魔女の領分

ホームルームを終えると、みんな一斉に席を立って荷物をまとめる。「日下君のお見舞い行く人ーぉ」という誰かの声かけに女子の一団が教室の隅にさわさわと群れる。男子は男子でまた万里のお見舞いに行くと言いながらさっさと下校して行った。
さて、私はどうするかな。女子たちに紛れるべきか否か、と考えていると、ののがドアの影から顔を出した。ちょいちょいと手招きをする。
「どうしたの?」
声をかけると、にっと笑った。
「万里の見舞い、行こうぜ」
えっ、と私が戸惑うと、ののは声をひそめた。
「行きたいんだろ?俺と行けば自然じゃね?」
気をつかってくれたのか。私が返事の代わりに眉を下げると、ののはもう一度にっこり笑った。
今日は水曜日。ジャズ研は定休日だ。LINEすればいいかなとも思っていたけど、堂々と顔を見に行けるならそうしたい。そもそもこの入院騒ぎがなければ万里は今日、うちに来るはずだったんだ。進級してからすっかり貴重になってしまった2人きりの時間がさらに削られたんだから。
一緒に行くかと久々留が聞いてきてくれたけど、ジャズ研で行くからと断って、ののと教室を出た。

すぐに行っても他の集団と被って話せなくなりそうだから、とののと私は楽器屋やCDショップを冷やかしながら遠回りをして歩いた。途中でお見舞いの本(ののが選んだ。なんだかは知らない)を買ってゆっくりと病院に向かう。
今回の怪我はフェイクなのだ、という話も事前にののにしておいた。と言っても事の真相は私もまだ知らされていない。解決しているといいけど。
時刻は17時近い。辺りが少し陰る。連日残暑が厳しいけど、確実に日が短くなってきて、季節が急速に移り変わろうとしているのを感じた。

病室は5階の一番端。病院の院長先生が知り合いだということで、融通を効かせてもらって一泊だけの約束で個室に入れてもらったそうだ。天野君のおばあさんのお友達、だそうで。
病室に向かうべくリノリウムの廊下をてくてく歩いていると、まるで道しるべのように、花束やプレゼントの包みが壁際に連なりながら寄せられている。すごい数だ。一体今日だけで何人お見舞いに来たんだろう。

お見舞いの花道の真ん中を、よく似た3つの顔がこちらへ向かって歩いてきた。同じクラスの三島君、馬場君、春日君だ。血縁は全くないそうだけど、いつ見てもそっくり。誰が誰やら。
ののが右手をあげて挨拶をすると、3人はくねくねと身体を揺らした。動きもそっくり。それから顔の腫れ方も。
「何お前ら…どうしたのそれ」
「いやはや」「なんとも」「色々と」口を揃えず、曖昧さだけは同列。
若干そそくさ、といった体でくねくねと3人は去って行く。私たちは顔を見合わせて、また突き当たりの病室を目指して歩き出した。見当はつかないでもないけど、ここは本人に話してもらいましょう。
トントン、とののがドアをノックすると、ひょこっと天野君が顔を出した。
「のの、森住」
天野君の声にベッドの上の万里がパッと顔を上げた。目が合うと、瞳だけで柔らかく笑う。良かった、元気そう。
天野君はそのまま病室から出て行こうとする。
「平、もう帰んの?」
ののが声をかけると、んー、と振り返らずに手を振って行ってしまう。
「万里、平いいの?」
「いーのいーの。ずっと居たし、用も済んだし。俺もこれから退院」
そう言って万里はひょいとベッドから降りる。骨折が嘘だということを既にののが知っていると踏んでたんだろう。特に取り繕うような発言も態度もない。ぺらぺらの入院着があんまり似合ってなくてなんだか無防備に見える。ひょこひょことくじいた足をかばいながら私の前まで歩いてくると、頭をサラサラと撫でてから入院着の胸に抱き寄せた。
「ありがと、のの。連れてきてくれたんだろ?」
まーね、とののは言って、丁寧に病室のドアを閉めた。万里の匂いに安心して甘えそうになったけど、両手で胸を押し返して離れた。人前でベタベタしたくない。万里は私の様子にくすりと笑うと、私たちをベッドの脇のパイプ椅子に促した。腰掛けると、万里もベッドに腰掛け直す。
「ほい、見舞い」そう言ってののが本屋の紙袋を万里に差し出した。万里は紙袋から中身を引っ張り出すと、お、と嬉しそうな声をあげる。ののもニヤッと笑った。漫画雑誌だ。
「今月高宮玲夢だからさあ」
「いやいやこれはこれは」
表紙には布の少ない水着を着たグラビアアイドル。これだから男の子はまったくもー。
私が嫌そうな顔をすると、万里はご機嫌を取るように私の手をとった。
「もちろん夜子が一番だよ♡」
「それとこれとが別なことくらいわかってます。お構いなく」
ぱしりと手を弾いてやる。グラビアをニヤニヤと眺め始める男ふたりに私はため息をついて、足を組んだ。
「それで?犯人は誰だったの?」
万里が顔を上げた。枕元に置かれたサイドテーブルに、『好き』と切り貼りされたテニスボールが転がっている。彼は少し思案するそぶりを見せてから、それを手にとって弄ぶようにしながら手短に事の顛末を語ってくれた。

「『好かれ隊』ねぇ…」
「あの三馬鹿、さっき会った時ひっぱたいてやれば良かった」
どうどう、と万里が私の肩を叩く。カミソリで手を切るなんて悪質だ。痛々しい万里の包帯を見て、改めて怒りが湧いてくる。
「派手に血ぃ出たけど、傷は大した事ないんだよ。縫うほどじゃなかったし」そういう問題?
「もーなんで万里怒らないの?こんな目に合わされて…」
んー?と万里はのんびり首を傾げる。私ばっかりイライラしてるみたいでなんだか馬鹿みたいだ。俯いてむくれていると、万里は腕を伸ばして私の髪を梳いた。
「もういいんだって。詫びいれてもらったし、平がキレたし、夜子が怒ってくれるし。俺が怒る隙間はないのよ」
夜はお湯沸かすの早いですねー、と両手でほっぺたを摘んでくる。でもさぁ、とののがテニスボールをとんとんと放りながら口を開いた。
「他はともかく『好かれ隊』ってやばくね?好きな奴傷つけようとするってサイコじゃん」
うーん、と万里は唸って、私のほっぺたから手を放した。今度は私の右手を取って指を絡ませて弄ぶ。
冷静に見えて、多分今少し万里は不安定だ。彼は心が乱れてる時、不安な時、私の髪や肌に触れたがる。
「…なんか『サロメ』みたい」
「首を切り落として、”やっと手に入れたよ、ヨカナーン”ってやつ?」
私たち3人は顔を見合わせてそっと身震いした。
「夜子、危なくね?」ののが言いにくそうに言う。
「俺も思ってた。やっぱり徹底的に隠した方がいいよな」
そう言って、万里は私の肩を抱き寄せた。ぎゅっと肩を包む手のひらに力がこもる。万里の不安が伝わって来て、今度は振りほどけなかった。
正直、怖いと思った。自分たちが愛でる本人さえ暴力で縛ろうとするなんて、歪んでるとしか言いようがない。相手が何人いるのかもわからない。口喧嘩や嫌がらせなら絶対に負けない自信があるけど、大人数で暴力を振るわれたら、きっと抵抗できないだろう。自分自身が物理的に傷つくのも怖いけど、私が傷つけば、きっと万里はその倍傷つく。それが何より怖い。
「メンバーが誰だか全然わかんねぇの?」
「テニス部中心とは聞いたんだけど…」
「私全然交流ない。3Dにも庭球部いないよね」
「ま、今回の件で当分の間鳴りを潜めるだろうけど、気をつけろよ。お前らたまーに桃色オーラ出てるからな」
「しょーがねーじゃんー。愛し合ってんだもーん」
万里はふざけた口調で言って、私をぎゅっと抱きしめた。すかさず平手で頭を叩いて腕を押しのける。調子に乗りすぎだ。
ののはそれを可笑しそうに笑って、病室の時計をちらりと見上げた。
「俺、ちょっと便所寄るからさ、先に出るわ。腹こわしてるからしばらくかかる。夜子ロビーで待ってて。送る」
「あっ、うん…」
じゃ万里明日学校でな、と言い置いて、さっさと病室を出て行ってしまった。私たちはバウンドしてから静かに閉まる引き戸を見つめてから、顔を見合わせた。
「…気をきかせてくれたんじゃない?」
万里は肩をすくめた。私はうん、と頷いて、パイプ椅子に坐り直す。
万里はベッドに腰掛けた自分の足の間を叩いて示す。
「おいで」両腕を広げた。
私は素直に立ち上がって彼の足の間に腰を下ろす。そのままぎゅっと抱きしめられた。
「…誰か来るかも」
「平気だよ。大方見舞いに来たし、誰か来るなら足音でわかるから」
そう言って、私の髪に鼻先を埋める。私も、少しためらってから、彼の腕にそっと触れて、肩に頭を預けた。膝をさすってやると、少し安心したようにため息をつく。
「俺で良かった。これが夜子だったらと思うとぞっとする…。隠しておいて正解だったね」
呻くように言う。
「…私は、万里が階段から落ちたって聞いた時、隠してるの後悔した」
万里がそっと顔をあげた。また、子供みたいな顔してる。
「一番に心配する権利がないってことだもん。万里からLINE来るまで心臓潰れそうだった」
『意識不明』『複雑骨折』なんて噂だけが飛び交って、天野君の姿もしばらく見えなかったし、どうすればいいのかわからなかった。あの不安な気持ちを思い出すと、今でも胸がつかえたような感覚になる。
ごめん、と言って万里は私のまぶたに口付けた。触れるだけのキスをして、彼の頰に手のひらをあてる。
「大丈夫。いざという時の為にアリスに合気道習っとく」
わざと明るく冗談を言うと、万里は少し笑ってくれた。
「絶対そんな人たちにあなたを渡したりしないから」
強く言って、頰にキスした。身体に回っていた腕を解いて立ち上がる。本当に退院するの?と聞いたら万里はこくりと頷いた。もうすぐ荷物をまとめて運ぶ為に、車でお母さんが迎えに来るらしい。家に帰ったらLINEをもらうという約束をして、私は病室を出た。
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