ボーナス・トラック
てっきり別れたのだとばかり思っていた。
深刻な顔、と言ってもそれはいつも通りの尖った口先とどこか遠くを見るような細い目だったけれど、そんなんで「この生活も終わりにせえへん」なんて言われたら、誰だってそう思うだろう。そうであって欲しい。
そのときは、反射的にああ、はいなんてひらりと薄い返事をした。けれど自分の部屋に着いてからというもの、考えないようにしているつもりでも次々と反省点が顔を出す。
夕飯を食べた後すぐに菓子を食べるのを注意されてもやめなかった。靴を脱ぎ散らかすのを咎められてもやめなかった。今日は気分やないと言われてもやめなかった。やめろといわれてもやめなかった。こんな状況になって初めて、ようやく浮き彫りになってゆく心当たりの数々に自然と笑いが零れた。だから、いざその当人に後日再び呼び出され、その部屋までの短い道程を歩いている間も、それ以外の選択肢については少しも考えなどしなかったというのに。
「で、なんすか。これ」
「……見たらわかるやろ」
わからないから聞いたのに、と思いながら言われた通りもう一度見てみれば、そのリビングのテーブルの上にあるのはやはり不動産屋の間取り情報が書かれた何枚かの用紙だった。そのどれもがこの寮の簡易的な間取りと比べて一部屋二部屋多いもので、この縺れた頭でもそれが何を意味しているかという問いには瞬時にベストアンサーがはじき出される。
おれの、あの日から今まで費やした時間は一体なんやったんやろか。抗議の意味も込めて、こちらが口を開くというそのまま何ということもなく事が進んでいくであろうその選択肢だけは削除して、ただひたすらに口を閉ざしていた。
「……何か言えや」
「それはこっちの台詞です」
もうこの先何の会話も生まれないのではと思うほど、長い沈黙だけがその場を流れていった。それを破ったのは、この人にしてはえらく適当で人任せに放られた言葉で、そのちらと垣間見られた余裕の無さが特別感、優越感をさらに増長させる。そして、先の甚大な誤解を招いた元凶のあの言葉も、もしかすると苦心した結果のものだったのだろうか、なんて思ってしまったことで、そこから先はもう破顔の一途を辿ることとなった。
「何を笑っとんのや」
「は、いや。なんで一人で行ってしもたんやと思うて」
「なんでって、」
「そういうん、普通がどないかわからんけど、二人で見に行って決めるもんやないんすか。少なくともおれは、一緒に行きたかったです」
「そら、お前がなあ……」
「おれが?」
そして、ここまで引きに引いた静寂の後には、思わぬオマケが待っていた。
「やめろ、言うてもやめへんから、来い言うても来んかと思うて」
「んなわけ……先輩、さっきからなんなんですか。ずうっとらしくないようなこと言っとって」
「さあ、何なんやろなあ」
「ああ、もしかしてこれ、今までの仕置き、ちゅうことですか」
「おお、お見事正解」
余裕を取り戻したような、いやきっと最初から無くしてなどいなかったのだろう、こうなることを全てわかっていたという顔で、目の前でほくそ笑んでいる先輩。優位に立っていたと思っていたら、知らない間に自分のあるべきところへと戻されていた。
「あの、そいじゃこれからは、なるたけ気をつけますんで……よかったらそれ、一緒に見さしていただけんでしょうか」
あるとは思っていなかった、おれだけに気づかされたこの続きに、尻尾を振って飛びつきたい気持ちを必死に抑え込んでいるのだって、きっともう伝わってしまっているのだろうけど。
そんなおれの様子を見てついに吹き出す先輩に、つられて笑ってしまいつつ、やっぱり気をつけるのはもう少しだけ後にしようとこの瞬間はっきりと心に決めた。
深刻な顔、と言ってもそれはいつも通りの尖った口先とどこか遠くを見るような細い目だったけれど、そんなんで「この生活も終わりにせえへん」なんて言われたら、誰だってそう思うだろう。そうであって欲しい。
そのときは、反射的にああ、はいなんてひらりと薄い返事をした。けれど自分の部屋に着いてからというもの、考えないようにしているつもりでも次々と反省点が顔を出す。
夕飯を食べた後すぐに菓子を食べるのを注意されてもやめなかった。靴を脱ぎ散らかすのを咎められてもやめなかった。今日は気分やないと言われてもやめなかった。やめろといわれてもやめなかった。こんな状況になって初めて、ようやく浮き彫りになってゆく心当たりの数々に自然と笑いが零れた。だから、いざその当人に後日再び呼び出され、その部屋までの短い道程を歩いている間も、それ以外の選択肢については少しも考えなどしなかったというのに。
「で、なんすか。これ」
「……見たらわかるやろ」
わからないから聞いたのに、と思いながら言われた通りもう一度見てみれば、そのリビングのテーブルの上にあるのはやはり不動産屋の間取り情報が書かれた何枚かの用紙だった。そのどれもがこの寮の簡易的な間取りと比べて一部屋二部屋多いもので、この縺れた頭でもそれが何を意味しているかという問いには瞬時にベストアンサーがはじき出される。
おれの、あの日から今まで費やした時間は一体なんやったんやろか。抗議の意味も込めて、こちらが口を開くというそのまま何ということもなく事が進んでいくであろうその選択肢だけは削除して、ただひたすらに口を閉ざしていた。
「……何か言えや」
「それはこっちの台詞です」
もうこの先何の会話も生まれないのではと思うほど、長い沈黙だけがその場を流れていった。それを破ったのは、この人にしてはえらく適当で人任せに放られた言葉で、そのちらと垣間見られた余裕の無さが特別感、優越感をさらに増長させる。そして、先の甚大な誤解を招いた元凶のあの言葉も、もしかすると苦心した結果のものだったのだろうか、なんて思ってしまったことで、そこから先はもう破顔の一途を辿ることとなった。
「何を笑っとんのや」
「は、いや。なんで一人で行ってしもたんやと思うて」
「なんでって、」
「そういうん、普通がどないかわからんけど、二人で見に行って決めるもんやないんすか。少なくともおれは、一緒に行きたかったです」
「そら、お前がなあ……」
「おれが?」
そして、ここまで引きに引いた静寂の後には、思わぬオマケが待っていた。
「やめろ、言うてもやめへんから、来い言うても来んかと思うて」
「んなわけ……先輩、さっきからなんなんですか。ずうっとらしくないようなこと言っとって」
「さあ、何なんやろなあ」
「ああ、もしかしてこれ、今までの仕置き、ちゅうことですか」
「おお、お見事正解」
余裕を取り戻したような、いやきっと最初から無くしてなどいなかったのだろう、こうなることを全てわかっていたという顔で、目の前でほくそ笑んでいる先輩。優位に立っていたと思っていたら、知らない間に自分のあるべきところへと戻されていた。
「あの、そいじゃこれからは、なるたけ気をつけますんで……よかったらそれ、一緒に見さしていただけんでしょうか」
あるとは思っていなかった、おれだけに気づかされたこの続きに、尻尾を振って飛びつきたい気持ちを必死に抑え込んでいるのだって、きっともう伝わってしまっているのだろうけど。
そんなおれの様子を見てついに吹き出す先輩に、つられて笑ってしまいつつ、やっぱり気をつけるのはもう少しだけ後にしようとこの瞬間はっきりと心に決めた。
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