何もしないとただの部屋

「今回は、滑り台無いんスね」
 水森はスタスタと部屋の奥に入って行く。前回も情緒なんてものはなかったが、今回は輪をかけて雰囲気というものがない。なんというか、可愛げがないな、と砂噛は感じた。
「お前、前回来た時の緊張感どこやったんだよ」
「……あの時は、片思いだったんで」
 今は余裕っス、とピースしてくる後輩は、やっぱりかわいくない。だが、変に緊張されているよりはやりやすい。色気のある雰囲気を出されても困るのだから。
「だいたい、雨宿りだけで、何にもしないって言ったの、砂噛先輩じゃないですか」
「そうだな、分かったよ。いいからシャワー浴びてこい」
 不毛な会話な続けている間も二人の体温は奪われていく。こんな事で風邪をひきたくなかったので、砂噛は話を打ち切るように、水森を促した。
「……一緒に浴びます?」
 水森はニヤニヤと小憎たらしい笑みを浮かべている。断られると分かっているからこその誘いだ。普段、この恋人にこんな積極性はない。
「浴びない。さっさと行け」
「はーい」
 ケラケラと笑いながら、浴室に向かう後輩に、砂噛はため息をついた。


 二人がこのホテルに入ったのは、前回同様、仕事中に雨が降って来たから、という理由である。
 よく見ないで飛び込んだ建物が、またもラブホだった。そんな偶然あるか?とは思うが、入ってしまったものは仕方がない。
「……前にもこんなパネル見たな」
「そうっスね」
 前回と異なり、きちんとお付き合いしていることもあり、水森はそういった展開への期待を見せていた。ちょっと声が弾んでいる。そんな後輩に、ぐらつきながらも砂噛は釘をさした。
「何もしないからな」
「えー……」
 残念そうな後輩に、砂噛は「当たり前だろ」と返した。
「そもそも、オレは雨止んだら会社戻って報告書作んなきゃいけないんだよ。今は終業後じゃなくて、休憩時間にカウントされる」
「休憩中にラブホ来るって、どうなんですか?」
「仕方ないだろ、雨降ってんだから」
 至極真っ当な反論をされるが、砂噛とて好きでこの場所を選んだ訳ではない。こんな理性を試されるようなところで、雨宿りなんてしたくない。
 水森は少し考え込む様子を見せた。そして、首を傾げて聞いて来た。
「終業後だったら、何かしました?」
 それを聞いて、どうなるんだ。砂噛には水森の感覚はわからなかったが、問いを発した本人にとっては重要らしく、真剣な目をしている。
 はぐらかしたら、傷ついた目で見られるんだろうな、と想像がついたので、不本意だったが素直に答えた。
「……する、と思う」
「じゃあいいっス」
 満足気に水森は頷くと「入りましょうか」と、さっさと部屋を選んでいく。何がいいのかは分からないが、ひとまず雨宿りはできそうだった。


 シャワーから出て来た水森は、バスローブを着ていた。服が濡れているので、仕方ないとは言えやっぱり似合わないな、と失礼なことを考えていると、首元に気になるものを見つけた。
「……お前、隠してなかったのか?」
「あ、シャワー浴びたら絆創膏取れました」
 あっさりと答える水森の首には、赤黒い鬱血が残っていた。どう見ても情事の痕だし、そもそも二日前に自分がつけたものだ。
 今日の水森は仕事ということもあり、スーツ姿だった。きちんとボタンを閉めていたこともあり、首元は隠れていたが、今はそれがあらわになっている。
 その鬱血をみていると、つけた時の小さな嬌声や、痛みからか潤んだ瞳が思い起こされて、砂噛は頭を抱えた。
「……もう一回、隠しとけ」
「先輩しかいないのに?」
 首を傾げる恋人は、こちらの葛藤など気がついていない。確かに何もしないと言ったが、あまり信用されても困る。
「見てると襲いたくなるから」
「り、理不尽……」
 付けたの、砂噛先輩じゃないっスか、と文句を言いながら水森はカバンから絆創膏を取り出した。素直に隠すらしい。
 絆創膏を貼る水森は、どこか上機嫌だった。入り口での問いかけといい、この後輩は自分に欲を向けられることを喜んでいる節がある。
 それが、関係性の証明のように感じているなら、改めさせたい。そういうことをしなくて良い、と言えるほど聖人ではないが、それだけが目当てではないのだから。
「砂噛先輩、入らないんですか?」
「いや……入ってくる」
 だが、今はその時ではないと思う。少なくとも、こんなイレギュラーな場所でする話ではない。砂噛は、大人しく浴室に向かった。


 シャワーから戻ると、水森はベッドの上で何かを見ていた。ブラブラと脚を晒して寝転ぶ姿は煽情的というよりは子供っぽさが強くでていた。
「先輩、ハニートースト食べていいっスか?」
 メニュー表を開いて、水森がこちらを伺ってくる。砂噛は値段を一瞥すると、眉を顰めた。
「却下、めちゃくちゃ高けぇ」
「えー、おいしそうなのに」
 奢られること前提で、水森は他の料理を選び始める。こんな時だけ後輩面しやがって、と思う。逆に恋人として接しているときは妙に遠慮して何もねだってこないのが、よく分からない。水森の中で何らかの線引きがあり、その時々で見せる顔を変えている気がする。
「じゃあ、プリンアラモード」
「何で甘いもんばっか選ぶんだよ」
 水森が特別甘いものが好きだと言う印象はなかった。別にこのホテルがスイーツを押し出している訳でもない。砂噛の疑問に、水森はあっさりと答えた。
「夕飯前ですし、おやつにちょうどいいかなって」
 ヘラヘラと笑ってはいるが、冗談ではなさそうだ。砂噛からすれば、聞いているだけで胸焼けしそうなラインナップだったが、水森にとっては間食に分類されるらしい。
「……お前、ちゃんと男子高校生なんだな」
 成長期の食欲を侮っていた。普段自分より動かないくせに、同じ量を食べているのは単純に若さゆえのようだ。
「そんなに腹減ってんなら、最初のやつ頼んでいい」
「え、ハニートーストですか?」
 砂噛が頷くと、水森はパッと顔を明るくした。正直、食パン半斤をくり抜いて、アイスとフルーツを詰めたものにこんな値段払うのか、とは思った。だが、まぁ機嫌の良い笑顔が見えたので良しとした。
「やった、ありがとうございます」
 ニコニコと注文を始める水森は、やっぱり後輩の顔をしており、恋人としての笑顔とは違う気がした。
 
 
 食事、というか水森のおやつが届くまで、しばらく手持ち無沙汰な時間が生まれた。
「雨、止みませんね」
「そうだな」
 天気予報でも見ましょう、と水森は砂噛が止める間もなくテレビをつけた。前回の反省が生かされていない。
 大音量で流れ出す喘ぎ声と、画面に広がる女性の裸体。どう見てもアダルトなビデオが再生されていた。
「ぎゃーーー!!」
「学習しろ!なんなんだ、お前は!」
「だって、暇で、つい!」
 泣き言を言いながら水森はテレビを消した。自分で対応できるくらいには成長したらしい。
「毎回何に驚いてるんだよ?」
「いや、声がすごくて」
 初心な反応に、つい笑ってしまった。かわいいな、と思うとついついからかいたくなってしまう。
「そんなことで叫ぶなよ。普段もっとすごい声出してんだから」
「え、そんなに声、出してます?」
 砂噛の言葉に、水森は目を丸くした。しまった、と思った時にはもう遅い。恋人は顔を真っ赤にして羞恥に震えている。
「つ、次からは、絶対出さないっス」
「おい、待て」
 口を塞ぐジェスチャーをして、水森は首を横に振って拒絶する。よほど恥ずかしいらしい。
 砂噛は焦った。すごい声、とは言ったが、その声を出させているのは自分だし、それが聞きたくて情事の最中にねちっこくいじめている側面すらある。普段よりも上擦った声、行為が進むにつれて意味をなさなくなっていく言葉、時折上げられる叫びのような嬌声、全てが愛おしく情欲を誘うものだ。聞けなくなるのは困る。
「……その、気にするなよ」
 何とか宥めようとするが、水森はじとっとした目でこちらを見るばかりだ。恋人に嘘は通じないので、今更そんなに声が出てない、等の説得は効果がない。
 はぁ、とため息をついて、砂噛はこの場での説得を諦めた。こうなってしまっては、今何を言っても聞かないだろう。声のことは、次にする時にでも宥めて、説得してやればいい。そういったプレイだと思えば、それはそれで楽しめそうだ。
 目下の課題として、後輩の機嫌を取る必要がある。タイミングよく、ドアがノックされた。食事が届いたようだ。
「とりあえず、甘いもんでも食べて落ち着け、な」
 そう言うと、水森の目が少し揺れた。食欲には勝てないらしい。頼んでおいて、本当に良かった。砂噛は胸を撫で下ろした。

 
 食事が終わってしまえば、やることもないので、ベッドに寝転んでダラダラと過ごす。以前来た時は沈黙が気まずかったが、今は気にならない。恋人になり、二人で過ごすことが増えたことで、何も喋らなくても何となく相手の様子が理解できた。
「ホテルはベッド広くていいっスねー」
 ゴロゴロと転がり、水森はこの部屋を満喫している。雨はまだ止みそうにないが、今回は寝れないようだ。
「そういや、お前と付き合ってからラブホ来たことなかったな」
「……いつもだいたい、先輩が部屋に引っ張り込むから」
 じとりと睨まれれば「悪かった」と謝るしかない。二人の情事はなし崩し的に始まるのが常で、その多くを砂噛から仕掛けていた。
 思えば、交際の始まりからそんな感じだった。
 泣いて謝りながら、好きだと水森から告げられたのは、前にラブホで雨宿りしたすぐ後のことだった。
 砂噛が求めていた通りに、限界を迎えた後輩は、思い詰めた表情で迫ってきた。何度も何度も謝りながら、それでも知っておいて欲しかった、と伝えられる言葉は重く響いた。
 顔をぐしゃぐしゃにして泣き、この後の展開を想像して絶望している後輩は、不憫というしかなかった。それとは対照的に砂噛は喜びに満ち溢れていた。こんなに思い詰めるまで放っておいたことには罪悪感を覚えたが、それでも自分の望み通りに恋心を極限まで募らせた様子は愛おしかった。
 予想とは違う展開だったのか戸惑う後輩をそのまま囲い、退路を絶って、手を出した。手籠と言ってもいいくらいの行為だったが、両思いなのだから問題ないだろう、と砂噛は考えている。
「先輩ってオレのこと本当に好きなんスね」
 呆れたような水森の言葉に、砂噛は回想をやめた。せっかく手に入れた後輩だが、今は何もできない。流石に、仕事の先輩としての崩してはいけない威厳もある。
「何を今更」
 何度も抱いているし、好意もきちんと口に出している。それでと水森は時折、不安気に瞳を揺らすことがある。
 それは、砂噛が女性と話した後という比較的分かりやすい嫉妬に起因することもあれば、道端で仲睦まじい夫婦を見た後というひどく婉曲した理由のときもあった。ようは、この関係の持続性が不安なのだろう。
 砂噛は、水森が例え他の人を好きになったとしても、逃がすつもりはなかった。それだけの執着を持って接しているつもりだったが、どうもそこが伝わらない。何度も飽きずに不安を見せる水森に、砂噛は言葉で、態度で、示して来た。お前はオレのものだと。
 さらりと髪を撫でると、水森は嬉しそうに目を細めてこちらを見つめてくる。いつか、この瞳が揺れなくなるといい。愛されていると自信をもって、幸せな色だけ讃えた目でこちらを見てほしい。
 時間はどれだけかかってもいい。それが、今の砂噛の願いだった。
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