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海の藻屑

 ぱちん、
 テレビもついていない静かな部屋に軽い音が響く。
 太刀川が迅の手を取り、爪を切っている。いつの日からか、迅の伸びた爪を太刀川が切るようになり、迅もそれを好きにさせている。最初のころは、深爪にされそうで、切られているあいだは手元から目を離せなかった迅も、いまや片手を太刀川に放り出し、自分の携帯をいじる余裕すらみせるようになっていた。
 
 「ねえ太刀川さん。漂流郵便局って知ってる?」
 「なにそれ」
 
 お互い、手の指と携帯の画面からそれぞれ目を離すことなく、ゆるりと会話が紡がれていく。
 
 「本物の郵便局じゃないんだけど、初恋の人とか亡くなった人とか、過去や未来の自分にハガキを出せるんだって」
 「へえ」

 ぱちん、
 その音とともに、爪切りの中に収まらなかった破片が宙に舞った。
 
 「あれ、どっかいっちまった」
 「ええ。どっかその辺にあるでしょ」
 「んー……ない。絨毯に落ちた爪って絶対見つからない呪いにかかってるよな」
 「あれ、ふとしたときに刺さって地味に痛いんだよね」
 「あとでちゃんと掃除しとくから」
 
 そうしてまた、太刀川は迅の指をとり集中する。大きく切ったあと、角が立たないよう、細かく角度を変えながらまあるく形を整えていく。
 
 「で、さっきの話だけど」
 「おお、郵便局」
 「太刀川さんは、誰か出したい人はいる?」
 「そうだな、死んでてもいいんだっけ?だったらじいちゃんかなあ。先に死んだばあちゃんに会えて、楽しくやってるかどうか聞きたいな」
 「いいね、それ」
 
 迅は画面から目を離すと、携帯を顎に当て何かを考えはじめる。またしばらく、部屋には爪を切る規則的な音だけが鳴り響く。そんな迅の様子を見るでもなく、爪切りを操りながら太刀川が口を開く。
 
 「で、おまえは?」
 「うーん……考えたけど、絞りきれないから、未来の自分にしようかなあ」
 「自分の未来は見えないんだっけか」
 「そうなんだよ」

 ぱちん、
 親指の爪に差し掛かり、一段と大きな音がした。
安物の爪切りの、おもちゃみたいな銀色が部屋の電気を反射してきらりと光る。
 
 「『隣にいる人は幸せそうですか』とでも書こうかな」
 「それって俺のこと?」
 
 相変わらず視線は手元に注がれていても、一切の間を置かずにそう返ってきたのが少しおかしくて、迅はくすりと笑いをこぼす。
 
 「見えないぶんにはわかんないけど」
 「だったら、俺の未来を見れば済む話なんじゃないのか」
 「おれから見たその人が、そのときにどう見えてるかが知りたいんだよ」
 
 思い通りにいかなかったのか、あ、と小さく太刀川が声をこぼす。もはやそんなことでは動じない迅は、再び携帯の画面に視線を戻す。
 
 「おまえ、もうちょっと自分のことも考えたほうがいいんじゃないか?知らないうちに貧乏神に取り憑かれてても気づかなさそうだな」
 「それ、おれじゃなくても気づけなくない?」
 「たぶん俺はいける。わかる」
 「さすが太刀川さん。まあ、おれはそれでいいと思ってるから、いいんだよ」
 
 太刀川の指の腹ができあがりを確かめるように、綺麗な曲線を描く迅の親指の爪の切っ先を何度もなぞる。
 
 「そのハガキって、誰でも読めんの?」
 「ええとね、うん、そうみたい。そこに集まったものは自由に読めるし、自分宛だと思ったものは持ち帰ってもいいんだって」
 「じゃあ、お前のそのハガキは俺が受け取りに行くな」
 「いやいや、だからおれ宛だって言ったよね?それに日本中から集まってくるんだよ、見つかりっこないよ」
 「ここに落ちた爪探すよりは楽だろ」
 
 その言葉を聞いて、迅ははじめて太刀川のほうを見た。視線が交わることはなく、太刀川はいまだ迅の指先に夢中になっていた。

 ぱちん、
 音がして、また白い欠片がひとかけら、絨毯の海へと飛んでいった。





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