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輪っかの向こう側

 その日、迅はいつになく面倒な未来を視た。それを回避するには、とにかく人の多い所は避け、そして声を掛けてくる太刀川からは確実に身を隠さなければならないようだった。その難解なミッションをクリアするため、もう今日は一日じゅう玉狛支部に引き篭もっていたいとさえ思っていた。けれど、そうするとこの場所でその最悪の未来に繋がってしまうことになるようだったし、なにより小南に見つかると、それはそれでさらに面倒なことになりそうだったので、迅は渋々本部へと向かうのだった。
 
 幸いと言うべきなのか、やるべき事は山程溜まっていたので、本部長の部屋に避難して書類を眺めていたときだった。廊下から、聞き慣れた足音が響いてくる。もしや、と思い席を立ったときにはもう遅かった。
 
 「こんなところにいたのか」
 「慶、ちゃんとノックをしなさい。それにこんなところってなんだ」
 「た、太刀川さん。ご機嫌よう」
 「なんだその挨拶」
 
 取り乱しているのが隠しきれていなかったが、太刀川は忍田にも、そんな迅の様子にもお構いなしで、ちょうど良かった、とおもむろに懐に手を突っ込む。
 
 「ちょ、ちょ、太刀川さん。おれ、急ぎの用事があったんだ。忍田さんもまたね」
 「は?おい迅、」
 
 そう言うと机の上の書類を何枚か引っ掴み、慌ててその部屋を後にする。とりあえず、そこから一番近くにあるひとりになれる場所を探し、空いている個人戦のブースに入った。
 
 なんてこった、忍田さんがいても関係ないのか。まあ、太刀川さんにしたら親みたいなものだからしょうがないのか。いやいや、やっぱり親の前だろうと普通はしないだろ、
 
 ……プロポーズなんて。
 
 そこまで頭の中に浮かべておいて、やっとその言葉の持つ重さを実感して迅は思わず顔を覆った。全身から湯気が出そうなくらいの熱が身体を巡る。こんな顔、見られなくて本当に良かった、と安堵していると、遠くから叩きつけるような足音が聞こえてきた。まさかな、と思っているとその足音は全力でこちらに向かってくる。今度は全身から血の気が引いた。心臓がこのままやりきったら動きを止めてしまうんじゃないか、と思うくらい大きく脈を打っていた。視たくもなかったが、これは予知ではなくただの嫌な予感だった。そしてその予感通り足音はこの部屋の前で止まり、扉が吹っ飛ぶほどの勢いで開いた。
 
 「……やっぱり、いた」
 「たち、かわさん……。よく会うね」
 
 引き攣り笑いの迅にさすがに気を悪くしたのか、太刀川の表情には不満が滲み出ている。
 
 「おまえ、なんで逃げるんだよ。どうせもう視えてるんだろ?」
 「それがわかってるなら、とりあえず人のいるところではやめてよ……」
 「……わかった。じゃあとりあえず、十本でいいから入れ」
 
 そう言って、太刀川はこの部屋の扉を閉めると、隣のブースへと入っていく。怒らせるつもりはなかったんだけどなあ、と思いつつ、迅は見慣れた桁違いのポイントの孤月を選択する。そして、これまた見慣れた市街地へと転送されると、すでにそこには、柄頭に両手を置いて憤りを露わにする太刀川の姿があった。
 
 「やっとふたりきりになれたな」
 
 そう言うと、太刀川は急に吹っ切れたように笑い始めた。おかしくなっちゃったのだろうか。もしかして、またレポートやってなくて徹夜明けなのか?と少し不安になる迅に、企むような、裏のある笑みが向けられる。
 
 「ここなら簡単には逃げられんからな。それにちょっと思いついた」
 「へえ、どんなこと?」
 「今から見せてやる」
 
 太刀川は、自信たっぷりにそう言って懐から取り出した小箱の中身を掌に握りしめた。そしてそれを、あろうことか、思い切り空高く放り投げた。
 
 「なあ迅、この未来は視えたか?」
 「はあ?ちょっと、なにやってんの」
 「これを先に手にしたほうが、相手にひとつ言うことを聞いてもらえる、ってのはどうだ?」
 
 その顔は、もう戦闘を楽しむだけのいつもの顔になっていた。迅はこんな未来は視ていなかったので、恐らく太刀川が今思いついたアドリブなのだろうと思った。舞台はもう完全に太刀川の土俵だった。どう考えても、グラスホッパーをセットしている太刀川の方が有利だし、それにもしあれを取ることができたとしても、おまえは返すことなんてできないだろう、と言われているようだった。どちらにせよ、迅に拒否権なんてないのだ。
 
 「ほら、早くしないと見失うぞ?」
 
 考える時間も与えてくれやしない。まったく、本当に大変なことになってしまった、と迅はつくづく思っていた。
 
 「太刀川さんも悪い人だね、なんでこんなこと」
 「なんでって、そりゃあ」
 
 飛んでいった、その銀色の環を視線で追う前に最後に迅が見たのは、本気で刃を交えた、あのときと同じ顔だった。


 
 「お前の予知を、覆したくなったんだよ」






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