急にはできない兄離れ


「ソプラノ先生、お兄って穂村さんと付き合ってます?」
 放課後の部室で、さくらは緊張した面持ちで切り出した。相談を持ちかけられた形になった鉄は、首を傾げた。
「ないない、ウチが許さんよ」
「許さんって……」
 一体どの立場で言っているんだ。思わずこぼれた玄田の言葉に、鉄はピースサインをして答える。
「カチョーの彼氏になるなら、まずウチを倒してもらわんと」
 わけがわからない。とりあえず、鉄が穂村のことを好きなことはわかった。
 今日も部室には三人しかいない。初心者の玄田にも分かるくらい、鉄とさくらのレベルは高く、独占して指導を受けているこの時間は貴重だ。女性二人に囲まれる形になるので、たまにクラスメイトにからかわれたりするが、玄田は気にしていなかった。
「てか、なんでそう思ったん?」
 鉄の言葉に、さくらは言いにくそうに目を泳がせていたが、やがて、決心したように話し始めた。
「お兄に彼女できたんじゃないかなって」
「水森先輩、モテるもんな」
 玄田は同級生が、かっこいい先輩といって水森のことを話していたのを思い出した。別に悪いことではないし、むしろ肯定的な言葉のつもりで言ったのだが、なぜかさくらには睨まれた。
「なんでモテてんのかわかんない。部屋汚いし、ご飯中スマホ見たりするし、最近構ってくんないし」
 ぶちぶちと文句を言うさくらに気圧されて、玄田は、そうなんだ、とだけ返した。いや、それ妹のお前じゃなきゃわかんねぇよ。
「好きだねー、お兄ちゃんのこと」
 からかうように言った後、鉄はスッと目を細めた。
「彼女いるって思ったのは、なんでなん?」
 軽い口調だが、鉄の目は笑っていなかった。何かを探り出すように、慎重に問いかけている。
「その……、この前遅くに帰って来た時、く、首の所に噛まれたような跡があって」
 言いにくそうに話すさくらに、そっかそっかと、鉄は明るく相槌を打つ。
「確かにそれは気になんねー。恋人できたのかもね、カチョー以外で」
「ですよね……」
 不安げなさくらに、鉄がフォローするように言葉を足していく。
「そんなん付けちゃうくらいラブラブなんだろーね。うん、大丈夫、悪いヤツじゃないから」
 まるで水森の相手を知っているかのような口振りだ。
「先生、水森先輩の恋人のこと知ってます?」
「知らんし」
 間髪入れずに否定された上、これ以上触れるなとでも言わんばかりに睨まれる。
「そうっスか」
 普段は明るいギャルの知らない一面に気圧されつつ、玄田は黙ることにした。
「まぁ、直接聞いてみ。水森もかわいー妹から聞かれたら素直に答えるっしょ」
「そ、そうですかね。……うん、聞いてみます!」
 憧れの先生に背中を押され、覚悟を決めたのかさくらは、ぐっと拳を固めた。
「早速帰って聞いてみます!」
 言うが早いが、さくらはトランペットをしまうと駆けていった。部活に誘われた時も感じたが、やると決めた時の思い切りが良い。
 部室を出ていくさくらにひらひらと手を振っていた鉄は、その姿が見えなくなると笑みを消した。
「浮かれすぎだろ、あいつら」
 ぼそりと呟かれた言葉に、玄田は思わず突っ込んだ。
「やっぱり、相手知ってますよね」
「あーね。知ってる」
 先ほどとは異なりあっさり肯定され、玄田は拍子抜けしてしまう。
「……なんで、水森に教えないんですか?」
「ウチが勝手に言っていいことじゃないから」
 真面目な顔をして鉄が続ける。
「水森が……兄の方な、水森が隠しておきたいなら、フォローしてやろうかと思って、状況確認してたんだけど」
 そういうものだろうか。鉄と水森がどの程度仲が良いのか、玄田はわかっていない。だが、彼女なりに水森を思っての言動だったのだな、と感じた。
「でも、フォローしきれんよ。……見えるとこ噛むなし!」
 怒りのこもった鉄の台詞にちょっと笑ってしまった。先ほどの鉄の言葉を借りれば、浮かれた恋人たちの挙動だ。玄田から見る水森は、明るく優しい先輩なのでその人が浮かれる様子、というのはちょっと見てみたくなった。
 
 
◇◇◇

 
「玄田さ、今日の放課後暇?」
「十九時からバイトだから、それまでは」
 次の日のHR前に、さくらに話しかけられ、玄田は正直に答えた。今日は部活はないはずだが、買い出しか何かだろうか?
「良かった。ちょっと付き合ってよ。バイトまでには終わると思うから」
「いいけど、どこに?」
「隣の駅地下にあるファミレス」
 玄田とさくらは、部活仲間でクラスメイトだ。普段から話す機会も多いし、仲も悪くない。だが、校外で遊んだことなどない。それなのに、急な食事の誘いである。
 これは、いわゆるデートのお誘いなのだろうか?玄田は一瞬そう考えたが、すぐにその可能性を打ち消した。
 さくらの表情は、ひどく歪んでいた。眉間に皺がより、歯を食いしばっている。一見して怒っていることが見て取れる。親の仇でもとりに行くかのようだ。
「……オレ、なんか水森に怒られるようなことしたっけ」
「あ、ごめん」
 無意識だったらしく、さくらは表情を緩める。だが、怒りは収まらないらしく、眉は吊り上がったままだ。
「玄田には怒ってないよ。でも、一人だと冷静でいられない気がするから、ついてきて欲しいんだ」
 ファミレスで何食べてもいいから、と言われ、玄田は改めて首肯した。ついて行くだけで夕飯代が浮くなら、おいしい話だ。
「それで、水森はそこに何しに行くんだよ?」
 その言葉にさくらは、大きくため息をついた。
「バカ兄貴とその恋人との、面談」


 ファミレスは空いていた。夕飯には早いこの時間、ポツポツと席が埋まっている程度だ。さくらの指示で、ボックス席に座る。『面談』の言葉通り、向かい合わせになることを想定しているらしく、さくらは玄田の隣に腰掛けた。
 待ち合わせまで、まだ時間があるため、二人は先に注文を済ませることにした。
「お兄に奢らせるから、なんでも頼んでいいよ」
 そう言って、さくらは注文用のタブレットを操作している。高いの頼んでやる、と言って巨大なパフェを選択しているのが見えた。
 玄田は、そもそも食事目当てでここにいるので、遠慮なく食べたいものを選んだ。ハンバーグプレートと、ミートソースを頼みたいと言うと、さくらは目をぱちくりさせた。
「そんなに食べられるの?」
「別に、このくらい普通だろ」
「えー、お兄はそんなにだよ」
 すごいね、と笑うさくらにちょっと安心した。いつもの彼女の表情が、ようやく見れた気がする。
「水森はさ、なんで先輩たちと面談するんだ?」
 玄田の感覚では、兄弟の恋人と面談するのは普通ではない。それとも、自分が把握していない地球の文化があるのだろうか?
「あー……、私が言い出したんじゃないよ。流れでね」
 せっかくの笑顔が、みるみるくもっていく。学校では怒っているようだったが、今は落ち込んでいるようだ。どうにも今日のさくらは変である。いつもはこんなに強引じゃないし、感情も安定している。
 どこまで踏み込んでいいものか、と迷いつつ、玄田は問いかけた。
「その……、何かあった?」
「……あった」
 時間まだあるし、聞いてくれる?というさくらの言葉に、玄田は頷いた。そうして、ポツポツと語られるさくらの身に降りかかった出来事に耳を傾けた。


 昨日さ、お兄に恋人いるかもって相談したじゃん。そんで、家帰ったら素直に聞いてみようと思ったのね。ソプラノ先生もああ言ってたし。
 家に着いたらさ、玄関にお兄の靴と、知らない靴があって。お兄、バイトだって言ってたから、バイト先の人が来てるのかなって思ったのね。
 リビングには居なくて、部屋に居るみたいだから、お茶でもだそうと思って、行ったの。ちょっと、バイト先の人見たかったって言うのもあるけど。
 でね、ドアを開けたら……。え?ノックなんてしないよ。お兄もしないもん。
 話戻すね。ドアを開けたらさ、ベッドに人が二人いて。えって思うじゃん。倒れてるのかなって。でも、ちゃんと見ると違うの。
 お兄がね、男の人に、その、お、押し倒されてたの。お兄の腕は、こう、男の人の首に回されてるし、男の人の手は、お兄のシャツの中入ってるし。あ、この二人今から、その……しようとしてたんだなってわかっちゃって。
 二人とも、動きを止めて私を見てるし、私は私でキャパオーバーだしで。ああいうの、時が止まった感覚って言うんだろうね。固まっちゃった。
 で、その後が大変で。私、叫んじゃったんだよね。ぎゃーって。だってびっくりしちゃったんだもん。その声で、二人も動き出して、お兄は落ち着けって宥めてくるんだけど、落ち着けるかって話だよね?しばらくぎゃーぎゃー叫んでたと思う。
 そしたら、その男の人も近づいて来て。何か言おうとしたところでスマホが鳴ったの。男の人のやつだった。
 で、どうやら仕事の呼び出しだったらしくて、急いでその人は出てったんだけど。去り際に言われたの。
「明日、時間作るので面談しましょう」って。


 玄田は、我が事のようにさくらに同情した。兄弟のラブシーンなど、見たくないに決まっている。想像でも、ちょっと気味が悪い。
「大変だったな」
「うん、分かってくれる?」
「ああ、兄貴のそういう事情知りたくないよな」
 玄田の言葉に、さくらは首を傾げた。
「うーん、そこじゃないかも。むしろ恋人できたことは教えといて欲しかった」
「……そう」
 だとすると、さくらは何に怒って落ち込んでいるのだろうか?玄田は思ったことをそのまま口にする。
「じゃあ、水森は何が嫌なんだよ」
「嫌っていうか……もやもやする」
「もやもや?」
「うん、それが何か分かんない」
 さくらはそこまで言うと、ため息をついた。
「なんなんだろうね……。玄田、兄弟いる?なんか理由思いあたらない?」
「兄貴はいるけど……」
 自分の兄に対する思いと、さくらのそれは温度感が違う気がする。弟と妹の差だろうか。さくらとその兄である水森は自分たち兄弟に比べて距離が近い。言葉を選ばずに言うと、お互いへの干渉が多いと感じる。
 そう思ったものの、玄田は律儀なもので一応自分に置き換えて考えてみた。えーと、ドアを開けたら兄貴が男に押し倒されて……。
「まず、兄貴が男に押し倒されてるのが衝撃かも」
「あー、うん。それは驚いた」
 さくらは同意したものの、でも、と続ける。
「合意の上みたいだったから、そこは別にモヤってない」
「そうか」
 自分の感覚でどう感じるかより、兄の気持ちを優先して考えるあたり、やっぱりさくらの水森に向ける感情は自分のものより湿っぽいな、と玄田は改めて思った。
「自分の家で、おっ始めようとしてたのは、割と腹立つ。他でやって欲しい」
「それな!うん、そこは思い出すとイライラする」
 今度は力強く頷かれる。どうやら彼女の怒りはそこに集約されるらしい。玄田も一人暮らしを始めて実感したが、実家というものは個人のテリトリーが曖昧だ。自室はあっても、それこそさくらがしたように、ノックなして入って来られるし、収納の都合上自分の服が兄弟の部屋に入れられてたりする。家全体が、自分の場所であると同時に家族の場所である感覚だ。
「家族の場所で、オレらに見せない姿出されんのは嫌だよな」
 玄田の何気ない言葉に、さくらは息を飲んだ。そのまま、考え込むように視線を下げる。黙ってしまったさくらに、逆に玄田は動揺してしまう。彼としてはただの感想であり、変なことを言ったつもりはないので、何がさくらの琴線に触れたかわからない。
「家族に見せない姿、か」
 さくらは、先ほどの玄田の言葉を反芻した。そして顔を上げると、独り言とも取れる声量で玄田に話しかけた。
「さみしいのかも」
 端的な言葉に玄田は首を傾げる。それを見て、さくらは補足するように言葉を紡ぐ。
「お兄が、私の知らない所に行っちゃうみたいで」
 言ってから恥ずかしくなったのか、さくらはまた俯いてしまった。
 なんとなく、玄田はさくらの心情を理解した。さくらは、家族の場所が侵されたことが不満で、兄が取られたことに喪失感を感じているのだろう。その結果、癇癪を起こしたように、情緒が乱れている。
 相変わらず共感はできない。たぶん、自分が同じ目にあったら、見なかったことにすると思う。兄に対しては、今でこそ起こした事件のことも含めて複雑な気持ちを抱いているが、その前からお互いに干渉し合わない距離感を保っていた。さくらの見せる、執着というには可愛らしく兄妹愛というにはやや重い、そんな感情は抱いたことがなかった。
「水森は、どうしたいんだ?」
 玄田は、さくらに問いかけた。さくらの兄妹愛は重いが、きっと邪魔をしたいとか別れてほしいとか、そんなネガティブなことは望んでいないように思えた。
 うーん、とさくらは少し考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「ちゃんと喜んであげたいんだと思う」
 少し自信なさげではあるが、さくらははっきりと口にした。寂しさはあれど、兄の恋を素直に祝福し、それを伝えたい。それがさくらの本音なのだろう。
「じゃあ、兄離れしないと」
 玄田の言葉に、さくらは目をぱちぱちと瞬かせた。
「え、私、そんなにお兄に依存してる?」
「割と、いや、だいぶ」
「ひどっ」
 けらけらとさくらが笑う。幾分明るくなったさくらに、玄田はほっとした。
 二人はお互いに、恋愛感情はない。だが、傍目から見ていると、高校生の男女が二人でファミレスにいれば、それは恋人同士に見える。笑顔のさくらと、それを静かに見守る玄田は、お似合いのカップルだった。
 だから、勘違いされても仕方ない状況だった。
「え、なんで玄田君いるの?」
 上から降ってきた言葉に、玄田が顔を上げると硬い表情をした水森が、自分たちを見下ろしていた。

◇◇◇
 
 どうしてこうなった。
 玄田は何度目かになる問いを繰り返した。注文した食事が届き、食べてていいよ、とさくらが言うのでミートソーススパゲッティを啜っているが、味がしない。
 隣に座るさくらは、兄のことを睨んでいるし、睨まれている張本人の水森は、玄田のことを冷ややかな目で見ている。タダ飯は嬉しいが、断れば良かった。玄田は心からそう思った。
「お前ら、付き合ってんの?」
 冷え冷えとした水森の声に玄田はびくりと震えた。前々から感じてはいたが、妹が絡むと水森の圧が増す。
「関係ないでしょ」
 さくらが顔を横に背ける。おいやめろ、ちゃんと否定してくれ。過保護な兄に睨まれながら、玄田は冷や汗をかいた。
 喜んであげたい、と言っていたさくらは兄に向けて敵意を剥き出しにしている。そもそもが水森(兄)の交際関係の話をするために集まったのに、水森(妹)の交際について問い詰められる形になっており、完全に臍を曲げたようだ。オレ、来なかったらほうが良かったんじゃ、と玄田は何度目かになる後悔をした。
「関係あるだろ、兄妹なんだから!」
「お兄だって、恋人のこと黙ってた!」
 さくらの切り返しに、水森はぐっと言葉に詰まっている。そりゃ、黙ってた挙句、ベッドシーン(未遂)見られたら何も言えないよな、と玄田は生暖かい視線を送った。
 玄田の視線で何か察したのか、水森はみるみる青くなってさくらを問い詰め始めた。
「え、どこまで話した?」
「お兄が男連れ込んでたとこまで」
「人聞き悪いこと言うなよ……」
「事実でしょ!」
 ヒートアップしていく兄妹喧嘩を隣で見ながら、玄田はハンバーグを完食した。普段の食生活からすればご馳走だったが、食べた気がしなかった。
 マジでオレ、なんでここにいるんだろうな。さくらは、玄田がいれば冷静でいられる気がする、と言っていたが、現状完全に逆効果である。
 それでも、なんとか本来の役割を全うしようと、玄田はさくらに話しかけた。
「水森、えーと、さくらの方」
 この場に水森が二人いるので、仕方なく玄田はさくらの名を呼んだ。妹は普通に振り向いてくれたが、兄に睨まれてしまう。どうしろって言うんだ。
「パフェ、溶けるから、食えって。そんで落ち着け」
「私、冷静。食べていいよ」
「あ、はい」
 玄田は完全に気圧されていた。さくらはぐぐっとパフェの皿を玄田の前に押しつけると、再び兄と向き合った。
「バーカ、バーカ、エロ兄貴!」
「なんだと!」
 どこが冷静なんだよ。大人しくパフェをつっつきながら、玄田は心の中でぼやいた。


 水森の恋人、砂噛がファミレスに到着した時、水森兄妹は口論に疲れきって、かわりに黙って睨み合っていた。その頃には玄田もパフェを食べ終わり、完全に手持ち無沙汰だったので、砂噛の到着には正直救われたような気持ちになった。
 男ということは聞いていたが、想像していた以上に見た目が良い人が来たので、玄田は意外に思った。水森先輩、面食いなんだなぁ、とやや失礼なことを考えながら砂噛を眺めているとばっちり目が合ってしまった。そして、砂噛は不思議そうに呟いた。
「えーと、こちらは」
 砂噛の当然と言えば当然の疑問に、水森がしぶしぶと言った様子で答える。
「……妹の彼氏っス。付き添いだそうで」
 違う、と否定したかったが、話がややこしくなるので玄田は黙っていた。砂噛は納得したようで、改めてさくらと玄田に向き合うと自分の名を名乗った。そして二人に深々と頭を下げる。
「昨日は、お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした」
「い、いえ」
 さくらはしきりに恐縮している。玄田も隣で緊張してしまう。まだ高校生の二人にとって大人に敬語を使われることも、頭を下げられることもそうない経験だ。
「あの、敬語じゃなくていいです。あと、面談って何するんですか」
 さくらの言葉に、砂噛はじゃあ、と言って言葉を崩した。正直、大人に敬語を使われ続けるのは威圧感もあり、話しづらかったので玄田もほっとした。
「面談って言ったのは、悪かった。焦っていたからつい仕事の癖がでた」
 砂噛は水森と同じ会社で働いており、保険関係だという。玄田は、ああ、自分も世話になっている会社か、とぴんときたが、さくらはよくわかっていないようだった。
「迷惑をかけた謝罪と、その、聞きたいことがあるだろうから」
 聞きたいこと、とさくらは砂噛の言葉を反芻する。そして、少し考え込むような仕草を見せた後、さくらははっきりと言葉にした。
「砂噛さん、モテますよね」
「お前、何聞いてんだよ」
「お兄は黙ってて」
 ぴしゃりと兄に言い放ち、さくらは砂噛に向き直る。
「なんで、兄を選んだんですか」
 一見すると、「どこが好きなの」という可愛らしい問いだが、さくらの目は真剣である。
 ねぇ、ちゃんと私の兄のこと見てる?良さ、わかってる?大切にしてくれる?玄田には、そんなさくらの気持ちが透けて見えた。
「なんでって……」
 砂噛はちょっと困ったように言葉を探している。その隣の水森も居心地が悪そうな顔をしている。煮え切らない二人の態度に、さくらは少し苛立ちをみせた。
「……もしかしてセフレですか?」
「待て、どこでそんな言葉覚えた!?」
「お兄、私もう高校生だよ」
 淡々と兄に言い返すさくらの目は冷ややかである。
「……ちゃんと付き合ってるよ」
 気まずそうに、砂噛が答える。そして、そのまま先ほどの質問にも答え始めた。
「放っておけなかったから、が一番しっくりくるんだが、伝わるか?」
「……兄が頼りないってことですか?」
 そうではない、と砂噛は首を振る。
「嘘に敏感でいちいち傷つくくせに、馬鹿みたいに人の善性を信じたがる。人を助けたいというご立派な考えで突っ走るのに、自分の怪我は顧みない」
 吐き捨てるように言われた言葉は、言い方も相まっていっそ罵倒に聞こえる。とても恋人の好きな所を説明しているとは思えない。
「……そういうところが放っておけない」
 最後にそう締め括って、砂噛はうなだれた。恥ずかしさを誤魔化しているようだった。水森も若干頬を染めて、目を泳がせている。めちゃくちゃわかりにくいが、惚気られたらしい。
 玄田には理解し難がったが、さくらには通じるものがあったらしい。なるほど、と頷くと、静かに質問を重ねた。
「兄のこと、ちゃんと好きですか?」
「好きだよ」
 今度こそ間髪入れずに返されて、さくらは大きく息を吐いた。安心したのか、それとも諦めたのか。「そうですか」と静かに呟いた。
 さくらは沈黙している。今この場で話し出すことができるのは、さくらだけのように感じる。目の前の二人は何を言っても言い訳のように聞こえてしまうし、玄田自身は話すことはない。
 気まずい沈黙の中、玄田は自分の手に冷たいものが触れるのを感じた。向かいに座る二人には見えない、ソファ席の上。そこで、玄田の手はぎゅっとさくらに握られていた。驚いて視線だけ彼女に向けたが、さくらの目は前に座る二人を見据えている。彼女の手が、震えていることに気づいて、玄田は彼女の決意を理解した。
 このために自分は呼ばれたのかもしれない。そう思うと玄田は、さくらの手を握り返した。がんばれ、と心の中で呟きながら。
「砂噛さん、兄をどうか、よろしくお願いします」
 さくらは砂噛に向かって深々と頭を下げた。それを受けて、砂噛も礼を返す。
「お兄、いい人で良かったね」
 顔を上げずに、さくらは兄に向けて話しかける。その声は少し震えている。
「ありがとな、さくら」
 水森の言葉に、さくらは顔をあげた。
 さくらは気丈にも笑顔を見せた。不恰好でいつもの笑みとは異なるが、それでも兄を送り出すために表情を作っている。
 できたじゃん、兄離れ。
 玄田は再度、さくらの手を強く握った。

◇◇◇
 
 玄田にとって、地獄のような時間がようやく終わった。終わってみれば、良い感じに着地したと言えるので、まるっきり地獄というわけでもなかったが、もう二度と経験したくはない。
 水森兄妹とは帰る方向が別なので、ファミレスで出たところで解散となった。
「お兄、お腹空いた。コンビニで何か買って」
「……いいけど、夕飯も食えよ。怒られるのオレなんだから」
 さきほどは兄離れしたと感じたさくらだったが、甘えるような絡み方をしながら帰っていく。水森もまんざらではなさそうなので、あの兄妹の距離感はまだまだ近いままなんだろうな、と少し呆れてしまった。
 残された玄田は、先ほど会ったばかりの他人である砂噛との距離感に困っていた。正直話すことがないし、気まずい。玄田としては、これからバイトに向かいたいのだが、同じ方向だったら、会話が面倒くさい。
 トイレでもいくふりしてやり過ごそうか。玄田がこの空間から逃れる方法を考えていると、砂噛が沈黙を破った。
「外星人、だよな?顧客リストで見たことがある」
「……」
 玄田は黙って頷いた。リストで確認しているなら、隠す必要もないだろう。おそらく、兄のことも把握されている。
「心配ですか?オレが水森先輩の妹の近くにいるの」
 水森からは、純粋に妹に対する過保護な感情しか感じない。おそらく玄田が地球人であっても、同じ反応をしただろう。だが、他の人間はどうだろうか。他の星出身で、犯罪者の弟。いくらでもマイナスイメージを挙げられるだろう。
「いや、別に」
 あっさりとした砂噛の回答に、玄田は拍子抜けした。恋人の妹には干渉しない、ということなのだろうか。不思議そうな玄田の様子を見て、砂噛は言葉を重ねた。
「オレも、外星人だから」
「……そうなんですね」
 それだけで、受け入れてくれるものなのだろうか。
「まぁ、あと、あんな気まずい場面に付き合うくらいにはいい奴なんだろ」
 続けられた言葉に、玄田は少し罪悪感を覚えた。自分が百パーセントの善意で付き添ったかと言うと、それは違う。もともと、飯に釣られて着いてきたのだ。
「彼女の手を握って支えてやってたし」
「……気づいてたんですね」
 見えない角度だと思っていたのに。どうやら、あの会話の最中、しっかりと値踏みされていたようだ。
 自分のバックグラウンドではなく、在り方で評価される、というのはありがたい話だった。だが、と玄田は少し悩んでしまう。そもそも自分とさくらは付き合っていない。
 砂噛は、そろそろ会社に戻ると言う。去り際に、少し笑ってからかうように言われた。
「避妊だけはちゃんとしとけよ」
 高校生の恋人の首に痕付けた上に、実家のベッドで押し倒していた奴に言われたくないな。玄田はそう思ったが、口にはしなかった。かわりに、ずっと言いたかったことを伝えることにした。
「オレ、あいつの彼氏じゃないんで」
 自分の言葉に素直に驚く砂噛を見て、少しだけ気が晴れた。さくらとは、これからも部活の仲間としてうまくやっていけるだろう。
 バイト前に、どっと疲れはした。だが別れ際のさくらの表情が明るかったので、玄田は着いてきて良かった、と素直に思えた。
 
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