こまどりは俯瞰する

生まれた瞬間に何もかもが決定してた。
疑問に思うことは山程。不満も山程。でも鳥籠の外で生きて行けるわけがないことも知ってる。纏足を解かれたら踊れないことも知ってる。
イライラする。つまんない。だってせっかくそこそこの美貌があって、このセクシーな声があるのに、いずれは「国家の礎」とやらに尽くして突っ込まれて後継者産むだけの人生なんて。

くそっくらえ。


『ニヴルヘイム』を見つけたのは偶然。でもコンクリの真ん中にぴったりおさまった木製のドアが、上品で秘密めいてて「絶対当たり」って思った。
防音の重たいドアを開くとそこは音楽で満ちてて、私の勘は外れていないことを証明してた。
飛び入りで歌って、すぐに常連になった。バンドのメンバーは老いも若きも、プロもアマチュアも、バラエティに富んでいて、レベルが高い。オーナーの清瀬の選定眼だけで選ばれた、変な奴ばっかり。特に姪っ子だというピアニストの夜子はずば抜けて若くて、ずば抜けて上手かった。私の声と信じられないくらいマッチする、品のいい音。いっぺんで気に入って、最初の飛び入りの日からずっと一緒に演奏してる。もちろん年齢については一切不問で。

夜子は綺麗で無愛想でおカタい。折角楽しい夜遊びのチャンスなんだから、清瀬との約束なんてぶっちして適当に遊んじゃえばいいのに、絶対フロアには降りてこない。モテると思うのに。恋愛だって自分の音楽を作るためには必要不可欠な要素。色んな気持ちが全部音楽に影響するんだから、なんて言っても全然だめ。ちょっとお酒飲んで気持ち良くなって、馬鹿みたいに笑って、いい男と仲良くなれるかもしれないし、楽しいことがたーくさんあるのに、楽屋とステージ往復してるだけ。まったくつまんないの。

いつも「興味ない」の一点張りだけど、1度だけ、「私を知ってる人がいたらイヤだから」とも言ってた。もしかしたらそっちの方が大きな理由なのかもしれない。

夜子のことは最初は気付かなかった。
従兄弟の英達のお母様が好んで観てる古い映像に映ってる小さな女の子。
同じく従姉妹の栄華憧れのヴァイオリニストだという彼女が夜子と結びついたのは、出会ってから2ヶ月くらい経ってからだった。週に1度は英達の家でその映像を観ていたはずなのに、なんて間抜けな話。
そのことを話そうかな、とも思っていたんだけど、どうも夜子は自分の話を好まない。それに夜子の両親は、夜子が生まれた時、若すぎて随分スキャンダラスに取り上げられたようだったし、亡くなり方も壮絶だったから、触れられるのを嫌がるかもしれないと思ってやめた。
そもそも私たちの間にそんな個人的な付帯情報はいらないんだ。共有しなきゃいけないのは音楽だけ。それで充分。だからずっとしらんぷりすることにしていた。

「おつかれ」
声をかけると夜子はスコアから顔を上げて、ちらりと笑った。素っ気ない。その女子っぽくなさが逆に楽で気に入ってる。
夜子がそこらへんの女の子達みたいに、高い声を上げてきゃっきゃしてるのなんて見たことがない。まぁ、こっち(ステージ)側にはそもそも女子が少ないんだけど。

しばらく沈黙が続いて、私は携帯をつらつらと弄る。無理に話さなくていいのは心地良い。夜子の側はいつも静かで、なんだか落ち着く。詮索もされないし、下らない恋バナを聞かされたりもしない。でも話しかけても邪魔にされたりもしない。学校なんかじゃあり得ない感じ。夜子は学校ではどんな感じなんだろう。こんな雰囲気で浮いてないのかな。

「知ってたんだね、私のこと」
突然夜子が口を開いた。ぼんやりしていた私はちょっとびっくりしてしまう。あ、ごめん、今話しかけても良かった?と夜子は気遣わしげにこちらを見た。大丈夫大丈夫、ごめんごめん、と私は手をぱたくたと振った。

夜子の声は、見た目の割に低い。ちょっと喋り方もアンニュイで色っぽい。見た目とアンバランスで、すごく不思議な印象だ。これで中学生なんだから。万里といい、なんだかな。
「知ってて黙っててくれたの、ありがとう」
私に目を合わせてくる。綺麗なアーモンド型の瞳。細い顎。
「…別に、機会がなかっただけだよ」
何故だか照れてしまって、ぶっきらぼうに返事してしまう。夜子は特に気にしない様子で、くすりと笑ってまたスコアに目を落とした。
「ねぇ、アリス。アレサ・フランクリンやらない?」
私の好きなシンガーだ。『ニヴルヘイム』では歌ったことがない。
「なんで?」
「いつもジャズとか、スローなのが多いけど、アリスもっと強い声出るでしょ?ソウル似合うと思うんだけど…嫌?」
夜子の好きなところはこういうところ。よく見てる。言って欲しいことを言ってくれる。
「ううん。アレサ大好き。やりたい」
よかった、と言って夜子は今度ははっきりと笑った。
「アリス、歌っててね」
「は?」
「何でもいいから、歌ってて。ずっと」
急に真顔になって、夜子はそんなことを言った。英達め、余計なこと言うなってあれほど言ったのに。
大きな瞳でこちらを見つめてる。痛いほど。答えなきゃ。約束しなきゃ。この子にだけは。
「歌うよ。でも私が歌う時は、あんたが弾いて。絶対よ」
夜子は無表情のまま、すっと立ち上がった。つかつかと私の前まで歩いてくる。いい香りがする。なんだっけこれ、香水?
そう思った時にはもう温かい腕が私の首に回っていた。髪の香り。肌の感触。
思わず泣きそうになって、でもぐっとこらえて、華奢な身体を抱き返した。こんな風にストレートに表現するんだ。意外な一面。でも嬉しかった。愛しい気がした。妹がいたらこんなかんじなのかな。
「…ねぇ、あんたちょっとおっぱい大きくない?生意気」
素直じゃない私から出てきたのは憎まれ口で。でも夜子は私の髪に顔を埋めたまま、可笑しそうにずっと笑っていた。
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