予め決められた自死
「……別れようか」
さっきまでなんてことない話をしながら一緒に夕飯を食べていた食卓が、突然闇に包まれた。外を見ると辺り一帯の電気が消えていたので、ただの停電かと思われたけれど、また落ちる可能性を考慮してブレーカーを上げるのは少し待っていたところだった。
暗くて見えなかったけれど、おそらくまだ向かいに座っているであろう迅の口から、もう何回聞いただろうか、直近だと二週間ほど前になるか。縁起でもないがもはや定番と化してしまいそうな言葉が飛んできた。もう慣れていたとはいえ、この真っ暗な状況でそんな話をされたらさすがに心臓に悪いので、せめてもう少し状況を選んで欲しい。そんな悠長な考えすらできる余裕まで身についてしまったのだから、人は成長するものだ。
「おまえ、それ何度目だよ」
「……太刀川さんを、嫌いになりたくない」
「俺、最近なんかしたか?何が嫌だった?」
答えは無い。食事の乗った食卓にぶつからないよう、なんとか向こう側に回り込んで迅の隣の椅子に座ると、徐々に闇に慣れてきた目に俯く迅の姿が朧げに映る。
「……嫌われたくない」
「ならないって」
手を取ると、冷たく、少しだけ震えていた。冷蔵庫の機械音すらも止まった、全ての音がすうっと闇に遠ざかっていった部屋の中。いまだ止まない小さな揺れを抱えて、その口が開かれる。
「前みたいに、会いたいときに会う関係に戻ろうよ。ランク戦だって言ってもらえればいつでもする。本部にもちゃんと顔出すから。それがいいよ、それが一番じゃない?」
一体何に追われているのか、残念ながらこちらにその敵は見えない。今夜は月が明るく、全ての機能を停止した部屋にもだんだんと暗視補助が効いてくる。グラスの側面に浮かぶ水滴が玉となり、つうと表面を滑り落ちてゆく。その叙情的な光景に感化され、一人勝手に怯え震えるその体を腕の中に収める。それでも、やっぱり向こうに見えている景色は変わらないらしい。いまだに「誰か」に言い訳をするように腕に縋り付いて言葉を紡ぐ迅の目は、とっくにこちらのことなんて見てはいなかった。
「大丈夫、怖くない、怖くない」
こうなったらもう、お前は本当はそんなこと望んでないんだろとか、お前がしたいようにすればいいとか、そんな正論を矢面に振りかざした台詞は耳には入らない。ただ小さな子供を寝かしつけるときのように、一定のリズムで安心を与えてやるだけだ。そうして時が経てば、またいつもの軽口を叩く嫣然一笑の彼奴に戻るのだ。
「ずっと一緒にいてやるから」
夜の街に溶け込んだこの部屋で、月明かりに照らされた思い出が浮かんでは天井に消えてゆく。ここではないどこかで荒い息をする、腕の中のひとりの弱い人間をぎゅうと強く抱きしめる。
お前は仮初の安寧を手に入れるため、俺は自分の存在価値を確かめるため。そして嘘が得意な者同士の馴れ合いをもう少しだけ愉しむために、街に光が灯り出したのを見ても、まだしばらく俺たちはふたり、この宵闇に身を任せていた。
さっきまでなんてことない話をしながら一緒に夕飯を食べていた食卓が、突然闇に包まれた。外を見ると辺り一帯の電気が消えていたので、ただの停電かと思われたけれど、また落ちる可能性を考慮してブレーカーを上げるのは少し待っていたところだった。
暗くて見えなかったけれど、おそらくまだ向かいに座っているであろう迅の口から、もう何回聞いただろうか、直近だと二週間ほど前になるか。縁起でもないがもはや定番と化してしまいそうな言葉が飛んできた。もう慣れていたとはいえ、この真っ暗な状況でそんな話をされたらさすがに心臓に悪いので、せめてもう少し状況を選んで欲しい。そんな悠長な考えすらできる余裕まで身についてしまったのだから、人は成長するものだ。
「おまえ、それ何度目だよ」
「……太刀川さんを、嫌いになりたくない」
「俺、最近なんかしたか?何が嫌だった?」
答えは無い。食事の乗った食卓にぶつからないよう、なんとか向こう側に回り込んで迅の隣の椅子に座ると、徐々に闇に慣れてきた目に俯く迅の姿が朧げに映る。
「……嫌われたくない」
「ならないって」
手を取ると、冷たく、少しだけ震えていた。冷蔵庫の機械音すらも止まった、全ての音がすうっと闇に遠ざかっていった部屋の中。いまだ止まない小さな揺れを抱えて、その口が開かれる。
「前みたいに、会いたいときに会う関係に戻ろうよ。ランク戦だって言ってもらえればいつでもする。本部にもちゃんと顔出すから。それがいいよ、それが一番じゃない?」
一体何に追われているのか、残念ながらこちらにその敵は見えない。今夜は月が明るく、全ての機能を停止した部屋にもだんだんと暗視補助が効いてくる。グラスの側面に浮かぶ水滴が玉となり、つうと表面を滑り落ちてゆく。その叙情的な光景に感化され、一人勝手に怯え震えるその体を腕の中に収める。それでも、やっぱり向こうに見えている景色は変わらないらしい。いまだに「誰か」に言い訳をするように腕に縋り付いて言葉を紡ぐ迅の目は、とっくにこちらのことなんて見てはいなかった。
「大丈夫、怖くない、怖くない」
こうなったらもう、お前は本当はそんなこと望んでないんだろとか、お前がしたいようにすればいいとか、そんな正論を矢面に振りかざした台詞は耳には入らない。ただ小さな子供を寝かしつけるときのように、一定のリズムで安心を与えてやるだけだ。そうして時が経てば、またいつもの軽口を叩く嫣然一笑の彼奴に戻るのだ。
「ずっと一緒にいてやるから」
夜の街に溶け込んだこの部屋で、月明かりに照らされた思い出が浮かんでは天井に消えてゆく。ここではないどこかで荒い息をする、腕の中のひとりの弱い人間をぎゅうと強く抱きしめる。
お前は仮初の安寧を手に入れるため、俺は自分の存在価値を確かめるため。そして嘘が得意な者同士の馴れ合いをもう少しだけ愉しむために、街に光が灯り出したのを見ても、まだしばらく俺たちはふたり、この宵闇に身を任せていた。
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