魔女の領分
目を覚ますと夜子の小さな後ろ頭が目の前にあった。初めて会った頃みたいに短い髪。細いうなじがあの頃よりずっと色っぽい。それから華奢な肩。
俺は夜子の首の真後ろに唇を付けた。ぴくりと肩を震わせてから夜子が振り返る。
「あ、起きた。9時だよ」
眠っていたのは1時間ほどだ。んー、と返事のような唸り声を出して俺は身を起こす。首をこきこき鳴らしてダイニングの方に視線をやると、無人だ。
「清瀬さんは?」
「お店に戻った」
ふうん、と俺は返事をしてソファを降りた。去年辺りの清瀬さんは、自分の目に入る範囲では絶対に俺と夜子を2人きりにしない、という気迫を感じたけど、最近は大分緩い。俺たちの仲を対外的にも認めてくださってるようで何より。
何やら本を読んでいる夜子の隣に座る。それからその細い肩を抱いて頬に唇を寄せた。軽く啄むと、甘い香り。いつも思うけど、夜子のこの香り、何だろう。香水?
夜子は本を閉じて横に置くと、俺のTシャツの肩を引っ張って自分の方に引き寄せて、頰にキスを返してくれた。少し見つめ合ってから、短いキスを2回。
バスケ部に入部させられてからこっち、思った以上に花島田がしつこくて、なかなか夜子と一緒にいる時間が取れない。本当は週に1度は家に行きたいのに、結局10日に1度くらい。2週間開くこともあって、非常に、非常ーーーにフラストレーションが溜まる。
平は目を離すとすぐサボって勉強しないし、何かとトラブルに巻き込まれるから、こっちも手がかかる。
だから夏休みは最大限夜子と一緒にいるように努力した。受験対策は、予備校には行かずに通信教育にすることにして、時間に融通が利く分午前中(平の脳みそが比較的活動できる時間帯)はなるべく平に貼り付いてボランティア家庭教師。午後は週1〜2回は夜子の家。残りの平日は花島田 に奉仕。
夜子も集団で教室に詰め込まれるのがそもそも苦手だというので、同じ通信教育を選択していた。お陰で一緒に家でサテライト授業を受けたり、テキストの答え合わせをしたりと、こちらは効率良く勉強できたと思う。志望校をいくつか挙げて、リサーチしたりもした。正しい受験生カップルの生活だ。
夏休み中、外でデートしたのは2回。
1回は横浜に花火を観に行った。夜子の浴衣姿はそれはそれは綺麗で、道行く男どもの振り返る確率たるや。
花火がとても好きだと言って嬉しそうにはしゃいでくれたのも、可愛かったし嬉しかった。清瀬さんが複雑そうにいじけてたのが若干面倒臭かったけど、きっちり約束の時間に送り届けたので、信頼ポイントも加算。
2回目は水族館。早起きして、夜子の家で2人で弁当を作ってから行った。俺の作るおにぎりを「食べた時のお米の解け方が違う!やたらと美味しい!」と悔しそうに褒めてくれた。
帰りにショップでメンダコという珍妙な海洋生物のぬいぐるみがくっついたキーホルダーを欲しいと言い出したので、買ってあげようとしたら、「自分のものは自分で買います」と断られてしまった。
夜子はいわゆる「女子扱い」をとにかく嫌う。守られたくないし可愛がられたくないし虐げられたくないし馬鹿にされたくないのだと言う。全くもって正しい考えだ。でもそういうミソジニーやフィロジニーとは別に、ただ愛する者に何かを捧げたい(物でも行動でも)という気持ちも確かに存在する。その根本が無意識の差別なのだと言われてしまうともう反論はできないのだけれど、それでも俺は夜子が高い所の物を取りたいと思うなら、脚立を出す前に俺がちょっと背伸びして取ってあげたいと思うし、俺の手が入らないくらいの隙間に落ちたものを拾いたいと思えば、夜子に頼むだろう。
そういう風にひとつひとつ話し合いながら、与えあっていきたいと思っている。特に夜子は人に頼るのが下手くそで、自分のスペックを度外視した工夫をして、なんとかしてしまう頭脳があるものだから、見張っていないとすぐに無理してしまうのだ。
夜子は強くて賢くてすごくかっこいい。こちら(男性)のお為ごかしだとかフェミニストを装った奢りや差別なんか簡単に見抜いて激怒する。だから俺も本当の意味で「守る」とはどういうことなのか、ちゃんと考えて夜子と付き合っていかなきゃいけないなと思っている次第。半端な考えでいると彼女と並んだ時にきっと見劣りする人間になってしまうだろう。負けないようにしないといけないし、何より夜子にとって信頼に足る恋人でありたいと思う。日々精進だ。
あの日買ったメンダコは今、夜子の通学鞄にぶら下がっている。
夏休みも終わって、受験に向けてみんなにわかにエンジンをかけ始めた。俺たちはやるべきことはやりつつ穏やかに過ごしている。問題は平だ。そろそろ効率よく動かすプロセスを本気で考えないと。これから体育祭に文化祭、球技大会などなどあいつが大好きなイベントが目白押し。おまけにバスケ部になんて入ってしまったおかげで、試合や練習もある。全く正気の沙汰とは思えないな。
夜子がもそもそと俺の膝の間に移動してくる。細い腕を首に回してぎゅっと抱きついてきた。俺はそれを両腕で受け止める。寒い日の猫みたいにちょっと強引な動き方。どうしたの?と聞くと、顔を上げずに、嫉妬と悔しさが少々…とごにょごにょ言う。
「もうちょっと具体的に」夜子の言い方を真似る。
「…昨日の試合、かっこよかったから」
「そう?」嬉しい。
「うん。狩りの上手なケモノみたいだった」夜子は時々独特な比喩を使う。
『昨日の試合』とは、"オフェンスキング" 鷹丘率いる燕ノ巣中バスケ部との試合のことだ。花島田曰く『宿命のライバル』であるところの鷹丘虎雄とひょんなことから知り合った俺たちは、あれよあれよという間に騒がしい幼馴染コンビの勝手極まりない勝負に巻き込まれたのだった。
もちろん結果はこちらの勝利。この万ちゃんの辞書に『負け』の文字はないのです。
「惚れ直した?」ちょっと意地悪したくて聞いてみる。
「…うん。かっこよくってすっごい悔しかったし、女子たち に『あれは私の』って言いたかった」な、なんて可愛いことを!
「いつも夜子ばっかりかっこいいからね。たまには俺もいいとこ見せないと?」
「私?」
「そうだよ。夜子は楽器弾いてる時もそうでない時も、いつもかっこいい。負けないようにしなきゃな、て思うよ。『自慢の彼氏』くらいにはならないと」
珍しく夜子からキスしてくれた。薄い舌。猫みたい。キスはやめずにそのまま床に押し倒す。エアコンにさらされた木の床がひんやり心地よい。服の中に手を入れてなめらかな肌を触った。
「もう帰る時間でしょ」
「どうせ誰もいねーもん。遅くなったって平気」
「昼間もしたし」
「思春期男子の性欲なめんなよ」
「…ゴム、上に取りに行かなきゃ」
「ご心配なく♡」
俺はジーンズの尻ポケットからコンドームの薄い包みを取り出して振ってみせた。備えあれば憂いなし。常備しております。
もぉぉ、とため息をつく夜子を組み敷いたまま、ブラのホックを外して(今日はフロントホック♡)薄いタンクトップをめくりあげると、その先端を口に含んだ。あ、と夜子は鳴いて、俺の頭を抱きかかえるようにして身体を開いた。
こうやって唾液も体液も全部交換したら、混ざり合ってひとつになれるかな、そうすれば離れる心配をしなくてもよくなるのかな、なんて不毛なことを考えながら、熱に沈み込んだ。
俺は夜子の首の真後ろに唇を付けた。ぴくりと肩を震わせてから夜子が振り返る。
「あ、起きた。9時だよ」
眠っていたのは1時間ほどだ。んー、と返事のような唸り声を出して俺は身を起こす。首をこきこき鳴らしてダイニングの方に視線をやると、無人だ。
「清瀬さんは?」
「お店に戻った」
ふうん、と俺は返事をしてソファを降りた。去年辺りの清瀬さんは、自分の目に入る範囲では絶対に俺と夜子を2人きりにしない、という気迫を感じたけど、最近は大分緩い。俺たちの仲を対外的にも認めてくださってるようで何より。
何やら本を読んでいる夜子の隣に座る。それからその細い肩を抱いて頬に唇を寄せた。軽く啄むと、甘い香り。いつも思うけど、夜子のこの香り、何だろう。香水?
夜子は本を閉じて横に置くと、俺のTシャツの肩を引っ張って自分の方に引き寄せて、頰にキスを返してくれた。少し見つめ合ってから、短いキスを2回。
バスケ部に入部させられてからこっち、思った以上に花島田がしつこくて、なかなか夜子と一緒にいる時間が取れない。本当は週に1度は家に行きたいのに、結局10日に1度くらい。2週間開くこともあって、非常に、非常ーーーにフラストレーションが溜まる。
平は目を離すとすぐサボって勉強しないし、何かとトラブルに巻き込まれるから、こっちも手がかかる。
だから夏休みは最大限夜子と一緒にいるように努力した。受験対策は、予備校には行かずに通信教育にすることにして、時間に融通が利く分午前中(平の脳みそが比較的活動できる時間帯)はなるべく平に貼り付いてボランティア家庭教師。午後は週1〜2回は夜子の家。残りの平日は
夜子も集団で教室に詰め込まれるのがそもそも苦手だというので、同じ通信教育を選択していた。お陰で一緒に家でサテライト授業を受けたり、テキストの答え合わせをしたりと、こちらは効率良く勉強できたと思う。志望校をいくつか挙げて、リサーチしたりもした。正しい受験生カップルの生活だ。
夏休み中、外でデートしたのは2回。
1回は横浜に花火を観に行った。夜子の浴衣姿はそれはそれは綺麗で、道行く男どもの振り返る確率たるや。
花火がとても好きだと言って嬉しそうにはしゃいでくれたのも、可愛かったし嬉しかった。清瀬さんが複雑そうにいじけてたのが若干面倒臭かったけど、きっちり約束の時間に送り届けたので、信頼ポイントも加算。
2回目は水族館。早起きして、夜子の家で2人で弁当を作ってから行った。俺の作るおにぎりを「食べた時のお米の解け方が違う!やたらと美味しい!」と悔しそうに褒めてくれた。
帰りにショップでメンダコという珍妙な海洋生物のぬいぐるみがくっついたキーホルダーを欲しいと言い出したので、買ってあげようとしたら、「自分のものは自分で買います」と断られてしまった。
夜子はいわゆる「女子扱い」をとにかく嫌う。守られたくないし可愛がられたくないし虐げられたくないし馬鹿にされたくないのだと言う。全くもって正しい考えだ。でもそういうミソジニーやフィロジニーとは別に、ただ愛する者に何かを捧げたい(物でも行動でも)という気持ちも確かに存在する。その根本が無意識の差別なのだと言われてしまうともう反論はできないのだけれど、それでも俺は夜子が高い所の物を取りたいと思うなら、脚立を出す前に俺がちょっと背伸びして取ってあげたいと思うし、俺の手が入らないくらいの隙間に落ちたものを拾いたいと思えば、夜子に頼むだろう。
そういう風にひとつひとつ話し合いながら、与えあっていきたいと思っている。特に夜子は人に頼るのが下手くそで、自分のスペックを度外視した工夫をして、なんとかしてしまう頭脳があるものだから、見張っていないとすぐに無理してしまうのだ。
夜子は強くて賢くてすごくかっこいい。こちら(男性)のお為ごかしだとかフェミニストを装った奢りや差別なんか簡単に見抜いて激怒する。だから俺も本当の意味で「守る」とはどういうことなのか、ちゃんと考えて夜子と付き合っていかなきゃいけないなと思っている次第。半端な考えでいると彼女と並んだ時にきっと見劣りする人間になってしまうだろう。負けないようにしないといけないし、何より夜子にとって信頼に足る恋人でありたいと思う。日々精進だ。
あの日買ったメンダコは今、夜子の通学鞄にぶら下がっている。
夏休みも終わって、受験に向けてみんなにわかにエンジンをかけ始めた。俺たちはやるべきことはやりつつ穏やかに過ごしている。問題は平だ。そろそろ効率よく動かすプロセスを本気で考えないと。これから体育祭に文化祭、球技大会などなどあいつが大好きなイベントが目白押し。おまけにバスケ部になんて入ってしまったおかげで、試合や練習もある。全く正気の沙汰とは思えないな。
夜子がもそもそと俺の膝の間に移動してくる。細い腕を首に回してぎゅっと抱きついてきた。俺はそれを両腕で受け止める。寒い日の猫みたいにちょっと強引な動き方。どうしたの?と聞くと、顔を上げずに、嫉妬と悔しさが少々…とごにょごにょ言う。
「もうちょっと具体的に」夜子の言い方を真似る。
「…昨日の試合、かっこよかったから」
「そう?」嬉しい。
「うん。狩りの上手なケモノみたいだった」夜子は時々独特な比喩を使う。
『昨日の試合』とは、"オフェンスキング" 鷹丘率いる燕ノ巣中バスケ部との試合のことだ。花島田曰く『宿命のライバル』であるところの鷹丘虎雄とひょんなことから知り合った俺たちは、あれよあれよという間に騒がしい幼馴染コンビの勝手極まりない勝負に巻き込まれたのだった。
もちろん結果はこちらの勝利。この万ちゃんの辞書に『負け』の文字はないのです。
「惚れ直した?」ちょっと意地悪したくて聞いてみる。
「…うん。かっこよくってすっごい悔しかったし、
「いつも夜子ばっかりかっこいいからね。たまには俺もいいとこ見せないと?」
「私?」
「そうだよ。夜子は楽器弾いてる時もそうでない時も、いつもかっこいい。負けないようにしなきゃな、て思うよ。『自慢の彼氏』くらいにはならないと」
珍しく夜子からキスしてくれた。薄い舌。猫みたい。キスはやめずにそのまま床に押し倒す。エアコンにさらされた木の床がひんやり心地よい。服の中に手を入れてなめらかな肌を触った。
「もう帰る時間でしょ」
「どうせ誰もいねーもん。遅くなったって平気」
「昼間もしたし」
「思春期男子の性欲なめんなよ」
「…ゴム、上に取りに行かなきゃ」
「ご心配なく♡」
俺はジーンズの尻ポケットからコンドームの薄い包みを取り出して振ってみせた。備えあれば憂いなし。常備しております。
もぉぉ、とため息をつく夜子を組み敷いたまま、ブラのホックを外して(今日はフロントホック♡)薄いタンクトップをめくりあげると、その先端を口に含んだ。あ、と夜子は鳴いて、俺の頭を抱きかかえるようにして身体を開いた。
こうやって唾液も体液も全部交換したら、混ざり合ってひとつになれるかな、そうすれば離れる心配をしなくてもよくなるのかな、なんて不毛なことを考えながら、熱に沈み込んだ。
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