何もしないとただの部屋

「何これ、ウケる!」
 その言葉通りに、水森は爆笑している。先ほどまでの緊張感や微妙な雰囲気はどこへ置いてきた。砂噛は突っ込みたかった。
 だがその気持ちもわからなくはない。いわゆるロフトから部屋の中心のベッドに伸びているのはどう見ても滑り台だった。
「うわー!ラブホって滑り台あるんスね」
「普通はねぇから」
「……そうなんスね」
 先ほどまでのはしゃいだ態度から一転し、水森は無感動な声で相槌を打った。へぇ、先輩、ラブホに結構行くんだ、ふーん……、とかいう心の声が聞こえてきそうだ。
「一般論な、詳しくは知らん」
 恋人でもなんでもない同性の後輩に、早口で弁明する。この後輩に、そう言ったことを邪推されるのは避けたかった。砂噛は、水森の反応を待たずにさっさと話題を変えた。
「だいたい、こんな物置いてあったら邪魔だろ」
「え、普通に滑りたい」
 水森は目をキラキラさせている。今にもロフトへ続くハシゴに登りそうな勢いだ。なるほど、こうやって事に及ぶ前に相手のテンションを上げるのか。砂噛はこの頓珍漢なインテリアの狙いが少しだけ分かった気がした。
 砂噛はため息をついた。分かったところで、今の自分たちにとっては邪魔でしかない。二人は、セックスをしに来たわけではないのだから。
「いや、何しに来たんだお前は」
 砂噛の呆れた声音に、水森はつまらなそうに答えた。
「雨宿りっス」
「先に使っていいから、風呂行ってこい。風邪ひくぞ」
「……はーい」
 風呂、という単語に水森は少し体を強張らせた。しかし、素直な返事をするとそのまま洗面所へと向かっていった。
 やがて、洗面所からシャワーの水音が聞こえてくる。何でもない音のはずなのに、そこに意味を感じてしまう自分に嫌気がさして、砂噛はため息をついた。

 
 二人がこのホテルに入ったのは、水森が言った通り雨が原因である。その日の仕事を終えて、さて帰ろうという時に降り出したのだ。
 慌てて避難した建物が、このラブホだった。入った当初、水森はここがなんの建物か分かっておらず、不思議そうに尋ねてきた。
「なんでベッドの映ったパネルが並んでるんですか?」
「は?」
 砂噛は最初、からかわれているのかと考えた。しかし、本気で分かっていないその表情に、コイツまだ高校生だった、と思い直した。
「お前、ラブホって分かるか?」
「知ってますよ、子供じゃないんですから。……え、ここがそうなんスか?」
 砂噛が頷くと、水森は顔を真っ赤にした。反応が子供じゃねぇか、と砂噛は思ったが、口にはしなかった。
 不意に自動ドアが開いて、男女が入って来た。二人ともずぶ濡れで、自分たちと同じように雨宿りだろうことは見て取れた。
 男は慣れた様子で部屋を選ぶと、女の肩を抱いて奥のエレベーターに乗り込んで行った。雨宿りにかこつけて、ヤるんだろうな、と砂噛は冷めた目でそれを見ていた。
「オレたちもそろそろ入るか」
「え!?」
 砂噛には、ホテルに入ったからといって、水森をどうこうしたい、という意図はなかった。単純に、冷えて来たのでシャワーでも浴びたい、それだけだった。
 だが、後輩はそうではないらしい。先ほどの男女の様子を目にしてこともあり、妙な方向に意識していることが見て取れた。
「で、でもオレたち恋人でもなんでもないし」
 もごもごと水森は反論をするが、その声は小さい。もしかして、万が一、いや、ないと思うけど、そういう可能性あるのか?そんな期待が彼の目から感じられた。
 砂噛は、この後輩からの好意に気がついていた。もう随分前から、自分を見つめてくる視線に、友愛以上のものが含まれている。だが、それだけだ。水森は見つめてくる以上のことはしてこない。むしろ、恋心を隠す方向に必死ですらある。
 後輩が行動を起こさないうちは、気が付かないふりをする。砂噛はそう決めていた。そのため、水森への返答はひどく平坦なものになった。
「別に、何もしなきゃただの部屋だ」
 砂噛の言葉に、水森は複雑そうな表情をした。好意を持った相手と、そういう場所に入ることへの微かな期待と、そのような対象として見られていないことへの絶望。その二つの感情が混ざりあっている。彼が悩んでいる間にも、濡れた服はまとわりつき、二人の体温は奪われていった。
「……入ります」
 ぽつりとつぶやいた水森の言葉は、少し悲しげな響きを持って砂噛の耳に届いた。
 
 

「MESって衣装変えられるけど、元に戻しても服乾燥しないんですね」
「ただの印象操作だからな。実際に服変えているわけじゃない」
「へー」
 お互い濡れた服を干しながら話す。雨で濡れた服は、風呂上がりに到底着る気分になれず、二人は備え付けのバスローブを着ていた。
「……先輩、バスローブ似合いますね」
 水森の発言は褒めているような口振りだが、顔が笑っている。軽く苛立ちデコピンをすると、「痛い」と言いながらけらけら笑っている。効いていない。
「似合いすぎて、ちょっと面白いっス」
「……お前は似合わないな」
「ひどっ」
 上機嫌に笑っている水森に、砂噛は少し安心した。ホテルの入り口での神妙な態度のままでいられると、こちらとしても気まずい。滑り台の存在が緊張をほぐしているのかもしれない。初見では意味不明な造形物、と思ったが今はその存在に感謝すらしている。
 ひとしきり笑った後、水森は改めて砂噛に向き直った。
「でも、本当に似合ってますよ」
 その言葉のトーンが、先ほどまでとは異なり、真剣な響きを持っていることに、砂噛は気が付かないふりをした。向けられる熱っぽい視線と目を合わせたら、言わなくていいことを言いそうだ。
「そりゃ、どうも」
 努めて平静に答えながら、砂噛は後輩から目を逸らした。
 
 

「先輩、ごはん頼んでいいっスか?」
「好きにしろ」
 シャワーを浴びた後も、しばらくは緊張していた水森だったが、徐々に慣れたのか、今は平然とメニューを眺めている。もはやこの部屋を、そういうことをする場所ではなくアミューズメントパークか何かと考えているようだった。
 ベッドに腰掛けて脚をブラブラさせている後輩は、仕草だけは子供のようだ。しかし、その格好はバスローブというなんともちぐはぐな組み合わせに、砂噛は眩暈がした。
「砂噛先輩、甘いのとしょっぱいのどっちがいいですか?」
「しょっぱい方……いや、オレも選ぶ」
 砂噛はメニューを見るために、水森の隣に座った。二人分の体重がかかったことで、ぎしりとベッドが軋み、その音が、妙に部屋に響いた。
「うひゃあ!」
「は!?変な声出すな!」
 急に声を上げた水森に驚いて、砂噛は思わず怒鳴りつけた。水森は、あたふたとベッドの端まで逃げていく。
「近い、先輩、近いっス!」
「はぁ?隣にでも座らないと見えないだろうが!」
「あげますから離れてください!」
 そう言ってメニュー表を放られる。水森らしからぬ荒っぽい対応だが、動揺しているせいだろう。顔を真っ赤にしてい、半泣きの水森は明らかに照れている。
 こいつ、オレのこと好きなの隠す気あるのか?内心呆れながら、それでも砂噛は気が付かないふりをしてメニューを拾った。
「もうこっちで勝手に頼むぞ」
「……お願いします」
 弱々しい返事に、かわいいなと感じる自分に気づき、大概だな、と砂噛は思った。
 

 外の雨音は、弱まる気配がなく、むしろ二人がここに入った時に比べて強くなっている気さえした。
「雨、止みませんね……」
「通り雨かと思ったら、長いな」
 水森は窓辺で外を確認した後、ベッドに腰掛けた。先ほどの反省を活かしてか、砂噛と一人分空間を空けて座る様子が面白かった。
「天気予報とかやってませんかね?」
 そう言って、水森はテレビを点けた。映ったのは、天気図ではなく、あられも無い格好で喘ぐ女の姿だった。
「ぎゃーーー!!」
「なんなんだよ、さっきから!」
 先ほどから水森は叫んでばかりである。
「消して!消してください!」
「リモコン持ってんのお前だろ!」
 動揺する水森を怒鳴りつけ、砂噛はリモコンを奪い取った。さっさと電源ボタンを押すと、部屋には静寂が戻った。
「なに、お前、こういうの観ないのか?」
「いや、普通に観ますけど……」
 じゃあ叫ぶなよ。砂噛の視線からその意図を感じたのか、水森はもごもごと言い訳を始めた。
「なんか、先輩と観るのは違うというか……。恥ずかしくて」
 ようは、気まずいということらしい。目に見えて動揺している水森は、さらに言葉を重ねた。
「……先輩は、どんなの観るんですか?」
 自分の恋心を隠すためなのか、同級生に聞くようなトーンで、水森は聞いて来た。そんな、辛そうな顔をするなら、聞かなきゃいいのに。自分からわざわざ傷つきにくる後輩が、可哀想だった。
「誰が言うか」
 砂噛の言葉に、水森は少しホッとしたようだった。
 

 スマホで調べた結果、雨雲が抜けるまでは二時間かかる見込みであることが分かった。
「……暇ですね」
「ああ……」
 届けられた食事も食べ終わってしまい、本格的にやることが無くなってしまった。暇を持て余した水森は二回ほど滑り台で遊んだものの「割とガタついて、安全性が微妙」と評し、それ以降見向きもしない。
 徐々に沈黙が増えて、気まずい雰囲気になっていく。緊張したり、叫んだりと感情の揺れが多かったこともあってか、水森の様子は少し疲れて見えた。目に力がない。
「あと二時間もあるなら、いっそ寝るか」
 言うが早いが、砂噛はベッドに横たわった。「お前は、そっち半分な」と言うと、水森は固まってしまった。
「え、いや、オレは……こっちの椅子で寝ます」
「いや、それじゃ体痛めるだろ。せっかく広いんだから、ベッド使え」
「えー……」
 抵抗する水森を説き伏せる。一人でベッドを使うのは正直気まずいし、どちらかというと水森を寝かせたくて提案した内容だ。
「ほら、お前も疲れてるんだろ?」
「それは、そうですけど……」
 お前も、と同調を誘えば水森はためらいながらも肯定した。それでもまだ迷いを見せる水森に、砂噛は後押しするように声をかけた。
「心配しなくても、何にもしねぇよ」
「…………そんな心配、してません」
 少し傷ついたようにそう言うと、水森はようやくベッドに上がって来た。拒否し続けるのも変だと思ったのだろう。
 水森は、きっちり一人分の距離を空けて寝転んだ。緊張と寂しさがないまぜになった、そんな表情が見えた。自分を想って、表情を変える後輩は不憫で、愛おしかった。ずっと見ていたかったが、そうすると寝てくれないだろう。
「おやすみ」
「……おやすみなさい」
 静かにそう告げると、砂噛は目を閉じた。
 

 砂噛が目を閉じてからも、しばらく水森はもぞもぞと動いていた。衣擦れの音や、マットレスの動く感覚から、寝返りを繰り返していることが感じ取れた。
 それも落ち着き、やがて規則正しい寝息が聞こえてくる。うっすらと瞼を開くと、少し遠い場所に後輩の寝顔が見えた。ようやく寝てくれた水森を、起こさないようにゆっくりと身を起こす。寝る前と同様にきっちり一人分距離を空けて眠る後輩が確認でき、律儀な奴と思った。
「オレは好きな奴の隣で寝れるほど、出来た人間じゃないんだがな」
 自分からそう仕掛けたものの水森が寝たことで、砂噛は少し複雑な気分になった。別にどうこうするつもりはないのだが、好意を抱いた相手が無防備な姿を見せているのは、いささか忍耐が必要な状況だった。
 砂噛が水森に好意を抱いたきっかけは、向こうの好意に気がついたから、というひどく受け身なものだった。
 自分に向けられる熱っぽい視線に気がついたとき、不思議と嫌悪感はなかった。あれだけわかりやすいのに、決定的なことは言わず、あくまで後輩の位置にいようとする様を面白がって見ていられたのは最初だけだった。真っ直ぐなその目が自分に向けられていることに喜びを感じ、気がつけば、砂噛の方からその姿を探すことが増えていた。
 いっそ自分から距離を詰めてやろうかと考えもしたが、すぐに思い直した。同性で、外星人で、会社の同僚。自分と水森が交際するには、ハードルが多い。その全てを受け入れる覚悟と、同じ覚悟を相手に求める傲慢さが必要だ。自分にはそれがあるが、水森には足りない気がした。まだどこか諦めたように一歩引いている気がする。
 だから、砂噛は待っている。水森が、限界まで恋心を募らせて、後に引けなくなって飛び込んで来るのを。そうしたら、もう逃してやるつもりはなかった。
 砂噛は、隣で眠る後輩の頭をそっと撫でた。あどけない寝顔は子供のようだ。優しく髪を漉きながら、早くこの子供が限界を迎えるようにと、砂噛は祈っていた。
 
1/2ページ
スキ