恋には足りず愛には過ぎる

LINEのメッセージは大抵一言だけ。
『今日行ってもいい?』
断ったことはない。なぜか用事のある日には重ならない。
連絡はいつも昼間、学校にいる時。返事も決まってる。
『いいよ。何食べたい?』
もう一往復、献立の相談をして、スーパーの前で夕方5時に待ち合わせるのが定番になった。

一体この関係は何だ?


2年生に進級して、万里とはクラスが離れた。
万里は天野君と同じクラスになって、少し『ニヴルヘイム』に来る頻度が減った。私達は教室で会話をすることがなくなり、夜に話す機会も減少傾向にある。学校でのコンタクトは例えば廊下ですれ違う時、少し視線を交わしたり、すれ違いざまに挨拶がわりに拳を触れ合わせたりする程度。万里は私の頭をかき混ぜてきたりすることもあるけれど、相変わらず取り巻きの視線が面倒な私は、極力淡白に反応することにしていた。
昼も夜も会う時間が減って、代わりに万里は10日に1度程度の頻度でうちに晩御飯を食べに来るようになった。
なんとなく清瀬に気に入られた万里が、七瀬やケンジに受け入れられるのにもそう時間はかからなかった。万里が来る日は家族に連絡を入れるのが暗黙の了解になっていたので、3人以上で食事をするのが定番。元々変則家族だった我が家に万里はすっかり馴染んで、清瀬と映画の話をしたり、七瀬に本を借りたり、ケンジにベースを仕込まれたりと、私と並列に叔父たちに可愛がられている。

大体10日に1度食事を共にすることで、私達はぽつぽつと自分のことを話し合った。ゆっくり、少しずつ。
好きな食べ物、子供の頃の思い出、今考えていること、クラスメイトの話、そういった身の回りのこと。
そうやって少しずつ私は万里を知っていった。

セロリが好きで、蛸が苦手。
デザイナーのお母さんはマリエさん。NY駐在のお父さんは千歳さん。
天野君とは3歳から幼馴染。
昔ハムスターを飼っていたこと、死んでしまって悲しかったこと。
小学校2年生の頃に階段から落ちてこめかみに傷が残っていること。
天野君とボートでアメリカに行こうとして、結局向こう岸にしか行けなかったこと。

ひとつ教え合う度に、輪郭を溶かして混ざり合うような甘い錯覚に陥った。後戻りできない道をゆっくり歩いているのはもうわかっていた。少なくとも私はもう、万里に心を少しずつ渡してしまっている。怖いくらいに自分を溶かしてしまっている。

一緒にいるようになってわかったことがもうひとつ。万里はよく眠る。

食事して、後片付けをして、テレビを見ながらソファでなんとなく過ごしていると、彼はことりと眠ってしまう。夜遊びのし過ぎ、と残りのメンバーで笑って、起きるまで私はソファの下に腰を下ろして本を読む。
叔父ズはそれぞれ仕事に戻ったり、そのまま一緒にリビングでだらだら過ごしたりとまちまち。小1時間ほど万里は熟睡して目覚める、というところまでが大体ルーチンになっている。
目覚めると彼は私の髪を少しいじって、叔父ズがいない場合は甘えるようにじゃれついてくる。起き抜けの万里はいつもよりずっと無防備で、唇も声もうんと甘い。それがたまらなく愛しくて、ずぶずぶに甘やかして閉じ込めてしまいたくなる。

これが私だけのものならいいのに。ずっと私にだけ甘えていればいいのに。この髪に指を入れるのが私だけなら、どんなに。

戻れない道に来てしまった。私は馬鹿だ。あれは「みんなの」ものだ。あれは誰のものにもならない。その証拠に私に甘く唇を落としておきながら、名前もよく知らない女の子の腰を抱いてるじゃないか。
本格的に息ができなくなる前にやめて仕舞えばよかったのに。馬鹿だ。馬鹿だ。馬鹿だ。私だけが。

眠る万里の髪を梳きながら、こめかみの古い傷跡にそっと口付けた。
んん、と微かに唸りながら万里は私の手を探り当てて握りしめた。寝息を聞く限り、まだ眠りは深そうだった。今度は手の甲に口付けて、そっと指を解いて解放してもらう。

涙は出ない。私にできる抵抗はただひとつ、絶対に彼のために泣かないということだけなのだ。
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