占いと統計

 土曜日の昼下がり、よく晴れた空の光に目を細めながら、水森は洗濯物を干していた。手慣れた手つきでシャツやら靴下やらを干していき、最後にぱんっとシーツを伸ばす。
 一仕事終えて、すっきりした気分でベランダから部屋に戻る。外に比べて光量が低く少し目が慣れない感じがする。意識的に瞬きをしていると、寝巻き姿の恋人が目に入った。
 ソファの上で、ぼんやりとしている砂噛は明らかにまだ眠そうだ。そもそも、今朝水森がこの部屋を訪ねた際、インターフォンの音で起きたと言っていた。
「……寝てていいっスよ」
「家事やらせて寝てるのは、さすがに気まずい」
 くるくると家事をする水森に対して、砂噛は何もせずにソファに座っているだけだ。一見すると亭主関白、モラハラ野郎で令和のコンプラに引っかかりそうな振る舞いである。しかし、この行動は水森が望んだことである。「手伝いとか邪魔だから、座ってろ」を何重にもオブラートに包んで伝えた結果、砂噛の定位置がソファの上になった。家主がソファの上で縮こまっている、というのは申し訳ない気持ちもあったが、その姿がかわいい、と思ってしまう自分もいる。
 砂噛は家事が壊滅的にできない。興味もないようで何をどこまでやればいいのかもいまいち分かっていないようだ。週末に水森がこの部屋を訪ねると、たいてい散乱したシャツやビールの空き缶やらが寝室にある。砂噛なりに片付けているようだが、見られたくないものをリビングから寝室に移しているだけなので、水森に言わせれば片付けではない。証拠隠滅だ。
 食事も外食かコンビニで済ませているようで、これで健康的な体型を保っているのは奇跡と言っていい。なんとか自分と過ごす時くらい、野菜を食べさせよう。そう決意してからは、この部屋で食事を作るようになった。
 以前、鉄にそんな様子を伝えたところ「おかんかよ」とつっこまれた。解せん、と思ったが、最近砂噛を見て感じるかわいいという感情に、母性的なものが混じっている気もして否定できない。ダメな子ほどかわいい、という言葉が水森の頭をよぎった。
 恋人の世話を焼くことは楽しい。家事も嫌いじゃないし、何より「いつも悪いな」とばつが悪そうに感謝されると、嬉しくなってしまう。自分の行動が少しでも恋人の役に立てばいい。そんな思いで続けているこの行動に、不満はない。むしろ、幸せな気分でいっぱいだ。
 けれど、ふとした瞬間に水森の心は沈む時がある。恋人として仲を深める前に、世話焼きを始めてしまったことで、弊害が出ているのではないかと。
 それこそが、占い師に指摘された彼の悩みだった。


 一通りの家事が終わったので砂噛に声をかける。小一時間家事をしていたが、まだ眠そうだ。
「先輩、終わりましたよ。コーヒーでも淹れましょうか?」
 砂噛の部屋には真新しいコーヒーメーカーがある。この前出かけた際に目についたので「あれ、良さそうっスね」と言ったら次に来た時に部屋に置いてあった。買ったのか、と尋ねると欲しそうだったから、と返されて水森は絶句した。
 水森が来るまで、使った形跡がなく、本気で自分が使う用に購入されたと実感した。これからは、恋人の前で不用意に物をねだるのはやめよう、水森はそう決意した。いや、コーヒーメーカーもねだったわけではないのだけど。
「いや、いい……」
 砂噛の返事は眠そうだ。こんなにもぼんやりしているのは珍しいと言っていい。
「先輩、忙しかったんスか?」
 学業がある水森とは違い、砂噛はフルタイムで仕事をしている。占い師の案件にも関わっているが、それ以外の件、通常業務もこなしている。
「昨晩、突発でSTARSの応援に呼ばれて、今朝帰ってきた」
「ほぼ寝てないじゃないっスか!」
 水森の声に、砂噛はうるさそうに顔を顰めた。
「え、言ってくださいよ。そしたら今日来なかったのに」
 その言葉に、砂噛の眉間の皺はますます深くなる。あれ、これ限界じゃないか?水森は慌てて砂噛の手を取った。
「寝室行きましょ、シーツ敷いてあげるんで、寝てください」
 眠いとはいえ、砂噛なら水森の手を振り払おうと思えば出来る。それをしないということは、相当疲れている。相手の様子に気がつかずに、のんきに家事をしていた自分のことが嫌になった。それと同じくらい、言ってくれよ、とも思ったが。
 今朝まで使っていたシーツは先程干したばかりだ。予備を買っておいてよかった、と水森は寝室の収納を漁る。予備を買ったのも、収納したのも水森なので作業はさくさくと進んだ。
「はい、できました。寝てください!」
 さぁどうぞ、とベッドを示すと先程とは逆に水森の手が取られた。
「え?」
「……お前も」
「うわっ」
 水森はそのままベッドにひっぱりこまれた。色気も何もないダイブである。事態を飲み込めていない水森に、恋人はさっさと布団をかけてしまう。これさえかければ逃げられまい、とでも言うように。
「あの、オレ、邪魔だし帰りますよ」
「邪魔じゃない。いいから隣で寝てろ」
 相変わらず不機嫌そうな砂噛は、そのまま目を閉じてしまう。これはそばにいて欲しい、と言われているのでは、と水森はようやく合点がいった。そう考えると、徹夜していたことを黙っていたのも、水森が遠慮して来なくなるのを避けるためだったのかも知れない。分かりにくいが、甘えられている。
 水森は頬が緩むのを感じた。
「子守唄でも歌いましょうか?」
「いらねぇよ」
 軽口に対する、砂噛の返答は柔らかく、少し呂律が怪しかった。寝入る寸前、と言ったところだろうか。
 そのまま黙っていると、やがて砂噛の胸が規則正しく上下し始める。眠りについたのだろう。穏やかな恋人の顔を見ながら、水森はこの場にふさわしくない感情が湧き出てくるのを感じた。
「なんで、手を出してくんないのかなぁ」
 ぽつりと呟いた言葉は、寝室の中で消えていく。砂噛の静かな寝息を聞きながら、水森はため息をついた。


 水森の悩みは、交際から数ヶ月経っても一線を超えられないこと、であった。最初の頃は緊張でそれどころではなかったが、慣れてきた今となっては気になってしまう。
 いや、慣れすぎたのかもしれない、と水森は考えている。恋人としての関係を深める前に、世話を焼くようになってしまい、気がつけば母親のようなポジションになっている。いろいろすっ飛ばして、倦怠期に突入したかのようだ。
 砂噛は、性的な目で自分のことを見れないのかもしれない、とも考えている。水森が砂噛と寝るのはこれが初めてではない。夜遅くなった日に、何度か泊まらせてもらったことがある。その時は、緊張と不安でがちがちだったが、結局何もされず、砂噛は今日のように隣で静かに寝ていた。
 しかし、全く好意を感じない訳ではない。今日のように、遠回しにそばにいて欲しいと態度で示されたり、ふとした折に、軽くキスされたりと、親愛の情を示されている。不器用ながら、愛情を示されている、と確かに感じられる。
 隣で眠る砂噛の顔は穏やかだ。仕事中の不機嫌そうな表情とは違い、無防備に緩んだ目元に愛おしさを感じる。関係が進まないことに不満はあれど、決してこの時間が嫌な訳ではない。自分にしか見せない表情を見ながら、水森は悶々と考えていた。
 砂噛が、性的な接触を求めないのであれば、強要はできない。プラトニックな関係のままでも、恋人であることには変わりはない。それでも、悩んでしまうのは、自分の欲が強いからだろうか。
 大きめとはいえ、男二人で並んで寝るには、このベッドはいささか狭い。もぞもぞとおさまりの良い位置を探していると、横から伸びてきた腕にがっちりととらえられてしまう。起こしたか?と身を硬くするが、砂噛は唸り声とも寝言ともつかない言葉をむにゃむにゃと呟いて、また寝息を立て始めた。寝ぼけているだけのようだ。
 自分を抱き込む腕の強さに、邪な思いを抱いてしまう。穏やかで愛おしい時間のはずなのに、自分だけがなんだか不釣り合いで、水森は居心地の悪さを感じた。


 悶々と、消化不良な時間を過ごしたためか、休日なのに休んだ気がしなかった。あの後、自宅に帰ってからも、自身の感じる不満は何か低俗なものではないか、と水森は思い悩んでいた。果ては性欲と愛情は両立するのか、両者に優劣はあるのか、とちょっと哲学的とすら言えることを考え始めた。答えは出なかったが。
 それでも時間は過ぎるし、月曜になれば労働が始まる。寝不足の体を引きずりながら会議室に入ると、先に席に着いていた鉄が大きな口を開けて欠伸をしていた。
「お疲れ様です。眠そうっスね」
「おつかれー。水森も眠そうじゃん。昨夜はお楽しみで?」
 にやにやとセクハラをかまされたので無視をする。その真逆のことで悩んでいた、なんて言えるはずもない。
「ウチの方はね、テナが夜泣きしちゃって」
 鉄は、話を振ったものの水森の返答には興味がないらしい。自分の話を展開し始めた。
「夜泣きって、そんな年齢じゃないっスよね」
「なんつーか、トラウマ?フラッシュバック?たまーに、怖い夢見たって、泣きながらこっちの布団に来るんよね」
 さらりと重い話をしながら、鉄は再度大きな欠伸をした。「それは……」と水森が反応できずにいると、こちらの様子に気がついたのか明るい声で返される。
「そんな重く捉えるなって。ウチは嬉しいし」
「嬉しい?」
「うん、最近大人ぶって、一緒に寝てくんなかったし。ウチの隣に無意識に来てくれるなんて、ちゃんと子供で居てくれて嬉しい」
 穏やかな表情でそう笑う鉄が、水森には輝いて見えた。自分の性欲がどうとか、急に気にならなくなった。砂噛を見て、かわいくて愛おしいと思うあの感情は、きっと今の鉄に近いものがある。自分のそばで安らいでいて欲しい、そう願う気持ちは、恋を超えて家族のような愛なのかも知れない。そんな、種別すらどうでもいい。ただ、この関係を大事にして、砂噛の安心できる場所でいたい。素直に、そう思えた。先ほどの鉄のように。
 思わぬところで感動している水森に気づかず、鉄は鬼の形相で、それはそれとして、クソ親父は許さんと鉄はしっかりと宣言をした。
 ころころ変わる鉄の表情に、水森はちょっと笑った。
 
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