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減点

 夕暮れに背を向けて歩くと、ふたり分の影が歩道に伸びる。そんな当たり前のことが毎回新鮮に感じるのは、充実している証拠だろうか。休日、夕食用の買い物帰り、オレンジ色に包まれて歩き慣れた帰路につく。それぞれ手にぶら下げたビニール袋の音が二重奏となり、左脇を通る車の排気音にも耳を傾けつつ、ときどき他愛のない話をしながら歩いていた迅の足は、何かに気づいたように止まった隣の足に合わせて歩みを止めた。
 振り向くと、すぐ後ろになにやら急に神妙な顔つきで俯く太刀川がいた。迅がどうしたの、と声を掛けると、ぱっと顔を上げにんまりと笑う太刀川のその顔はまるで、悪戯を思いついた子供のようだった。
 
 「はい、迅悠一くん減点〜」
 「は、なに?」
 
 そう言って人差し指で眉間を小突いてくる太刀川に、何が何やら全くわからないといった表情を浮かべるも、そんなものはお構いなしに続きが繰り広げられてゆく。
 
 「さっき、買い物してるときから、もう三点も引かれてるぞお前。さあて、どこが悪かったでしょうか」
 
 そして、手に持った買い物袋をわざとガサガサと鳴らしてみせる。突然始まったクイズに辟易するも、答えないとその場から動きそうにもない雰囲気に、迅は渋々スーパーからこの場までの回想から心当たりを探す。
 
 「えっと……アイス買わなかったこと?」
 「ブー」
 「じゃあ、ビールをこっそり糖質ゼロのやつに入れ替えたこと?」
 「おいおいまじか……けど、ブー」
 「あ、さっきの鍋の出汁決めジャンケン、わざと負けたの気づいてた?」
 「違うんだよなあ」
 
 違ったのなら違ったでただ自分のした悪事を曝け出しただけな気もしたが、早く当てて欲しいといった様子の少々むくれる太刀川にごめんごめん、と軽く謝ってその場を流そうとする。ただこれ以上いくら考えても答えは出ないし、このしばらく変わりそうにない状況に、迅は諦めて正解を聞いた。
 
 「じゃあ一点目だけど、そっち側を歩くのは俺」
 
 ぴしり、と伸ばした人差し指が迅を射抜く。しかし迅を差しているかと思ったその指は、どうやら車道側のことを示しているらしかった。これにより、この後何を言われるのかだいたい見当がついてしまう。太刀川がらしくないことをいきなり言い出すのは、たいてい誰かに何かを吹き込まれているのだと迅は気づいていた。おおかた、先日の諏訪や風間らとの飲み会で、「理想の彼氏像」の話でも出たのだろう。嬉々として食いつく太刀川の姿が容易に想像できる。しかしそこでは情報を与えられただけで、その実践方法については特に触れられなかったらしい。そうでなければ、こんな思いやりを履き違えた、雑な行動に対する理由にはならないはずだ。思わず吐きそうになる溜息を、迅はやっとのことで飲み込んだ。
 
 「二点目、俺に重たい方を寄越せ」
 「……彼氏面の圧がすごいんだけど」
 「俺、彼氏だから」
 
 太刀川の台詞よりも、今のこの状況の背景に考えを巡らせる迅に構わず、太刀川の採点は続く。確かに半分に分けた食材は迅の持つ方に若干水物が多く、重さもあるのかもしれないが、年頃の男が持ってしまえばほぼ同じ重さの荷物だ。女性ならまだしも、まさか自分までこんな扱いをされることがあるとは迅も夢にも思っていなかった。もはや呆気にとられてしまっている迅を尻目に、太刀川は迅の右腕を掴む。
 
 「三点目、俺側の手はポッケから出しとけ」

 この指摘には、迅も不意を突かれた。確かに迅には夏でも冬でも、並んで歩くときに片手をズボンやアウターのポケットに突っ込む癖があった。それは自分でもあまり意識せず行っていたので、いざ言葉にされると少々たじろいでしまう。
 
 「だいたいおまえ、それいつもだよな?何の癖?」
 「いや、なんとなく……太刀川さんの手に当たらないようにとか、そっちにばっかり意識がいっちゃうから」
 「やることやってて、今更そんなこと恥ずかしがってんの」
 「いや外だからね?声大きい」
 
 そんな言い合いをするふたりの間を無理やり通るようにして、小学校に上がりたてくらいだろうか、子供たちが楽しそうに夕陽に向かって駆けていった。大人の立ち話などお構いなし、世界には自分たちだけしかいないかのような無邪気な笑い声とともに、今ふたりが歩いてきた道を風のように走り抜けていく。自分があのくらいの頃は一体何を考えて生きていたのだろう。きっと何も考えず、人の目も気にせず、自分が生きたいように生きていただろう。迅はそう思うと、途端に体が軽くなった気がした。世間体や自己犠牲にがんじがらめになって、窮屈そうに背中を丸めて歩き出したのはいつからだろうか。少なくとも今こうしているときは、そんなこと忘れて小さい頃の自分に戻ろう。そう迅は決意した。
 
 「じゃあ、はい」
 
 手に持った買い物袋を渡し、空になった両手を後ろ手に組むとするりと太刀川の右側へと移動する。両手に荷物をぶら下げる格好になり、不満げな顔をする太刀川の眉間に、不敵な顔で人差し指を寄せる。
 
 「彼氏なんでしょ。それくらい片手で持てるよね?」
 
 そう言って、差し出された迅の左手が欲しているものは、迅の予想通り「理想の彼氏像」を叩き込まれていた太刀川にとって気づくのは容易かった。荷物を片手にまとめ、その手を強く握った後に聞こえてきたのは、迅の「力、強すぎ」という苦笑いとともに叩かれた憎まれ口であった。





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