呼ばれる理由
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ーー『私と……ずっと一緒にいてくれる?』
ーー『ああ。どんな時も、君の傍に』
ーー『井宿、好きよ』
ーー『俺も……』
ーー『 愛してる 』
あの日、ようやく出逢えた日、確かに俺は君をこの腕に抱きしめた。
好きだと伝えたし、愛しているとも囁いた。
彼女の唇にもその時初めて“俺”は触れた。
不思議な感覚だった。
今まで夢の中にいた人が実際に目の前にいる感覚に正直困惑もした。
でも、そんな俺を彼女は見て笑い、思っていた通りの声で俺に話しかけてくれる。
それだけで俺は舞い上がっていた。
夢にまで見たこの時を、心から幸せに感じた。
そう。
“俺”にとっては、全て……“初めて”のことだったから。
携帯の通知音が小さく鳴った。
テーブルに置いてあったスマホに目を向けると、そこには簡潔に“今から行くね”と書かれてあった。
今からか……と、携帯の上部に目をやれば“21:00”の表示。
もうこんな時間。君はこの時間になってようやく仕事が終わる。
イスから立ち上がり、伝票を手にする。早々に支払いを済ませ店から出れば、彼女の働く会社の前につく。
信号が変わったところでちょうど出てくる君とかち合った。
君とこの世界で出会って一週間。
その間、ずっとこうやって夜に会っていた。
「井宿!」
俺の姿に気づいた君は、小走りに近寄ってくる。
スーツ姿で女性らしい靴を履いた君。
その姿は……何度も繰り返し夢の中で見ていた初めて会った時の君の姿と同じだった。
君は仕事帰りにあの世界に来たのだと知った。
「奏多、お疲れ様」
「井宿もね!待っててくれてありがとう」
にこり、と笑ってくる。
疲れているだろうに、君は俺の前ではよく笑っていた。
「……ああ、今日は早く上がれたんだ」
「井宿の会社にも新入社員入ったわよね?どう?慣れてきてる?」
「仕事内容は覚えたようだよ」
「さすがねー。うち、ちょっと手こずってて。いい子なんだけど……ね」
社会に出て2年目の俺にも、後輩ができた。
人に教える立場がどれだけ大変なのか、それが身に染みてわかってきた頃だった。
「あまり……無理しないでほしい。こんな時間まで……」
「それはこっちのセリフ。ねぇ、毎日待ってるつもりなの?そのうち井宿が体崩しちゃうわよ」
「そんなヤワな体はしていないから」
「もう!心配してるのに!」
それこそこちらの台詞だ。
俺が今ここに来ていなければ、君はこのまま歩いて1人で帰るのだろう。
ここはまだ明るい。車の通りもまだある。だけど、ここ。ここを曲がればどうだ。
一変して暗さが増す。
ここを歩いて、このバス停でバスを待たなくてはならない。
このバス停。ここだ。
………絶対に、1人で帰したくない。
またあの世界に飛ばされたら……たまったもんじゃない。
「ち、井宿?何をそんなに思いつめた顔してるの……?」
「…………」
「井宿?」
意識しないようにすればよかった。
なのに……一度気になればそれはもう、それにばかり頭が行く。
「井宿?ねぇ、ほんとにどうしたの?」
これだ。
これなんだ。
俺が……気になりだしたもの。
“井宿”
君は……俺のことを“井宿”と呼ぶ。
最初はよかった。今の俺にその名前で呼びかける人はいなかったから。
夢の中で呼ばれていた名前。朱雀七星士としての名前。
あの頃は、呼ばれることを嫌がった時期もあったのも覚えている。
宿命というのを受け入れがたかったからだ。
だけど君と会って、君が“井宿”と呼んで、君は“井宿”を求めた。
だから俺も“井宿”の心のように素直に喜んだ。
だけど……本当はどうだろう。
この一週間君は……今の俺の名を呼んだことはない。一度も。
知らないはずはない。
教えたのもハッキリ覚えている。
ーー『名前?ああ、“芳井 准(よしい じゅん)”だよ』
ーー『それが、あなたの名前……?』
ーー『そうだよ』
ーー『とてもいい名前ね』
思えばその時も、結局呼ばなかったな。
気にするな。しなければ何も思わない。
嬉しかったはずだ。
君に、“井宿”と呼ばれて……。
嬉しかったはずだ。
1/8ページ