それはタオルですか?それとも神様ですか?

「うわ、東雲君どうしたのそれ!?」
教室を入るなり、クラスメイトの井上久々留が高い声を上げた。
「やー、ちょっと兄貴と揉めちゃって…」
言い訳をしながら席に鞄を下ろす。当然ながら嘘だ。うちの兄貴は大変大人しい男なので、喧嘩はしても殴るなんて万に一つもない。犯人はたった今Sサイズの幼馴染と悠然と登校して来た男だ。
「はよー…うわ、ののすげぇな。喧嘩?」
平が愛くるしい顔を歪めて聞いてくる。万里はどこ吹く風だ。俺はじとりとその端正な顔をねめつけた。
「まぁそんなとこ」
ため息まじりに言うと、後方の万里と目が合う。周りにバレないように手刀を切ってきた。まったく、こいつ相当喧嘩慣れしてんな。優等生の皮を被った不良め。

しばらくすると、他の男子達とやいやい騒ぎ出した平を置いて、万里がそっと隣の席に腰掛けにきた。
「わり、軽めに振ったつもりだったんだけど」ほんとかよ。すんげー痛かったぞ。
「頼むよ。こっちは文化系なんだからさ…」
ほんとにごめん、と眉を下げて苦笑する。まぁいいさ、無駄に夜子に手を出した俺も悪い。
「で、どうすんの?」
「…今日会いにいくつもりだけど。お前は?」
「俺はどうすっかなぁ…ほっといてもそろそろ向こうから来そうだけど…」
大丈夫かよ、と万里は呆れたように言う。
「流されんなよー?なんかお前怪しいな…」
「ほっとけ」正直自信ない。この繰り返しで既に2年経ってる。
ごん、と万里が机を叩いた。そんなに大きい音じゃないけど、怒りを感じる。
「そうやって失敗してまた夜子に手ぇ出してみろ。次は顎叩き割るからな」
おーこわ。俺は肩をすくめる。
「心配すんなよ。お前も怖いけど、夜子が怖い。次やったら精神叩き壊されそう」
ぶは、と万里が噴き出した。腹を押さえて可笑しそうに笑う。
「イイ女だろ?」
「俺には無理。あいつあの本性バレたら今群がってる男どもみんなドン引きだね。お前がなんとかしてやれよ」
本人も隠してるつもりはなさそうだけど、いかんせんあの外見は幻想を抱かれやすすぎる。
ご心配なく、とシニカルに笑って万里は席を立った。平たちの馬鹿騒ぎに混ざりに行く。
深くため息をついて俺は背もたれにだらりと背中を預ける。頬がずきりと痛んだ。


期末前ということで部活は早めに切り上げて帰宅。
かと言って勉強する気にもなれず、自室のベッドでごろごろだらだらと過ごしていると、どかんと部屋の扉が開いた。るーだ。
「るーお前さぁ…ノックくらいしてくんない?男子の営み中だったらどうすんのよ…」
「別にそんなの平気だもん」
るーはぶんむくれたままベッドの端に腰掛けた。誰がお前の話をしたんだよ。
「俺がやだっつってんの。おちおちエロ動画も見れないじゃん」
るーはクッションを抱えて足をぶらぶらさせている。聞いてんのかよこいつ。
ねーわたるくん、と不満そうな声を出した。
「何?」
「それ、ほんとは誰?」
「それ?」
「ほっぺた。翔くんはそんなこと絶対しない」先述の通り、俺の兄貴は大変大人しく心優しい男だ。『兄貴と揉めた』で通してるけど、るーにはバレバレなんだ。
逡巡したが、正直に言うことにした。
「夜子にちょっかい出して、それが彼氏にバレて殴られました。」
「えっ夜ちゃんて彼氏いるの?」
「日下万里」バラしてやる。ちょっとした復讐だ。
「えーあの超絶ハイスペックイケメン!」
「隠してるみたいだけどな」
へええええそうなんだあああ!とるーは感心しきり。こいつも口は堅いから大丈夫だろ。
「なーんだ、夜ちゃんとわたるくん付き合うんだと思ってたのに」
「やだよ、あんな怖い女。俺の手に負えない」
「でも『ちょっかい出した』んでしょ?』
「気の迷いだよ」
ふーん、とるーは言ってクッションをぽんと放った。
「振られて寂しいんだ?」
寂しい?寂しいかな?
「いや、残念だなとは思ってるけど…そもそもあいつと俺はタイミング合わな過ぎだったしな…それよりるー…うわ!」
目の前にるーの谷間が現れて思わず声をあげた。ぽふ、と俺の頭を抱きかかえて、るーはよしよし、と髪を撫でた。
「かわいそ…ね、わたるくん、えっちしよ?」
「はぁ!?」
言うや否やるーは俺のジーンズのジッパーを下ろして遠慮なくボクサーの中に手を突っ込んでくる。
「ちょっと待てってだめだって!るー!おい!」
ウェーブのかかった長い髪をかきあげながら、俺の股間に顔を伏せて咥えようとする。待て待て待て待て!流されるな!俺!
俺はるーの肩を掴んで起こすと、腕を伸ばして最大限身体をるーから離す。
「え?なんで?いつもしてるじゃん」
「そーだけど!いやだからだめなんだってこんなの!セックスは臣先輩とだけ!わかった!?」
「でも今はわたるくんとしたいんだもん」
話が通じねーー!!
「だめなの!こういうことは彼氏とだけするんだよ…」
「…今更ぁ?臣くんよりわたるくんとした回数のがぜんっぜん多いよ?」
「そうかもしんねーけど、それは俺にも責任があるんだけど、本来はだめなの。それでも俺としたいんなら、俺を彼氏にしてよ」
えっ、とるーは目を見開いた。ほら、やっぱりまるでわかってない。
「臣先輩と別れてよ」
思ったよりも悲痛な声になってしまった。ダセェな、俺、まじで。
るーは俯いたまま動かない。長い髪が緩いラインを描きながらベッドに落ちている。その軌跡が綺麗で、愛しくてたまらない。るーの言うことならなんでもきいてやりたい。笑わせてやりたい。安心させてやりたい。ずっと守ってやりたい。そう思って今日までずっと、間違った方法を選んできた。
「…なんでそんな意地悪言うの? 私、臣くん好きだもん…」
「俺だって好きだよ、るーが。ずっとずっとガキの頃からるーが好きだったんだよ」
俺はるーの長い髪を掻き分けて頬に触れる。涙を親指で拭った。
「だめだよ。わたるくんは私のお守りだもん。彼氏なんかにしたらいつかいなくなっちゃうじゃん」
「いなくなんねぇよ。ずっとそばにいるから、だから…」
「だめ。だってわたるくんはお守りで、お布団で、ふかふかの毛布で、いい匂いのタオルで、それで…」
るーの指が震えてる。そうか、そうだよな。るーにとって俺は本当に、全然、恋愛対象じゃない。
「るー、俺はお守りでも布団でも毛布でもタオルでもねんだよ。人間なの。人間の男なの。お前はタオルとセックスすんのかよ…」
「だって、それは…なんか安心するから…。わたるくんのが中に入ってくると安心するんだもん。私はこれで大丈夫だって、思えるんだもん…それに、わたるくんだってすごく気持ちよさそうにするじゃない。だからこれはいいことなんだーって、思えるんだもん…臣くんとするセックスとは違うんだもん…」
幼児みたいに駄々をこねる。人間扱いされてない時点で俺の心はズタズタである。
「とにかく、るーが俺を恋人にしてくれないんなら、もう俺はるーとは寝ない。臣先輩と喧嘩したら相談には乗ってやるから、だからもうこういうのはやめよう。絶対おかしいって」
「夜ちゃんとは?」
「は?」
「夜ちゃんとはしたの?」
唐突に話が飛んだ。
「なんだよ急に。してねぇよ。『ちょっかい』つったろ。ちゅーしてちょっとおっぱい揉んだだけ」
それで夜子には股間蹴り上げられて、万里には殴られて、よく考えたら踏んだり蹴ったりだな、俺。我が身がかわいそう。
「夜ちゃんだって、日下君がいるのにわたるくんとそういうことしてるんじゃない。ユーワクしてるじゃない!なんで私はおかしくて夜ちゃんはいいの!?」
逆ギレかよ。しかも論旨がめちゃくちゃ。
るーは泣きながら俺をクッションで殴る。
「だからそん時は万里とは別れててー…あーもーなんかめんどくせーなー!」
「めんどくさいってなに!? 今まで散々しといてなんで今更そんなこと言うの!? 別に誰とでもしてるわけじゃないもん! 彼氏の他にはわたるくんだけだもん! どーしてだめなの!?」
うわーん!とるーが泣き出した。俺は途方に暮れてしまう。これ、どうやって説得すりゃいいんだ?
それと同時にるーの危うさが、俺が思っていた以上のものだったということに改めて気づいた。これは本気でどこかに相談しないとまずい気がする。でも今俺の言うことなんか聞かないよな…。
どうすっかな、と思案したところで、トントン、とドアがノックされた。程なくして控えめにドアが開く。
「おーい…仲裁しますかー…?」
兄貴だ。か、神様…!
「兄ちゃん助けて…」
俺はすがるように兄貴を見つめた。3つ年上の俺の兄は、大人しくて心優しい男だ。俺は昔からこの兄が大好きなのだ。
ドアを大きく開いて兄貴が部屋へ入ってきた。疲労困憊の俺とギャン泣きのるーを見比べてため息をついた。
「ひとまず亘、それ仕舞え」
俺の股間を指差した。そこで初めてるーに引っ張り出されたままなのを思い出した。

ああ、俺は好きな女の子にちんこ出しっぱなしで告白したんだ。端的に言って死にたい。
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