アンドロギュノスの行進

栄養失調が疑われる兄弟のために夕食を作ってやろうと買い出しに出たところだった。
小さなタラちゃんの姿が見えない、と平が騒ぎ出し、スーパーへと向かう俺たち一行はそのまま幼児捜索隊へとその役割を変えた。
繁華街を縫うようにして歩きながら、あの小さな姿を必死に探す。そもそもよく1人で出歩いている子だ。迷子になったりはしていないとは思うが、古来から幼児を拐かす輩は多い。それだけが心配だった。
20分ほど方々を探して駆けずり回っていると、突然平が楽器屋のショーウィンドウにべたりと貼りついた。寿々木楽器、夜子が通っている楽器屋だ。
「いた!」と平は叫んでそのまま自動ドアに突進する。俺と花島田、遅れて鷹丘がそれに続いた。

自動ドアをくぐると、ディズニー音楽。これはなんだったか…。
店内に視線を巡らせると、ピアノの前に夜子の姿があった。膝にはタラちゃん。彼の顔を覗き込みながら、夜子は細い指を軽快に動かしている。
声をかけるのが少し躊躇われて、俺は近くの楽譜棚にそっともたれた。なんとなく緩んでしまう口元を隠すべく手で覆う。
…子供が出来たらこんな感じなんだろうか、などと、我ながら飛躍しすぎて夜子に言ったらドン引きされそうなことを考えてしまったのだ。
「おい」
どす、と脇腹を肘でどつかれた。花島田だ。
「自分がどんな顔してるかわかってるか?そのだらしない顔、森住に見られたら確実にフラれるぞ。慎め、馬鹿が」
先に引いたのは花ちゃんでしたか。
「いやぁ…花ちゃん、夜子ってなんであんな可愛いんだと思う?やべー今すぐ子供欲しいー」
「お前まじで気持ち悪いぞ…」
心底嫌そうに言う。それと同時に演奏が止んだ。夜子が俺たちに気付いたようだ。タラちゃんを膝から降ろすと、今度は平がタラちゃんを抱き上げる。彼女がこちらに小走りに駆け寄ってくると、反射的に腕を広げてしまいそうになって、俺はぐっと踏み止まった。その隙間に鷹丘がすっと身体を割り込ませてきて、あろうことか腕を広げて夜子を受け止める姿勢。
「夜子ちゃん♡」
「名前で呼ぶな気持ち悪い」
そう吐き捨てると夜子は鷹丘の身体をあからさまに避けて、俺の背後に回り込む。俺の学ランの裾を掴んで背中から顔を覗かせると、べえ、と舌を出した。ええー、と鷹丘は残念そうに呟く。当たり前だ馬鹿。
鷹丘をすげなくあしらい、代わりに花島田には「花島田君今晩は」と極上の笑顔を向ける。これはこれで、若干面白くないわけで。
「夜子ちゃん、友達?」
派手なスーツに長髪を一括りにしたイケオジが、声をかけてきた。俺たちは体育会系らしく一列に並んで「今晩はー」と挨拶する。つられてこっくり頭を下げるタラちゃんの可愛さよ。
「うん、クラスメイト。日下君、この人ここの社長。みんな太良くんを知ってるの?」
夜子の問いかけに、俺たちは事の顛末と兄弟の事情を、わかる範囲で手短に話した。

知っている顔に会えて安心したのか、タラちゃんはちょろちょろと動き回り始める。それを平と鷹丘が追いかけて、必然と会話から外れることとなった。
「16かあ。うーん、それはもう大人としては行政の保護を提案したいなあ。知ってしまった以上は」
「それはそうなんだけど…篤洋完全に人間っていうか大人不信だからなあ…力も相当強いし簡単に『保護』させてくれなそう…」
俺は顎に手を当てて呟く。
「知らない大人に突然踏み込まれたら逃げそうだしな。キャバクラで働いちゃってることも問題にならないか?店の大人も巻き込んだ話になるだろ?」
花島田もぼやく。
「あの2人って、相当ひどい暮らししてる?」夜子が俺を見上げた。少し瞳が揺らいでる。情が移ったかな。
「うーん、ぶっちゃけひどいね、あれは。夜子、タラちゃん見ててそう思ったの?」
「うん…さっきピアノ弾いてあげた時にね、太良くん、子供が知ってそうな曲、何にも知らなかったの。童謡なんかは保育園でも教えてもらうのか、ちょっとわかるみたいだったんだけど、アンパンマンもトトロもディズニーも、訊いても『知らない』って首振ってて。全く知らないなんてそんなことある?よっぽど厳しい教育を受けてるか、『あの子のためのもの』が何もないかどっちかだなと思って…」
さすが、そういう聡い所がすごく好きだ。頰を撫でてあげたかったけど、我慢我慢。
「確かにあの家にゃテレビはなかったな。ついでに暖房もなさそうだった」と、花島田。
「それで、お兄さん夜の仕事で、夜中たったひとりで寒い部屋にいるの?」
「そうなるね」
そんなのたまらないといった様子で夜子が俯く。たまらずそっと髪を梳いてしまった。
じっと聞いていた社長と店員さんは目配せをし合う。そして社長が決意したように口を開いた。
「やっぱり通報しよう。まず保育園に電話して、保育士に話を聞いて、できればそちらから行政に働きかけてもらうようにする」
待ってくれ、と俺と花島田は声をあげた。
「気持ちはわかるけど、放って置けないよ。命に関わることだ。違う?」
店員さんが厳しい声を出す。きっとこの人も『お父さん』なんだろうな。
「それはわかってます。でも俺らはできれば篤洋もなんとかしてやりたい。知識もなんもない段階で闇雲に行政を介入させたら、タラちゃんはともかく篤洋は絶対逃げる。それでもっとひどい生活に堕ちるかもしんない。それは避けたいんです。俺らもやっと多少打ち解けた?ような気がしなくもない?から…」
「えっ何それなんか心配なんだけど」急に失速した俺を夜子が睨む。
「いやいや、まあね、そこはもうちょっと懐柔してから俺たちから保護の線を提案したいなと。いきなり行政来ちゃうと、あっちゃん働かせてるキャバクラにも飛び火する問題でしょ?これ」
「あの店は色々黒いからそんくらい痛い目にあった方がいんだよ」
とは、社長。商店街的な連帯などはないらしい。
「大体『夜の仕事でもやれ』ってあいつを焚きつけたのお前だろうが」
鼻白んだように花島田が言ってくれる。夜子にぎちりと腕を掴まれた。
「何それ!なんで万里そんなこと言うの!?」
「うっ…ごめんそれはなんと言うか売り言葉に買い言葉みたいな展開で…」
「最低」
げし、と足を蹴飛ばされて、思わず萎れてしまう。あれは確かに失言でした。情けない限り。
「とにかく、あと3日程待って頂きたい。俺たちから兄弟に話をして、無理めなようなら大人の力を借ります。それではだめですか?」
花島田が大人たちに提案する。2人の大人はもう一度顔を見合わせてから、一様に眉間にシワを寄せた。
「んーーーーー手遅れにならんと言い切れるかああ?少年達ぃぃ」
「お父さんもお母さんもいなくなって、この上なんの説明もなく急にあっちゃんまでいなくなったら、タラちゃん耐えられないと思うんです。兄弟一緒の所に保護されるとは限らないんでしょ? それでなくても喋らなくなっちゃってるわけだし」
少し声に必死さが滲んでしまう。篤洋も男だ。プライドもあるだろう。それに、ここまで捨てられ続けて、また結局大人に、なんてすぐには受け入れられないだろう。多分だけど、奴は俺らが思っているよりずっとデリケートな人間だ。
うぅぅぅぅぅ、と社長はまた頭を掻きむしった。しびれを切らしたように口を開こうとする店員さんを制する。
「わかった。3日だぞ。3日以内に結果出せなかったら俺から通報するからな。君たち連絡先教えなさい。進捗を報告すること。何かあったらすぐに俺に電話すること。わかったね?」
うす、と俺たちは返事をして、それぞれにスマホを取り出す。店員さん(安曇さんというのを今知った)も交えて連絡先を交換した。
「あとキャバクラの店長には俺が話をする。それで彼は仕事を失うかもしれないけど、いいね?」
はい、と俺らは素直に返事して、ちょろちょろ店内を駆けずり回っていた平とタラちゃん(あとタカオカ)の足を停めさせて、揃ってお辞儀する。ひとまずは解散だ。夜子に名残惜しそうに話しかけては無視されている(ザマミロ)鷹丘の襟を、花島田が掴んで引きずって行った。

俺も遅れて退去する寸前に、社長に首根っこを押さえられた。俺と同じくらいの身長だ。この歳の人にしては珍しい。
他のメンバーがだらだらと自動ドアをくぐるのを見送ってから、声をひそめて話しかけられる。
「夜子ちゃんの彼氏って君?」
しゃちょぉー、と夜子が不満げな声をあげた。俺は素直にはい、と返事する。ふふーん、と社長は俺の頭のてっぺんからつま先までを舐めるように見てから、にこぉ、と笑った。
「清瀬がガタガタ言ってたからどんな奴かと興味津々だったんだよねー。んーよしよし。仲良くな」
なぜがわしわしと頭をかき混ぜられた。夜子は背伸びしてその腕を剥がすと、俺の背中を出口方向にどすんと押し出した。
「もーやめて社長!万里も!早く行って!」
ぐいぐいと店の外まで押し出される。振り返って手を振ると、夜子はバイバイ、と小さく口を動かして、手を振り返してくれた。
そのまま男どもの群れに合流すると、程なくしてスマホが振動する。画面にはLINEの通知。

『私にもちゃんと進捗報告すること!』
はい、わかっておりますとも。
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