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ことしさいごのよるのはな

 お盆を過ぎれば涼しくなってくる、そんなことを教えてくれたのはどこの誰だったか。そんな思い出せない記憶を恨むほど蒸し暑い一日だった。そんな日がここの所しばらく続いていた。梅雨が明けてから本気を出し始めた太陽と湿気に最早怒る気にもなれない。

 「……夏は嫌いだ」

 どうにもならないとわかってはいても、やるせない思いを言葉にのせてまだ昼間のような空に放る。クーラーの効いた室内にいても薄らと聞こえてくる蝉の声に辟易しつつ、けど精一杯生きてる証だしなあとやはり怒る気になれなかった。

 「おまえ、暑さに弱そうだもんな」

 缶ビールの真ん中あたりまでついた水滴を指でなぞりながら、太刀川さんはいつものように楽しそうにしていた。暑いのは俺も嫌い、と言ってはいたが、自分なら確実にクーラーをつけている時期にも扇風機で粘っていたのは知っているのだ。なんだかんだで夏が好きなんだろうな、と心当たりとともに声には出さずに飲み込んで微笑む。

 「太刀川さんは、どの季節が一番好き?」
 「お、何だその合コンみたいな質問コーナー」
 「合コンて……特に意味はないけど」
 「んん、あんまり考えたことないが、秋かな」
 「へえ、秋。どうして?」
 「体を動かしやすくなるからな」

 意外な答えが返ってきたと思ったけれど、その理由がさもその人を体現するようなものでおかしくなった。たまたまふたりの休みが被って、片方は昼からビールを飲んで、こんな休日はいつぶりだろう。こんな風にして、目的もなくだらだらと過ごすのも悪くない、と平和にどっぷりと浸かった考えすら浮かんでしまう。いつの間にか、薄いカーテンの向こう側は暗くなっていた。
 
 「ん?」

 ふいにぱっと外が一瞬明るくなり、個人総合一位の攻撃手は流石の反応を見せた。つられて窓に目を向けると、少し遅れて低い破裂音が響く。

 「襲撃か?」
 「今日は視えなかったはずだけど、」

 ぱっとベランダに出て、音の発生源を探す。眼下に広がる街はいつも通りの夜の静寂に覆われていた。目を凝らしていると、再び視界の右側が一閃した。

 「……ああ、なんだ」

 振り向くと、闇夜の空に煌めく満開の火花が瞳に飛びこんできた。近界民ではなくて良かったと思う安心感は、その金色に細めく火花とともに高揚感へと変わっていく。

 「太刀川さん、花火だよ」

 光に反応しただけで、そのまま部屋でビールを飲み続けていた呑気なそのひとを呼ぶ声が思わず上擦ってしまう。背後からは続けて重低音が響いている。反射的に振り返り、先ほどよりも大輪の花をその目に焼き付ける。
 花火を落ち着いて見られたのも、おそらく小学生の頃以来だろうか。あの頃は夏が来る度にわくわくして、暗くなるまで走り回って、それでも遊び足りず気づいた頃には街灯のぽつりとした灯りを頼りに暗い道を泣きながら帰る羽目になりよく怒られたものだ。けれどもそんなことは次の日にはけろっと忘れていたし、転んで膝を擦りむいても、すぐに自分で起き上がって走り続けられた。そんな過去と今の自分と重ね合わせ、瞼の裏にこの儚い彩りを刻みつける。
 
 「綺麗だな」

 目を開くと、いつの間にかベランダに移動してきていたそのひとが横に並んで立っていた。手には新しい缶ビールをしっかりと握っている。

 「来年も、見られるかな」

 手摺に両肘をつき、次の夏への期待を少しだけ込めて空を見上げる。ふと横を見ると、黙ったままの太刀川さんが嗜めるような表情でこちらを見ていたので、慌てて否定する。

 「いや、変な未来が視えてる訳じゃないよ」
 「おまえ、すぐ死に急ぐからなあ」
 「それはお互い様じゃない?」
 「俺は楽しんでるだけだけど」

 そこで、生まれた一際大きな光と音にふたり視線を空に戻される。見ると開き終わった金色が尾を引いて、すうと糸のように消えてゆく。再びの漆黒の空に、しばらくその金色の残像が浮かんでいた。

 「……今の、最後だったっぽいね」
 「おまえのせいで見逃した」
 「おれもだよ……ていうかそれこそお互い様じゃない?」

 あーあ、と手摺に顎を乗せ項垂れていると、太刀川さんは残りのビールを勢いよく流し込んだ。

 「まあけど、見られて良かった。綺麗だったし」
 「そうだね、なかなかゆっくり見ることもないし」
 「おまえの口の開いた間抜けな横顔もな」
 「は?」
 「なんちゃって」

 急にらしくないことを言われたかと思いきやただの悪口だと気づき、それでも赤くなってしまった顔を隠すのに花火が終わっていて良かったと心底安堵した。そんな当人は呵呵大笑、空の缶を潰しながらはっはっはと大口を開けて笑っていた。そんな少し明るくなった雰囲気にも助けられて、ようやく反撃の糸口を掴む。

 
 「太刀川さん、ちょっと目、瞑っててくれる?」
 「お、なんだなんだ」

 先ほどの大きな笑顔のまま、太刀川さんは素直に瞳を閉じる。

 「……はい、いいよ」

 そしてぱちりと音が鳴りそうなくらい大きな目を開けた太刀川さんは、こちらを見てさらに一際目を丸くした。
 
 「おめでとう、太刀川さん」

 手にありあわせで作ったきな粉餅を三段に重ねてロウソクを立てた簡易バースデーケーキを持ち、お披露目した。急に集まることになりこんな簡単なものしか用意できなかったやり切れなさと、ちゃんと彼の誕生日を覚えていて彼のお祝いしている、ということへの羞恥心が隠し切れなかったが、もうどうにでもなれという思いで出し反応を待った。先刻の雰囲気なら、おどけて笑って済ませてしまえるかと踏んでいた。ところが目の前の本日の主役は、おどけも笑いもせず目を丸くしたまま手中の物を見ていた。

 「お前、今これ作ったの?」
 「え、うん。作ったって言ってもほぼ出来合いだけど」
 「まじか、嬉しい」
 「本当?」
 「本当に嬉しい。いや、誕生日か。それも忘れてた。ありがとう」

 真面目にお礼を言われてしまい、こちらまで目が丸くなってしまう。目が合わせられなくて、手中の餅に助けを求めた。

 「こんなんで、ごめんね。はいどうぞ」
 「これ、消していい?」

 答える前に、すでにロウソクの火は吹き消されていた。

 「ありがとう、迅」
 「ううん。おめでとう……慶さん」

 二度目の祝辞に、これ以上はないという程にその目が開かれた。

 「え、もう一回言ってくれる?」
 「おめでとう」
 「その後その後」
 「だーめ、もう終わり」
 「まじかよ」

 残念至極、といったように手掌で目元を覆った彼の口調は悲壮感に塗れていたが、口元には抑え切れない慶びが溢れていた。

 「まあいいや、良いもの貰えた」

 酔ったのか、いつもより距離が近い。愉快そうに手摺の上で肘を肘で小突かれたと思ったら、肩を抱いて髪をぐしゃぐしゃと掻き撫でられた。
 
 「また、来年も 一緒に 見ような」
 
 その約束は、きっと果たされる世界は来ないんだと思っていた。だからその言葉を言わずにいた。それでも、期待してしまうのはこのひとだから。今年最後の花火が、また瞼の裏で金色に弾けた。



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