はたして猫は犬になるのか
「砂噛先輩の、浮気者!」
「どうしてそうなる」
医務室から出てきた後輩の第一声に、砂噛は頭を抱えた。
河原で倒れた水森は、COSMOSの医務室に運び込まれて、わりとすぐに目を覚ました。ぼんやりとこちらを見る水森に、穂村も砂噛も記憶が戻っているのか?とやきもきした。それを確認する前に、精密検査をするからと二人は医務室から追い出された。
そこから待つこと数時間。状態について説明するから、と医療チームに穂村が呼ばれ、入れ替わりで水森が出てきた。
そして、言われた台詞が冒頭のそれである。
別に、感動の再会、とかしたかったわけではないが、身に覚えのないことで詰られるのは砂噛としても心外である。
「おい、大丈夫か?変な記憶植え付けられてないか?」
なんとか水森を宥めすかし、課の打ち合わせスペースに連れ込む。他の人に聞かれては何を言われるか分かったものではない。幸い部屋には人気がなかった。
「浮気だと思った理由を言え」
もしかしたら脳に影響が出ているのか、と砂噛は心配になった。だが、そんな気遣いなど気に留めず、水森は不機嫌なままだ。
「医務室で、オレのこと抱きしめてたの何なんスか」
おそらく、昨日のことだろう。どうやらここ二日間の記憶は消えなかったようだ。
「あれは、記憶が戻ったのかと思って……」
素直に答えつつ、砂噛は内心混乱していた。いや、抱きしめたって言っても相手お前なんだから問題ないだろ。
「あと、記憶のない時のオレとキスしてたじゃないっスか!」
「お前からしたんだろうが!だいたい、あれもお前だろ!」
重ねて怒鳴られるので、砂噛もカチンときて言い返す。それにも臆せず、水森は砂噛を睨みつける。
「あれはオレであってオレじゃない!」
水森が叫んだところで、部屋のドアが開いた。咄嗟に二人は扉のほうを見る。
「随分、哲学的な話をしているな」
「いやカチョー、アレただの痴話喧嘩スよ」
穂村と鉄の姿がそこにはあった。どうやら説明が終わったらしい。
「課長、鉄先輩」
「おつー。無事記憶戻ったんだな」
水森にぐっと親指を立てる鉄だが、昨日は相当疲弊していたはずだ。今日も、家で休ませると課長から話があった。
「お前、体調は?」
「ギャルなめんな。午前中寝てたらヨユーで回復したし!」
ギャル関係ないだろ、と砂噛は思ったが、口にはしなかった。
「さて全員揃っていますし、水森さんの記憶の状態を説明しましょうか」
「お願いします」
水森は素直に頭を下げている。怒りを向けられているのは自分だけのようだ。解せん、と砂噛は苛立ちを覚えたが、ひとまず説明を聞くことにした。
「まず、水森さんの改竄前の記憶は全て問題なく修復されています」
その言葉に、三人はほっと息をついた。まずは良かった。
「次に、改竄中の記憶も残っています」
この言葉に、水森は頷いた。
「改竄による脳への影響も、大きなものは見られないとのことで、問題ないと言えます」
以上です、と穂村が締め括った。結果をみれば今回の件は、水森の記憶に関して、ベストな形で取り戻せたと言える。良かったー、という鉄の素直な感想を聞きつつ、砂噛は納得できなかった。
「課長、でもこいつ、めちゃくちゃなこと言ってますよ」
「オレであってオレじゃない、の話ですか?」
砂噛が首肯すると、めちゃくちゃじゃないっスと小声での反論があった。しかし、それを無視して穂村は話し始めた。
「水森さんは、ここ二日間の記憶を自分として捉えられていないようです」
穂村の言葉を、砂噛はすぐには理解できなかった。鉄も同じようで首を傾げている。
「水森さんからすれば、改竄中の自分の感情、行動に違和感が強く、他人のように感じるとのことです」
「オレ、あんなに斜に構えてないっス」
穂村の補足と、水森の言葉に砂噛は合点がいった。確かに、性格には差がでてた気がする。
「それなー」
鉄もそう言って納得していた。
「医療班の方が言うには、そのうち違和感はなくなるそうです。曰く『素面に戻った時、酔っていた時の失態を最初は受け入れられないけど、いずれ自分ごととして猛省する時の感覚』とのことです」
穂村の言葉に砂噛は安心した。だいぶ雑な例えは挟まったが、ようは一時的なものらしい。
「良かったな、ドラ男、浮気じゃなくなるって」
「最初からしてないがな」
水森は相変わらず、アレはオレじゃない、とぶつぶつ言っているが、先ほどまでの勢いはない。案外すぐに違和感なくなりそうだな、と砂噛は思った。
「ところで、水森さんはいつの間にキスするくらい砂噛のことが好きになったんですか?」
「え、ナニソレ!見たかった!」
水森の状態に問題がないことが分かり、安心したところで、穂村が爆弾を落とした。問われた水森は顔を真っ赤にして、目を泳がせている。
砂噛としても気になっていたことだ。確かに終盤、改竄前のような懐っこさを見せていたが、まさか自分へのそういった意味での好意があったとは思っていなかった。
「……言わなきゃ、ダメですか?」
「いえ、ただ人を好きになる過程というものに興味があるだけで、別に言わなくても……」
「言えし!先輩命令な!」
穂村のフラットな言葉を、鉄が遮った。爛々と目が輝いている。恋バナをしている気分なのだろう。
「えーでも、オレと先輩元々付き合ってたし、そっちはちゃんと話しましたよね?」
水森は必死の抵抗を試みている。確かに、二人の恋愛事情は課内で筒抜けになっていた。鉄が面白がって聞くからというのもあるし、水森が特に隠す気がないというのもある。
「うん、でも、それはそれ。これはこれ。恋バナなんて、いくら聞いても飽きないっしょ!」
「えー……」
鉄の言葉に、水森は弱った顔をしている。本当に言いたくないようだ。
「逆に、普段はあれだけオープンなのに、なんで言いたくないんだよ」
なかなか話さない水森に、鉄は焦れたようだ。不満げに唇を尖らせている。
「……ハラスメント案件でしょうか?」
無理強いしない、という姿勢をとっていた穂村もスッと目を細める。目線の先にいるのは砂噛だ。え、オレが襲ったんじゃないかと疑われている?全く身に覚えのない言いがかりに、砂噛は焦った。
「おい、さっさと言え。オレが変な嫌疑かけられてるだろ」
三人に詰め寄られ、とうとう水森は白旗を上げた。ボソボソと小声で話し始める。
「……その、鈴木に会って倒れた時に、起きたら、先輩がいて。抱きしめられて、す、好きに」
そこまで言って、水森はうわーと叫びながら頭を抱えた。耳まで真っ赤である。
三人はぽかんとした。あっけないほど普通の理由だった。それをなぜ、あんなに言い淀んでいたのか?むしろそちらが気になってしまう。
「別に変なきっかけじゃないじゃん」
「そうですよ、身体的接触で親しみを覚えるのは一般的にもあることです」
鉄と穂村からのフォローも、水森には効果がなかった。気まずそうな顔でぽつりとつぶやいた。
「いや、自分でもちょろいなって。そんなに惚れっぽくないはずなのになんででしょう……」
どうやら水森は自分の感情の動きの早さを恥じているようだった。うぅ、とうめき声をあげている。
「それでしたら、説明できると思いますよ」
「え?」
穂村の言葉に、水森は顔を上げた。砂噛も意外に思った。彼の中では穂村と色恋沙汰が結び付かなかった。
「医療チームが言ってたんですが、今回の記憶改竄は無理やりおこなわれたものなので、粗があるそうです」
途中であった頭痛もそれに当たる、と穂村は言った。その言葉に砂噛も頷いた。先輩、と呼びかけられたときは、全て思い出したのだと早合点した。
「水森さんの記憶は改竄されましたが、強い感情は消しきれなかったのだと思いますよ。初日から、私の言葉を信用してくれてましたし」
「確かに、課長のことは信頼してますが……」
穂村の話を聞くうちに、水森の顔はどんどん赤くなっていった。砂噛も聞いていて、恥ずかしくなっていった。水森に残った強い感情が、あの惚れっぽさを生んだんだとすれば。
「水森、ドラ男のこと、心底LOVEなんだな」
鉄が、二人の考えを代弁した。
水森は、顔を真っ赤にして、口をぱくぱくさせている。反論したいが、できない、といったところだろうか。
砂噛も何も言えなくなってしまった。予想外の展開に、口元が緩んでしまう。本人は気づいていなかったが、耳が赤く染まっていた。
赤くなって黙ってしまった二人を見て、鉄が呆れたようにつぶやいた。
「お似合いだよ、お前ら」
「まだ怒ってんのか?」
「怒ってないっス」
ここ数日の荷物を取りに、水森は砂噛の家に来ていた。水森の言葉通り、医務室で会った時に比べて随分態度は軟化しているように感じる。
普段は家に来ると、なんで数日でこんなに荒れるんだ、と文句を言われるが、今日は大丈夫だろう。砂噛はきちんと整頓されたリビングを見て、記憶がない時の水森に感謝した。
「くっ、オレだけどオレじゃない片付け方されているのが、浮気相手の存在を彷彿とさせる……!」
水森は、なにやらよく分からないことを話しながら、クッションの位置やリモコンの向きを調整していた。自分の知らないうちに謎の攻防が起こっていたらしい。
「そういやオレ、先輩にはかわいい彼女いると思い込んでて。嫉妬してたんですよね」
まさかそれが自分だったなんて!と水森は懊悩している。その様子が面白くて、砂噛は笑ってしまった。
水森の記憶が戻ったことへの安堵もあった。正直、この二日間は辛かった。このまま記憶が戻らなかったら、水森は調査員を辞めることになるのだろう。そして、自分とも二度と会わなくなる。そんな想像をしては、打ち消して、を繰り返していた。
杞憂に終わって良かったが、想像通りになっていたらと思うと今でもぞっとする。ある日急に、恋人がいなくなるなんて、考えたくもない。
今、自分の家にこの後輩がいることは、当たり前なんかではなく、得難い幸せなのかもしれない。そう思うと、砂噛はたまらなくなった。
ごそごそと片付けを進める水森のそばに行く。気にした様子もなく、作業を続ける彼を後ろから抱きしめた。
「おかえり」
そう言って、肩口に顔を埋めると、水森の嬉しそうな声が聞こえる。
「ただいま」
水森は砂噛の頭に頬擦りした。その仕草が、じゃれついてくる犬のようで、愛しさが増すのを感じた。
「どうしてそうなる」
医務室から出てきた後輩の第一声に、砂噛は頭を抱えた。
河原で倒れた水森は、COSMOSの医務室に運び込まれて、わりとすぐに目を覚ました。ぼんやりとこちらを見る水森に、穂村も砂噛も記憶が戻っているのか?とやきもきした。それを確認する前に、精密検査をするからと二人は医務室から追い出された。
そこから待つこと数時間。状態について説明するから、と医療チームに穂村が呼ばれ、入れ替わりで水森が出てきた。
そして、言われた台詞が冒頭のそれである。
別に、感動の再会、とかしたかったわけではないが、身に覚えのないことで詰られるのは砂噛としても心外である。
「おい、大丈夫か?変な記憶植え付けられてないか?」
なんとか水森を宥めすかし、課の打ち合わせスペースに連れ込む。他の人に聞かれては何を言われるか分かったものではない。幸い部屋には人気がなかった。
「浮気だと思った理由を言え」
もしかしたら脳に影響が出ているのか、と砂噛は心配になった。だが、そんな気遣いなど気に留めず、水森は不機嫌なままだ。
「医務室で、オレのこと抱きしめてたの何なんスか」
おそらく、昨日のことだろう。どうやらここ二日間の記憶は消えなかったようだ。
「あれは、記憶が戻ったのかと思って……」
素直に答えつつ、砂噛は内心混乱していた。いや、抱きしめたって言っても相手お前なんだから問題ないだろ。
「あと、記憶のない時のオレとキスしてたじゃないっスか!」
「お前からしたんだろうが!だいたい、あれもお前だろ!」
重ねて怒鳴られるので、砂噛もカチンときて言い返す。それにも臆せず、水森は砂噛を睨みつける。
「あれはオレであってオレじゃない!」
水森が叫んだところで、部屋のドアが開いた。咄嗟に二人は扉のほうを見る。
「随分、哲学的な話をしているな」
「いやカチョー、アレただの痴話喧嘩スよ」
穂村と鉄の姿がそこにはあった。どうやら説明が終わったらしい。
「課長、鉄先輩」
「おつー。無事記憶戻ったんだな」
水森にぐっと親指を立てる鉄だが、昨日は相当疲弊していたはずだ。今日も、家で休ませると課長から話があった。
「お前、体調は?」
「ギャルなめんな。午前中寝てたらヨユーで回復したし!」
ギャル関係ないだろ、と砂噛は思ったが、口にはしなかった。
「さて全員揃っていますし、水森さんの記憶の状態を説明しましょうか」
「お願いします」
水森は素直に頭を下げている。怒りを向けられているのは自分だけのようだ。解せん、と砂噛は苛立ちを覚えたが、ひとまず説明を聞くことにした。
「まず、水森さんの改竄前の記憶は全て問題なく修復されています」
その言葉に、三人はほっと息をついた。まずは良かった。
「次に、改竄中の記憶も残っています」
この言葉に、水森は頷いた。
「改竄による脳への影響も、大きなものは見られないとのことで、問題ないと言えます」
以上です、と穂村が締め括った。結果をみれば今回の件は、水森の記憶に関して、ベストな形で取り戻せたと言える。良かったー、という鉄の素直な感想を聞きつつ、砂噛は納得できなかった。
「課長、でもこいつ、めちゃくちゃなこと言ってますよ」
「オレであってオレじゃない、の話ですか?」
砂噛が首肯すると、めちゃくちゃじゃないっスと小声での反論があった。しかし、それを無視して穂村は話し始めた。
「水森さんは、ここ二日間の記憶を自分として捉えられていないようです」
穂村の言葉を、砂噛はすぐには理解できなかった。鉄も同じようで首を傾げている。
「水森さんからすれば、改竄中の自分の感情、行動に違和感が強く、他人のように感じるとのことです」
「オレ、あんなに斜に構えてないっス」
穂村の補足と、水森の言葉に砂噛は合点がいった。確かに、性格には差がでてた気がする。
「それなー」
鉄もそう言って納得していた。
「医療班の方が言うには、そのうち違和感はなくなるそうです。曰く『素面に戻った時、酔っていた時の失態を最初は受け入れられないけど、いずれ自分ごととして猛省する時の感覚』とのことです」
穂村の言葉に砂噛は安心した。だいぶ雑な例えは挟まったが、ようは一時的なものらしい。
「良かったな、ドラ男、浮気じゃなくなるって」
「最初からしてないがな」
水森は相変わらず、アレはオレじゃない、とぶつぶつ言っているが、先ほどまでの勢いはない。案外すぐに違和感なくなりそうだな、と砂噛は思った。
「ところで、水森さんはいつの間にキスするくらい砂噛のことが好きになったんですか?」
「え、ナニソレ!見たかった!」
水森の状態に問題がないことが分かり、安心したところで、穂村が爆弾を落とした。問われた水森は顔を真っ赤にして、目を泳がせている。
砂噛としても気になっていたことだ。確かに終盤、改竄前のような懐っこさを見せていたが、まさか自分へのそういった意味での好意があったとは思っていなかった。
「……言わなきゃ、ダメですか?」
「いえ、ただ人を好きになる過程というものに興味があるだけで、別に言わなくても……」
「言えし!先輩命令な!」
穂村のフラットな言葉を、鉄が遮った。爛々と目が輝いている。恋バナをしている気分なのだろう。
「えーでも、オレと先輩元々付き合ってたし、そっちはちゃんと話しましたよね?」
水森は必死の抵抗を試みている。確かに、二人の恋愛事情は課内で筒抜けになっていた。鉄が面白がって聞くからというのもあるし、水森が特に隠す気がないというのもある。
「うん、でも、それはそれ。これはこれ。恋バナなんて、いくら聞いても飽きないっしょ!」
「えー……」
鉄の言葉に、水森は弱った顔をしている。本当に言いたくないようだ。
「逆に、普段はあれだけオープンなのに、なんで言いたくないんだよ」
なかなか話さない水森に、鉄は焦れたようだ。不満げに唇を尖らせている。
「……ハラスメント案件でしょうか?」
無理強いしない、という姿勢をとっていた穂村もスッと目を細める。目線の先にいるのは砂噛だ。え、オレが襲ったんじゃないかと疑われている?全く身に覚えのない言いがかりに、砂噛は焦った。
「おい、さっさと言え。オレが変な嫌疑かけられてるだろ」
三人に詰め寄られ、とうとう水森は白旗を上げた。ボソボソと小声で話し始める。
「……その、鈴木に会って倒れた時に、起きたら、先輩がいて。抱きしめられて、す、好きに」
そこまで言って、水森はうわーと叫びながら頭を抱えた。耳まで真っ赤である。
三人はぽかんとした。あっけないほど普通の理由だった。それをなぜ、あんなに言い淀んでいたのか?むしろそちらが気になってしまう。
「別に変なきっかけじゃないじゃん」
「そうですよ、身体的接触で親しみを覚えるのは一般的にもあることです」
鉄と穂村からのフォローも、水森には効果がなかった。気まずそうな顔でぽつりとつぶやいた。
「いや、自分でもちょろいなって。そんなに惚れっぽくないはずなのになんででしょう……」
どうやら水森は自分の感情の動きの早さを恥じているようだった。うぅ、とうめき声をあげている。
「それでしたら、説明できると思いますよ」
「え?」
穂村の言葉に、水森は顔を上げた。砂噛も意外に思った。彼の中では穂村と色恋沙汰が結び付かなかった。
「医療チームが言ってたんですが、今回の記憶改竄は無理やりおこなわれたものなので、粗があるそうです」
途中であった頭痛もそれに当たる、と穂村は言った。その言葉に砂噛も頷いた。先輩、と呼びかけられたときは、全て思い出したのだと早合点した。
「水森さんの記憶は改竄されましたが、強い感情は消しきれなかったのだと思いますよ。初日から、私の言葉を信用してくれてましたし」
「確かに、課長のことは信頼してますが……」
穂村の話を聞くうちに、水森の顔はどんどん赤くなっていった。砂噛も聞いていて、恥ずかしくなっていった。水森に残った強い感情が、あの惚れっぽさを生んだんだとすれば。
「水森、ドラ男のこと、心底LOVEなんだな」
鉄が、二人の考えを代弁した。
水森は、顔を真っ赤にして、口をぱくぱくさせている。反論したいが、できない、といったところだろうか。
砂噛も何も言えなくなってしまった。予想外の展開に、口元が緩んでしまう。本人は気づいていなかったが、耳が赤く染まっていた。
赤くなって黙ってしまった二人を見て、鉄が呆れたようにつぶやいた。
「お似合いだよ、お前ら」
「まだ怒ってんのか?」
「怒ってないっス」
ここ数日の荷物を取りに、水森は砂噛の家に来ていた。水森の言葉通り、医務室で会った時に比べて随分態度は軟化しているように感じる。
普段は家に来ると、なんで数日でこんなに荒れるんだ、と文句を言われるが、今日は大丈夫だろう。砂噛はきちんと整頓されたリビングを見て、記憶がない時の水森に感謝した。
「くっ、オレだけどオレじゃない片付け方されているのが、浮気相手の存在を彷彿とさせる……!」
水森は、なにやらよく分からないことを話しながら、クッションの位置やリモコンの向きを調整していた。自分の知らないうちに謎の攻防が起こっていたらしい。
「そういやオレ、先輩にはかわいい彼女いると思い込んでて。嫉妬してたんですよね」
まさかそれが自分だったなんて!と水森は懊悩している。その様子が面白くて、砂噛は笑ってしまった。
水森の記憶が戻ったことへの安堵もあった。正直、この二日間は辛かった。このまま記憶が戻らなかったら、水森は調査員を辞めることになるのだろう。そして、自分とも二度と会わなくなる。そんな想像をしては、打ち消して、を繰り返していた。
杞憂に終わって良かったが、想像通りになっていたらと思うと今でもぞっとする。ある日急に、恋人がいなくなるなんて、考えたくもない。
今、自分の家にこの後輩がいることは、当たり前なんかではなく、得難い幸せなのかもしれない。そう思うと、砂噛はたまらなくなった。
ごそごそと片付けを進める水森のそばに行く。気にした様子もなく、作業を続ける彼を後ろから抱きしめた。
「おかえり」
そう言って、肩口に顔を埋めると、水森の嬉しそうな声が聞こえる。
「ただいま」
水森は砂噛の頭に頬擦りした。その仕草が、じゃれついてくる犬のようで、愛しさが増すのを感じた。
