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見ざる、言わざる、水入らず

 その日、夕陽に染まる大学の前を通りかかった迅は、校門の奥に嵐山と太刀川の姿を見つけた。ボーダーの顔である広報部隊隊長の嵐山が、外で人だかりを率いていない姿を見るのは久しぶりだった。それでも輝かしいほどの笑顔を纏った完璧な佇まいは、もはやさすがという言葉しか出てこなかったけれど。
 対照的に隣の人物は、一応ボーダー内でも指折りのA級部隊に所属し、さらにその中でもランキング一位の隊を率いている隊長であるというのに、顔色は悪く、どこかくたびれた笑顔で話をしていた。迅が大学付近で太刀川の姿を見るのはそこまで多くはなかったが、本部で見る姿とはだいたいいつも違っていて覇気がないように思えたし、その理由にもなんとなく見当がついていたので、この日も特に疑問には思わなかった。
 
 「おーい、おふたりさん」
 「お、迅か」
 「また予知散歩か?」
 
 迅が周りにあまり人がいないのを確認して声をかけると、そのふたつの顔がこちらを向き、先ほどから見て取れたふたりの雰囲気の違いがますます際立った。
 
 「なんか……疲れてる?太刀川さん」
 「ん、そうか?まあついさっき、レポート提出の授業が終わったところだからかな」
 「今回も苦労したみたいなんだ……」
 
 隣にいる嵐山が、やれやれといった表情で太刀川のほうを見る。対する本人は疲労の色を浮かべてはいるものの、特段気にしている様子はなく、いつも通り大口を開けてはっはっは、と笑っていた。
 
 「ふたりとも、これから本部?」
 「ああ、ちょうど今その話をしていたんだ。太刀川さんも無事重責から解放されたことだし、一緒に向かおうかと思っていたところで」
 「おお。ちょうど人数も揃ったことだし、その前になんか食っていこうぜ。レポートも無事提出できたし、お祝いだな」
 
 のほほんとした台詞を吐く太刀川だったが、それを見る嵐山の目の色が変わったのを、迅は見逃さなかった。
 
 「太刀川さんは、毎日俺の先輩としてここに通えていること自体祝うべきじゃないだろうか」
 「……嵐山、ストレートすぎるよ」
 「ん?どういうことだ」
 「おっと、通じてない」
 「そのうち本当に留年してしまうぞ。現に今の授業も俺と一緒に受けているんだから」
 
 そこでやっと嵐山の言葉の意味を理解した太刀川が嵐山のほうを振り返り、その表情に思わず足を止めた。
 
 「すまん、嵐山先生。なんでも好きなもの奢るから言ってくれ。あ、あそこのコロッケ美味いんだ。寄ろう寄ろう」
 
 そう言って足早に店へと向かっていく太刀川の背中を見て、嵐山はため息を一つこぼした。
 
 「……なんか、大変そうだな」
 「いや、別に俺はいいんだが……忍田さんや親御さんのことを考えるとな」
 「ああ、まあね……」
 
 もはや太刀川の親戚になったかのような責任を抱えている嵐山の背中を、迅がぽんぽんと叩き励ましながら歩いていると、肉と油が反応したいい匂いが風に乗って吹き抜けていく。総菜屋の前までくるとそこには、ふたつのコロッケを大事そうに両手に抱えている太刀川の姿があり、そのうちのひとつを嵐山へと手渡す。
 
 「ちょうど揚げたてだったんだ。いつも迷惑かけるな」
 「別に、俺はいいんだ。けどありがとう、いただくよ」
 「ここのコロッケマジで最高だからな」
 
 そう言って、もうひとつのコロッケにかぶりつく太刀川に、迅が慌てて声をかける。
 
 「え……ちょっと太刀川さん。おれのは?」
 「いや、おまえは別に俺のお世話してないんだし、自分で買えよ」
 「だからって、こういうときくらい一緒に買ってくれてもよくない?おれだって、いつも太刀川さんに困らされてる嵐山の愚痴聞いたりしてるんだし」
 「そういう嘘もよくないぞ、迅」
 「ごめんなさい」
 
 先ほどの嵐山の目が今度は迅に向けられ、迅はすぐに謝罪の言葉を口にする。自分にその目が向いていなければそんなやりとりも一切気にならない太刀川は、わめく迅が面倒になったのか、自分の食べかけのコロッケを迅へと差し出した。
 
 「じゃあお前はこれでも食べてろ」
 「いや、こんなのいるか」
 「おい、こんなのとはなんだ。この店のおばちゃんが毎日丹精込めてひとつひとつ揚げてくれてるんだぞ」
 「ここに残ってる歯型に言ってるんだよ」
 
 その太刀川の行動により、ふたりの言い合いはますます激化したが、そこで横から差し出されたさらにふたつのコロッケに、二人の口の動きはぴたりと止まる。
 
 「ほら、店先でケンカしていては迷惑になる。続きはこれを食べてからやってくれ」
 
 そろりと迅が伺った嵐山の瞳には、もう先ほどのような冷気は含まれていなかった。そのいつも弟妹に向けているような顔に戻った嵐山に、迅はほっと息を吐く。
 
 「嵐山……ごめん。おれまで迷惑かけて」
 「いいから、ほらさっさと食べて本部へ行こう」
 
 その向けられた笑顔に、迅と太刀川は揃って心の中で「さすが長男……ボーダーの顔……」と呟いた。
 
 「あーあ、嵐山にはやっぱり敵わないや」
 「そんなことないだろう。迅はいつも市民のために動いているし、太刀川さんだって隊員最強の腕があるんだし」
 「ほんと、おまえと同い年には見えないな」
 「おれにも、太刀川さんが嵐山のお世話にならなくてよくなる未来なんて一生見えないよ」
 
 またしても火のついた口喧嘩に、ついに嵐山の目にも火が灯った。そのふと漏れた空気に、さすがにそれ以上言葉をのんだふたりは、慌てて嵐山を宥めにかかる。
 
 「……これ以上続けるようなら、忍田さんに報告させてもらうぞ」
 「わかった、ごめん。もう本当にやめるから。わかったからその手のトリガーを下ろそうか」
 「そうだ。迅、早く本部行って仲良くランク戦でもしようぜ。な、」
 「そうだね太刀川さん。そうしよう」
 「嵐山もいっしょにどうだ?」
 「……俺は、やらなければならないことがあるので遠慮させてもらうが、」
 
 急にしおらしくなったふたりの様子を伺いながら、嵐山はそこで一度言葉を切ると、少しだけ考えて口を開いた。
 
 「……基地までは一緒に行ってもいいか?」
 
 そう言った嵐山の顔は、先ほどまでの悪戯する弟たちを叱るような兄の顔から、ただの「友人」の顔になっていた。
 もちろんだよ、と答える迅、コロッケを頬張りながら微笑む太刀川の間に嵐山が入り歩き出す。傍から見れば、外見の似たふたりの兄弟とその友人か、はたまた先ほどのやりとりを見ていれば、ケンカするほど仲の良いふたりとその仲裁役、といった三人組に見えているのかもしれない。しかし彼らは、似ているようで見ているものはそれぞれ違うし、階級の肩書きこそあれ、一人ひとりがボーダーの「隊員」であり「仲間」である。そんな肩書きなど、普段の彼らの前では透明な名刺となり一切関係なくなるのだ。

 肩を並べた三人が夕陽に向かい本部に歩いていく間、背後には同じ大きさのみっつの影が、ぴたりと後ろをくっついて伸びていた。





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