感嘆符なしでは語れない
「そんで喧嘩したのかお前ら」
呆れたように花島田は言った。参考書を片手に芸術的に美しいソファの上で踏ん反り返っている
「別に喧嘩したわけじゃねぇよ。俺が勝手に気まずくなってるだけ」
「森住は『気にしない』って言ってんだろ?だったら普通にしとけよ。あいつはいちいち忖度必要なタイプの女じゃないじゃないか。本心だろうに」
「わーかってるけどさぁ…」
でも不快にさせたのは事実だ。それより何より、自己嫌悪がすごい。あの瞬間、夜子の目の前でやっていたあれやこれやが、ぶわーっと思い出されて、己の情けなさにクラクラしてしまったのだ。そのこと自体も情けなくて、夜子の顔がまっすぐ見れなくなってしまった。春先にも同じようなことで喧嘩したばかりなのに、ああ、俺って奴は。
「しかし中2でその下半身の緩さとは…感嘆するぞ。こちとら童貞だというのに…」
「言っとくけど今は夜子一筋だからな。他の女とは一切やってない!」
俺は提供された珈琲をかばりと煽った。美味い、がしかし俺が管を巻いているうちに冷めてしまった。
「当たり前だ馬鹿。せめて好きな女には誠実でいろよ」
そう言って、花島田はまた参考書に目を落とす。馬鹿を言うな、この上なく誠実だ。この先の人生全部、なんなら来世まで夜子に捧げたいくらいなのに。
「しかし日下よ、お前はあれだな。鬱陶しいと言うか、重たいと言うか。よくそこまでの『森住至上主義』を隠し通してるな」
「涙ぐましいだろ?受験終わったら人目を憚らず死ぬほどいちゃいちゃしてやる」
「言ってろ」
そう言って花島田は唇の端をあげた。なんだかんだと俺の愚痴に付き合ってくれるんだから、いい奴なんだよな、花ちゃんは。さりげなく人のことを重たいだなんだとdisってくれたが、花島田だってあそこまで恥ずかしげもなく相模1人を追いかけ回せるんだから大したもんだ。夜子はすっかりこいつを『ストイックに相模を愛する紳士』と思い込んでるようだけど…。
「花ちゃんよー、女の子とやりたいとか思わないのー?」
「思うわ。俺をなんと心得る。思春期真っ只中の15歳男子だぞ。お前のようにやりまくり過ぎて飽きちゃった、なんてこと言ってみたいわ」
参考書から顔もあげずにきっぱりと言う。ほらな、中学生男子なんてこんなもんだ。しかし『やりまくり過ぎて飽きた』なんて言ってないぞ。
「俺なりに荒れてたわけですよぅ。でももういいの!夜子じゃなきゃ勃たねぇもん」
「嘘つけ」
そうですね、嘘ですすいません。でも夜子じゃない女の子なんて抱きたいと思わない。これは事実。
「相模とやりたいと思う?」
「恐れ多いことを言うなぁお前。マコトさんのあの高貴なお身体に触れるなんて…めちゃくちゃ思うに決まってるじゃないか」
「だよなぁ。相模おっぱいでかいもんなー」
「…そう言えばてめぇはマコトさんを触りまくったんだったな」
胸ぐらを掴まれた。俺は慌てて花島田の拳を封じる。うわ、すげぇ力。
「事故事故!事故だから!触りまくってないし!死ぬほど腹引っ掻かれて痛くてほとんど覚えてない!」
ち、と舌打ちして花島田は俺を解放した。怖かった…。
「夜子はお前のことをやたらストイックな紳士だと思ってるんだよなぁ」
「間違ってないぞ。俺はマコトさん以外触りたいと思わない」
「根本的に男子の性欲ってもんを舐めてるってこと!そうは言ってもおっぱい大きい子いたらなんとなく見ちゃうし、エロいお姉さんが半裸で迫ってきたら頂くでしょ?」
「そんな漫画みたいなことあるか」
「仮定よ仮定」
「俺はどっちかって言ったら尻に目が行くかな…。スキニージーンズとかたまらんなぁ…でなくて、そりゃそんなことになったら本能に負ける可能性が極めて高いが、やっぱり俺はマコトさんの顔がチラつくだろうな。あの方に軽蔑されたくないし、後ろめたく思いたくない。1番大事な人だけに触りたい。お前だってそうだろ?」
組んだ膝の上に頬杖をついて、花島田は俺を見上げる。
「…そうだね」
「今、森住じゃないエロいお姉さんにおっぱい押し付けられたらすぐさま突っ込むか?」
「絶対やだ。夜子が泣く」
「それでいいじゃないか。お前だって森住の『ストイックな紳士』足り得るだろうが。昔の愚行にいつまでも落ち込んでないで、目の前の森住大事にしてやれや」
馬鹿め、と花島田はため息をついた。はい、全くその通りです。ああ、花ちゃんのいい男ぶりが沁みるわ。
かちゃ、と音がして、リビングのドアが開いた、栄華ちゃんに続いて夜子が顔を出す。練習は今日が最終日。明日が件のお別れ会だそうだ。
「どうだ、栄華、自信の程は」
花島田が問うと、栄華ちゃんは胸を張った。
「ばっちりですわ、お兄さま。夜子お姉さまの弟子の名に恥じぬ演奏ができてよ」
「それは頼もしい」
俺が言うと、彼女はにっこりと笑った。すっかり自信がついたみたいだ。夜子も満足そうににこにこしてる。
「じゃあ栄華ちゃん、明日頑張ってね」
「はい、お姉さま。本当にありがとうございました」
優雅にお辞儀する。それから名残惜しそうに夜子の制服のスカートをつまんだ。
「…またお会いできますか?」
「もちろん。今度はアリスも一緒にお買い物に行こう。たくさんおしゃべりしようね」
はい、喜んで!と言って栄華ちゃんは夜子に抱きついた。女の子とは可愛いものだな、と俺は微笑ましく思う。ぎゅっと夜子を抱きしめてから、栄華ちゃんは振り返って俺を見た。びし、と鼻先を指さされる。
「万里くん、お姉さまをきちんとおうちまでお送りしてね」
「御意」
小さなレディに従って、俺は跪いた。苦笑する夜子の手からヴァイオリンケースを取り上げて、肩にかける。
「いいよ、自分で持つ」
「まぁまぁ、ここは効率よくいきましょうよ。大事に持つから」
じゃあお言葉に甘えて、と夜子は言って、俺たちは花島田邸を後にした。
「ほんとにいいの? 今日は天野君ちでご飯食べるんでしょ?」
申し訳なさそうにする夜子に俺は笑いかけた。花島田の家から俺の家まではご町内で徒歩10分。夜子の家に行くには俺んちを通り過ぎてさらに駅向こうまで行かなくてはならない。でもそんなこと、まったく問題にならない。
「いいの。こんな真っ暗なのに夜子ひとりで帰せないっしょ?」
ありがと、と言った夜子と、本当は手を繋ぎたかったけど、ここいらへんは東一中の学区内だ。俺たちを知ってる人間がうようよ歩いてる。クラスメイトモードにしておかないと。
さて、どう切り出そうか。そもそも何をどう言うべきなのか、謝るのも変なのか、と言いあぐねていると、あのさ、と夜子が口火を切った。
るーんるーんるーんるーん、と独特の機械音がして、黒と黄のまだらに塗り分けられた遮断棒がゆっくりと降りてくる。俺たちは手前で立ち止まった。矢印が赤く灯る。帰宅ラッシュを過ぎた時間だけど、今時分は上りも下りも本数が多い。少し待つかもしれない。
「確かにイラッとしたの。だから思わず意地悪言っちゃった。ごめんね」
下りの急行電車が勢いよく横切る。夜子のボブが舞い上がって、頰に張り付いた。俺は彼女の唇に張り付いた髪を、指で払う。白くてきめの細かい肌。夜子はじっと俺を見上げて、その目を決して逸らさない。
「私ね、あなたが好きでたまらないの。だからあなたが昔寝た女の子全員にすごく嫉妬してる。でも、そういう昔のクズっぷりも全部知ってて一緒にいるんだよ。だからその…あんま気にすんな?」
途中でめんどくさくなってしまったような締め方に、思わず笑った。夜子は不本意そうにむくれる。
「もー!『気にしないことにする』って春に決めたじゃん!なのにじめじめされてるとこっちまできまずくなるでしょってこと!」
ぽかりと脇腹を殴られた。警告音が鳴り止んで、遮断棒が持ち上がる。溜まった人々がぞろりと流れだすのに乗って、俺たちも自然に歩き出した。
「身から出た錆というか、自己嫌悪の自家中毒というか…ごめん、我ながら面倒臭い」
そう言うと、夜子は本当だよ、と眉間にしわを寄せた。
俺はぐるりと辺りに視線を走らせると、夜子の右手をそっと握った。指をからませるようにして繋ぐ。
「日下君…」
「駅のこっち側来ちゃえば大体大丈夫でしょ。誰かに見られたら俺がなんとかするから」
ね?と言うと、夜子はちょっと迷うようにしてから、きゅっと手を握り直してくれた。
帰宅する人がちらほら歩いている住宅街を抜けて、小さな公園に差し掛かる。ジャングルジムとブランコ、砂場があるだけで、昼間こそ子供が集まって遊んでいるが、夜は照明が少なくて人気がない。夜子ひとりの時は絶対に通らせない道だけど、ここを突っ切ると近道なので、俺と一緒の時はよく利用している。
少ない照明の下で、俺は立ち止まった。繋いだ手を少し引き戻すようにすると、夜子も合わせて立ち止まる。彼女の前に回り込んで、左手も取った。両手を繋いで向かい合う格好になる。夜子が俺を見上げた。大きな瞳。その耳にちゃんと聞こえるように発声する。
「好きです。俺と付き合ってください」
夜子はワンテンポ遅れて目を見開くと、はくはくと口を動かした。それから繋いだままの小さな手にぎゅっと力がこもる。
「はい。私もあなたが大好きです」
そう言ってくれた笑顔がすごく綺麗で、本当に、誇張でも比喩でもなく、胸が震えた。
絡めていた指を解いて、その小さな頰を両手で包むと、長い睫毛がゆっくりと伏せられて、瞳が閉じた。
そうっと、まるで初めてするみたいにキスをした。柔らかい唇に触れるだけ。緊張で胸がドキドキする。夜子にも聞こえてしまいそうなくらい。
唇を離してもまだ鼓動はおさまらない。夜子が俺の胸に頰をつけた。
「万里、心臓の音すごい」
「なんかすげー緊張した…」
その背中に腕を回して抱きしめようとすると、ぱっと顔を上げる。
「これよ!こういうのがなかった!」
俺は思わず笑った。確かに、俺達は順番とか段階とか、いろいろめちゃくちゃだった。
もおぉぉぉ!と言って、夜子は俺の背中に腕を回してきつく抱きつく。
「会って1時間でキスされて、やっと付き合えたと思ったら半日で押し倒されて…」
「ははは、ごめんね」
「あれ、ファーストキスだったんだからね!」
げし、と足を蹴られた。痛い。でも笑顔が死ぬほど可愛い。
「これからもよろしくお願いします」
そう言うと、夜子は、私だけ見ててね、と呟く。今度はうんと長いキスで応えた。
呆れたように花島田は言った。参考書を片手に芸術的に美しいソファの上で踏ん反り返っている
「別に喧嘩したわけじゃねぇよ。俺が勝手に気まずくなってるだけ」
「森住は『気にしない』って言ってんだろ?だったら普通にしとけよ。あいつはいちいち忖度必要なタイプの女じゃないじゃないか。本心だろうに」
「わーかってるけどさぁ…」
でも不快にさせたのは事実だ。それより何より、自己嫌悪がすごい。あの瞬間、夜子の目の前でやっていたあれやこれやが、ぶわーっと思い出されて、己の情けなさにクラクラしてしまったのだ。そのこと自体も情けなくて、夜子の顔がまっすぐ見れなくなってしまった。春先にも同じようなことで喧嘩したばかりなのに、ああ、俺って奴は。
「しかし中2でその下半身の緩さとは…感嘆するぞ。こちとら童貞だというのに…」
「言っとくけど今は夜子一筋だからな。他の女とは一切やってない!」
俺は提供された珈琲をかばりと煽った。美味い、がしかし俺が管を巻いているうちに冷めてしまった。
「当たり前だ馬鹿。せめて好きな女には誠実でいろよ」
そう言って、花島田はまた参考書に目を落とす。馬鹿を言うな、この上なく誠実だ。この先の人生全部、なんなら来世まで夜子に捧げたいくらいなのに。
「しかし日下よ、お前はあれだな。鬱陶しいと言うか、重たいと言うか。よくそこまでの『森住至上主義』を隠し通してるな」
「涙ぐましいだろ?受験終わったら人目を憚らず死ぬほどいちゃいちゃしてやる」
「言ってろ」
そう言って花島田は唇の端をあげた。なんだかんだと俺の愚痴に付き合ってくれるんだから、いい奴なんだよな、花ちゃんは。さりげなく人のことを重たいだなんだとdisってくれたが、花島田だってあそこまで恥ずかしげもなく相模1人を追いかけ回せるんだから大したもんだ。夜子はすっかりこいつを『ストイックに相模を愛する紳士』と思い込んでるようだけど…。
「花ちゃんよー、女の子とやりたいとか思わないのー?」
「思うわ。俺をなんと心得る。思春期真っ只中の15歳男子だぞ。お前のようにやりまくり過ぎて飽きちゃった、なんてこと言ってみたいわ」
参考書から顔もあげずにきっぱりと言う。ほらな、中学生男子なんてこんなもんだ。しかし『やりまくり過ぎて飽きた』なんて言ってないぞ。
「俺なりに荒れてたわけですよぅ。でももういいの!夜子じゃなきゃ勃たねぇもん」
「嘘つけ」
そうですね、嘘ですすいません。でも夜子じゃない女の子なんて抱きたいと思わない。これは事実。
「相模とやりたいと思う?」
「恐れ多いことを言うなぁお前。マコトさんのあの高貴なお身体に触れるなんて…めちゃくちゃ思うに決まってるじゃないか」
「だよなぁ。相模おっぱいでかいもんなー」
「…そう言えばてめぇはマコトさんを触りまくったんだったな」
胸ぐらを掴まれた。俺は慌てて花島田の拳を封じる。うわ、すげぇ力。
「事故事故!事故だから!触りまくってないし!死ぬほど腹引っ掻かれて痛くてほとんど覚えてない!」
ち、と舌打ちして花島田は俺を解放した。怖かった…。
「夜子はお前のことをやたらストイックな紳士だと思ってるんだよなぁ」
「間違ってないぞ。俺はマコトさん以外触りたいと思わない」
「根本的に男子の性欲ってもんを舐めてるってこと!そうは言ってもおっぱい大きい子いたらなんとなく見ちゃうし、エロいお姉さんが半裸で迫ってきたら頂くでしょ?」
「そんな漫画みたいなことあるか」
「仮定よ仮定」
「俺はどっちかって言ったら尻に目が行くかな…。スキニージーンズとかたまらんなぁ…でなくて、そりゃそんなことになったら本能に負ける可能性が極めて高いが、やっぱり俺はマコトさんの顔がチラつくだろうな。あの方に軽蔑されたくないし、後ろめたく思いたくない。1番大事な人だけに触りたい。お前だってそうだろ?」
組んだ膝の上に頬杖をついて、花島田は俺を見上げる。
「…そうだね」
「今、森住じゃないエロいお姉さんにおっぱい押し付けられたらすぐさま突っ込むか?」
「絶対やだ。夜子が泣く」
「それでいいじゃないか。お前だって森住の『ストイックな紳士』足り得るだろうが。昔の愚行にいつまでも落ち込んでないで、目の前の森住大事にしてやれや」
馬鹿め、と花島田はため息をついた。はい、全くその通りです。ああ、花ちゃんのいい男ぶりが沁みるわ。
かちゃ、と音がして、リビングのドアが開いた、栄華ちゃんに続いて夜子が顔を出す。練習は今日が最終日。明日が件のお別れ会だそうだ。
「どうだ、栄華、自信の程は」
花島田が問うと、栄華ちゃんは胸を張った。
「ばっちりですわ、お兄さま。夜子お姉さまの弟子の名に恥じぬ演奏ができてよ」
「それは頼もしい」
俺が言うと、彼女はにっこりと笑った。すっかり自信がついたみたいだ。夜子も満足そうににこにこしてる。
「じゃあ栄華ちゃん、明日頑張ってね」
「はい、お姉さま。本当にありがとうございました」
優雅にお辞儀する。それから名残惜しそうに夜子の制服のスカートをつまんだ。
「…またお会いできますか?」
「もちろん。今度はアリスも一緒にお買い物に行こう。たくさんおしゃべりしようね」
はい、喜んで!と言って栄華ちゃんは夜子に抱きついた。女の子とは可愛いものだな、と俺は微笑ましく思う。ぎゅっと夜子を抱きしめてから、栄華ちゃんは振り返って俺を見た。びし、と鼻先を指さされる。
「万里くん、お姉さまをきちんとおうちまでお送りしてね」
「御意」
小さなレディに従って、俺は跪いた。苦笑する夜子の手からヴァイオリンケースを取り上げて、肩にかける。
「いいよ、自分で持つ」
「まぁまぁ、ここは効率よくいきましょうよ。大事に持つから」
じゃあお言葉に甘えて、と夜子は言って、俺たちは花島田邸を後にした。
「ほんとにいいの? 今日は天野君ちでご飯食べるんでしょ?」
申し訳なさそうにする夜子に俺は笑いかけた。花島田の家から俺の家まではご町内で徒歩10分。夜子の家に行くには俺んちを通り過ぎてさらに駅向こうまで行かなくてはならない。でもそんなこと、まったく問題にならない。
「いいの。こんな真っ暗なのに夜子ひとりで帰せないっしょ?」
ありがと、と言った夜子と、本当は手を繋ぎたかったけど、ここいらへんは東一中の学区内だ。俺たちを知ってる人間がうようよ歩いてる。クラスメイトモードにしておかないと。
さて、どう切り出そうか。そもそも何をどう言うべきなのか、謝るのも変なのか、と言いあぐねていると、あのさ、と夜子が口火を切った。
るーんるーんるーんるーん、と独特の機械音がして、黒と黄のまだらに塗り分けられた遮断棒がゆっくりと降りてくる。俺たちは手前で立ち止まった。矢印が赤く灯る。帰宅ラッシュを過ぎた時間だけど、今時分は上りも下りも本数が多い。少し待つかもしれない。
「確かにイラッとしたの。だから思わず意地悪言っちゃった。ごめんね」
下りの急行電車が勢いよく横切る。夜子のボブが舞い上がって、頰に張り付いた。俺は彼女の唇に張り付いた髪を、指で払う。白くてきめの細かい肌。夜子はじっと俺を見上げて、その目を決して逸らさない。
「私ね、あなたが好きでたまらないの。だからあなたが昔寝た女の子全員にすごく嫉妬してる。でも、そういう昔のクズっぷりも全部知ってて一緒にいるんだよ。だからその…あんま気にすんな?」
途中でめんどくさくなってしまったような締め方に、思わず笑った。夜子は不本意そうにむくれる。
「もー!『気にしないことにする』って春に決めたじゃん!なのにじめじめされてるとこっちまできまずくなるでしょってこと!」
ぽかりと脇腹を殴られた。警告音が鳴り止んで、遮断棒が持ち上がる。溜まった人々がぞろりと流れだすのに乗って、俺たちも自然に歩き出した。
「身から出た錆というか、自己嫌悪の自家中毒というか…ごめん、我ながら面倒臭い」
そう言うと、夜子は本当だよ、と眉間にしわを寄せた。
俺はぐるりと辺りに視線を走らせると、夜子の右手をそっと握った。指をからませるようにして繋ぐ。
「日下君…」
「駅のこっち側来ちゃえば大体大丈夫でしょ。誰かに見られたら俺がなんとかするから」
ね?と言うと、夜子はちょっと迷うようにしてから、きゅっと手を握り直してくれた。
帰宅する人がちらほら歩いている住宅街を抜けて、小さな公園に差し掛かる。ジャングルジムとブランコ、砂場があるだけで、昼間こそ子供が集まって遊んでいるが、夜は照明が少なくて人気がない。夜子ひとりの時は絶対に通らせない道だけど、ここを突っ切ると近道なので、俺と一緒の時はよく利用している。
少ない照明の下で、俺は立ち止まった。繋いだ手を少し引き戻すようにすると、夜子も合わせて立ち止まる。彼女の前に回り込んで、左手も取った。両手を繋いで向かい合う格好になる。夜子が俺を見上げた。大きな瞳。その耳にちゃんと聞こえるように発声する。
「好きです。俺と付き合ってください」
夜子はワンテンポ遅れて目を見開くと、はくはくと口を動かした。それから繋いだままの小さな手にぎゅっと力がこもる。
「はい。私もあなたが大好きです」
そう言ってくれた笑顔がすごく綺麗で、本当に、誇張でも比喩でもなく、胸が震えた。
絡めていた指を解いて、その小さな頰を両手で包むと、長い睫毛がゆっくりと伏せられて、瞳が閉じた。
そうっと、まるで初めてするみたいにキスをした。柔らかい唇に触れるだけ。緊張で胸がドキドキする。夜子にも聞こえてしまいそうなくらい。
唇を離してもまだ鼓動はおさまらない。夜子が俺の胸に頰をつけた。
「万里、心臓の音すごい」
「なんかすげー緊張した…」
その背中に腕を回して抱きしめようとすると、ぱっと顔を上げる。
「これよ!こういうのがなかった!」
俺は思わず笑った。確かに、俺達は順番とか段階とか、いろいろめちゃくちゃだった。
もおぉぉぉ!と言って、夜子は俺の背中に腕を回してきつく抱きつく。
「会って1時間でキスされて、やっと付き合えたと思ったら半日で押し倒されて…」
「ははは、ごめんね」
「あれ、ファーストキスだったんだからね!」
げし、と足を蹴られた。痛い。でも笑顔が死ぬほど可愛い。
「これからもよろしくお願いします」
そう言うと、夜子は、私だけ見ててね、と呟く。今度はうんと長いキスで応えた。
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