箱庭迷路
いつものゲーセンで、呼び名しか知らない友達とだらだらと遊ぶ。ここ最近の俺の定番だ。
夜子と会わなくなって、必然的に『ニヴルヘイム』へも行かなくなった。
相変わらず学校は退屈で、平は9時には寝てしまうから、家も退屈。特に冬は寒くて敵わない。俺の足は『ニヴルヘイム』に通うようになる前に行っていた幾つかの溜まり場を放浪するようになった。
その中でも1番居心地の良いこのゲーセンにいることが多い。ゲームという目的がある分、お互いに注視する時間が短くて、面倒が少ないからだ。
そこで月子に出会った。
初対面は最悪。でも2度目に会った時、強烈に興味を惹かれた。年上だろうけどせいぜい学生かと思っていたら、ちゃんと仕事を持った大人の女で、でも中身は夢見がちな部分が抜けなくてちょっと子供っぽい。いつも一生懸命でがむしゃら。童顔のせいもあって、大人なのに俺とあまり差を感じさせない。祥子さんは俺をガキだとわかっていて対等に扱っていたけど、月子は全く本当にフラット。同レベル。それが新鮮で可愛くてどんどん惹かれていった。
月子の仕事にも興味をそそられた。テレビ局の美術屋なんてそうそう会えない。「大学生の時にお芝居を見て感動したから」なんて、就職の理由がてんでガキだ。25ならもっとシビアに生きてるやつのが多いだろう。学生の祥子さんよりずっと幼い印象だった。
でも理不尽を押し付けられても、頭一つ下げてその場を納めてしまう忍耐力とかは、やっぱり大人。その後延々月に向かって罵声を浴びせながら歩いたりして、そんなところはガキ臭い。
「愚痴を言うとみんなすぐ仕事やめろって言う」
なんて口をとがらせる。
愚痴なんていくらでも聞いてやる。月子がそれでもやりたい仕事なら、絶対に応援してやる。そういう考え方はもしかしたら子供なのかもしれない。でも、好きなことを一生懸命やってる姿が最高にいじましくて可愛いと思った。
最初にキスをした時、「どうして?」と聞いてきたのに、押し倒した時は何も言わなかった。ただ覆いかぶさる俺の頰に手のひらを当てて、切ない顔をしただけだった。
思えば、好きになってから抱く、という当たり前の手順を踏んだことがなかった。いつも女の子と寝る時よりずっと緊張してたし興奮していたような気がする。
3年付き合った彼氏がいた、と聞いていたけど、月子は年齢の割には(このサンプルの筆頭が祥子さんなので、参考にならないといえば参考にならないのだが)初心だったと思う。壁が薄いから、という理由で必死に声を我慢する顔がものすごいエロくて理性が完全に飛びそうになった。途中でどうしても声をあげそうになって、自分の手の甲を噛もうとするから、代わりに俺の肩を提供したら、すごい噛み跡をつけてくれた。体育の時の着替え、どうすればいいんだこれ。
ずぶずぶのめり込んで、毎日のように部屋に通うようになった。最初は終電に乗っていたけど、月子は仕事が不規則で夜遅くなることが多かったから、だんだん離れがたくなってしまって、頻繁に朝帰りをするようになった。
母ちゃんは何か言いたいようだったけど、思ったより咎められない。「あたしはおまえの分別アテにしていいわね?」と最初に言われたきりだ。信用されているのか、『愛あるネグレクト』の負い目から言えないでいるのか。でも結局父ちゃんにはどうやら言いつけていないようだった。
月子といると、昼間の俺から完全に切り離される。あんなに恋しかった夜子の感触が遠くなる。
「万里ってさあ…初めてじゃなかったんだよね?」
何度目かの逢瀬の時にそう訊かれた。月子の、腰まで届く長い髪は、ベッドで上半身を起こしていてもまだシーツの上にさらさらと散っている。それをもてあそぶのがすごく好きだ。
「そんなこと聞いてどうすんの…経験人数だけで言ったら、多分月子よりずっと多いと思うよ、俺」
遊んでてすいませんねえ、と俺はニヤニヤ笑いながら月子の顔を覗き込んだ。
「何よ、ガキのくせに」
口をとがらせて、ちょっとむくれたような顔をする。この顔、すんごい好き。
そう言えば、まだちゃんと月子に「好きだ」って言ったことない。はっきり言っておこうと考えているうちに、月子はぐーぐー寝てしまっている。ガキはどっちだよ。
次は言おう。次に会った時は、ちゃんと。
いつもそう思ってなんとなく言えずにいるんだ。それがどうしてなのか、大して気に留めずにいた。この時はまだ。
3学期が始まって1週間ほどたったある日、教室の前で夜子とばったり遭遇した。
「おはよ」
夜子はなんでもないような笑顔を俺に向けた。最近ますます綺麗になったような気がする。髪が肩より下まで伸びた。あの、指を入れるとしなやかでいい匂いがするまっすぐな髪。
「あのね、なんかのの、いなくて…。これ、渡しておいてくれない?」
席には知らない子が座ってたから置いて行きづらくて、と辞書を差し出した。ののと夜子はいつの間にかお互いを愛称で呼び合うようになっていた。
ん、と返事して受け取る。触れた指が冷たい。小さな手。背もすごく小さい。夜子ってこんなに小さかったっけ?
「日下君?」
ぼんやりしていると、夜子が心配そうに俺に声をかけた。
「ああ、ごめん。ののに渡せばいいんだよね?」
「うん、よろしく…」
訝しげに俺を見る。やめてくれよ。見ないでくれ。なんでそんなに細い腕で、華奢な身体で、そのアルトで…なんでそんなに違うんだよ。
混乱する。
俺は夜子をその場に残して、逃げ出すように教室へ戻った。
去り際に嗅いだ夜子のコロンの香りが、まるで俺を責めているように思えた。
これは正しいのでしょうか?
夜子と会わなくなって、必然的に『ニヴルヘイム』へも行かなくなった。
相変わらず学校は退屈で、平は9時には寝てしまうから、家も退屈。特に冬は寒くて敵わない。俺の足は『ニヴルヘイム』に通うようになる前に行っていた幾つかの溜まり場を放浪するようになった。
その中でも1番居心地の良いこのゲーセンにいることが多い。ゲームという目的がある分、お互いに注視する時間が短くて、面倒が少ないからだ。
そこで月子に出会った。
初対面は最悪。でも2度目に会った時、強烈に興味を惹かれた。年上だろうけどせいぜい学生かと思っていたら、ちゃんと仕事を持った大人の女で、でも中身は夢見がちな部分が抜けなくてちょっと子供っぽい。いつも一生懸命でがむしゃら。童顔のせいもあって、大人なのに俺とあまり差を感じさせない。祥子さんは俺をガキだとわかっていて対等に扱っていたけど、月子は全く本当にフラット。同レベル。それが新鮮で可愛くてどんどん惹かれていった。
月子の仕事にも興味をそそられた。テレビ局の美術屋なんてそうそう会えない。「大学生の時にお芝居を見て感動したから」なんて、就職の理由がてんでガキだ。25ならもっとシビアに生きてるやつのが多いだろう。学生の祥子さんよりずっと幼い印象だった。
でも理不尽を押し付けられても、頭一つ下げてその場を納めてしまう忍耐力とかは、やっぱり大人。その後延々月に向かって罵声を浴びせながら歩いたりして、そんなところはガキ臭い。
「愚痴を言うとみんなすぐ仕事やめろって言う」
なんて口をとがらせる。
愚痴なんていくらでも聞いてやる。月子がそれでもやりたい仕事なら、絶対に応援してやる。そういう考え方はもしかしたら子供なのかもしれない。でも、好きなことを一生懸命やってる姿が最高にいじましくて可愛いと思った。
最初にキスをした時、「どうして?」と聞いてきたのに、押し倒した時は何も言わなかった。ただ覆いかぶさる俺の頰に手のひらを当てて、切ない顔をしただけだった。
思えば、好きになってから抱く、という当たり前の手順を踏んだことがなかった。いつも女の子と寝る時よりずっと緊張してたし興奮していたような気がする。
3年付き合った彼氏がいた、と聞いていたけど、月子は年齢の割には(このサンプルの筆頭が祥子さんなので、参考にならないといえば参考にならないのだが)初心だったと思う。壁が薄いから、という理由で必死に声を我慢する顔がものすごいエロくて理性が完全に飛びそうになった。途中でどうしても声をあげそうになって、自分の手の甲を噛もうとするから、代わりに俺の肩を提供したら、すごい噛み跡をつけてくれた。体育の時の着替え、どうすればいいんだこれ。
ずぶずぶのめり込んで、毎日のように部屋に通うようになった。最初は終電に乗っていたけど、月子は仕事が不規則で夜遅くなることが多かったから、だんだん離れがたくなってしまって、頻繁に朝帰りをするようになった。
母ちゃんは何か言いたいようだったけど、思ったより咎められない。「あたしはおまえの分別アテにしていいわね?」と最初に言われたきりだ。信用されているのか、『愛あるネグレクト』の負い目から言えないでいるのか。でも結局父ちゃんにはどうやら言いつけていないようだった。
月子といると、昼間の俺から完全に切り離される。あんなに恋しかった夜子の感触が遠くなる。
「万里ってさあ…初めてじゃなかったんだよね?」
何度目かの逢瀬の時にそう訊かれた。月子の、腰まで届く長い髪は、ベッドで上半身を起こしていてもまだシーツの上にさらさらと散っている。それをもてあそぶのがすごく好きだ。
「そんなこと聞いてどうすんの…経験人数だけで言ったら、多分月子よりずっと多いと思うよ、俺」
遊んでてすいませんねえ、と俺はニヤニヤ笑いながら月子の顔を覗き込んだ。
「何よ、ガキのくせに」
口をとがらせて、ちょっとむくれたような顔をする。この顔、すんごい好き。
そう言えば、まだちゃんと月子に「好きだ」って言ったことない。はっきり言っておこうと考えているうちに、月子はぐーぐー寝てしまっている。ガキはどっちだよ。
次は言おう。次に会った時は、ちゃんと。
いつもそう思ってなんとなく言えずにいるんだ。それがどうしてなのか、大して気に留めずにいた。この時はまだ。
3学期が始まって1週間ほどたったある日、教室の前で夜子とばったり遭遇した。
「おはよ」
夜子はなんでもないような笑顔を俺に向けた。最近ますます綺麗になったような気がする。髪が肩より下まで伸びた。あの、指を入れるとしなやかでいい匂いがするまっすぐな髪。
「あのね、なんかのの、いなくて…。これ、渡しておいてくれない?」
席には知らない子が座ってたから置いて行きづらくて、と辞書を差し出した。ののと夜子はいつの間にかお互いを愛称で呼び合うようになっていた。
ん、と返事して受け取る。触れた指が冷たい。小さな手。背もすごく小さい。夜子ってこんなに小さかったっけ?
「日下君?」
ぼんやりしていると、夜子が心配そうに俺に声をかけた。
「ああ、ごめん。ののに渡せばいいんだよね?」
「うん、よろしく…」
訝しげに俺を見る。やめてくれよ。見ないでくれ。なんでそんなに細い腕で、華奢な身体で、そのアルトで…なんでそんなに違うんだよ。
混乱する。
俺は夜子をその場に残して、逃げ出すように教室へ戻った。
去り際に嗅いだ夜子のコロンの香りが、まるで俺を責めているように思えた。
これは正しいのでしょうか?
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