革命前夜のメタモルフォーゼ

成り行きのまま、初対面の人間の家にいる。黒っぽくて四角くて大きくてモダンな造りだ。お母さんの趣味に溢れたメルヘンチックな我が家とも、ところどころシャビーシックな万ちゃんちとも違う。新鮮。

身ぐるみ剥がれて風呂に放り込まれて、やたらと肌触りの良いバスローブにくるまった。「夜子」と名乗った彼女に連れられて、リビング階段を登ると、突き当たりの部屋に入る。
青っぽいシンプルな部屋だ。いわゆる「女子」の要素がとても少ないのに、何故かベッドの上には巨大なミニオンが鎮座している。夜子はクローゼットを開けてなにやら捜索中。私はベッドの上のミニオンを引き寄せて抱きしめると、フローリングにぺたりと座った。華奢な背中を眺める。

とても綺麗な人だ。華奢で小さくてお人形みたいに可愛くておまけに胸も大きくて、どこからどう見ても「女の子」。すごくモテそう。私とは大違い。へーと万ちゃんのクラスメイトだと言っていた。電話での話し方を聞く限りは、それほど親しくはなさそうだけど、どうなんだろう。万ちゃんはこういう子が好きだろうか。
私は自分の姿を見下ろしてみる。華奢というよりはガリガリな身体。胸も尻もぺたんこで男の子みたい。学校のみんなは「かっこいい」「好き」と言ってくれるけど、男の子には到底モテそうにない。いや、別に男の子にモテたいわけじゃない。ただ、1人にだけ「女の子」だと思って欲しい。でも…。
ぐるぐるして思考を抱えたまま、ぼふぼふとミニオンを揉む。その眼前に青いものが差し出された。見上げると、夜子の顔。
「はい、とりあえずこれ着て?サイズ、大丈夫だと思うけど…」
差し出されたのは綺麗な青いパーカーとジーンズ。ジーンズなんか履くんだ、この人。私はお礼を言って受け取った。幸い下着までは濡れていなかったので、自分のものをバスローブの下に付けている。夜子は私が服を受け取ったのを確認すると、くるりと後ろを向いて座った。終わったら声かけてね、と言う。女子同士だし、そんなに気にしなくてもいいのに、律儀な人だ。
「成さんさ、」
「『さん』いらないよ。私のが年下でしょう」
絹糸みたいな髪がさらりと揺れた。少し考えるようにしてから、夜子は「成“ちゃん”さ、」と言い直した。
「そういうので良かった?服の趣味、わかんなかったから…」
「大丈夫、ジーンズ多いです、私。えと、森住先輩のが意外だな、こういう感じ」
ふ、と夜子は笑った。
「成ちゃんこそ、『先輩』なんて言わなくていいよ。夜子でいいし、敬語もいらないから…私もそういう格好多いんだ」
何故だかすごくおかしそうにする。私はごそごそと着替えてバスローブを畳むと、改めて夜子に声をかけた。彼女はくるりと振り向いて、似合うね、と言ってくれた。

こんこん、とドアがノックされる。はぁい、と夜子が返事をすると、控えめに開いて、その隙間から夜子の叔父が顔を出した。確か「ななちゃん」だ。名前はなんだろう。「七雄」?「七之助」とか?
「カフェオレ作ったからどうぞ。帰れる感じになったら言って。送ります」
なんか逆にすいません、と謝るといやもうこちらこそ、とななちゃんは恐縮しながら、マグとお菓子の載ったトレイをテーブルに置いて、また去っていった。
私達はそれをありがたく頂きながら、いくつか世間話をする。
顔に似合わず低い声だ。話し方も落ち着いていて、学校の友達なんかとはちょっと違う感じ。赤い唇と白い肌を見つめながら、私は言った。
「夜子ちゃんてさ、モテるでしょう」
私の唐突な質問に、夜子は困ったように笑った。
「…物理的にはね。でもみんな、『本当には』私のこと好きじゃない」
「『ほんとう』って?」
「私の見た目だけが好きなんだよ。だからこうやって喋り出すと『なんか違う』って言われちゃう」
そう言って夜子は盛大に顔をしかめた。
「みんな勝手に決めるんだよね。そんで、そのイメージの箱から出ようとすると怒られちゃうんだ」
クラスメイトたちの顔が脳裏に浮かぶ。みんな優しくて可愛くて大好きだ。でも、私がみんなのプラトニックな妄想の彼氏でいることを望んでる。それがたまに窮屈で鬱陶しい。
「…成ちゃんもそういうこと、あるの?」
夜子は気遣わしげに私の顔を覗き込んだ。
「…うん。私、こんなだから。女の子たちに『好き』って言われる。嬉しいけど…『女の子』になれない」
そっか、と夜子は呟く。それからちょっとからかうように笑った。
「好きな人いるんでしょー。だから『女の子』になりたいんだ?」
う、と私は一瞬詰まったけど、なにも隠すことはない。いや、相手が万ちゃんだということは隠すけども。目は合わせないようにしてこくりとうなずいた。
「夜子ちゃんは?」
「えっ」
「いないの?好きな人」仕返ししてやる。
夜子はちょっと目を泳がせる。恥ずかしそうに髪を手櫛で何度か梳いてから、いるよ、と認めた。
「どんな人?」
「…うーんと…ウルトラ寂しがりやの臆病者。ヘタレ?」
「…なんでそんな人好きなの」
うはは、と夜子は笑った。
「わかんない。なんでだろ。もう忘れちゃったよ理由なんか…じゃあ成ちゃんは言える?その人好きな理由」
私は考える。万ちゃんのどんなところが好きだろう。助けてくれるから?かっこいいから?いつもそばで気にかけてくれて、でも妹扱いで、絶対に安心できて…。
「…わかんないや。説明できない」
「でしょ?」
夜子はにっこりと笑う。綺麗な笑顔だった。

『説明できないくらい好き』なのか、『説明できないから好き』なのか。おそらくどっちもで、わかっているのはこの気持ちを消すのは難しいってことだけだ。いつか、いつかもっと女らしくなって、万ちゃんの視界にちゃんと入るようになって、そうしたら、言えるだろうか。

よし、と夜子が突然意気込んで立ち上がった。またクローゼットの観音開きをがつんと開いて、何やら捜索を始める。
「夜子ちゃんどうしたの?」
うん、とくぐもった声の後、濃いグレーの布を引っ張り出して、彼女は振り向いた。今度はチェシャ猫みたいな笑顔。
「成ちゃん、着替えよ?こっちの服にしよう」
手渡されたのは、グレーの布と、ふわふわの黒いニット。グレーを広げて私は絶句した。
「ちょっと待って無理!これは無理だ!」
「無理じゃないよ。サイズ合うはずだよ」
「そうでなくて!みっミニスカートとかまじで無理だから!!」
そこで、がっ、と夜子が私の両肩を掴んだ。すごい力だ。華奢で儚げなこの人のどこからこんな力が…。
「なろうよ、『女の子』。絶対に似合うから」
私の目を見て真剣に言う。
「成ちゃん綺麗で真っ直ぐな脚してるんだから、出さなきゃもったいないよ」
夜子は瞬きをしない。
「形から入ろうよ」
大きな瞳。まつげがびっしりだ。
「何もいきなりこれ着て彼に告白しろって言ってるんじゃないんだからさ。まずは友達に見せてみたら?」
なぜか床に押し倒される。夜子の髪がさらさらと頬にあたった。私の肩を掴んでいたはずの手はいつの間にか外れ、指を絡めて縫い止めるように耳の横に置かれる。
ね?と壮絶に美しい顔で艶かしく笑う彼女に勝てるはずもなく。

「ほらやっぱりー。すごい似合う。かっこいいよ」
夜子に押し負けて、言われるがままに履いてしまうわけだ、ミニスカートを。夜子は嬉しそうに褒めまくりながら、私を姿見の前まで引っ張っていく。映るのは、見たこともないような私。
「ちゃんと成ちゃんらしく『女の子』できてると思うよ」
ね、と夜子は笑う。
「…おかしくないかな…」
「どこがよ」
「どこがって…」
脚がすーすーして落ち着かない。制服だってスカートだけど、丈も気持ちも全然違う。私がうじうじしていると、夜子はばん、と私の背中を平手で叩いた。痛い。
「それ、あげるから。着てね」
「えっそういうわけには…」
着替える時にタグを確認した。スカートもニットも、べらぼうに高価いというわけではないけど、ファストファッションでもない、私達の世代に人気のブランドのものだ。
「いいの。酷い目にあわせたんだし、それにね、そのスカート私も気に入ってて、色違いで2枚持ってるの。あげるから、その代わりにちゃんと着て、周りにその女の子ぶりを見せびらかすように」
何度か固辞したけど頑として譲らない。いちいち見た目通りにいかない人だ。こりゃ見た目だけで告白して来た男子はえらい目に合うだろうな…。
結局私が折れて、このまま着て帰ることになった。

自宅に着くと、お母さんが出迎えてくれた。へーと万ちゃんはまた例によって2人でどこかへ飛び出していってしまったらしい。
夜子とななちゃんは、お母さんを見ると2人揃って絶句して、しばらく変な空気が流れた。それから気を取り直すようにして、今日のお礼だかお詫びだかをお互いにぺこぺこ交わして、忙しなく帰って行った。

お母さんは昔よくある女優に似ていると言われたこと。その女優は夫とともに若くして亡くなっていること。夜子はその娘であることを、後から聞いた。帰り際に2人が涙ぐんでいるように見えたのは、そういうことなんだろう。
私は自室に戻って、姿見の前に立って自分の姿を改めてしげしげとながめる。くるりと1回転なんかしてみたり。スカート丈は家で見ても相変わらず短くて、でもお母さんは可愛い可愛いと手放しで褒めてくれた。

夜子に教えてもらったIDを検索して、LINEを送った。
『また会える?』
OKの看板を掲げて飛び跳ねる猫のスタンプとともに『喜んで』と返ってきた。

さて、このスカートを履いて、誰に会いに行こうかな。
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