けせないぼうけんのしょ
ある休日のことだった。
太刀川の家でゆったりとした朝を過ごし、気持ちの良い晴空の下その日一日何をしようか相談していたふたりは、「ショッピングモールに行こう」という太刀川の一言から、白熱した議論を展開していた。
「街の人の未来が見たいだけなんだから、わざわざそんなところまで行かなくてもいいと思うんだけど」
「俺も暇だから一緒に行かせろよ。それに、どうせなら楽しいほうがいいだろ」
「……本当は自分が行きたいだけなんじゃないの?」
「一度にたくさんの人が見られるから良いと思ったんだって」
「それならそこの商店街でいいじゃん」
「お。おまえ、休日のあそこの人混み舐めてるな?」
「……だって、行ったことないし」
その迅のしゅんとしたような言葉にはっとした太刀川が、慌ててフォローを入れる。
「俺も剣道始めてからは全然行ってなかったし、久しぶりに行きたいんだよ。どう?」
「……しょうがないな。遊びに行くんじゃないからね」
迅はやれやれと重い腰を上げるように、ふたり分のコーヒーカップを片付けにキッチンへと向かった。けれどすぐ、キッチンカウンターの向こう側からカップを洗う音に混じってご機嫌な鼻歌が聞こえてきて、太刀川は笑いそうになるのをなんとか堪えたのだった。
身支度をして向かったその目的地は生活圏から少し離れていたので、駅からシャトルバスに乗って行くことにした。そのバスすらすでに満席だったのだけれど、実際に到着し入口の大きな自動ドアをくぐると、そこには迅の想像を遥かに超える数の人がいた。
「やっぱすげえな……」
太刀川も、驚きでなにも言えない迅の隣でぼそりと呟く。専門店は賑わい、通路にも人が溢れている。休日ということもあり家族連れが多く、小さな子供が走り回る光景があちらこちらで見られた。
「行きたいとこ、全部寄っていいぞ」
まだ入って数メートルの位置なのにその場から動かなくなった迅を見て、太刀川が声を掛ける。人の多さもそうだが、左右にずらりと並ぶ店構えにも思わず圧倒されていた迅はそれでようやく我に返り、それでも抗えない好奇心に負け、小さな声で呟いた。
「じゃあ……とりあえずひと回りしたい」
「おお。そうだな、今日は堪能しようぜ」
そして、そこを歩く子供達と何ら変わらない顔で、迅は嬉しそうに辺りを物色し始めた。手始めにすぐ近くの落ち着いた雰囲気の店に入り、太刀川のことも忘れ久しぶりのショッピングにしばらく熱中していた。そして迅が手に大きめの紙袋を提げてやっとそこから抜け出してきたとき、そこに待っていたのは、大きめのシュークリームを頬張る太刀川だった。
「お待たせ……って、え、なに食べてるの」
「そこのやつ。ん、」
確かに辺りに良い香りを漂わせていた、いくつか隣の専門店を太刀川は指差すと、食べかけの、一番クリームの詰まった真ん中の部分を差し出した。迅もそれには抗えず、思わず人目も憚らずに齧り付く。固めの皮がザクリと音を立て、口から溢れそうになるクリームを落とさないよう吸い込む。建物内を歩きながら物を食べるなんて、普段なら行儀が悪いと思うのに、ここだとなぜか許せてしまうのが不思議だった。
「……美味しい」
「だろ?」
「おれも一緒に買いたかった……」
「まあまあ。まだ他にもたくさんあるぞ」
「……あ、次そこ見ていい?」
シュークリームを食べた拍子に太刀川に紙袋を取り上げられたのにも気づかないうちに、迅は次の目的地に入っていく。その様子を見て、なんだか自分まで親にでもなったような、懐柔された気分になった太刀川は、その隙に近くにあったフルーツジュースの店で次の一杯を購入し、全部飲まないよう気をつけながら迅を待つのだった。
その後は服から食器、本屋、ペットショップ、普段寄らないような花屋まで見て回った。途中遅めの昼食をとったフードコートでは、それぞれが好きなものをなんでも頼めて一緒に食べられるというシステムに感動した迅が、そんなに腹に余裕もないくせにうどんとラーメンとピザで迷いに迷って、結局それらをふたりで半分ずつ食べた。行く先々で太刀川の買い食いのおこぼれを少しずつ口にしていた迅にとっては、完全に食べ過ぎの量だった。腹ごなしに別館の方へと歩いているとその先にあったのは映画館で、今映画なんて見たら寝てしまうと思っていても、その魅力からは逃れられなかった。ちょうど上映時間が合ったたっぷり二時間半のアクション映画を一本見終わった頃にはもう夕方で、さすがに疲労の色も顔を出し始めていた。
「今日のデート、楽しかったな」
映画館の隣にあったコーヒーショップで一息ついていると、太刀川が口を開く。
「いや、だからデートじゃ……」
「んじゃ、おまえ、今日なんか見えた?」
「……あ。いや、そりゃあ見てたよ。ちゃんと……」
そうは言ったが目線は斜め下に泳ぐ。そんな迅の様子を見て、はっはっは、と高らかな笑い声があがる。
そろそろ帰ろうか、と満足気に歩いて行く家族連れの後ろ姿を見送り、やっぱり未来予知はもう少し落ち着いた場所で一人でするものだな、と実感したと同時に、家族というものへの考え方が変わってきているのに迅は気がついた。普段は道端で人々を見かけても、彼らは未来を見るための「対象」であり、それ以上でも以下でもなかった。今朝話していたときだって、太刀川は以前ここに家族で来たことがあるのに、うちはこんなところに家族で来るようなことはなかったという事実を突きつけられても、その事実は事実だし、本当にただそれだけだとしか思っていなかった。
けれど、実際この場所にいる人々によってつくられた景色は鮮やかで、今までとは全く違って見えた。幸せそうにクレープを頬張る兄弟や、風船を持って嬉しそうに歩く女の子、床に寝転んで泣き喚く子を宥める母親を見て、今までになかった温かい感情が芽生えた。そんなことはないとわかっていても、自分が進む未来にあちら側に立つ可能性がもしあったなら、という考えまで顔を出していた。ただこの感情は、ひとりでこの場所にいても味わえなかっただろうとも感じていた。そもそも声を掛けられなければこんなところに来ようとも思わなかったし、自分で遊びじゃないと豪語しておいて、柄にもなくはしゃいでしまったのも、こんな風に見方が変わったのも、隣にこの人がいたからなのだろう、と。
「……まあ、けど、おれも楽しかったよ」
「それはすごく伝わってきたぞ」
「ひとりでテンション上がっちゃってごめん。太刀川さんも楽しかったなら、やっぱり来て良かった」
「また来ような」
「お礼に今日はおれが夕飯作るよ。なにがいい?」
「おっ、まじか。うーん……じゃあ、鍋」
「また?好きだね、鍋」
「美味いもん。おまえの鍋」
太刀川がさらりと発する言葉にも、いちいち反応して嬉しくなってしまう。昼よりも明らかに人の減った店内の空気が、一日の終わりを連れてくる。普通の友人や、まだ付き合いの浅い恋人同士だったら、楽しかった時間に終わりが来れば、この場所で別れ、それぞれの帰路につくのだろう。それを考えると、一緒に同じ場所に帰ることができるというのはこの上ない幸せなのだと、迅は改めて実感した。もしも、自分に新たに家族と呼べるものが出来ることがあったとしたら、その人には、ここにいた人達のように心の底から笑って幸せでいて欲しい。確かにそう思った。
「じゃあ、帰りにスーパー寄って買い物しなきゃな」
「ここでも買っていけるけど」
「え、うそ。スーパーもあるの?」
「ここって、たぶんスーパーが本体みたいなとこあるぞ」
「早く言ってよ」
そうして、またテンションが上がってつい食料品も買い過ぎてしまい、山のような荷物を抱えてシャトルバスに乗り込む羽目になったふたりは、やっぱり帰り道のスーパーに寄ればよかったな、と疲れも忘れて笑い合ったのだった。
太刀川の家でゆったりとした朝を過ごし、気持ちの良い晴空の下その日一日何をしようか相談していたふたりは、「ショッピングモールに行こう」という太刀川の一言から、白熱した議論を展開していた。
「街の人の未来が見たいだけなんだから、わざわざそんなところまで行かなくてもいいと思うんだけど」
「俺も暇だから一緒に行かせろよ。それに、どうせなら楽しいほうがいいだろ」
「……本当は自分が行きたいだけなんじゃないの?」
「一度にたくさんの人が見られるから良いと思ったんだって」
「それならそこの商店街でいいじゃん」
「お。おまえ、休日のあそこの人混み舐めてるな?」
「……だって、行ったことないし」
その迅のしゅんとしたような言葉にはっとした太刀川が、慌ててフォローを入れる。
「俺も剣道始めてからは全然行ってなかったし、久しぶりに行きたいんだよ。どう?」
「……しょうがないな。遊びに行くんじゃないからね」
迅はやれやれと重い腰を上げるように、ふたり分のコーヒーカップを片付けにキッチンへと向かった。けれどすぐ、キッチンカウンターの向こう側からカップを洗う音に混じってご機嫌な鼻歌が聞こえてきて、太刀川は笑いそうになるのをなんとか堪えたのだった。
身支度をして向かったその目的地は生活圏から少し離れていたので、駅からシャトルバスに乗って行くことにした。そのバスすらすでに満席だったのだけれど、実際に到着し入口の大きな自動ドアをくぐると、そこには迅の想像を遥かに超える数の人がいた。
「やっぱすげえな……」
太刀川も、驚きでなにも言えない迅の隣でぼそりと呟く。専門店は賑わい、通路にも人が溢れている。休日ということもあり家族連れが多く、小さな子供が走り回る光景があちらこちらで見られた。
「行きたいとこ、全部寄っていいぞ」
まだ入って数メートルの位置なのにその場から動かなくなった迅を見て、太刀川が声を掛ける。人の多さもそうだが、左右にずらりと並ぶ店構えにも思わず圧倒されていた迅はそれでようやく我に返り、それでも抗えない好奇心に負け、小さな声で呟いた。
「じゃあ……とりあえずひと回りしたい」
「おお。そうだな、今日は堪能しようぜ」
そして、そこを歩く子供達と何ら変わらない顔で、迅は嬉しそうに辺りを物色し始めた。手始めにすぐ近くの落ち着いた雰囲気の店に入り、太刀川のことも忘れ久しぶりのショッピングにしばらく熱中していた。そして迅が手に大きめの紙袋を提げてやっとそこから抜け出してきたとき、そこに待っていたのは、大きめのシュークリームを頬張る太刀川だった。
「お待たせ……って、え、なに食べてるの」
「そこのやつ。ん、」
確かに辺りに良い香りを漂わせていた、いくつか隣の専門店を太刀川は指差すと、食べかけの、一番クリームの詰まった真ん中の部分を差し出した。迅もそれには抗えず、思わず人目も憚らずに齧り付く。固めの皮がザクリと音を立て、口から溢れそうになるクリームを落とさないよう吸い込む。建物内を歩きながら物を食べるなんて、普段なら行儀が悪いと思うのに、ここだとなぜか許せてしまうのが不思議だった。
「……美味しい」
「だろ?」
「おれも一緒に買いたかった……」
「まあまあ。まだ他にもたくさんあるぞ」
「……あ、次そこ見ていい?」
シュークリームを食べた拍子に太刀川に紙袋を取り上げられたのにも気づかないうちに、迅は次の目的地に入っていく。その様子を見て、なんだか自分まで親にでもなったような、懐柔された気分になった太刀川は、その隙に近くにあったフルーツジュースの店で次の一杯を購入し、全部飲まないよう気をつけながら迅を待つのだった。
その後は服から食器、本屋、ペットショップ、普段寄らないような花屋まで見て回った。途中遅めの昼食をとったフードコートでは、それぞれが好きなものをなんでも頼めて一緒に食べられるというシステムに感動した迅が、そんなに腹に余裕もないくせにうどんとラーメンとピザで迷いに迷って、結局それらをふたりで半分ずつ食べた。行く先々で太刀川の買い食いのおこぼれを少しずつ口にしていた迅にとっては、完全に食べ過ぎの量だった。腹ごなしに別館の方へと歩いているとその先にあったのは映画館で、今映画なんて見たら寝てしまうと思っていても、その魅力からは逃れられなかった。ちょうど上映時間が合ったたっぷり二時間半のアクション映画を一本見終わった頃にはもう夕方で、さすがに疲労の色も顔を出し始めていた。
「今日のデート、楽しかったな」
映画館の隣にあったコーヒーショップで一息ついていると、太刀川が口を開く。
「いや、だからデートじゃ……」
「んじゃ、おまえ、今日なんか見えた?」
「……あ。いや、そりゃあ見てたよ。ちゃんと……」
そうは言ったが目線は斜め下に泳ぐ。そんな迅の様子を見て、はっはっは、と高らかな笑い声があがる。
そろそろ帰ろうか、と満足気に歩いて行く家族連れの後ろ姿を見送り、やっぱり未来予知はもう少し落ち着いた場所で一人でするものだな、と実感したと同時に、家族というものへの考え方が変わってきているのに迅は気がついた。普段は道端で人々を見かけても、彼らは未来を見るための「対象」であり、それ以上でも以下でもなかった。今朝話していたときだって、太刀川は以前ここに家族で来たことがあるのに、うちはこんなところに家族で来るようなことはなかったという事実を突きつけられても、その事実は事実だし、本当にただそれだけだとしか思っていなかった。
けれど、実際この場所にいる人々によってつくられた景色は鮮やかで、今までとは全く違って見えた。幸せそうにクレープを頬張る兄弟や、風船を持って嬉しそうに歩く女の子、床に寝転んで泣き喚く子を宥める母親を見て、今までになかった温かい感情が芽生えた。そんなことはないとわかっていても、自分が進む未来にあちら側に立つ可能性がもしあったなら、という考えまで顔を出していた。ただこの感情は、ひとりでこの場所にいても味わえなかっただろうとも感じていた。そもそも声を掛けられなければこんなところに来ようとも思わなかったし、自分で遊びじゃないと豪語しておいて、柄にもなくはしゃいでしまったのも、こんな風に見方が変わったのも、隣にこの人がいたからなのだろう、と。
「……まあ、けど、おれも楽しかったよ」
「それはすごく伝わってきたぞ」
「ひとりでテンション上がっちゃってごめん。太刀川さんも楽しかったなら、やっぱり来て良かった」
「また来ような」
「お礼に今日はおれが夕飯作るよ。なにがいい?」
「おっ、まじか。うーん……じゃあ、鍋」
「また?好きだね、鍋」
「美味いもん。おまえの鍋」
太刀川がさらりと発する言葉にも、いちいち反応して嬉しくなってしまう。昼よりも明らかに人の減った店内の空気が、一日の終わりを連れてくる。普通の友人や、まだ付き合いの浅い恋人同士だったら、楽しかった時間に終わりが来れば、この場所で別れ、それぞれの帰路につくのだろう。それを考えると、一緒に同じ場所に帰ることができるというのはこの上ない幸せなのだと、迅は改めて実感した。もしも、自分に新たに家族と呼べるものが出来ることがあったとしたら、その人には、ここにいた人達のように心の底から笑って幸せでいて欲しい。確かにそう思った。
「じゃあ、帰りにスーパー寄って買い物しなきゃな」
「ここでも買っていけるけど」
「え、うそ。スーパーもあるの?」
「ここって、たぶんスーパーが本体みたいなとこあるぞ」
「早く言ってよ」
そうして、またテンションが上がってつい食料品も買い過ぎてしまい、山のような荷物を抱えてシャトルバスに乗り込む羽目になったふたりは、やっぱり帰り道のスーパーに寄ればよかったな、と疲れも忘れて笑い合ったのだった。
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