アルカディアに雪の降る
「桜井がイブにみんなでカラオケ行きたいってさ」
いつものように我が家のリビングで、向かい合って勉強している。万里はくるくると指の上でシャープペンシルを回しながら、しかしこちらは見ずにそう言った。
「うん、聞いた。当日誘って来れる人だけ連れてくって。私はちょっとしかいられないけど、顔だけ出すつもり」
我が森住家のクリスマスは、シンプルに家族で過ごしている。とは言っても、『ニヴルヘイム』は営業しているし、仕事柄イベントごとの多いケンジも必ず休みが取れるとは限らない。私と七瀬(休みが合えばケンジも)でささやかにクリスマスディナーを手作りし、その後は保護者同伴の元、『ニヴルヘイム』で過ごすというのが通例だ。
しかし今年は行子 が「3Dみんなでカラオケに行きたい」と言い出した関係で、多少通例にイレギュラーが生じる。七瀬は「友達と過ごすのも楽しいだろうから行っておいで」と言ってくれたけど、私自身、まだ家族とのクリスマスを楽しみたいという気持ちが強い。前半だけ参加して、夕食の時間には家に戻るつもりだ。
「万里は?今年も天野くんちなんでしょ?」
うん、と頷いてから万里はひとしきりノートにシャープペンシルを走らせる。それからこちらを見上げて頬杖をついた。
「うん、そう。毎年恒例よ。うちはクリスマスだからって親帰ってこねぇし。俺らも夜子と同じで、ちょっと顔出してすぐ帰る感じになるかなー」
じゃあちょっとだけ会えるね、と言ったら、万里はにっこりと笑って、筆記具をテーブルの上に転がした。ちょいちょいと手招きをする。私も万里に倣って単語帳を放り出すと、四つん這いになって彼の元まで這っていく。胸にぽすんと収まると、すぐに目尻に唇が降ってきた。来年は絶対クリスマスデートね、と万里は言って、私の身体をぎゅっと抱きしめてくれた。そのまま、ふー、と長い溜息をつく。
『クリスマスだからって、親帰ってこねぇし』
万里の諦めたような声が胸に突き刺さる。そんな日は、このところ強まってきている彼の寂しさに拍車がかかってしまうだろう。一晩中万里を抱きしめて、一緒に眠ってあげられたらいいのに。
話し合いの末、私は第一志望を東聖学園高校に決めた。
正直に言えば、もうワンランク上の学校も狙えるんだけど、これ以上ランクを上げると天野君を連れて行くことが絶望的になってしまう。それに、東聖は上位校の中でも1番校風が緩い。生徒の自主性に任せる方針で、学内の自治から政治、行事の運営などがほぼ生徒の手で行われている。学校見学で行った時も、すごく自由で明るくて個性的な生徒が多いという印象だった。美術系や音楽系の大学に進学する生徒も多く、2、3年に一度は芸大への進学実績もあるようだった。私は進学後も本気で音楽をやって、大学は芸大に行くつもりだし、学力に合わせてガチガチの進学校にいくよりも、自由に楽しく過ごしたい。きっとその方が万里や天野君にも合ってるだろうし。
この線が一番妥当だ、ということで一応2人の間では決定。叔父ズにも既に話は通してある。しかし天野君をどう誘導するか、それが目下の懸案事項だ。
「珈琲淹れるから、一休みしない?」
提案すると万里はうん、と頷いて私の身体を解放してくれる。私はとことことキッチンまで歩いて行って、ポットに水を注いで火にかけた。我が家では珈琲はドリッパーを使って手で淹れている(流石にミルは電動)。お湯が沸くまでの間、また万里の元へ戻る。彼の目の前に膝をつくと、そのまま引き寄せられて、胸に顔を埋められた。小突いてやろうかと思ったけど、なんとなくやめて髪を梳いてやる。背中に腕が回って、そうっと抱きしめられた。すりすりと頬ずりするように顔を胸に擦り付けてくる。
「はー…夜子のおっぱいふわっふわ…癒される…」
ついでに尻を触ろうとする手は叩いてやった。
ふふ、と万里は笑って、胸に顔を埋めたまま、少し顎を上に向けて私を見上げた。
「そう言えばさ、俺栄華ちゃんにフラれちゃった」
「あれ。どうして?」
「隣のクラスの運命の人に出会っちゃったんだって」
あはは、と私は笑った。よしよし、と万里の頭を撫でて、少し抱きしめてあげる。
「まあったく女の子なんて勝手もんですなー」
ふてくされたように言う。
「残念、逆玉逃しちゃったね。これで私は本妻に返り咲けた?」
「後にも先にも夜子だけですぅ」
言って、服の上から胸にかぶりついてくる。はむはむと甘噛みするように唇を動かして、また深くため息をついた。
「…私、東聖第一志望にするって、今日ニノ下先生に言ってきた」
そう告げると万里は、ん、と胸に顔を埋めたまま呻いた。私はもどかしい気持ちで彼の頭を抱きしめる。髪にキスすると、私を抱く腕に力がこもった。大丈夫、とかなんとか言ってあげたい気もしたけれど、何を言っても無責任になりそうで、やめておいた。
「…する?」
代わりにまた髪を梳きながら聞くと、万里は少し考えるようにしてから、ゆるゆると首を振った。
「今日はいいや。もうちょっとこのままでいてもいい?」
かなり、いや相当弱ってる。
万里はまだ天野君の軌道修正に着手できていない。模試の度にその歴然とした差が露呈するだけで、天野君自身が戦意を喪失してしまっている状況。それをどう奮い立たせればいいのか、そもそも同じ学校に行くことを彼が本当に望んでくれるのか、もはや土台からぐらついてしまっている。
私は天野君が羨ましい。こんなに万里に求められる彼が。はっきり言って嫉妬してる。この人には私だけでは足りない。
私だってもちろん、万里が執着するひとつになっているのはわかってる。
求められている。愛されている。わかってる。でも「恋人」では決して立ち入れない万里の柔らかい領域に、天野君はいるんだ。それが羨ましい。
安心しきった顔で私の胸に頰を埋める彼が急に憎たらしくなって、その頰をぎゅっとつねってやった。うわ、痛い。何?と上を向いた隙に、その顎を捕まえて口付けた。戸惑う歯列を舌でこじ開けて、首に腕を回す。体重をかけると万里はそのままぴったりと身体をくっつけて、抱きしめてくれた。
ゆっくり確かめるみたいなキスをして、唇を離すと、万里は私の目を見つめたまま、大きな手で私の頰を包むように撫でる。
「…夜子って舌薄いよね。猫みたい」
「そ、そう?」猫?
それから親指で私の唇をなぞる。
「歯も口も小さい」
腰を抱いたまま、手のひらで横腹を柔らかく掴む。
「身体も薄いなぁ…。お腹なんか俺の片手で掴めるよね」
それから手首を持ち上げて内側にキスする。
「腕も指も細い…」
「もーなにそれ!disってんの?」
私が小柄なことや華奢なことを指摘されるの嫌いなの知ってるくせに。万里の発言の真意がわからなくて、思わずイラついた声を出すと、彼は眉を下げて、ごめんね、と言った。
「俺はいつも、こんな小さい夜子に守られてるんだなー、と思ってさ。待たせてごめん。ちゃんとする。頑張るから…」
その頭をもう一度胸に搔き抱くと、万里はまた、はー、癒される…おっぱい最高…などと軽口を叩いてくれるのだった。
いつものように我が家のリビングで、向かい合って勉強している。万里はくるくると指の上でシャープペンシルを回しながら、しかしこちらは見ずにそう言った。
「うん、聞いた。当日誘って来れる人だけ連れてくって。私はちょっとしかいられないけど、顔だけ出すつもり」
我が森住家のクリスマスは、シンプルに家族で過ごしている。とは言っても、『ニヴルヘイム』は営業しているし、仕事柄イベントごとの多いケンジも必ず休みが取れるとは限らない。私と七瀬(休みが合えばケンジも)でささやかにクリスマスディナーを手作りし、その後は保護者同伴の元、『ニヴルヘイム』で過ごすというのが通例だ。
しかし今年は
「万里は?今年も天野くんちなんでしょ?」
うん、と頷いてから万里はひとしきりノートにシャープペンシルを走らせる。それからこちらを見上げて頬杖をついた。
「うん、そう。毎年恒例よ。うちはクリスマスだからって親帰ってこねぇし。俺らも夜子と同じで、ちょっと顔出してすぐ帰る感じになるかなー」
じゃあちょっとだけ会えるね、と言ったら、万里はにっこりと笑って、筆記具をテーブルの上に転がした。ちょいちょいと手招きをする。私も万里に倣って単語帳を放り出すと、四つん這いになって彼の元まで這っていく。胸にぽすんと収まると、すぐに目尻に唇が降ってきた。来年は絶対クリスマスデートね、と万里は言って、私の身体をぎゅっと抱きしめてくれた。そのまま、ふー、と長い溜息をつく。
『クリスマスだからって、親帰ってこねぇし』
万里の諦めたような声が胸に突き刺さる。そんな日は、このところ強まってきている彼の寂しさに拍車がかかってしまうだろう。一晩中万里を抱きしめて、一緒に眠ってあげられたらいいのに。
話し合いの末、私は第一志望を東聖学園高校に決めた。
正直に言えば、もうワンランク上の学校も狙えるんだけど、これ以上ランクを上げると天野君を連れて行くことが絶望的になってしまう。それに、東聖は上位校の中でも1番校風が緩い。生徒の自主性に任せる方針で、学内の自治から政治、行事の運営などがほぼ生徒の手で行われている。学校見学で行った時も、すごく自由で明るくて個性的な生徒が多いという印象だった。美術系や音楽系の大学に進学する生徒も多く、2、3年に一度は芸大への進学実績もあるようだった。私は進学後も本気で音楽をやって、大学は芸大に行くつもりだし、学力に合わせてガチガチの進学校にいくよりも、自由に楽しく過ごしたい。きっとその方が万里や天野君にも合ってるだろうし。
この線が一番妥当だ、ということで一応2人の間では決定。叔父ズにも既に話は通してある。しかし天野君をどう誘導するか、それが目下の懸案事項だ。
「珈琲淹れるから、一休みしない?」
提案すると万里はうん、と頷いて私の身体を解放してくれる。私はとことことキッチンまで歩いて行って、ポットに水を注いで火にかけた。我が家では珈琲はドリッパーを使って手で淹れている(流石にミルは電動)。お湯が沸くまでの間、また万里の元へ戻る。彼の目の前に膝をつくと、そのまま引き寄せられて、胸に顔を埋められた。小突いてやろうかと思ったけど、なんとなくやめて髪を梳いてやる。背中に腕が回って、そうっと抱きしめられた。すりすりと頬ずりするように顔を胸に擦り付けてくる。
「はー…夜子のおっぱいふわっふわ…癒される…」
ついでに尻を触ろうとする手は叩いてやった。
ふふ、と万里は笑って、胸に顔を埋めたまま、少し顎を上に向けて私を見上げた。
「そう言えばさ、俺栄華ちゃんにフラれちゃった」
「あれ。どうして?」
「隣のクラスの運命の人に出会っちゃったんだって」
あはは、と私は笑った。よしよし、と万里の頭を撫でて、少し抱きしめてあげる。
「まあったく女の子なんて勝手もんですなー」
ふてくされたように言う。
「残念、逆玉逃しちゃったね。これで私は本妻に返り咲けた?」
「後にも先にも夜子だけですぅ」
言って、服の上から胸にかぶりついてくる。はむはむと甘噛みするように唇を動かして、また深くため息をついた。
「…私、東聖第一志望にするって、今日ニノ下先生に言ってきた」
そう告げると万里は、ん、と胸に顔を埋めたまま呻いた。私はもどかしい気持ちで彼の頭を抱きしめる。髪にキスすると、私を抱く腕に力がこもった。大丈夫、とかなんとか言ってあげたい気もしたけれど、何を言っても無責任になりそうで、やめておいた。
「…する?」
代わりにまた髪を梳きながら聞くと、万里は少し考えるようにしてから、ゆるゆると首を振った。
「今日はいいや。もうちょっとこのままでいてもいい?」
かなり、いや相当弱ってる。
万里はまだ天野君の軌道修正に着手できていない。模試の度にその歴然とした差が露呈するだけで、天野君自身が戦意を喪失してしまっている状況。それをどう奮い立たせればいいのか、そもそも同じ学校に行くことを彼が本当に望んでくれるのか、もはや土台からぐらついてしまっている。
私は天野君が羨ましい。こんなに万里に求められる彼が。はっきり言って嫉妬してる。この人には私だけでは足りない。
私だってもちろん、万里が執着するひとつになっているのはわかってる。
求められている。愛されている。わかってる。でも「恋人」では決して立ち入れない万里の柔らかい領域に、天野君はいるんだ。それが羨ましい。
安心しきった顔で私の胸に頰を埋める彼が急に憎たらしくなって、その頰をぎゅっとつねってやった。うわ、痛い。何?と上を向いた隙に、その顎を捕まえて口付けた。戸惑う歯列を舌でこじ開けて、首に腕を回す。体重をかけると万里はそのままぴったりと身体をくっつけて、抱きしめてくれた。
ゆっくり確かめるみたいなキスをして、唇を離すと、万里は私の目を見つめたまま、大きな手で私の頰を包むように撫でる。
「…夜子って舌薄いよね。猫みたい」
「そ、そう?」猫?
それから親指で私の唇をなぞる。
「歯も口も小さい」
腰を抱いたまま、手のひらで横腹を柔らかく掴む。
「身体も薄いなぁ…。お腹なんか俺の片手で掴めるよね」
それから手首を持ち上げて内側にキスする。
「腕も指も細い…」
「もーなにそれ!disってんの?」
私が小柄なことや華奢なことを指摘されるの嫌いなの知ってるくせに。万里の発言の真意がわからなくて、思わずイラついた声を出すと、彼は眉を下げて、ごめんね、と言った。
「俺はいつも、こんな小さい夜子に守られてるんだなー、と思ってさ。待たせてごめん。ちゃんとする。頑張るから…」
その頭をもう一度胸に搔き抱くと、万里はまた、はー、癒される…おっぱい最高…などと軽口を叩いてくれるのだった。
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