短編小説
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「あ”ー…暇じゃ暇じゃー」
私永凜 愛奈改め愛奈・アウリオンは学校からの帰宅後、アウリオン宅で家事を済ませた後広いリビングで一人ゴロゴロと寛いでいた。
いや、ほんと暇なんだよ。ロイドは部活の後バイトに行ってしまうから夜遅くにならないと帰ってこないし、クラトスも基本的に仕事が終わるのが夜中なので遅い。
なので私もバイトしたいと申し出てみたところ…。
「帰る時に何かあったらどうするんだよ」
「何か欲しい物でもあるのか?では、生活費を少し多めに渡しておこう」
そう言って二人とも私にバイトをさせてくれないのだ。遺憾の意。私だってガキじゃあるまいし、人並みにバイトして帰ってこられるっての。それに、生活費として与えられた金を自由に使うのも何だか気が引けて使いづらい。
どうせ夜21時頃まではロイドも帰ってこないし近場でバイトするかな。
そう思って私はスマホで求人サイトを漁りだした。求人情報誌では見付かるリスクがあるからな。
そして、暫く閲覧していると一件の求人情報に目が行った。
「へー、結構近場でもあるもんだな。おっ、これなんか給料良いし良い感じ。なになに…社長室の掃除兼雑務…慣れてきたら他の業務も…何!?必要に応じて資格取得出来る上に補助まで出るのか!?…ふむふむ、此処なら近いし直ぐ帰ってこれる。時間も応相談、希望があれば社員登用有り…将来此処で働くのも悪くないなぁ」
詳しい内容まで見た上で私は早速電話を掛けてみる事にした。行動力とフットワークには自身があるのだよ!
数コールして低い素敵ボイスな男性が電話に出た。もう好印象だ。声が素敵すぎる。
「も、もしもしっ…あ、のえっと…愛奈・アウリオンという者ですが…!」
『…?愛奈・アウリオン、だと?』
「はい。お、御社の求人情報を見てお電話を掛けさせて頂いたのですが…まだ募集はされていますでしょうか?」
『……少し待て』
緊張しながら必死に喋っている最中、私は内心これは無いわ、落ちたわと確信した。
正直言ってキモオタよりも気持ちが悪かっただろう。
半ば諦めながら保留音を聞きつつ相手を待っていると少しして再び男性の声が聞こえた。よし、断られる覚悟をしよう。
『…待たせたな。まd』
「あ、す…すみません!貴重なお時間を無駄にしてしまい…大変申し訳ありませんでした!」
『話は最後まで聞け。明日夕方から面接を行うから私の元に来い。受付の方には話は通しておく』
「へ…?あ…有り難う御座います!必要な物とかは御座いますか?」
まさか面接を行ってもらえるとは思わず話も禄に聞かずに切るところだった。危ない危ない。
私は明日の面談に必要な物は無いか聞く。何も聞かずに恥を掻くのは勘弁願いたい。
『必要な物か…そうだな、特に持ってきてもらう物は無いがスーツを着てきてもらおう』
「はい、スーツですね。分かりました…では、明日はよろしくお願いします」
『ああ、待っている』
そう言ってぶつりと電話が切られ私は安堵の溜息を吐いた。これで第一関門は突破した。あとは…スーツを買いに行くだけだ。
普通のリクルートスーツなら今までこつこつ貯めてきた貯金で十分買えるだろ。二人が帰ってくるまでまだ3時間くらいは余裕があるから、近所の店なら十分戻ってこれる。
私は道中のATMで金を下ろしてから店に行き、人生初のスーツを購入したのだった。
序でにパンプスとストッキングとシャツ、あとは別の店でウィッグとメイク道具も購入したらそこそこいいお値段でしたとさ。とほほ。
でも、これは先行投資だ。これらがあれば今回のが落ちても次に行ける。
上機嫌で帰路につき、家に誰も帰ってきていないか確認してから中に入った。
「よし、誰も帰ってきていないな。これを自分の部屋のクローゼットに仕舞うか…」
私は二人が帰ってきてしまう前に先程購入した物をクローゼットに隠すように仕舞ってから夕食の支度をし始めた。
明日は面接が受かるようにとんかつにしよう。本当はトンテキにしようかと思ってたんだけど…それはまたの機会に。
「ただいまー…あー、疲れた」
バイトから帰ってきたロイドがぐったりした様子で帰ってきたので、私はにこりと微笑みながらキッチンから顔をひょっこり出す。これはかなりお疲れだな。何だか窶れて見える。
「お帰り、ロイドー。もうすぐで飯が出来るからちょっと待っててな」
「おう。今日は…やった!とんかつか!」
「おういえすいえす」
ロイドはキッチンの方まで夕飯を確認しに来ると、先程まで疲れ果てた顔をしていたのに綺麗な黄金色に揚がっているとんかつを見た瞬間ぱあっと明るい表情になった。
そんなロイドの表情を見ているとこっちまで嬉しくなっちゃうっての。
「さ、向こう行った行った」
「え?味見は?」
「大丈夫だ問題無い。ちゃんと私がしておいたから」
「狡いぞ!」
「ふふん、作ってる者の特権だよ」
自慢げに笑みながら私は再び調理に取り掛かるのでロイドはダイニングテーブルの方へと移動し、スマホのゲームをしながら料理が出来上がるのを待った。
全ての料理を創り終えた所でクラトスも帰ってきたので、三人分の食器を用意して出来上がった料理を次々と皿に盛り付けてテーブルへと並べていく。
「ほう、今日はとんかつか。何か良いことでもあったのか?」
「…うんにゃ?何となく食べたくなったからとんかつにしただけ」
「そうか」
明日面接があるから験担ぎに、なんて言える訳ないので適当に誤魔化しておいた。なあに、嘘は言っていない。とんかつが食べたかったのも事実だしな。
「「いっただきまーす」」
「いただきます」
それぞれ好きな調味料を掛けてとんかつを食べていくと、あんなに苦労したとんかつはあっという間に消えてしまった。作るのは時間掛かっても食べるのは一瞬…はっきりわかんだね。
食事も終わったところで私は食器を片付け明日に備えて早めに風呂入って寝ようと…
思ってた矢先に。
「愛奈、この後共に風呂に」
「入りません。明日学校なのでそれは休み前にオナシャスセンセンシャル」
「そ、そうか…分かった…」
クラトスが誘ってきたので私は速攻で断りさっさと風呂に行ってしまう。面接が無くとも明日も学校なので勘弁してほしい。ただ一緒に風呂に入るだけなら構わないんだけど、それだけで済まないから断るのだ。
心なしかしょんぼりしているクラトスがちょっぴり可哀想に見えたので、頭を撫でて週末になと言ってやると何ともまあ嬉しそうな顔を浮かべて頷くじゃないの。ほんと、親子そっくりだな。ちょっとだけ羨ましい。
「スーツ良し、メイク良し、ウィッグも良し、マスク良し。これでぱっと見私だとは分からないだろ」
学校から帰宅して直ぐに面接の準備をし、私は完璧に準備を済ませてから面接会場である大手企業クルシスコーポレーションへと向かった。
「おおう…これはまた…凄い…何だか場違いな気がする…」
大きなビルに広いエントランス…何だか自分がちっぽけに見えてしょうがなかったが、勇気を出して受付の綺麗なお姉さんに声を掛けて面接に来た事を伝えると社長室へと案内してくれた。
その様子を何者かが見ていた事に私は気が付くことは無かった。
「此方が社長室で御座います」
「あ、ああ…有り難う御座いますっ…」
「ふふっ、面接頑張って下さいね」
「はひっ!」
綺麗なお姉さんに頑張ってと応援され、同性ながらドキドキしてしまって思わず声が裏返ってしまった。ああ、穴があったら入りたい…。
お姉さんが去ったのを確認してから私は控えめに立派な造りのドアをノックした。
「…入れ」
「し、失礼します」
入室の許可も頂いたので中へと入ると、部屋の中央に置かれた私みたいな庶民が座るのも謀られるような豪華なソファに社長と思わしき人物が腰掛けていた。
なんて綺麗な人なんだろう。髪なんかさらっさらのブロンドで夕日が反射してキラキラ輝いている。
「何をしている。早く座れ」
「…あ、は、はいっ!失礼します!」
暫くの間思わず男性の髪にみとれていると呆れた様子で指摘され私は慌てて一礼してから向かい側に腰掛けた。
「では、志望動機を聞かせてもらおうか」
「はい。…暇だか……自分が自由に使えるお金が欲しかったからです」
「ほう…しかし、貴様は別に金に困っている様には見えぬが?」
「え…?何でそれを?」
履歴書もましてや学生である事すら明かしていないというのに、何故この人は私の事をまるでよく知っているかの様に語るのだろう。
失礼だとは思うが首を傾げて質問すると、社長は私から視線を外し窓の外を見だした。
「…我が社の面接を受けるのだ。身辺調査くらいする」
「ああ、成る程。それで…。確かにお金には困ってはいません。ただ、愛する人に何かプレゼントするにもその人がくれたお金を使うのは嫌ですし、私も気兼ねなく使えるお金が欲しかったのです」
「そうか……さて、志望動機も分かった。早速業務に取り掛かってもらうが…そうだな、先ずはこの部屋を掃除してもらおうか。着替えは用意してくるから隣の資料室で着替えてこい」
ローテーブルに制服が入っているであろう紙袋を雑に置くと隣の部屋を見て着替えてこいと言われる。
え、もしかしてこれは…もしかしなくとも…!?
「は、はい…って、さ、さささ…採用ですか!?」
「でなければ追い返している。良いから早く着替えてこい」
「左様d」
「下らん冗談をこれ以上言うようなら即刻クビにしても構わんが?」
「すみませんでした今すぐ着替えてきます!」
採用になって早々クビになるのは嫌だったので慌てて紙袋を持って隣の資料室で着替える私。
さーて、どんな制服かなー。格好いいのがいいなー…なんて期待を膨らませながら紙袋から制服を取り出すと、それは制服というよりは…。
「メイド服やんけこれ」
いや、社長ほどお偉い人になるとメイドの一人や二人は当たり前なのかもしれない。
そう思ってメイド服に袖を通すと…着れなくはないがきつい…。そのうち何処かの世紀末覇者の様に破きそうだ。
身辺調査するならちゃんと服のサイズも調査して…いや、それはあかんな。
しゃあない…一応着れたし戻るか。
「只今戻りました…」
「ほう…これは…。では、その服の状態でこの部屋の掃除をしろ。掃除用具は資料室のロッカーに入っている」
「ハァイ、シャッチョサァン」
「おい、化けの皮が剥がれかけているぞ」
「気のせいですよ。では早速始めまーす」
少し緊張が解れ社長が言うとおり化けの皮が剥がれそうになったが、何とか持ちこたえた…持ちこたえれたよな?
資料室に掃除用具があると言うので再び資料室へと戻り、掃除機と雑巾とバケツを回収してから掃除を始めた。
「ここから地獄だ じっごっくだーにー」
掃除機を掛けながら鼻歌ではなく普通に歌を歌っていると、社長がじろじろと見てくるので気にしないようにした。気にしたらお仕舞いだ。
「…おい、掃除機の音に紛れて妙な歌が聞こえるんだが」
「僕と あっくしゅだー 特撮ヒーロー」
「おい」
「黒き黒豚か 指宿ー」
「おい聞け」
「……ああ、すみません。掃除に夢中で」
「夢中になっていたのは掃除ではなく歌ではないのか」
「…へへっ…」
気にせずに歌を歌いながら掃除を続けていると、流石に怒気を孕んだドスの効いた低音ヴォイスで突っ込まれたので歌うのを止める。
序でに床掃除も終わったので雑巾を手に持って窓、棚、机等を拭き上げていく。
「あ、お茶飲みます?」
「雑巾を持って聞くな。絶対にそれで何かしでかすつもりだろう」
「……まさかぁ…」
「良いから早く淹れてこい」
「了解しやした」
私はびしっと敬礼して給湯室の場所を聞いてから茶を淹れに行った。雑巾も持って行こうとしたら割とガチめに怒られたので渋々止めておいた。これでクビが飛ぶだけで済まなかったら流石に洒落にならん。
そんな事を考えながら給湯室で二人分の茶を淹れていると、不意に背後から会話が聞こえて来た。
「全く…!何なのだ、あの無茶振りは!ミトスは何時も私にこんな事ばかりをさせて…!」
「落ち着け、ユアン。此処は社長室も近い…あれに聞かれては余計に面倒な事になるぞ」
「しかしだな、クラトス!」
今私の聞き間違いでなければクラトスとか言ったか!?聞き間違いでも無ければ、あの声は正しくクラトスの声だ…此処に入ってくる前に茶を持って早々に社長室に戻らなくては。
私は手早く茶を淹れそれを持って社長室へと逃げる様に去った。
「あれが今度の犠牲者か。しかし、今度はメイドとはな…ミトスの遊び相手に付き合わされるあの女性も災難だな」
「………」
「…?どうしたんだ、クラトス」
「いや…私の良く知る者に似ていると思ってな。だが、どうやら気のせいの様だ。愛奈が此処に居る筈が…それにあの様な髪色でも髪型でも無かった…」
「愛奈…ああ、お前の幼妻か。お前も随分と変わったな。まさか息子と同じ歳の女児を娶るなんてな」
「幼妻と言うな。愛奈は私やロイドよりもしっかりしている…抜けているところは多々あるがな。愛奈は何時も私が帰宅するまで起きて待っている上に、常に暖かい料理を用意して待ってくれている」
「…惚気か」
「ああ、惚気だ。お前も早くマーテルに告白するのだな」
「い、言われなくとも何れ気を見計らってするつもりだ!行くぞっ!」
「フッ…」
「た、只今戻りましたー…」
「随分と早かったな。そんなに急いでどうした」
茶を持って社長室へと戻ると、社長は立派なデスクで仕事していたのでそっと茶を置いて、自分の分は面接の時に使ったローデスクへと置いて啜り出す。
「それがちょっと知り合いに出くわしましてねー…いやあ、焦った焦った」
「くっ…ふふっ…そ、そうか…」
私の話を聞いた社長は作業する手を止めて口許を抑えると笑いを堪えていた。いや、マジで笑い事じゃ無いんだが……まさか…!
「社長…もしかして、クラトスが此処に居るのを知って私を雇ったんじゃ…」
「クラトスは此処の社員…それも重役だぞ?私が知らぬ訳あるまい。それに、そのファミリーネームは他に居ないからな」
「酷い…」
「それで?辞めるのか?」
おいよいよと泣くフリをしていると辞めるかと聞かれ慌てて首を横に振った。こんな好待遇高時給…他には無いから辞めるわけにはいかない。例え多少のリスクがあろうと。
「そうか…それは良かった。これで退屈せずに済むな」
「そんな理由で雇ったんですか、あんた…おっと、すいやせん。シャッチョサァン」
「本当に遠慮という物が無くなってきたな。まあいい…これは今日の分の給料だ」
引き出しから茶封筒を取り出して私に差し出すと、私はうきうきしながら受け取った。受け取ったのは良いんだけど…何かちょっと厚くない?
一体幾ら入れたんだと行儀が悪いが中を確認すると、諭吉がひぃふぅみぃ…え…十人くらい居るんだけど…給料がそこいらのキャバ嬢よりも高いんじゃないかという額だった。いや、キャバ嬢の給料知らんけど。
「あの…これ…額を間違えていませんか…?」
「私を楽しませてくれた礼だ。今日はもう帰って良いぞ。クラトスよりも早く帰らねばらなんのだろう?また明日も来い」
「あ、あ…有り難う御座います…。ではまた明日…失礼します」
茶封筒を大事に握り締めて一礼すると私は掃除用具を持って資料室へと行き着替えを済ませてから帰宅した。
うっかり制服であるメイド服を持って帰ってきてしまったが…どうしよう。部屋干しするにもリビングには干せないし…自分の部屋に干すしかなよなぁ…それなら急いで帰らなきゃ。
慣れない靴で急いで自宅へと走って帰ると誰も帰ってきていなかった。よしよし。
「洗濯している間に米炊いてスーツをハンガーに掛けて、メイク落として…うがー!忙しすぎる!世の働く女性ってすげー!」
謎の奇声を発しながら家事を一つずつこなして、何とか全ての家事を終わらせる事が出来た。ミッションコンプリート。
慣れないことをした所為でいつも以上に疲れたのでソファでぐったりとしているとロイドが帰ってきた。
「ただいまー…って、何だか疲れてるなぁ。別に飯は父さんと一緒に食うからまだゆっくりしてろよ」
「ごめん…ちょっと休憩したら飯作るか、ら…クラトス帰って、きた、ら…起こし……」
あまりの眠気に堪えきれず、私はソファに深く凭れ掛かって寝てしまった。そんな私を見て苦笑いを浮かべながら隣に座って自分の膝に私の頭を乗せて撫でるロイド。まあ、寝ているからそれに気付くのは起きてからなんだが。
「ただいま。…む…愛奈は寝てしまっているのか」
「お帰り、父さん。何だか疲れてるみたいでさ。今日体育があったからかな」
「…かもしれぬな。食事の方は私がやっておこう…お前はそのまま愛奈の枕になっているといい」
「ははっ、何だよそれ」
後は温めるだけになっている料理をクラトスが温めている間にロイドはスマホを弄りながら私の頭を撫でていた。
キッチンから腹を刺激するような良い香りが漂ってくると私は飛び起きた。
「飯!?…ロイド!クラトスが帰ってきたら起こしてって言ったじゃん!」
「おはよう、愛奈。寝起きの一言目が飯って…愛奈らしいな」
「ええい茶化すな!てか、家ではちゃんとお母様とお呼びって言ってるだろ!」
「いや、お母様と呼べなんて事は一言も言われた事ないんだけど…」
「お黙り!…ごめんっ、クラトス!直ぐに交代するわ!」
ロイドと言い合いしている間にもドンドンと料理が温められ皿に盛られていくので、私は慌ててロイドから離れてキッチンへと駆けていった。
「私がロイドに起こすなと言ったのだ」
「…それでも、飯作るのは私の役目だ。さあ、席に着いた着いた」
「分かったから押すな…」
クラトスの背を押してキッチンから追い出すと、クラトスは笑いながら出て行き自室に向かった。そして、スーツをハンガーに掛けてゆったりとしたルームウェアに着替えてきた。ルームウェアもイケメンに掛かったら何だかファッショナブルな格好に見えてくるのは気のせいか。
と思いながら私は料理を盛り付けてテーブルに運んだ。
「今日は肉多め野菜マシマシの野菜炒めじゃ!」
「それって…ただ量の多い野菜炒めじゃ…」
「そうとも言う!イタダキヤスドリキャス」
「「いただきます」」
野菜炒めには突っ込んだのに私の妙な食事の挨拶に突っ込まずしれっと食うロイドに私は後者にも突っ込んでくれたって良いじゃないかとぶつくさ文句を垂れる。
そんな文句にも二人は笑うので私はまあいっかと苦笑いして流す。元よりそう文句言うような内容でも無かったしな。
「ところで…今日は随分と疲れていた様だが何かあったのか?」
「今日はちょっとなー…肉体労働が多くて…こき使いすぎだわ、あの先公のハサウェイ…いや、ハサウェイて名前じゃないけど」
「そうだったか。そういうことならば無理して家事をこなさずとも良い。食事も外で食べれば良い」
「おう…お心遣い痛み入るわ」
実際学校であちこちたらい回しにされて疲れてもいたので強ち嘘ではないのだが、クラトスの心遣いに良心が凄く痛むのはやっぱり疚しいことがあるからだろうか。
何時かは話さなくちゃとは思うんだけど、今はまだちょっと心の準備が出来ていないのでそれはまた後日…って先延ばしにして余計に辛い思いをする未来しか見えない。
「イテキマー」
「愛奈、少し待ちなさい」
今日もあの社長の相手に頑張るぞーと心の中で呟きながら登校しようとすると、クラトスに呼び止められたので私は何ぞやと振り向いて首を傾げる。
「先程社長から連絡があってな…今日は少し帰りが遅くなる。食事はロイドと一緒に済ませてきなさい」
そう言ってクラトスは財布から諭吉を一人取り出して私に渡す。え、学生二人の食事に諭吉をポォンと出すか、普通。学生の飯っつったらランランルーか吉○屋だろJK…あ、JKは私かてへぺろりん。
と思うが、頂ける物は何でも頂く主義なので有り難く頂戴しておいた。
「クラトスは?」
「私は帰りに同僚と食べてくるから気にしなくても良い」
「分かった。学校でロイドにも伝えとくわ」
「すまぬな…」
「良いって事よ。んじゃ、改めて…イテキマー!」
「ああ、いってらっしゃい」
少しゆっくり話していたので遅刻までは行かないが割とギリギリなので私は勢いよく走り出す。学校へと全速前進DA☆
「ローイド」
「まー○の、みたいな呼び方するなよな…」
別のクラスに居るロイドに今朝クラトスと話した内容を伝えに来たのだが…どうやら声のかけ方を間違えたようだ。
全く…うら若き女子高生に声を掛けてもらえるだけでも有り難いと思い給えよ!…と、そんな事はどうでも良いのだ。
「ロイドは今日もバイトだろ?」
「そうだな。今日は週末だしちょっと遅くなるかもしれないけどな」
「じゃあ、帰ってきたら飯でも食いに行かない?クラトスから諭吉を貰ってるからさ」
にっこりと笑いながら親指を立てると、ロイドは目を輝かせながらマジでと食いついてきた。こういう所はほんと子どもっぽいのな。
「あ、でも父さんは…?」
「職場の人と飯食ってくるってさー」
「そっか。じゃあ、普段食わないようなもの食いにいこーぜ」
「となると…アレ、だな?」
「おう、アレだ」
「「マック!」」
という事で、今日のお夕飯はマックに決定ざます。やっぱり若いからジャンクなフードも食べたくなるのよ。
用事も終わったので私はロイドのクラスからさっさと立ち去り自分のクラスへと戻っていく。
なーんか、最近こそこそと陰口か知らんけど言われるんだよな。恐らく、籍も早々に入れてロイドと一緒に暮らしてるからだろうな。
言いたい事があるなら面と向かって言えっての。
今日の授業は終わり、部活もしていない私は急いで家へと帰宅する。今日もばっちり変装して職場へと向かった。勿論制服も忘れずに。
「おはようございます、シャッチョサァン」
「いい加減に普通に呼べないのか、愛奈」
「善処します。それで、今日の業務内容は?」
「……今日は私と共に会議に出て補佐をしてもらう。なに、難しい事はさせぬ。皆に書類や茶を配る位だな」
「それだけなら簡単そうに聞こえるんですが…その会議に…」
「勿論貴様の旦那も出席するな」
私がビクビクしながら聞いたというのに社長ときたら非常に楽しそうな笑みを浮かべて言いやがるので、私は思わず社長の椅子をぐるぐると回してやりたくなった。
しかし、やらないわけにもいかないので極力出すもん出したら直ぐに裏に引っ込むようにするとしよう。
「さて、そろそろ会議の時間だ。服装はそのままで良いからついてこい」
「はい 、ご主人様 」
「ふむ、悪くない。次からはそう呼んでもらうとしよう」
「くそくらえだ 」
「…減給、か」
「大変申し訳御座いませんでした」
減給は止めてくれ。その手段は私に効く。なんて下らないやり取りをしながら私達は会議室へと向かった。
社長の後ろを歩きながら中に入ると、既に会社の重鎮達が揃っておりその中にクラトスの顔もあった。
此処でびくついていてはバレそうなので、私はしれっとした様子で堂々と社長の後ろをついて歩く。
「おい、あれは誰だ…新しい秘書か?」
「しかし、そんな事は聞いておらぬえ」
「ふんっ…豚にしてはマシな部類か」
「マグニス、其処までにしておきなさい。クラトス様とユグドラシル様が睨んでいますよ」
「フォッフォッフォ、これはこれは…お若い方が入ってきましたね。目の保養になります」
一癖も二癖もありそうな方々が私を見てはひそひそと(一部除き)噂しているが、私は表情を変えずひたすらにっこりと能面の様な笑顔を貼り付けていた。ああ、既に帰りたい。しかし、此処で帰ってしまえば給料が貰えないのでぐっと堪える私。
「では、皆に資料を。田中」
「はっ、畏まりました」
社長は気を遣って偽名で私を呼んでくれるが、社長よ。何故そのチョイスなんだ。私は一体誰にタイキックすればいいんだ。いや、される側か。
何にしても吹き出さなかった私をどうか褒め称えてほしい。それも楽団を呼んで盛大に。
と思いなら私は皆に資料を配り始める。それぞれ違った反応を見せるが、クラトスは神妙な顔をしながら此方をじっと見詰めてきた。
「…何か?えっと…」
「クラトス、だ」
「承知致しました、クラトス様。それで、私の顔に何か付いていましたか?」
「いや…ただ見知った顔に似ていると思ったが…近くで見れば似ても似つかぬと思ってな。不快だったのならば謝ろう。すまなかった、田中」
素直に謝るクラトスに私はお気になさらずと笑みを貼り付けたまま言い他の人に資料を配りだす。
ヤバい…クラトスに田中と呼ばれて腹筋が限界だ。どうしてくれんだよ、社長!と睨み付けると社長もまた笑いを堪えていた。いっそ笑って軽蔑されちまえ!
「資料も配り終えたので私は皆様にお茶をご用意させて頂く為失礼させて頂きます」
もう限界だったので私は皆に一礼し急いで会議室を出て給湯室へと急ぎ足で向かった。あれ以上居たら抱腹絶倒していたに違いない。いかん、危ない危ない。
「ふっ…あっはははははっ!な、何だよ田中って!もう少しマシな名前出てこなかったのかよ!ネーミングセンス最高だな、社長!」
誰も居ない給湯室で私は皆の茶を淹れながら一人大爆笑していた。だって無理だろ。これは笑うしかない。というか、あの社長の事だからもっとちゃんとしたオシャンティな名前が出てくると思ったら…よりにもよって田中って…!
「んっ…ふふっ…やっべ…笑いが止まらね…!」
「随分と楽しそうだな、『愛奈』」
「だって可笑しいだ…ろ…!?」
何者かに声を掛けられて笑いながら振り向くと、私の顔は引き攣り凍り付いた。何でこの人が此処に、しかも心なしかドスの効いた声じゃあないか?
兎に角何事も無かったかの様ににこりと笑みを浮かべるとしらばっくれる事に決める。
「……あら、どうかなさいましたか?クラトス様?」
「今更取り繕っても無駄だ。何故此処に居るのか説明してもらおうか」
「はてさて、何の事やら…何方かとお間違えでは御座いませんか?」
「先程私は愛奈と呼んだのだが、何故その名に反応した?」
「……」
じりじりと壁際まで追いやられ問い詰められると、私の顔からは徐々に笑みが消えていき最終的には今にも泣きそうな顔になってしまったので、クラトスは深い溜息を吐いてやり過ぎたかと呟いた。
「…其れを持っていくのだろう?冷める前に持っていきなさい。詳しい話は帰ってから聞く」
「はい、クラトス様」
「っ…いいから、早く行け…」
先程の様なきつい言い方ではなく幾分か優しい声色で早く行けと言われたので、私は人数分の茶をティーワゴンに乗せて会議室へと戻り皆に茶を配って直ぐに社長室へと引っ込んだ。
どうしよう…自分で蒔いた種とはいえ帰るのが怖すぎる。最悪離婚だー!って言われたらどうしよう。
広い部屋で一人どうしようどうしようとビクビクしていると、会議が終わったのか社長が戻ってきた。それもクラトスを連れて。
「何で、此処に…」
「私が連れてきたのだ。どういう事か説明しろとせがまれてな」
「おぉう…なんてこってぇ…」
立派なソファに腰掛けたままがっくしと肩を落として落ち込むと、クラトスは私の隣に、社長は対面に座りだした。
一体これから何が起きると言うのです。
「…愛奈だが、此処の求人情報を見て連絡してきたので私が雇った。別に年齢や条件にも問題は無かったからな」
「…愛奈、どうして此処で働こうと思ったのか聞いても良いか?」
「……自分が自由に使えるお金が欲しかったんだ」
クラトスに問い掛けられ私が小さな声で答えると、クラトスは眉を下げ少し落ち込んだ様子でそうかと返した。
「何か必要な物があれば買うのだが…」
「貴様は昔から鈍いな、クラトス。其奴は与えられた金では無く自分で得た金で欲しい物を買いたかったのだ。愛奈はお前が思っている程子どもでも何でもない。自分で稼いで欲しい物が買える位にはしっかりしている」
「子ども扱いなどしているつもりは無いが…」
無いと言うが、私は子ども扱いも嫌だがただただ買い与えられるだけの存在にはなりたくはない。それがどうしてこの人には伝わらないのだろうか…そう思いながら黙りこくって俯いてしまう。
「…尚更タチが悪いな。今日の所は二人とも帰れ。愛奈、今日はうちのクラトスがすまなかったな。多少色を付けてある」
そう言って社長は懐から封筒を取り出すと私に手渡す。昨日よりも分厚く、少々受け取りづらかったがくれるというのであればと私は震える手で其れを受け取った。
「…有り難う…御座います」
「まだやる気があるのならば来週も来い。分かったな?」
「え?あ、は、はい…」
「なに、クラトスは気にしなくても良い。お前が来たいと思えば来い。子どもではないのだ、自分で決めろ」
「………」
「分かりました…宜しくお願いいたします」
心救われるような社長の言葉に私は思わず涙を流しそうになり、へにゃりと情けない笑顔を浮かべながら頭を下げてクラトスと共に社長室を後にした。
地下駐車場に停められたクラトスの車に乗り込み帰宅するが、道中の空気といったら…まるでお葬式後並に重々しかった。
「ただいまー…って、あ…そうか。ロイドは遅くなるって言ってたっけ」
家に到着し玄関の鍵を開けて中に入るが明かりは点いてはおらず、そういえばロイドの帰宅が遅いことに気が付いてぼそりと呟く。
「そうなのか?」
「うん…」
「……少し、話すか」
クラトスは普段通りに見えるが少しだけ物哀しげな表情で笑むと家の明かりを順々に点けていった。その原因が私にあるのだと思うと申し訳無く思い、しょんぼりとしながらクラトスの後をとぼとぼとついてリビングへと歩いていった。
クラトスは先にダイニングテーブルに座り、私は話をするにも何か飲み物がいるだろうとキッチンの方へと向かった。
「珈琲でも淹れようか?」
「ああ、すまない」
「…こういう時は有り難う、だろ?」
「そうだな…有り難う」
「ん」
少しだけ空気が暖かくなった気がして私達の表情は柔らかくなった。ふう、と安堵の溜息を吐いてから私は二人分の珈琲を淹れて席に着いた。
「…お前は以前働きたいと言っていたな。だというのに、私の我が儘で我慢させてしまっていたのだな」
「我慢だなんて…ただ、学校から帰ってきて一人で待っているのが退屈だった…ってのもある。それに、自分が稼いだお金でクラトスやロイドに何かプレゼントがしたかった。人から貰ったお金でプレゼントってのもな」
「そうか…お前の意志を汲んでやれずすまなかった。今後は自由に働く事と良い。私達はこれ以上お前がする事に口を出さぬ様にする」
淹れたての珈琲を口にしながら苦笑いを浮かべるクラトスに私は有り難うと礼を言って砂糖もミルクも入っていない熱い珈琲をちびちびと啜る。
漸く認められたようで何だか嬉しかった。いや、認められてなかった訳ではないだろうけど、一人でも出来るって…大丈夫なんだって解ってもらえた。そんな気がする。
勿論、心配してもらえるのは凄く嬉しい。でも、それがいきすぎると窮屈だし何だか寂しくなる。
「てか、もっと早くこうして話してれば私も慣れないメイクとか変装しなくてすんだのにな」
「あれはあれで良かったぞ。今度二人きりの時にでも楽しむとしよう」
「そういうプレイ目的でー…?」
色っぽい表情と声で囁くように言われて私は顔を紅くさせながら頬を膨らませると、クラトスはくすりと笑ってゆっくりと苦い珈琲を一口飲んだ。
本当にこの人は…でも、今日は週末だ。ロイドが寝てからなら付き合ってやっても良いかな。
なんてやっていると。
「ただいまー…って、父さんも帰ってきてたのか」
ロイドが帰ってきて荷物や上着をコート掛けに掛けていると、私の存在に気が付きぎょっとした様子で私を凝視していた。
「ええぇ!?と、父さん!愛奈がいるのに何で女の人を連れ込んでいるんだよ!」
「ちょいちょい、ロイド君や。私じゃよ、愛奈じゃよ」
あまりにも良い反応をしてくれるので、私はネタ晴らしにウィッグを外してけらけら笑ってやるとロイドは更に驚いていた。何でだよ。そんなに似合わなかったか?
「うわぁっ!ほんとに愛奈…あ、母さんだ…。別人かと思った…」
「はははっ!驚きすぎだっての!…さて、と。腹も減ったしこのまま食事に行くか。クラトスも一緒に行くだろ?」
「ああ、折角だしな」
「じゃあ、諭吉様をお返ししないとな」
「返さなくても良い。それは持っていなさい」
がさごそと財布から今朝クラトスから貰った金を出そうとすると、クラトスは首を振って返さなくて良いと言った。
それじゃあ、お言葉に甘えて頂くとしよう。これはまたの機会にロイドと飯食いに行く時にでも使わせてもらおうっと。
こうして波乱万丈な一日が終わり、色々とクラトスとまた一つ解り合えた。本当に『色々と』な…。お陰で週末はほぼぐだぐだしながら過ごしたのであった。
私永凜 愛奈改め愛奈・アウリオンは学校からの帰宅後、アウリオン宅で家事を済ませた後広いリビングで一人ゴロゴロと寛いでいた。
いや、ほんと暇なんだよ。ロイドは部活の後バイトに行ってしまうから夜遅くにならないと帰ってこないし、クラトスも基本的に仕事が終わるのが夜中なので遅い。
なので私もバイトしたいと申し出てみたところ…。
「帰る時に何かあったらどうするんだよ」
「何か欲しい物でもあるのか?では、生活費を少し多めに渡しておこう」
そう言って二人とも私にバイトをさせてくれないのだ。遺憾の意。私だってガキじゃあるまいし、人並みにバイトして帰ってこられるっての。それに、生活費として与えられた金を自由に使うのも何だか気が引けて使いづらい。
どうせ夜21時頃まではロイドも帰ってこないし近場でバイトするかな。
そう思って私はスマホで求人サイトを漁りだした。求人情報誌では見付かるリスクがあるからな。
そして、暫く閲覧していると一件の求人情報に目が行った。
「へー、結構近場でもあるもんだな。おっ、これなんか給料良いし良い感じ。なになに…社長室の掃除兼雑務…慣れてきたら他の業務も…何!?必要に応じて資格取得出来る上に補助まで出るのか!?…ふむふむ、此処なら近いし直ぐ帰ってこれる。時間も応相談、希望があれば社員登用有り…将来此処で働くのも悪くないなぁ」
詳しい内容まで見た上で私は早速電話を掛けてみる事にした。行動力とフットワークには自身があるのだよ!
数コールして低い素敵ボイスな男性が電話に出た。もう好印象だ。声が素敵すぎる。
「も、もしもしっ…あ、のえっと…愛奈・アウリオンという者ですが…!」
『…?愛奈・アウリオン、だと?』
「はい。お、御社の求人情報を見てお電話を掛けさせて頂いたのですが…まだ募集はされていますでしょうか?」
『……少し待て』
緊張しながら必死に喋っている最中、私は内心これは無いわ、落ちたわと確信した。
正直言ってキモオタよりも気持ちが悪かっただろう。
半ば諦めながら保留音を聞きつつ相手を待っていると少しして再び男性の声が聞こえた。よし、断られる覚悟をしよう。
『…待たせたな。まd』
「あ、す…すみません!貴重なお時間を無駄にしてしまい…大変申し訳ありませんでした!」
『話は最後まで聞け。明日夕方から面接を行うから私の元に来い。受付の方には話は通しておく』
「へ…?あ…有り難う御座います!必要な物とかは御座いますか?」
まさか面接を行ってもらえるとは思わず話も禄に聞かずに切るところだった。危ない危ない。
私は明日の面談に必要な物は無いか聞く。何も聞かずに恥を掻くのは勘弁願いたい。
『必要な物か…そうだな、特に持ってきてもらう物は無いがスーツを着てきてもらおう』
「はい、スーツですね。分かりました…では、明日はよろしくお願いします」
『ああ、待っている』
そう言ってぶつりと電話が切られ私は安堵の溜息を吐いた。これで第一関門は突破した。あとは…スーツを買いに行くだけだ。
普通のリクルートスーツなら今までこつこつ貯めてきた貯金で十分買えるだろ。二人が帰ってくるまでまだ3時間くらいは余裕があるから、近所の店なら十分戻ってこれる。
私は道中のATMで金を下ろしてから店に行き、人生初のスーツを購入したのだった。
序でにパンプスとストッキングとシャツ、あとは別の店でウィッグとメイク道具も購入したらそこそこいいお値段でしたとさ。とほほ。
でも、これは先行投資だ。これらがあれば今回のが落ちても次に行ける。
上機嫌で帰路につき、家に誰も帰ってきていないか確認してから中に入った。
「よし、誰も帰ってきていないな。これを自分の部屋のクローゼットに仕舞うか…」
私は二人が帰ってきてしまう前に先程購入した物をクローゼットに隠すように仕舞ってから夕食の支度をし始めた。
明日は面接が受かるようにとんかつにしよう。本当はトンテキにしようかと思ってたんだけど…それはまたの機会に。
「ただいまー…あー、疲れた」
バイトから帰ってきたロイドがぐったりした様子で帰ってきたので、私はにこりと微笑みながらキッチンから顔をひょっこり出す。これはかなりお疲れだな。何だか窶れて見える。
「お帰り、ロイドー。もうすぐで飯が出来るからちょっと待っててな」
「おう。今日は…やった!とんかつか!」
「おういえすいえす」
ロイドはキッチンの方まで夕飯を確認しに来ると、先程まで疲れ果てた顔をしていたのに綺麗な黄金色に揚がっているとんかつを見た瞬間ぱあっと明るい表情になった。
そんなロイドの表情を見ているとこっちまで嬉しくなっちゃうっての。
「さ、向こう行った行った」
「え?味見は?」
「大丈夫だ問題無い。ちゃんと私がしておいたから」
「狡いぞ!」
「ふふん、作ってる者の特権だよ」
自慢げに笑みながら私は再び調理に取り掛かるのでロイドはダイニングテーブルの方へと移動し、スマホのゲームをしながら料理が出来上がるのを待った。
全ての料理を創り終えた所でクラトスも帰ってきたので、三人分の食器を用意して出来上がった料理を次々と皿に盛り付けてテーブルへと並べていく。
「ほう、今日はとんかつか。何か良いことでもあったのか?」
「…うんにゃ?何となく食べたくなったからとんかつにしただけ」
「そうか」
明日面接があるから験担ぎに、なんて言える訳ないので適当に誤魔化しておいた。なあに、嘘は言っていない。とんかつが食べたかったのも事実だしな。
「「いっただきまーす」」
「いただきます」
それぞれ好きな調味料を掛けてとんかつを食べていくと、あんなに苦労したとんかつはあっという間に消えてしまった。作るのは時間掛かっても食べるのは一瞬…はっきりわかんだね。
食事も終わったところで私は食器を片付け明日に備えて早めに風呂入って寝ようと…
思ってた矢先に。
「愛奈、この後共に風呂に」
「入りません。明日学校なのでそれは休み前にオナシャスセンセンシャル」
「そ、そうか…分かった…」
クラトスが誘ってきたので私は速攻で断りさっさと風呂に行ってしまう。面接が無くとも明日も学校なので勘弁してほしい。ただ一緒に風呂に入るだけなら構わないんだけど、それだけで済まないから断るのだ。
心なしかしょんぼりしているクラトスがちょっぴり可哀想に見えたので、頭を撫でて週末になと言ってやると何ともまあ嬉しそうな顔を浮かべて頷くじゃないの。ほんと、親子そっくりだな。ちょっとだけ羨ましい。
「スーツ良し、メイク良し、ウィッグも良し、マスク良し。これでぱっと見私だとは分からないだろ」
学校から帰宅して直ぐに面接の準備をし、私は完璧に準備を済ませてから面接会場である大手企業クルシスコーポレーションへと向かった。
「おおう…これはまた…凄い…何だか場違いな気がする…」
大きなビルに広いエントランス…何だか自分がちっぽけに見えてしょうがなかったが、勇気を出して受付の綺麗なお姉さんに声を掛けて面接に来た事を伝えると社長室へと案内してくれた。
その様子を何者かが見ていた事に私は気が付くことは無かった。
「此方が社長室で御座います」
「あ、ああ…有り難う御座いますっ…」
「ふふっ、面接頑張って下さいね」
「はひっ!」
綺麗なお姉さんに頑張ってと応援され、同性ながらドキドキしてしまって思わず声が裏返ってしまった。ああ、穴があったら入りたい…。
お姉さんが去ったのを確認してから私は控えめに立派な造りのドアをノックした。
「…入れ」
「し、失礼します」
入室の許可も頂いたので中へと入ると、部屋の中央に置かれた私みたいな庶民が座るのも謀られるような豪華なソファに社長と思わしき人物が腰掛けていた。
なんて綺麗な人なんだろう。髪なんかさらっさらのブロンドで夕日が反射してキラキラ輝いている。
「何をしている。早く座れ」
「…あ、は、はいっ!失礼します!」
暫くの間思わず男性の髪にみとれていると呆れた様子で指摘され私は慌てて一礼してから向かい側に腰掛けた。
「では、志望動機を聞かせてもらおうか」
「はい。…暇だか……自分が自由に使えるお金が欲しかったからです」
「ほう…しかし、貴様は別に金に困っている様には見えぬが?」
「え…?何でそれを?」
履歴書もましてや学生である事すら明かしていないというのに、何故この人は私の事をまるでよく知っているかの様に語るのだろう。
失礼だとは思うが首を傾げて質問すると、社長は私から視線を外し窓の外を見だした。
「…我が社の面接を受けるのだ。身辺調査くらいする」
「ああ、成る程。それで…。確かにお金には困ってはいません。ただ、愛する人に何かプレゼントするにもその人がくれたお金を使うのは嫌ですし、私も気兼ねなく使えるお金が欲しかったのです」
「そうか……さて、志望動機も分かった。早速業務に取り掛かってもらうが…そうだな、先ずはこの部屋を掃除してもらおうか。着替えは用意してくるから隣の資料室で着替えてこい」
ローテーブルに制服が入っているであろう紙袋を雑に置くと隣の部屋を見て着替えてこいと言われる。
え、もしかしてこれは…もしかしなくとも…!?
「は、はい…って、さ、さささ…採用ですか!?」
「でなければ追い返している。良いから早く着替えてこい」
「左様d」
「下らん冗談をこれ以上言うようなら即刻クビにしても構わんが?」
「すみませんでした今すぐ着替えてきます!」
採用になって早々クビになるのは嫌だったので慌てて紙袋を持って隣の資料室で着替える私。
さーて、どんな制服かなー。格好いいのがいいなー…なんて期待を膨らませながら紙袋から制服を取り出すと、それは制服というよりは…。
「メイド服やんけこれ」
いや、社長ほどお偉い人になるとメイドの一人や二人は当たり前なのかもしれない。
そう思ってメイド服に袖を通すと…着れなくはないがきつい…。そのうち何処かの世紀末覇者の様に破きそうだ。
身辺調査するならちゃんと服のサイズも調査して…いや、それはあかんな。
しゃあない…一応着れたし戻るか。
「只今戻りました…」
「ほう…これは…。では、その服の状態でこの部屋の掃除をしろ。掃除用具は資料室のロッカーに入っている」
「ハァイ、シャッチョサァン」
「おい、化けの皮が剥がれかけているぞ」
「気のせいですよ。では早速始めまーす」
少し緊張が解れ社長が言うとおり化けの皮が剥がれそうになったが、何とか持ちこたえた…持ちこたえれたよな?
資料室に掃除用具があると言うので再び資料室へと戻り、掃除機と雑巾とバケツを回収してから掃除を始めた。
「ここから地獄だ じっごっくだーにー」
掃除機を掛けながら鼻歌ではなく普通に歌を歌っていると、社長がじろじろと見てくるので気にしないようにした。気にしたらお仕舞いだ。
「…おい、掃除機の音に紛れて妙な歌が聞こえるんだが」
「僕と あっくしゅだー 特撮ヒーロー」
「おい」
「黒き黒豚か 指宿ー」
「おい聞け」
「……ああ、すみません。掃除に夢中で」
「夢中になっていたのは掃除ではなく歌ではないのか」
「…へへっ…」
気にせずに歌を歌いながら掃除を続けていると、流石に怒気を孕んだドスの効いた低音ヴォイスで突っ込まれたので歌うのを止める。
序でに床掃除も終わったので雑巾を手に持って窓、棚、机等を拭き上げていく。
「あ、お茶飲みます?」
「雑巾を持って聞くな。絶対にそれで何かしでかすつもりだろう」
「……まさかぁ…」
「良いから早く淹れてこい」
「了解しやした」
私はびしっと敬礼して給湯室の場所を聞いてから茶を淹れに行った。雑巾も持って行こうとしたら割とガチめに怒られたので渋々止めておいた。これでクビが飛ぶだけで済まなかったら流石に洒落にならん。
そんな事を考えながら給湯室で二人分の茶を淹れていると、不意に背後から会話が聞こえて来た。
「全く…!何なのだ、あの無茶振りは!ミトスは何時も私にこんな事ばかりをさせて…!」
「落ち着け、ユアン。此処は社長室も近い…あれに聞かれては余計に面倒な事になるぞ」
「しかしだな、クラトス!」
今私の聞き間違いでなければクラトスとか言ったか!?聞き間違いでも無ければ、あの声は正しくクラトスの声だ…此処に入ってくる前に茶を持って早々に社長室に戻らなくては。
私は手早く茶を淹れそれを持って社長室へと逃げる様に去った。
「あれが今度の犠牲者か。しかし、今度はメイドとはな…ミトスの遊び相手に付き合わされるあの女性も災難だな」
「………」
「…?どうしたんだ、クラトス」
「いや…私の良く知る者に似ていると思ってな。だが、どうやら気のせいの様だ。愛奈が此処に居る筈が…それにあの様な髪色でも髪型でも無かった…」
「愛奈…ああ、お前の幼妻か。お前も随分と変わったな。まさか息子と同じ歳の女児を娶るなんてな」
「幼妻と言うな。愛奈は私やロイドよりもしっかりしている…抜けているところは多々あるがな。愛奈は何時も私が帰宅するまで起きて待っている上に、常に暖かい料理を用意して待ってくれている」
「…惚気か」
「ああ、惚気だ。お前も早くマーテルに告白するのだな」
「い、言われなくとも何れ気を見計らってするつもりだ!行くぞっ!」
「フッ…」
「た、只今戻りましたー…」
「随分と早かったな。そんなに急いでどうした」
茶を持って社長室へと戻ると、社長は立派なデスクで仕事していたのでそっと茶を置いて、自分の分は面接の時に使ったローデスクへと置いて啜り出す。
「それがちょっと知り合いに出くわしましてねー…いやあ、焦った焦った」
「くっ…ふふっ…そ、そうか…」
私の話を聞いた社長は作業する手を止めて口許を抑えると笑いを堪えていた。いや、マジで笑い事じゃ無いんだが……まさか…!
「社長…もしかして、クラトスが此処に居るのを知って私を雇ったんじゃ…」
「クラトスは此処の社員…それも重役だぞ?私が知らぬ訳あるまい。それに、そのファミリーネームは他に居ないからな」
「酷い…」
「それで?辞めるのか?」
おいよいよと泣くフリをしていると辞めるかと聞かれ慌てて首を横に振った。こんな好待遇高時給…他には無いから辞めるわけにはいかない。例え多少のリスクがあろうと。
「そうか…それは良かった。これで退屈せずに済むな」
「そんな理由で雇ったんですか、あんた…おっと、すいやせん。シャッチョサァン」
「本当に遠慮という物が無くなってきたな。まあいい…これは今日の分の給料だ」
引き出しから茶封筒を取り出して私に差し出すと、私はうきうきしながら受け取った。受け取ったのは良いんだけど…何かちょっと厚くない?
一体幾ら入れたんだと行儀が悪いが中を確認すると、諭吉がひぃふぅみぃ…え…十人くらい居るんだけど…給料がそこいらのキャバ嬢よりも高いんじゃないかという額だった。いや、キャバ嬢の給料知らんけど。
「あの…これ…額を間違えていませんか…?」
「私を楽しませてくれた礼だ。今日はもう帰って良いぞ。クラトスよりも早く帰らねばらなんのだろう?また明日も来い」
「あ、あ…有り難う御座います…。ではまた明日…失礼します」
茶封筒を大事に握り締めて一礼すると私は掃除用具を持って資料室へと行き着替えを済ませてから帰宅した。
うっかり制服であるメイド服を持って帰ってきてしまったが…どうしよう。部屋干しするにもリビングには干せないし…自分の部屋に干すしかなよなぁ…それなら急いで帰らなきゃ。
慣れない靴で急いで自宅へと走って帰ると誰も帰ってきていなかった。よしよし。
「洗濯している間に米炊いてスーツをハンガーに掛けて、メイク落として…うがー!忙しすぎる!世の働く女性ってすげー!」
謎の奇声を発しながら家事を一つずつこなして、何とか全ての家事を終わらせる事が出来た。ミッションコンプリート。
慣れないことをした所為でいつも以上に疲れたのでソファでぐったりとしているとロイドが帰ってきた。
「ただいまー…って、何だか疲れてるなぁ。別に飯は父さんと一緒に食うからまだゆっくりしてろよ」
「ごめん…ちょっと休憩したら飯作るか、ら…クラトス帰って、きた、ら…起こし……」
あまりの眠気に堪えきれず、私はソファに深く凭れ掛かって寝てしまった。そんな私を見て苦笑いを浮かべながら隣に座って自分の膝に私の頭を乗せて撫でるロイド。まあ、寝ているからそれに気付くのは起きてからなんだが。
「ただいま。…む…愛奈は寝てしまっているのか」
「お帰り、父さん。何だか疲れてるみたいでさ。今日体育があったからかな」
「…かもしれぬな。食事の方は私がやっておこう…お前はそのまま愛奈の枕になっているといい」
「ははっ、何だよそれ」
後は温めるだけになっている料理をクラトスが温めている間にロイドはスマホを弄りながら私の頭を撫でていた。
キッチンから腹を刺激するような良い香りが漂ってくると私は飛び起きた。
「飯!?…ロイド!クラトスが帰ってきたら起こしてって言ったじゃん!」
「おはよう、愛奈。寝起きの一言目が飯って…愛奈らしいな」
「ええい茶化すな!てか、家ではちゃんとお母様とお呼びって言ってるだろ!」
「いや、お母様と呼べなんて事は一言も言われた事ないんだけど…」
「お黙り!…ごめんっ、クラトス!直ぐに交代するわ!」
ロイドと言い合いしている間にもドンドンと料理が温められ皿に盛られていくので、私は慌ててロイドから離れてキッチンへと駆けていった。
「私がロイドに起こすなと言ったのだ」
「…それでも、飯作るのは私の役目だ。さあ、席に着いた着いた」
「分かったから押すな…」
クラトスの背を押してキッチンから追い出すと、クラトスは笑いながら出て行き自室に向かった。そして、スーツをハンガーに掛けてゆったりとしたルームウェアに着替えてきた。ルームウェアもイケメンに掛かったら何だかファッショナブルな格好に見えてくるのは気のせいか。
と思いながら私は料理を盛り付けてテーブルに運んだ。
「今日は肉多め野菜マシマシの野菜炒めじゃ!」
「それって…ただ量の多い野菜炒めじゃ…」
「そうとも言う!イタダキヤスドリキャス」
「「いただきます」」
野菜炒めには突っ込んだのに私の妙な食事の挨拶に突っ込まずしれっと食うロイドに私は後者にも突っ込んでくれたって良いじゃないかとぶつくさ文句を垂れる。
そんな文句にも二人は笑うので私はまあいっかと苦笑いして流す。元よりそう文句言うような内容でも無かったしな。
「ところで…今日は随分と疲れていた様だが何かあったのか?」
「今日はちょっとなー…肉体労働が多くて…こき使いすぎだわ、あの先公のハサウェイ…いや、ハサウェイて名前じゃないけど」
「そうだったか。そういうことならば無理して家事をこなさずとも良い。食事も外で食べれば良い」
「おう…お心遣い痛み入るわ」
実際学校であちこちたらい回しにされて疲れてもいたので強ち嘘ではないのだが、クラトスの心遣いに良心が凄く痛むのはやっぱり疚しいことがあるからだろうか。
何時かは話さなくちゃとは思うんだけど、今はまだちょっと心の準備が出来ていないのでそれはまた後日…って先延ばしにして余計に辛い思いをする未来しか見えない。
「イテキマー」
「愛奈、少し待ちなさい」
今日もあの社長の相手に頑張るぞーと心の中で呟きながら登校しようとすると、クラトスに呼び止められたので私は何ぞやと振り向いて首を傾げる。
「先程社長から連絡があってな…今日は少し帰りが遅くなる。食事はロイドと一緒に済ませてきなさい」
そう言ってクラトスは財布から諭吉を一人取り出して私に渡す。え、学生二人の食事に諭吉をポォンと出すか、普通。学生の飯っつったらランランルーか吉○屋だろJK…あ、JKは私かてへぺろりん。
と思うが、頂ける物は何でも頂く主義なので有り難く頂戴しておいた。
「クラトスは?」
「私は帰りに同僚と食べてくるから気にしなくても良い」
「分かった。学校でロイドにも伝えとくわ」
「すまぬな…」
「良いって事よ。んじゃ、改めて…イテキマー!」
「ああ、いってらっしゃい」
少しゆっくり話していたので遅刻までは行かないが割とギリギリなので私は勢いよく走り出す。学校へと全速前進DA☆
「ローイド」
「まー○の、みたいな呼び方するなよな…」
別のクラスに居るロイドに今朝クラトスと話した内容を伝えに来たのだが…どうやら声のかけ方を間違えたようだ。
全く…うら若き女子高生に声を掛けてもらえるだけでも有り難いと思い給えよ!…と、そんな事はどうでも良いのだ。
「ロイドは今日もバイトだろ?」
「そうだな。今日は週末だしちょっと遅くなるかもしれないけどな」
「じゃあ、帰ってきたら飯でも食いに行かない?クラトスから諭吉を貰ってるからさ」
にっこりと笑いながら親指を立てると、ロイドは目を輝かせながらマジでと食いついてきた。こういう所はほんと子どもっぽいのな。
「あ、でも父さんは…?」
「職場の人と飯食ってくるってさー」
「そっか。じゃあ、普段食わないようなもの食いにいこーぜ」
「となると…アレ、だな?」
「おう、アレだ」
「「マック!」」
という事で、今日のお夕飯はマックに決定ざます。やっぱり若いからジャンクなフードも食べたくなるのよ。
用事も終わったので私はロイドのクラスからさっさと立ち去り自分のクラスへと戻っていく。
なーんか、最近こそこそと陰口か知らんけど言われるんだよな。恐らく、籍も早々に入れてロイドと一緒に暮らしてるからだろうな。
言いたい事があるなら面と向かって言えっての。
今日の授業は終わり、部活もしていない私は急いで家へと帰宅する。今日もばっちり変装して職場へと向かった。勿論制服も忘れずに。
「おはようございます、シャッチョサァン」
「いい加減に普通に呼べないのか、愛奈」
「善処します。それで、今日の業務内容は?」
「……今日は私と共に会議に出て補佐をしてもらう。なに、難しい事はさせぬ。皆に書類や茶を配る位だな」
「それだけなら簡単そうに聞こえるんですが…その会議に…」
「勿論貴様の旦那も出席するな」
私がビクビクしながら聞いたというのに社長ときたら非常に楽しそうな笑みを浮かべて言いやがるので、私は思わず社長の椅子をぐるぐると回してやりたくなった。
しかし、やらないわけにもいかないので極力出すもん出したら直ぐに裏に引っ込むようにするとしよう。
「さて、そろそろ会議の時間だ。服装はそのままで良いからついてこい」
「
「ふむ、悪くない。次からはそう呼んでもらうとしよう」
「
「…減給、か」
「大変申し訳御座いませんでした」
減給は止めてくれ。その手段は私に効く。なんて下らないやり取りをしながら私達は会議室へと向かった。
社長の後ろを歩きながら中に入ると、既に会社の重鎮達が揃っておりその中にクラトスの顔もあった。
此処でびくついていてはバレそうなので、私はしれっとした様子で堂々と社長の後ろをついて歩く。
「おい、あれは誰だ…新しい秘書か?」
「しかし、そんな事は聞いておらぬえ」
「ふんっ…豚にしてはマシな部類か」
「マグニス、其処までにしておきなさい。クラトス様とユグドラシル様が睨んでいますよ」
「フォッフォッフォ、これはこれは…お若い方が入ってきましたね。目の保養になります」
一癖も二癖もありそうな方々が私を見てはひそひそと(一部除き)噂しているが、私は表情を変えずひたすらにっこりと能面の様な笑顔を貼り付けていた。ああ、既に帰りたい。しかし、此処で帰ってしまえば給料が貰えないのでぐっと堪える私。
「では、皆に資料を。田中」
「はっ、畏まりました」
社長は気を遣って偽名で私を呼んでくれるが、社長よ。何故そのチョイスなんだ。私は一体誰にタイキックすればいいんだ。いや、される側か。
何にしても吹き出さなかった私をどうか褒め称えてほしい。それも楽団を呼んで盛大に。
と思いなら私は皆に資料を配り始める。それぞれ違った反応を見せるが、クラトスは神妙な顔をしながら此方をじっと見詰めてきた。
「…何か?えっと…」
「クラトス、だ」
「承知致しました、クラトス様。それで、私の顔に何か付いていましたか?」
「いや…ただ見知った顔に似ていると思ったが…近くで見れば似ても似つかぬと思ってな。不快だったのならば謝ろう。すまなかった、田中」
素直に謝るクラトスに私はお気になさらずと笑みを貼り付けたまま言い他の人に資料を配りだす。
ヤバい…クラトスに田中と呼ばれて腹筋が限界だ。どうしてくれんだよ、社長!と睨み付けると社長もまた笑いを堪えていた。いっそ笑って軽蔑されちまえ!
「資料も配り終えたので私は皆様にお茶をご用意させて頂く為失礼させて頂きます」
もう限界だったので私は皆に一礼し急いで会議室を出て給湯室へと急ぎ足で向かった。あれ以上居たら抱腹絶倒していたに違いない。いかん、危ない危ない。
「ふっ…あっはははははっ!な、何だよ田中って!もう少しマシな名前出てこなかったのかよ!ネーミングセンス最高だな、社長!」
誰も居ない給湯室で私は皆の茶を淹れながら一人大爆笑していた。だって無理だろ。これは笑うしかない。というか、あの社長の事だからもっとちゃんとしたオシャンティな名前が出てくると思ったら…よりにもよって田中って…!
「んっ…ふふっ…やっべ…笑いが止まらね…!」
「随分と楽しそうだな、『愛奈』」
「だって可笑しいだ…ろ…!?」
何者かに声を掛けられて笑いながら振り向くと、私の顔は引き攣り凍り付いた。何でこの人が此処に、しかも心なしかドスの効いた声じゃあないか?
兎に角何事も無かったかの様ににこりと笑みを浮かべるとしらばっくれる事に決める。
「……あら、どうかなさいましたか?クラトス様?」
「今更取り繕っても無駄だ。何故此処に居るのか説明してもらおうか」
「はてさて、何の事やら…何方かとお間違えでは御座いませんか?」
「先程私は愛奈と呼んだのだが、何故その名に反応した?」
「……」
じりじりと壁際まで追いやられ問い詰められると、私の顔からは徐々に笑みが消えていき最終的には今にも泣きそうな顔になってしまったので、クラトスは深い溜息を吐いてやり過ぎたかと呟いた。
「…其れを持っていくのだろう?冷める前に持っていきなさい。詳しい話は帰ってから聞く」
「はい、クラトス様」
「っ…いいから、早く行け…」
先程の様なきつい言い方ではなく幾分か優しい声色で早く行けと言われたので、私は人数分の茶をティーワゴンに乗せて会議室へと戻り皆に茶を配って直ぐに社長室へと引っ込んだ。
どうしよう…自分で蒔いた種とはいえ帰るのが怖すぎる。最悪離婚だー!って言われたらどうしよう。
広い部屋で一人どうしようどうしようとビクビクしていると、会議が終わったのか社長が戻ってきた。それもクラトスを連れて。
「何で、此処に…」
「私が連れてきたのだ。どういう事か説明しろとせがまれてな」
「おぉう…なんてこってぇ…」
立派なソファに腰掛けたままがっくしと肩を落として落ち込むと、クラトスは私の隣に、社長は対面に座りだした。
一体これから何が起きると言うのです。
「…愛奈だが、此処の求人情報を見て連絡してきたので私が雇った。別に年齢や条件にも問題は無かったからな」
「…愛奈、どうして此処で働こうと思ったのか聞いても良いか?」
「……自分が自由に使えるお金が欲しかったんだ」
クラトスに問い掛けられ私が小さな声で答えると、クラトスは眉を下げ少し落ち込んだ様子でそうかと返した。
「何か必要な物があれば買うのだが…」
「貴様は昔から鈍いな、クラトス。其奴は与えられた金では無く自分で得た金で欲しい物を買いたかったのだ。愛奈はお前が思っている程子どもでも何でもない。自分で稼いで欲しい物が買える位にはしっかりしている」
「子ども扱いなどしているつもりは無いが…」
無いと言うが、私は子ども扱いも嫌だがただただ買い与えられるだけの存在にはなりたくはない。それがどうしてこの人には伝わらないのだろうか…そう思いながら黙りこくって俯いてしまう。
「…尚更タチが悪いな。今日の所は二人とも帰れ。愛奈、今日はうちのクラトスがすまなかったな。多少色を付けてある」
そう言って社長は懐から封筒を取り出すと私に手渡す。昨日よりも分厚く、少々受け取りづらかったがくれるというのであればと私は震える手で其れを受け取った。
「…有り難う…御座います」
「まだやる気があるのならば来週も来い。分かったな?」
「え?あ、は、はい…」
「なに、クラトスは気にしなくても良い。お前が来たいと思えば来い。子どもではないのだ、自分で決めろ」
「………」
「分かりました…宜しくお願いいたします」
心救われるような社長の言葉に私は思わず涙を流しそうになり、へにゃりと情けない笑顔を浮かべながら頭を下げてクラトスと共に社長室を後にした。
地下駐車場に停められたクラトスの車に乗り込み帰宅するが、道中の空気といったら…まるでお葬式後並に重々しかった。
「ただいまー…って、あ…そうか。ロイドは遅くなるって言ってたっけ」
家に到着し玄関の鍵を開けて中に入るが明かりは点いてはおらず、そういえばロイドの帰宅が遅いことに気が付いてぼそりと呟く。
「そうなのか?」
「うん…」
「……少し、話すか」
クラトスは普段通りに見えるが少しだけ物哀しげな表情で笑むと家の明かりを順々に点けていった。その原因が私にあるのだと思うと申し訳無く思い、しょんぼりとしながらクラトスの後をとぼとぼとついてリビングへと歩いていった。
クラトスは先にダイニングテーブルに座り、私は話をするにも何か飲み物がいるだろうとキッチンの方へと向かった。
「珈琲でも淹れようか?」
「ああ、すまない」
「…こういう時は有り難う、だろ?」
「そうだな…有り難う」
「ん」
少しだけ空気が暖かくなった気がして私達の表情は柔らかくなった。ふう、と安堵の溜息を吐いてから私は二人分の珈琲を淹れて席に着いた。
「…お前は以前働きたいと言っていたな。だというのに、私の我が儘で我慢させてしまっていたのだな」
「我慢だなんて…ただ、学校から帰ってきて一人で待っているのが退屈だった…ってのもある。それに、自分が稼いだお金でクラトスやロイドに何かプレゼントがしたかった。人から貰ったお金でプレゼントってのもな」
「そうか…お前の意志を汲んでやれずすまなかった。今後は自由に働く事と良い。私達はこれ以上お前がする事に口を出さぬ様にする」
淹れたての珈琲を口にしながら苦笑いを浮かべるクラトスに私は有り難うと礼を言って砂糖もミルクも入っていない熱い珈琲をちびちびと啜る。
漸く認められたようで何だか嬉しかった。いや、認められてなかった訳ではないだろうけど、一人でも出来るって…大丈夫なんだって解ってもらえた。そんな気がする。
勿論、心配してもらえるのは凄く嬉しい。でも、それがいきすぎると窮屈だし何だか寂しくなる。
「てか、もっと早くこうして話してれば私も慣れないメイクとか変装しなくてすんだのにな」
「あれはあれで良かったぞ。今度二人きりの時にでも楽しむとしよう」
「そういうプレイ目的でー…?」
色っぽい表情と声で囁くように言われて私は顔を紅くさせながら頬を膨らませると、クラトスはくすりと笑ってゆっくりと苦い珈琲を一口飲んだ。
本当にこの人は…でも、今日は週末だ。ロイドが寝てからなら付き合ってやっても良いかな。
なんてやっていると。
「ただいまー…って、父さんも帰ってきてたのか」
ロイドが帰ってきて荷物や上着をコート掛けに掛けていると、私の存在に気が付きぎょっとした様子で私を凝視していた。
「ええぇ!?と、父さん!愛奈がいるのに何で女の人を連れ込んでいるんだよ!」
「ちょいちょい、ロイド君や。私じゃよ、愛奈じゃよ」
あまりにも良い反応をしてくれるので、私はネタ晴らしにウィッグを外してけらけら笑ってやるとロイドは更に驚いていた。何でだよ。そんなに似合わなかったか?
「うわぁっ!ほんとに愛奈…あ、母さんだ…。別人かと思った…」
「はははっ!驚きすぎだっての!…さて、と。腹も減ったしこのまま食事に行くか。クラトスも一緒に行くだろ?」
「ああ、折角だしな」
「じゃあ、諭吉様をお返ししないとな」
「返さなくても良い。それは持っていなさい」
がさごそと財布から今朝クラトスから貰った金を出そうとすると、クラトスは首を振って返さなくて良いと言った。
それじゃあ、お言葉に甘えて頂くとしよう。これはまたの機会にロイドと飯食いに行く時にでも使わせてもらおうっと。
こうして波乱万丈な一日が終わり、色々とクラトスとまた一つ解り合えた。本当に『色々と』な…。お陰で週末はほぼぐだぐだしながら過ごしたのであった。