君に意思はないの?それをあなたたちが決めるの?」
飯田さんは答えない。拳をぎゅっと握りしめて、私を睨みつけている。
「じゃあ質問を変えよう。あなたたちはさ、どういう目的で活動をしているの?みんな日下君が好きなんでしょう?彼の特別になりたいと思う人はいないの?」
女子たちはお互いを小突き合いながらさわさわとささめきあう。
「…私たちの間には協定があります。誰もそういう薄汚い抜け駆けはしないんです」
薄汚い、ね…と私はため息をついた。
「つまりジャニヲタみたいなもの?アイドルを愛でる為の集団?でも彼はただの中学生だよ。グラビア眺めてニタニタしてる程度には普通の男子中学生。お金をもらってアイドルを演じているわけじゃない。彼の気持ちや行動を制限する権利はあなたたちにはなくない?」
「日下先輩があなたを好きなら問題ないと言いたいんですか?」
「仮の話だよ。逆に言えばただのクラスメイトが見舞いに来たって問題はないでしょ?」
「『ただの』クラスメイトならそうですね。でもあなたは違います」
やっぱり何が言いたのかわからない。もしかして私たちの関係を知ってるのか?と少し身構えた。バレたらバレたで仕方ない。戦争するだけだ。
「私は常盤の出身だと言ったじゃないですか。あなたの本性を知ってるってことです。”男を操る小悪魔”。あなたはそうじゃないですか。男性教師たちに媚びて贔屓させて、親戚の男の人たちに取り入って裕福に暮らして。その綺麗な顔を使って男に頼って生きるのが得意だって、みんな知ってます」
鳩が豆鉄砲を食らう、とはこのことだ。
「えっ、私そこまで言われてるの?知らなかった…」
純粋にびっくりしてしまう。件の週刊誌の記事もそこまでは書いてなかったような…。
飯田さんの冷ややかな視線に、私はため息をついた。なるほど、つまり私は彼を惑わす魔女ということなのだ。一度も会話したことのない相手に、聞きかじった他人の評価だけでここまで憎悪をぶつけられるなんて、素直で羨ましい。
私は冷たい気持ちで腕を組んだ。窓枠にもたれる。
「一応言っておくと、私は男の人に媚びた覚えはないよ。得したこともないな。確かにやけに優しい先生はいたけど、下駄履かせてもらわなくても勉強はできたから、身体触られて気持ち悪い思いしただけだし、両親が亡くなったら6親等内には叔父たちしかいなくて、彼らはもともと家族同然だったから後見人になってくれただけだよ。それとも養護施設にでも行けばよかった?親を亡くした子供は貧しく不幸でいるべき?」
飯田さんの瞳を見据えてから、ファンクラブの面々の顔にゆっくり視線を滑らせる。飯田さん以外誰一人、私の顔をまともに見ようとしない。
「ずいぶん不遜なんですね」
「そう?じゃあどういう態度がお望みかな?」
「私はあなたが嫌いです」
「私はあなたのことは嫌いじゃないよ。嫌えるほどあなたを知らないし、興味もない。飯島さんだっけ?」
「飯田です」
名前を間違えられて、若干不愉快そうにする。わざとですよ?
「失礼しました。飯田さん、今日初めましてだよね?一度も話したことのない私がどうして嫌いなの?それとも会ったことがある?」
「…ありませんね」
「じゃあ噂と週刊誌か。訂正するね、あなたのことは嫌いじゃないけど、とても怖いです。自分の目も耳も頭も使わない人間は、私は怖い。自覚も悪意もなく暴力を振るうからね」
少しヒートアップしてきたのを、今私は自覚してる。冷静にならないと泣くまでいじめてしまいそうだ。クールダウンさせる意味も込めて長いため息をついた時、呑気な声が空気を破った。
「こんなとこにいたのかよ。何やってんだ」
その場にいた全員が一斉に声の主を振り返った。うお、と声を漏らしながら、長身が怯んだように後ずさる。
「…のの」
女の子たちをかき分けるようにして、ののは私の元へと近づいてきた。
「…おひとりじゃなかったんですか?」
飯田さんは緊張を少し解いたように呟いた。
「ひとりだとは言ってないじゃない。大体ひとりで来るわけないでしょ。そんな危ないことする女子、うちの学校にいないんじゃないの?」
ねぇ?と近くにいた別の女の子に振ると、首をすくめて縮こまってしまった。あれ。
「そういうわけで、全部あなたの勘違いです。その割に死ぬほど失礼なこと言われて悲しくて泣きそう」
ため息をつくと、飯田さんは少しばつが悪そうな顔をした。
「なんだ夜子お前、ひとりで…ひいふう…ひとりで10人いじめてんのかよ。怖ぇなぁ相変わらず」
ののが呆れたように言う。
「どうしてそうなんの!?どう見たって私がいじめられてたじゃない!やっぱり来るんじゃなかった…」
悪い悪い、とののはからからと笑う。それから女の子たちを見渡した。
「もしかしてこいつが抜け駆けして万里んとこひとりで来たと思ったの? 俺がジャズ研としての見舞いで引っ張ってきたんだよ。ユウキが風邪っぴきで来れなかったからさぁ」
そう言うと、ののはやんわりと私の腕を掴んで人の輪から引きずり出した。
「万里んとこ行くなら早めに行った方がいいよ?もう退院するっつって荷物まとめてたし」
ののの言葉に女の子たちはさわさわと焦り出した。それを飯田さんが「静かに!」と一喝した。
「東雲先輩、ありがとうございます。私たちはこれで失礼します。…森住先輩」
「はぁい」
「勘違いして無礼なことを申し上げました。お詫びします。でも、私のあなたに対する評価は変わりません。私自身の事をどう思ってくださっても結構です…くれぐれも、日下先輩に近付かないでください」
「はいはい」
不真面目に返事してやると、ぎらりと睨みつけられた。こわ。
踵を返して彼女たちはぞろぞろと万里の病室を目指して去っていく。その後ろ姿に思い切り舌を出してやった。
「なんだあれ、おっかね。ずっと相手してたの?馬鹿だねお前」
「るさいな。こっちは被害者」
「あんまりおせーからあのままやってんのかと思った」
脇腹を殴ってやった。いでー!とののは大げさによろけてしくしくと泣き真似をする。
「せっかく助けてやったのにこの仕打ち…」
「くだんないこと言うからだよ!馬鹿のの!」
ひとしきり応酬して、私たちはロビーへ抜ける道を歩き出す。ののがちらりと私を見下ろした。
ののが気を利かせてくれたことも、私と万里の関係がバレないように取り繕ってくれたことも、今少し私を心配してくれてることも全部わかってる。ほんと、いい奴。
「ねぇ、のの」
自動ドアをくぐり抜けて外へ出ると、辺りはすっかり暗くなっている。何やらスマホをいじっていたののは、ん?と私を再び見下ろした。
「私ってさ、いつも男の人誘ってるようなかんじ?」
「は?何それ?」
「…いいや、なんでもない」
あの週刊誌の記事が出て以来、いや、そのずっと前から、時折そういう風に言われることがあった。『男に媚を売ってる』『ちょっと可愛いからって』『見た目で得してる』。男の人にはあからさまに身体を触られたり、下卑たことを言われることもあった。もしかしたら私は生まれつきそうなんだろうか。無自覚に男の人に何か訴えかけてたりするんだろうか。見て、触って、そんな風に。
「…むしろ逆じゃね?俺はお前よりお堅い女は知らないけどね」
理詰めでくるから怖いんだよまじで、とののは嫌そうに言う。それから少し気遣わしげな表情で続けた。
「あいつらに何言われたか知んねーけど、お前は目立つから、ああいう奴らはこれから一杯出てくるよ、残念ながら。井上とか、桜井とか、蘭子たちとか、お前をちゃんと知ってる友達は万に一つもそんなことないのはわかってる。俺もね。今はそれで我慢しな。傷付いたら負けだぞ」
「うん、ありがとう…」
「それよりさっき『バレたら危ない』って話ししたその足でファンクラブの連中に正面から絡みやがって、自分の立場わかってんのかよ」
「う、ごめんなさい…」
「万里に言いつけるからな。てゆーかもう言いつけた」
意地悪く笑ってスマホを振る。えっ!と声を上げると同時にポケットの中のスマホが震える。
取り出すとLINEの通知。万里だ。
『後で電話するから』
ああ、と私は顔を覆った。ののは心底可笑しそうに、いつまでも笑っていた。
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