アルカディアに雪の降る

クリスマス・イブ。
駅前のカラオケボックスに集まった3Dの面々の前に派手に現れた幼馴染たちは、マイクを掴んだかと思うと、あっという間に場をさらっていってしまった。
定番のクリスマスソングを楽しそうに歌う2人は、まるで生まれてきた時からそうだった、と言わんばかりに息がぴったりで、私は嘆息してしまう。やっぱり、どうしても、この2人には一緒にいて欲しい。きっとこの場にいる誰もがそう思っているだろう。

万里と天野君の「差」については既に周知の通り。「高校は別々になるらしい」という噂も飛び交う。本人達は知ってか知らずか、クラスメイト達の間には少しがっかりしたような空気も流れている。
歌い終わった2人は、男子達に小突かれながら適当な席に腰掛ける。途中で万里と少し視線が絡んだ。目元だけで私は彼に笑って見せて、レモンスカッシュを飲んだ。下に心地よい刺激と酸味。

「はー、やっぱり日下君かっこいいー。今日来てよかった♡」
「ね、天野君も相変わらず可愛い。ほんとに2人、高校別なのかな…」
「あたりめーだろ、万里だぞ?開成だろーが慶応だろーが」
「えーでもあの2人が違う制服着てるとか想像できない」
「それがゲンジツ!目ぇ覚ませー女子ー」

さわさわとクラスメイト達はささめき合う。心に靄がかかったような気持ちになって、私はグラスを手のひらで包んで少し俯いた。
汗をかいたグラスの中で、氷が照明を反射して滲む。先の見えない不安がどうしても頭をもたげてしまう。だめだ、せっかく楽しい時間なんだから、と思った時、不意に控え目に肩を叩かれた。
「森住、大丈夫?具合悪い?」
佐々木君だった。心配そうに私の顔を覗き込んでくる。普段は勝気そうな切れ長の瞳に、気遣いの表情が浮かんでいる。私は慌てて胸の前で手を振った。
「うん、大丈夫大丈夫。ごめん、ありがとう」
そう?と言って彼はそのままソファの背もたれに背を預けた。
「まぁ、ナーバスにもなるよな。受験も待ったなしだし、あいつらあんなだし」
そう言う視線の先には天野君。いつもの勢いでクリスマスソングを披露してくれた彼だけど、やっぱりどことなく元気がないのだ。万里は比べれば飄々としたものだけど、ふとした瞬間の表情が暗い。実際、先週家に来た時から何かと甘えが強くなっていて、普段はLINEだけなのに声を聞きたがって電話をかけてきたり、学校でも理由をつけては私に触りたがったり、どうしても癒してやれない寂しがりの駄々っ子の相手をしているようで、こちらも切ない気持ちになってしまうのだ。
「平が元気ないとさ、俺らまでなんか影響されるよなー。万里もなーんか変だし」
みんなにもわかるんだな。私はそうだねぇ、と返事して、レモンスカッシュを口に運んだ。
「佐々木君は志望校もう決めた?」
「うん。俺ぁ県立一本よ。森住は?」
「私も決めたよ。私立だけど」
「夜子遂に決めたんだ。なんかこないだまで迷ってたよね」
私の左隣にいた行子が会話に混ざってくる。ついでにポッキーの入ったグラスを勧めてくれたので、私と佐々木君はそれぞれ一本ずつ摘んで噛み折った。
「迷ってたの?森住かなり上位だよな、成績」
我が校は中間期末の総合成績上位20名までが貼り出されるので、そこに名前が載る者は割と認識されている。
「うん…校風を取るか偏差値を取るかで迷ったんだけど、やっぱり好きだと思えるところに行こうと思って」
「正解」
佐々木君は2本目のポッキー(いちご)で私の鼻の辺りを指した。
「人間『好き』とか『やりたいことやる』が1番じゃん。あんまり先のこと考えて手堅くいってもなんかつまんなくねぇ?」
ゆらゆらポッキーを揺らしながらとくとくと語ると、ひょいと咥えてぽりぽりと胃に収める。
「私は『先のこと考えて手堅く』派だなー。検事になるために、今はとにかく出来るだけ偏差値高いとこ」とは、行子。
「桜井は『検事になりたい』んだろ?それは『やりたいこと』のための『手堅く』じゃん」
佐々木君の言葉に行子は、そっか、と頷いた。
「なかなかいいこと言うね、佐々木」
「だろー?俺は俺のためにしか生きたくねぇもん。いいとこ行けば親や教師は喜ぶかもしんねぇけど、俺はサッカーしに行くんだよ、高校には。その先は知らん!」
そう言って踏ん反り返る彼に、私と行子は思わず笑った。

久々留のPerfumeに付き合って、また少しみんなと談笑して、時計を確認するともう18時前。私はポシェットを肩にかけてそっと席を立った。場を乱さないように、ごく近い場所にいた人間にだけ声をかけて、行子にお金を預けてその場を辞去した。
カラオケルームの防音扉を閉めると、クラスメイトたちの賑やかな声が少し遠くなる。似たような番号が振られた防音扉の群れを抜けて、カラオケボックスの出口に向かう途中で、横から肩を抱かれた。大きな観葉植物の陰に引き込まれる。手の感触で、鼻腔をくすぐる香りで、誰かは見なくてもわかる。
「万里」
し、と彼は人差し指を唇にあててにっこり笑った。私の身体を更に隠すように廊下側に背を向けて、頰を触る。
「もう帰るの?」
「うん。万里は?」
「俺ももうすぐ。今は平待ち」
ちらりと廊下の奥に視線を投げる。まだ誰も出てきていない。万里は私のおでこにキスを落として、そのまま抱きしめた。
「ねえ、まずいよ。誰かに見られたら…」
んー、と気の無い返事。甘えるように私の頰に自分の頰をこすり合せる。もー、と私は唸って、両手で胸を押し返した。ああ、また、寂しい子供みたいな顔。ぎゅううう、と心臓が掴まれるみたいな感覚に襲われる。
切なくてもどかしくて可愛くて可哀想で愛しくてたまんない。
私は一度ぎゅっと目を瞑ると、万里のシャツの首のあたりを両手で掴んで引き寄せた。そのまま背伸びして薄い唇に噛み付く。食んで舐めて絡ませてもう一度食む。離れると、ちょっとびっくりしたような瞳。
「…えー夜子ったら大胆。誰かに見られたらどーする…」
「愛してるからね」
茶化す万里の声に被せるように言う。襟首は掴んだまま。至近距離のまま。
「何がどうなったって、絶対、愛してるから!」
万里はきょとんと瞬きをすると、嬉しそうに笑った。私の頰を両手で包む。
「うん俺も、愛してるよ」
言って、安心したように私の額に額をつけた。私も、彼の背中に腕を回してあやすようにさする。
「明日、行ってもいい?渡したい物があるんだ」甘い声。
「うん。私もプレゼント、用意してるの」
「そう?嬉しいなー。じゃあおリボンかけて待っててね。あっ、ラッピングはいらないよ。どうせすぐ脱がせちゃうし♡ 気絶するくらい気持ちいいセックスいっぱいしよ♡」
右脚の甲をギリギリ踏んづけてやると、万里はうわうわごめんなさいごめんなさいと泣き声をあげた。こういうとこ、いっくら言っても治らないな!
「メリークリスマス、夜子。気をつけて帰って。明るい道通って、家に着いたらLINEしてね」
うん、と頷くと、万里は私の髪を整えるように指で梳いてから、そっと廊下に押し出した。万里も続いて観葉植物の陰から出ると、反対方向、元いた3Dの面々が絶唱する部屋へ足を向ける。私もその背中に小さく手を振って出口へ向かった。

ガラス製の自動ドアをくぐる瞬間、壁にもたれる万里と、慌てた様子でカラオケルームから飛び出す天野君の姿が映った。

メリークリスマス。この世から、寂しい子供が1人残らずいなくなりますように。
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