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真実は君の顔に書いてある

 ボーダーに入隊して、初めて「ライバル」と呼べる存在を見つけた。見た目は全然似ていないし性格だって違うのに、心のどこかで似ていると思えたのが不思議だった。
 
 初めて十本勝負をしたとき、七本取られて負けた。この七本という数字だけは一生忘れないと思う反面、三対六のダブルスコアを付けられて臨んだ十本目のことはよく覚えていない。一足一刀の間合いで、お互いの体の前で構えられた弧月がすっと天に向かって伸び、次の瞬間には真剣どうしがぶつかり弾かれるような澄んだ剣撃の音が鳴り渡る。実際死ぬわけではないけれど、そのときのおれたちは、確実に命のやりとりをしていた。そんなひりついた空気の中に身を置いて初めて、美しい、という感情をまともに抱いた気がした。その人に対してではない。その瞬間その空間、まるごとすべてにそう思った。
 そのおかげか、その十本勝負が終わった直後は不思議と悔しさを感じなかった。しばらくして再び勝負を申し込んだとき、その人は一度負けた自分を見下すどころか、本当に嬉しそうな顔でその誘いに乗ってきた。以前の借りを返すべく密かに特訓した成果か、その勝負はなかなか均衡した。そして運命の十本目、カウントはおれが五で、向こうが四。引き分けるか負けるかの瀬戸際で増したその人の闘気は肌を焼くようで、全身の細胞が沸き立つのがわかった。まるで空間ごと斬っているかのように振り下ろされる、豪胆かつ石火の光のような太刀をかろうじて見切る。そして躱したその身をそのまま捻って相手の勢いに乗り、下から刀身を払うように刃を合わせる。キン、小気味良い音が宙を舞う弧月の後を追うように響く。衝撃でバランスを崩し地面に転がった太刀川は手足を大の字に広げ、遊びに熱中している子供のように笑いながらこちらを見上げた。
 
 「おまえ、強いな」
 「……そっちこそ」
 
 口角を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべるその顔の下に伸びる首には、トリオン体だとわかっていても生身の肉体と同じように血管が浮かんでいる。思わず唾を飲み込んだが、一切の感情を薙ぎ払うようにその首元に向けて刃を突き立てた。戦闘体、活動限界。光に包まれたその躯体は目の前から消え、自分もブースへと帰還する。六対四で捥ぎ取った勝利に、手のひらがじんじんするほどの高揚を覚えていた。ひとりその熱を噛みしめていると、廊下からばたばたと走り寄る足音が聞こえ、ブースの扉が乱暴な音を立てて開かれた。そこには先ほどまで地面に伏して、首を貫かれていた太刀川が、今にも飛びつかんばかりの輝くような笑顔でこちらを見ながら立っていた。
 
 「足りねえ。もう十本、どうだ」
 
 その言葉に、活動を終えたばかりの細胞に再び火がついていくのが感じられた。
 
 「おれも、そう言おうと思ってたよ」
 
 無論その勝負は、十本などでは終わらなかった。



 その後もふたりで腕を競い合い、もうどちらが何本取ったかなど数えている場合ではなくなっていた。それでもやはり、自分が負けるほうが多かったような気がした。この人の強みは、剣に一切の迷いがなく、それでいて引くべきときには引くことができる判断力と瞬発力にあるのだろうと思っていた。どんな不測の事態が起ころうと、軽い足取りで間合いをはかり、真正面からぶつかってくる。そのまっすぐな剣に一度、二度と押し負けるたびに、はじめはまったく感じなかった心の中の修羅が徐々に台頭していった。こんなにも悔しいと思えるのがむしろ嬉しかった。そのたびにまた本数は増えていく。その繰り返しだった。
 
 「今日は昨日よりも早く決着つけてやる」
 「それはこっちのセリフだよ、負けて泣いてる太刀川さんの未来が見えるなあ」
 「嘘つけ。おまえこそ、土下座して謝る羽目になっても知らんぞ」
 
 互いに欠けているものを補充しあっているのではなく、斬り合いによって余計なものを削ぎ落しているという感覚に近かった。斬られるたび、血の出ないトリオン体の皮膚の下に、新しい自分を見つけるような感覚。毎日が発見の連続で、お互いに日々成長を感じられるのがなによりもの喜びだった。それは、こちらの武器が変わっても、向こうの刀の本数が変わっても、変わらず続いていた。これからも、ずっと続いていくと思っていた。
 しかしその喜びは、わりとすぐに終わりを迎えた。



 その後は一言ではとてもじゃないが言い表せない、なのでもう言う必要もないと思っているが、いろいろなことがあった。
 とにかく、そんなふたりの世界に閉じこもって、毎日楽しく生きていられるような情勢ではなくなっていた。無残に散らばった建物やその他諸々の破片の上で、今まで鍛えてきた腕を揮って戦った。その結果、地面には赤黒い染みが広がって、景色が一変し以前の面影は微塵も残っていない街をひとり、じゃりじゃりと音をたてる瓦礫のかけらを踏みしめながら歩いた。今までの日々はこんなもののために費やしてきたのかと疑問に思うと同時に、結局なんの役にも立たなかったなあ、と自暴自棄になっていた。両手の中にしまい込んだ二本の剣は、もう見たくもなくなっていた。

 「よう、迅」
 「太刀川さん。久しぶり」
 「なあ、久々にさ、」
 「ごめんね、これからちょっと急ぎの用があるんだ。またね」
 
 その戦いの後は自分に気を使う人間が大多数であった。普通の人間であれば当たり前なのだろうけれど、林藤とこの人だけは違っていた。それでもやはりまだ以前のように、一緒になって剣を振るいたいとは思えなかった。
 
 そんな適当にやり過ごす日々もそこそこに、またしても状況が変わった。失ったと思っていたものが、黒い光となって目の前にまた現れた。だからそのときだけは、どうしても剣を取らなければならなかった。というより、気づいたら剣を握っていた。無我夢中だった。誰が周りにいたのかもよく覚えていない。
 そうしてしばらく握れなくなっていた剣は、その機会を経て、もう離そうとしても手から離れなくなってしまった。しかも知らないうちに剣の種類も、称号も変わっていた。そうして自分を取り巻く環境からなにから、もう以前のようには戻りたくても戻れないのだと悟った。けどまあ、自分がそうしたのだし、それならそれでいいか。もうその頃には、諦めることに完全に慣れてしまっていた。
 
 少しだけ引っかかることがあるとすれば、風の噂で聞いた、あの人のことだった。今までひとつのものを二人で取り合ったことこそなけれど、取り合うまでに至らなかった、同じ土俵にすら上がれなかったその人に、自分がしてやれることなどもう本当になにもなくなってしまった。あのとき自分にやる気がなかったからといって、ぞんざいに誘いを断り続けてしまっていたことを少しだけ後悔した。けどまあ、それももうしょうがないよなあ。腰に提げていた黒い剣が、そのときだけはなんだか重く感じた。



 「今度の防衛任務、太刀川隊と迅さんが一緒になってるらしいよ」
 「そうなんだ。その組み合わせだったらそりゃ他の隊もいらないか」
 「けど、珍しいよな。俺初めて見た気がするわ」
 「S級は基本、一人で任務なんだっけ」
 
 C級隊員がなにやら話している内容を見聞きして、そこから知った次の防衛任務のシフトは、たしかに自分も初めて見る組み合わせだった。というより、風刃を手にしてからどこかの隊と組むのがそもそも初めてであった。当日集合し、久しぶりにその黒のロングコートを見ても、何も言うことを考えていなかった口は開こうともしなかったし、それは向こうも同じだった。
 
 「迅さん、お久しぶりです。今日はよろしくお願いします」
 
 こういうときにちゃんと気を使って場を取り持とうとする出水は、本当によくできた後輩だと思う。うんともすんとも喋らない年上二人を気にする素振りもみせず、おかげですんなりと言葉が出てくる。
 
 「よろしく。そっちは慣れた連携があるだろうし、おれはあっちのほう、ひとりでやるから」
 「……迅、」
 
 すると自分の発した言葉に反応した隊長が、鋭い目でこちらを牽制した。その一変した空気を察知した出水が、さすがの判断力でおれたちはあっちだ、と喚く唯我を脇に抱えて民家の屋根の向こうに消えていった。
 
 「……俺が忍田さんに頼み込んで、このシフトにしてもらったんだ」
 「ああ……そうだったんだ」
 
 その気の抜けた返事がますます気に食わなかったのか、目の前のその人は弧月を二本とも鞘から抜くと、右手の一本をこちらに向けてすっと伸ばした。
 
 「この一回だけって約束でな。だからあまり無駄にしないで欲しいんだが」
 「……まさか、ここで模擬戦でもやるつもり?」
 「俺は、たとえ今地獄の門が開こうと、またおまえと戦いたい。それだけだ」
 
 その言葉を聞いても、こんな光景、出水たちが見ていなくてよかったなあ、とぼんやり思うだけだった。視線を合わせず、ぴくりともしないその眼前の尖った切先を、ただ見つめていた。そのときだった。
 けたたましい警戒音が鳴り響く。ここで近界民のお出ましとは、タイミングがいいんだか悪いんだか。しかし鳴りやまないその警戒音をよく聞いてみると、門の位置を指し示す座標が少しずつ違う数字であることに気づく。やがて、空には無数の黒い円が浮かぶ。それは出水たちが向かった方角をも取り囲んでおり、まさに三百六十度、大パノラマの絶景をつくり出していた。
 
 「いやいや、これは聞いてないけど……」
 
 そう言って、太刀川のほうを振り返り、腰の黒刀に手をかけた、その瞬間。頭の中の画面がぱっと開き、そこに風刃をどこかへと手放している自分が見えた。この何年かに一度しかないような緊急時に、いつかくるのだろうとは思っていたその未来を目の当たりにしても、不思議と焦りや哀愁は感じなかった。むしろその映像の中のもうひとりの自分は、どこかほっとしているようにも見えた。そこでようやく、それに執着し離れられずにいた自分の、血がにじむまで握りしめ続けていたその手の力が少し緩んだような気がした。やがてやってくるかもしれないその未来は、むしろこの状況で背中を押してくれるのにうってつけだった。
 
 「太刀川さん……マジで地獄の門開けてくれたね」
 
 そう言って背を向ける。開いた門から、近界民が続々と湧いてくる。見えないけれど、きっと向こうもこっちに背中を向けているのだろうなと思う。この空に、まさに今のように大量に門が開いた、あの瞬間を思い出す。あのときはただ、自分の力量を示すことに精一杯になっていた。けれど今はもう違う。背負っているもの、後ろに立つ人。ばらばらのほうを向いているようで、見ているものは同じだ。
 
 自分の声が、心なしか弾んでしまっていたのかもしれない。さっきまでとは違うその空気に、後ろから聞こえてきた声も、きっとあの頃一緒になって腕を磨いていた、あのときの「ライバル」の顔を連想させた。

 「まあ、好きに戦ろうぜ」





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