アンドロギュノスの行進
日曜日の昼下がり。私は駅にほど近いコーヒーショップのテラス席にいた。久々留とふたりで、受験勉強の息抜き及び情報交換という名目で会っている。夕方まではこんな調子でたらたらおしゃべりしたり駅ビルで冬物を冷やかしたりして過ごすつもり。
「日下君とふたりで出かけたりしないの?」
まだ真冬までには間があるが、日中もあまり気温が上がらなくなってきた。テラス席は一見寒そうだったけど、パラソルの中にオイルヒーターが入れてあるし、なかなかどうして快適だ。中学生女子がふたり。おしゃべりもすこぶる捗っている。
「たまにね。でも外に出るとなると横浜くらいまで行かないと、なんか落ち着いて歩けないから、結局家ばっか」
私はソイラテで暖を取るように、紙のスリーブの上から両手で包みながら話す。
「おうちデートばっかりかあ…なんかえっちくさいね♡」
久々留はそう言って、ジンジャーブレッドラテに口を付ける。スパイスの効いた甘い香り。私は彼女を軽く睨む。まったく久々留ときたら、すぐにそうやってからかうんだ。
「あーあ、いいなーぁ。あたしも恋がしたいよーぅ」
木製のテーブルにぺたりと頰をくっつけながらぼやいた。やや茶色っぽい髪(実はカラーリングしてるのを『生まれつきでーす』なんて悪びれもせず言っている彼女なのだ。でも良く似合ってる)がふわふわと散る。綺麗に手入れされてるつやつやの髪。
「久々留だってモテるくせに。好きな人、いないの?」
「えー日下君好きだったよーぅ。夜子にとられちゃったー」
「嘘ばっか」言うと、久々留はへへへ、と笑った。
「かっこいいなー、と思う人はいっぱいいるよ?ダントツの日下君でしょ、サッカー部の牧野君とか、吹奏楽部の原田君、陸上部の松井君にー、あっ東雲君も。ドラム叩いてるのちょーかっこいい。いー男多くて学校楽しー♡」
私が呆れてため息をつくと、久々留はむくりと起き上がって、頬杖をついた。まつ毛が綺麗にカールしてる。透明マスカラとアイロンで、毎日きっちり整えているのを知っている。
「でもね、『好きー!』って思いたいな。『かっこいい』でも『素敵』でもなくて、みんながなんとも思わない人でも、ダサくても『好き』って思える人に会いたい。ね、夜子、日下君のこと、好き?」
彼女は時々こうやって、すごく大人っぽい顔をする。可愛くて、ミーハーで、ノリが軽くて親しみやすい子だけど、こう言う風にまっすぐに突き刺さるような質問をしてくる時、こちらがどきどきしてしまうような表情をするんだ。
「…うん、好き。他の誰のことも考えられないくらい」
ほらぁ!そーゆーの!と彼女は頰を膨らませて空を見上げた。
「私もそういう人に出会いたいの!だから夜子が羨ましいー。日下君も!」
「万里も?」
「そーだよ。日下君、もー夜子にめろめろじゃん。みんなとおんなじようにしてるけど、時々『好きでたまんない』って顔になるもん。あんな風に誰かを好きになってみたいし、あんな風に男の子に愛されてみたい」
万里のその表情には覚えがある。ふたりきりでいる時、彼は大概甘いし、すごく私を大事に扱ってくれる。その時の視線が、流石に私にもわかるくらい愛しげで、苦しくなってしまうほどなのだ。ああ、この人私のことが好きなんだ、と思うと、嬉しくてくすぐったくて、でも胸がぎゅっとなって泣きたくなってしまう。
彼が渡してくれる愛情や親切に、どうやって返したらいいんだろう。私も同じくらい、きっともっと彼を想っている。それをどうしたら正確に伝えられるだろう。いくら言葉を重ねても、完全には伝えられない。そのほかに私が持っているものなんて、この身体ひとつだけだ。もどかしくて、切なくて、結局唇や身体を捧げるしかなくなってしまう。そうやって、ふたりで抱き合って貪り合うしかできない。それがたまに、苦しい。
「でも正直ちょっと日下君、大変そうだけど。独占欲強そー」
ペロリと舌を出す仕草が可愛くて、私は少し笑った。それから前かがみになって彼女に額を寄せて、声をひそめる。
「実はすんごい大変。超が付く寂しがり屋」
「やっぱり」
「あのヘタれた顔、みんなに見せてやりたいくらい」
ふたりでゲラゲラ笑う。そのテーブルに影が落ちるのと、「おい!天野!」と聞き慣れない声が降ってくるのは、同時だった。
ポケットの中のスマホから着信音が軽快に流れる。音から察するにクラスメイトの中の誰かだ。俺はグループごとに着信音を分けている。不要な電話に無闇に出てしまわないためだ。クラスメイトはセーフ。むしろ一向に勉強に意識を向けてくれない平を連れて、駅前のゲーセンで惰性に任せてシューティングなんかしていたところだ。同じような誰かの誘いなら、断る手はない。と、全く受験生らしからぬ思考を瞬時に巡らせてから、俺はおもむろにポケットからスマホを取り出した。
ぎゃーぎゃー騒ぎながらシューティングを続ける平から少し離れて画面を確認する。踊る『井上久々留』の文字。確か今日、ククルちゃんは夜子と一緒にいるはずだ。どうしたんだろう。
通話アイコンをタップして、応答する「もしもし?」
『あっ日下くーん。ククルだよーぅ。今どこにいる?』
「今南口のゲーセンだけど…」
『天野君一緒?』
「うん、一緒。どした?」
『うんとね、夜子とお茶してたんだけどぉ、なんかバスケのー、ツバメ中のー、タカオカ君?が夜子と天野君間違えてるみたいですごい剣幕でねー、もう夜子ガン切れ。応援たのみまーす』
「えっ」鷹丘?
『北口のスタバだから。2分で来れるよね?愛する彼女の大ピンチだよーん。急いで急いで!』
「わ、わかったすぐ行く。すぐ行くから…」夜子が暴れないように抑えておいてくれ、と言いたかったんだけど…。
『あっ言っとくけど、夜子ちょー怖いよ。般若。覚悟して来てね』
やっぱり。存じております。俺は電話を切ると、ゲーム台にしがみつく平を引きずって、北口へと急いだ。
「日下君とふたりで出かけたりしないの?」
まだ真冬までには間があるが、日中もあまり気温が上がらなくなってきた。テラス席は一見寒そうだったけど、パラソルの中にオイルヒーターが入れてあるし、なかなかどうして快適だ。中学生女子がふたり。おしゃべりもすこぶる捗っている。
「たまにね。でも外に出るとなると横浜くらいまで行かないと、なんか落ち着いて歩けないから、結局家ばっか」
私はソイラテで暖を取るように、紙のスリーブの上から両手で包みながら話す。
「おうちデートばっかりかあ…なんかえっちくさいね♡」
久々留はそう言って、ジンジャーブレッドラテに口を付ける。スパイスの効いた甘い香り。私は彼女を軽く睨む。まったく久々留ときたら、すぐにそうやってからかうんだ。
「あーあ、いいなーぁ。あたしも恋がしたいよーぅ」
木製のテーブルにぺたりと頰をくっつけながらぼやいた。やや茶色っぽい髪(実はカラーリングしてるのを『生まれつきでーす』なんて悪びれもせず言っている彼女なのだ。でも良く似合ってる)がふわふわと散る。綺麗に手入れされてるつやつやの髪。
「久々留だってモテるくせに。好きな人、いないの?」
「えー日下君好きだったよーぅ。夜子にとられちゃったー」
「嘘ばっか」言うと、久々留はへへへ、と笑った。
「かっこいいなー、と思う人はいっぱいいるよ?ダントツの日下君でしょ、サッカー部の牧野君とか、吹奏楽部の原田君、陸上部の松井君にー、あっ東雲君も。ドラム叩いてるのちょーかっこいい。いー男多くて学校楽しー♡」
私が呆れてため息をつくと、久々留はむくりと起き上がって、頬杖をついた。まつ毛が綺麗にカールしてる。透明マスカラとアイロンで、毎日きっちり整えているのを知っている。
「でもね、『好きー!』って思いたいな。『かっこいい』でも『素敵』でもなくて、みんながなんとも思わない人でも、ダサくても『好き』って思える人に会いたい。ね、夜子、日下君のこと、好き?」
彼女は時々こうやって、すごく大人っぽい顔をする。可愛くて、ミーハーで、ノリが軽くて親しみやすい子だけど、こう言う風にまっすぐに突き刺さるような質問をしてくる時、こちらがどきどきしてしまうような表情をするんだ。
「…うん、好き。他の誰のことも考えられないくらい」
ほらぁ!そーゆーの!と彼女は頰を膨らませて空を見上げた。
「私もそういう人に出会いたいの!だから夜子が羨ましいー。日下君も!」
「万里も?」
「そーだよ。日下君、もー夜子にめろめろじゃん。みんなとおんなじようにしてるけど、時々『好きでたまんない』って顔になるもん。あんな風に誰かを好きになってみたいし、あんな風に男の子に愛されてみたい」
万里のその表情には覚えがある。ふたりきりでいる時、彼は大概甘いし、すごく私を大事に扱ってくれる。その時の視線が、流石に私にもわかるくらい愛しげで、苦しくなってしまうほどなのだ。ああ、この人私のことが好きなんだ、と思うと、嬉しくてくすぐったくて、でも胸がぎゅっとなって泣きたくなってしまう。
彼が渡してくれる愛情や親切に、どうやって返したらいいんだろう。私も同じくらい、きっともっと彼を想っている。それをどうしたら正確に伝えられるだろう。いくら言葉を重ねても、完全には伝えられない。そのほかに私が持っているものなんて、この身体ひとつだけだ。もどかしくて、切なくて、結局唇や身体を捧げるしかなくなってしまう。そうやって、ふたりで抱き合って貪り合うしかできない。それがたまに、苦しい。
「でも正直ちょっと日下君、大変そうだけど。独占欲強そー」
ペロリと舌を出す仕草が可愛くて、私は少し笑った。それから前かがみになって彼女に額を寄せて、声をひそめる。
「実はすんごい大変。超が付く寂しがり屋」
「やっぱり」
「あのヘタれた顔、みんなに見せてやりたいくらい」
ふたりでゲラゲラ笑う。そのテーブルに影が落ちるのと、「おい!天野!」と聞き慣れない声が降ってくるのは、同時だった。
ポケットの中のスマホから着信音が軽快に流れる。音から察するにクラスメイトの中の誰かだ。俺はグループごとに着信音を分けている。不要な電話に無闇に出てしまわないためだ。クラスメイトはセーフ。むしろ一向に勉強に意識を向けてくれない平を連れて、駅前のゲーセンで惰性に任せてシューティングなんかしていたところだ。同じような誰かの誘いなら、断る手はない。と、全く受験生らしからぬ思考を瞬時に巡らせてから、俺はおもむろにポケットからスマホを取り出した。
ぎゃーぎゃー騒ぎながらシューティングを続ける平から少し離れて画面を確認する。踊る『井上久々留』の文字。確か今日、ククルちゃんは夜子と一緒にいるはずだ。どうしたんだろう。
通話アイコンをタップして、応答する「もしもし?」
『あっ日下くーん。ククルだよーぅ。今どこにいる?』
「今南口のゲーセンだけど…」
『天野君一緒?』
「うん、一緒。どした?」
『うんとね、夜子とお茶してたんだけどぉ、なんかバスケのー、ツバメ中のー、タカオカ君?が夜子と天野君間違えてるみたいですごい剣幕でねー、もう夜子ガン切れ。応援たのみまーす』
「えっ」鷹丘?
『北口のスタバだから。2分で来れるよね?愛する彼女の大ピンチだよーん。急いで急いで!』
「わ、わかったすぐ行く。すぐ行くから…」夜子が暴れないように抑えておいてくれ、と言いたかったんだけど…。
『あっ言っとくけど、夜子ちょー怖いよ。般若。覚悟して来てね』
やっぱり。存じております。俺は電話を切ると、ゲーム台にしがみつく平を引きずって、北口へと急いだ。