徒花と呼ばないで
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(厄災前)
リンク様、と廊下で控えめな声に呼ばれて立ち止まる。姫様付きになってから顔を合わせる頻度は減ったが、この声が聞ける可能性に賭けてこの道を通る事をやめられずにいた。
振り返った先で、メイドのナマエが静かにお辞儀をした。そして何かに気づき、眉を下げて歩み寄って来る。
「肩が汚れています。またお一人で鍛錬を?」
素振りをしていたから砂埃でもついたのだろうか。払おうとしてくれたのか手が伸ばされたが、リンクの肩に触れる直前で止まる。何か考えるように視線を落とした後、その手は引っ込み、懐からハンカチを取り出した。
どうぞ、と差し出されたが、リンクは受け取らなかった。いつものようにナマエがやってくれるだろうと思ったから。ナマエは出会った時から世話焼きで、怪我を隠しても気づいて手当てしてくれるし汚れは拭いてくれる。年下を特に可愛がるナマエは無口で無表情なリンクにも変わらず接してくれて、それは肩書きに左右されるものではない、はずだった。
ナマエは少しだけ困ったような顔をして、周囲を見回してから肩や腕まわりを拭いてくれた。
「近衛騎士様に不用意に触れるなと、怒られてしまいました。立場を弁えなさい、と」
声をかけるのも無礼にあたると言われ、だから声が小さかったのかと納得する。位を気にする仲ではないが、それは本人達の考えであって周りはそうではない。
「……これまでのようには参りませんね。噂まで立てられて、これ以上リンク様にご迷惑をかけられません」
初めから丁寧な言葉で話す人だったが、今は距離を感じて仕方ない。
噂とは何だろう。問うように瞬きをするとナマエが説明してくれた。
「ご存知ありませんか? 私がリンク様に媚びているそうですよ」
遠ざかったように感じた距離が嘘のように、おどけるナマエに安堵する。
「リンク様をたぶらかしてどうこうだなんて……どうこうって、具体的に何でしょうね? 周りから私は、リンク様に何を求めているように見えるのでしょう」
心底不思議そうにされて、こちらも内心首を傾げる。ナマエには下心というものが一切ない、というかリンクを弟のように見ている節がある。だから少し、やきもきしてしまうのだが。リンクの心中などナマエは知る由もなく、媚び方の話へと変わる。
「私が何をしたところで、リンク様の心が傾かないのは明白だというのに。たとえば、こうやってみたって……」
顎を引いて下から見上げるようにして、小首を傾げて口元に手を寄せるナマエ。小動物のような愛らしさに衝撃が走るが、それが表情に出る事はない。
互いに沈黙の間が出来て、やがてナマエが吹き出した。
「っふふ、あはは! やっぱり、眉一つ動かなかった」
本当は心を乱されて冷静とは程遠いのに、顔に出ないから伝わらない。それでもナマエは楽しそうに笑ってくれるから、悪い事ばかりではないのかもと思わせてくれる。
ひとしきり笑ったあと思い出したように「先輩の真似した事は内緒ですよ」口の前で人差し指を立てたところは、先程とは別の、小悪魔的な愛らしさがあって胸が苦しくなる。
息をついたナマエが突如「すみません」と謝ってきた。
「貴重なお時間をいただいておいて、とんだお戯れを……」
この時間を求めてここへ来たのだから、全然構わない。
「リンク様はお忙しいから、次いつ会えるか分からないと思うとつい長く引き止めてしまって」
同じ気持ちだ。いつまでも、よく変わる表情と落ち着いた声音を聞いていたくて、離れ難くて。
「……どうか、お体には気をつけて」
祈るように告げた後、深くお辞儀をしてナマエは仕事へ戻った。その背中がどこか寂しげで、何か声をかけたいのに浮かばなくて、リンクは踵を返す。
この時、きちんと話していれば良かった。
そうしたら、ナマエはまだ城に居たかもしれない。
位の低い、側付きでもないただの使用人。仕事が出来ても上の人間に気に入られなければ簡単に首が飛ぶ。
騎士に媚を売るだけの愚か者だなんて根も葉もない噂が回り、誰にも相手にされず最後は貴族に遊ばれ捨てられたとリンクが耳にした時には、ナマエはもうどこにもいなかった。
誰も信じなかったのか。守ってくれなかったのか。
俺は本当に、出来る事はなかったのか?
噂が立っている、と聞いた時に否定すべきだった。互いに事実でないと分かっていればいいと、何もしなかった。否、そこまで深刻な話だと捉えていなかった。リンクが耳にした話だって人伝に聞いた噂でしかなく、どこまでが本当なのか分からない。
ナマエは一体どんな気持ちでいたのか。笑っているから平気なんだろうと考えもしていなかった自分に怒りが湧く。
いつだって自分のことばかりだった。登城したての頃は腹を空かせていたら食事を分けてくれて、注目を浴びるようになったら嫌がらせを受けた本人より怒ってくれて。そんな優しい人に、俺は何かしてあげたことがあっただろうか? 無口で無表情で、怖がられる事もあるくらいなのにナマエは平等に接してくれるから、甘えていたんだ。
いつかナマエが傷ついたり悲しんだりした時は、そばにいたいと思っていた。隣にいてくれるだけで安心することをナマエが教えてくれたように、今度は俺が。
そう思っていたのに、なんという様だ。
悔しさに拳を握りしめても、手のひらを痛めるからと止めてくれたナマエはもういない。悲しみに暮れてもあの頃には戻れない。
また会う事が出来たら。今度こそ、ナマエの話を聞きたい。好きなもの、嫌いなもの、なんでも。
そんな事も知らないのかと絶望の淵に立つが、これからだ。これから知っていけばいい。きっと困った顔をして、でもいつものように笑って教えてくれるはずだ。
そうやって未来を思い描かないと、立つ事もままならない。
雨が降っている。
ナマエが濡れていませんようにと、今はただ願うことしか出来なかった。
2026.03.
リンク様、と廊下で控えめな声に呼ばれて立ち止まる。姫様付きになってから顔を合わせる頻度は減ったが、この声が聞ける可能性に賭けてこの道を通る事をやめられずにいた。
振り返った先で、メイドのナマエが静かにお辞儀をした。そして何かに気づき、眉を下げて歩み寄って来る。
「肩が汚れています。またお一人で鍛錬を?」
素振りをしていたから砂埃でもついたのだろうか。払おうとしてくれたのか手が伸ばされたが、リンクの肩に触れる直前で止まる。何か考えるように視線を落とした後、その手は引っ込み、懐からハンカチを取り出した。
どうぞ、と差し出されたが、リンクは受け取らなかった。いつものようにナマエがやってくれるだろうと思ったから。ナマエは出会った時から世話焼きで、怪我を隠しても気づいて手当てしてくれるし汚れは拭いてくれる。年下を特に可愛がるナマエは無口で無表情なリンクにも変わらず接してくれて、それは肩書きに左右されるものではない、はずだった。
ナマエは少しだけ困ったような顔をして、周囲を見回してから肩や腕まわりを拭いてくれた。
「近衛騎士様に不用意に触れるなと、怒られてしまいました。立場を弁えなさい、と」
声をかけるのも無礼にあたると言われ、だから声が小さかったのかと納得する。位を気にする仲ではないが、それは本人達の考えであって周りはそうではない。
「……これまでのようには参りませんね。噂まで立てられて、これ以上リンク様にご迷惑をかけられません」
初めから丁寧な言葉で話す人だったが、今は距離を感じて仕方ない。
噂とは何だろう。問うように瞬きをするとナマエが説明してくれた。
「ご存知ありませんか? 私がリンク様に媚びているそうですよ」
遠ざかったように感じた距離が嘘のように、おどけるナマエに安堵する。
「リンク様をたぶらかしてどうこうだなんて……どうこうって、具体的に何でしょうね? 周りから私は、リンク様に何を求めているように見えるのでしょう」
心底不思議そうにされて、こちらも内心首を傾げる。ナマエには下心というものが一切ない、というかリンクを弟のように見ている節がある。だから少し、やきもきしてしまうのだが。リンクの心中などナマエは知る由もなく、媚び方の話へと変わる。
「私が何をしたところで、リンク様の心が傾かないのは明白だというのに。たとえば、こうやってみたって……」
顎を引いて下から見上げるようにして、小首を傾げて口元に手を寄せるナマエ。小動物のような愛らしさに衝撃が走るが、それが表情に出る事はない。
互いに沈黙の間が出来て、やがてナマエが吹き出した。
「っふふ、あはは! やっぱり、眉一つ動かなかった」
本当は心を乱されて冷静とは程遠いのに、顔に出ないから伝わらない。それでもナマエは楽しそうに笑ってくれるから、悪い事ばかりではないのかもと思わせてくれる。
ひとしきり笑ったあと思い出したように「先輩の真似した事は内緒ですよ」口の前で人差し指を立てたところは、先程とは別の、小悪魔的な愛らしさがあって胸が苦しくなる。
息をついたナマエが突如「すみません」と謝ってきた。
「貴重なお時間をいただいておいて、とんだお戯れを……」
この時間を求めてここへ来たのだから、全然構わない。
「リンク様はお忙しいから、次いつ会えるか分からないと思うとつい長く引き止めてしまって」
同じ気持ちだ。いつまでも、よく変わる表情と落ち着いた声音を聞いていたくて、離れ難くて。
「……どうか、お体には気をつけて」
祈るように告げた後、深くお辞儀をしてナマエは仕事へ戻った。その背中がどこか寂しげで、何か声をかけたいのに浮かばなくて、リンクは踵を返す。
この時、きちんと話していれば良かった。
そうしたら、ナマエはまだ城に居たかもしれない。
位の低い、側付きでもないただの使用人。仕事が出来ても上の人間に気に入られなければ簡単に首が飛ぶ。
騎士に媚を売るだけの愚か者だなんて根も葉もない噂が回り、誰にも相手にされず最後は貴族に遊ばれ捨てられたとリンクが耳にした時には、ナマエはもうどこにもいなかった。
誰も信じなかったのか。守ってくれなかったのか。
俺は本当に、出来る事はなかったのか?
噂が立っている、と聞いた時に否定すべきだった。互いに事実でないと分かっていればいいと、何もしなかった。否、そこまで深刻な話だと捉えていなかった。リンクが耳にした話だって人伝に聞いた噂でしかなく、どこまでが本当なのか分からない。
ナマエは一体どんな気持ちでいたのか。笑っているから平気なんだろうと考えもしていなかった自分に怒りが湧く。
いつだって自分のことばかりだった。登城したての頃は腹を空かせていたら食事を分けてくれて、注目を浴びるようになったら嫌がらせを受けた本人より怒ってくれて。そんな優しい人に、俺は何かしてあげたことがあっただろうか? 無口で無表情で、怖がられる事もあるくらいなのにナマエは平等に接してくれるから、甘えていたんだ。
いつかナマエが傷ついたり悲しんだりした時は、そばにいたいと思っていた。隣にいてくれるだけで安心することをナマエが教えてくれたように、今度は俺が。
そう思っていたのに、なんという様だ。
悔しさに拳を握りしめても、手のひらを痛めるからと止めてくれたナマエはもういない。悲しみに暮れてもあの頃には戻れない。
また会う事が出来たら。今度こそ、ナマエの話を聞きたい。好きなもの、嫌いなもの、なんでも。
そんな事も知らないのかと絶望の淵に立つが、これからだ。これから知っていけばいい。きっと困った顔をして、でもいつものように笑って教えてくれるはずだ。
そうやって未来を思い描かないと、立つ事もままならない。
雨が降っている。
ナマエが濡れていませんようにと、今はただ願うことしか出来なかった。
2026.03.
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