はたして猫は犬になるのか
大小はあるだろうが、立ち入られたくない自分の空間、というのものが誰にでも存在する。一人暮らしの砂噛にとって、自身が借りている部屋がそれに当たる。
気心の知れた同僚であれば、リビングに通すくらいはやぶさかではないが、それでも掃除やある程度の片付けの時間は欲しい。見せたくはない物、見せたくはない姿を隠すために。
それが今、何の準備もなく男子高校生を招き入れる羽目になっている。砂噛にとって複雑だったのは、この高校生が決して見知らぬ相手ではなく、仕事の後輩であり、自身の恋人だったことだ。それこそ何度も家に上げたことがあるし、本来であれば、今更抵抗を感じることのない相手だが、今日は勝手が違った。
男子高校生、水森は、初めて入る場所であるかのように、キョロキョロと部屋を見回している。今朝、砂噛が脱ぎ捨てていった部屋着をソファの上に見つけたらしく、そこからは気まずげに目を逸らしていた。
どうしたもんかな、と思いながら、砂噛はとりあえず、見せたくないと判断したものを片付けていく。主に服とか、空のペットボトルとか、生活感が出ている物を。
「広い部屋っスね。結婚してます?」
「してない。一人で暮らしてる」
へー……と、自分から聞いたくせに水森はさして興味も無さそうな返事を返した。
「保険屋って儲かるんですね」
「調査員だからな、場合によって手当がつく」
主に危険が伴う場合だが、砂噛はそこについては伏せた。説明が面倒だった。
「会社でも説明したが、記憶が戻るまではここで暮らしてもらう」
「はーい」
水森の返事は素直だった。会社では散々ごねていたが、諦めたようだった。
「布団とか、着替えとか必要そうな物は経費で買ったから後で届く。足りない物があればその都度言え」
最低限必要なことを伝えると、話すことがなくなってしまう。気まずい時間だが、水森は気にした様子もない。何がいるかなー、なんてぶつぶつと呟いている。
そういえば、と水森は顔を上げた。
「えっと、名前なんでしたっけ?」
「砂噛だ。さっきも言っただろ」
語気が強くなった自覚はあった。記憶をなくした水森に当たるのはお門違いだが、端々に感じる違和感に苛立ちを覚えた。
「じゃあ、改めてよろしく、砂噛さん」
本心を見せない、上っ面の笑顔。砂噛は、やめろと怒鳴りたい衝動をぐっと堪えた。
「……よろしく」
かろうじてそれだけ返すと、目を逸らした。恋人のそんな他人行儀な顔、見ていたくなかった。
なぜ水森が記憶を失っているのか。話は本日の昼まで遡る。
この日、水森は穂村と貸し付け金の返済を滞らせたブラムクスタファ星人の元へと向かうと言っていた。砂噛が聞かされていたのはそこまでだ。
結論から言うと、水森と穂村の返済金の回収は失敗に終わった。抵抗するブラムクスタファ星人の男と揉み合う中、水森が倒れたという。穂村が気取られた隙に、男は逃げた。幸い、水森はすぐに目を覚ましたが、穂村のこと、自分が調査員であることを忘れていた。
水森を会社の医務室で検査させる中、穂村、砂噛、鉄の三人は現状の整理をしていた。
「MESがバグった?」
砂噛の言葉に、穂村は頷いた。
「正確には、外部干渉を受けて異常な記憶改竄が起こったようだ」
「外部干渉って?」
鉄の疑問に、穂村は水森のピアスを取り出した。彼のMESである。砂噛から見ると、普段と様子が変わらないように見える。
「馬喰さんに調べてみてもらった。見た目には分からないが、外部から信号を送られた形跡が有る」
サイバー系に強い、ブラムクスタファ星人らしい抵抗だ。件の男は何度か返済を滞らせ、MESを使って追いかけたこともあるので、その時に情報と対策を取られたのだろう。
「じゃあ、MES直せば、水森の記憶も戻るってこと?」
鉄の言葉に、穂村は一瞬言い淀んだ。
「……ああ、MESを正確に直せれば」
「難しいんですか?」
含みのある言い方に、砂噛が問いかける。
「どんな改竄がされているのか、詳細なログが消されている。元に戻すには、相手が使ったデバイスを手に入れる必要がある」
つまり、逃してしまった男を捕まえないと、記憶が戻せない、ということだ。砂噛は息を飲んだ。逃げた相手の手がかりは今のところない。水森の記憶修復は絶望的な状況と言える。
全員、次の言葉を発せなかった。COSMOSの情報網を使っても、逃げ回る相手の補足には時間がかかる。
「なんや、辛気臭い顔しとんな」
暗い沈黙を打ち破ったのは、いつの間にか部屋に入ってきた馬喰だった。
「えぇニュースや。このMES、改竄ログは消されとるが、通信の記録はそのまんまや」
そこまで消す時間なかったんやろ、と馬喰は一人納得しているが、三人には話が見えてこない。穂村が代表して問いかける。
「つまり、どういうことですか?」
「通信を元に、相手の居場所割り出せるっちゅーことや」
三人は目を見開いた。光明が見えてきた。
「ただ、向こうも馬鹿やない。あっちにもMESの位置は分かるし、完全に情報消すために水森狙ってくるやろな」
「望むところです」
穂村の低い声が部屋に響いた。
「回収させてもらいます。水森さんの記憶も、お金も」
「向こうから来てくれるなら、むしろラッキーっしょ!」
「二度とこんなまねしない様に後悔してもらわないとな」
三人の目はギラギラと怒りに燃えていた。三人とも仲間の記憶を消されて、黙っていられる様な性格ではなかった。
「おー、怖い怖い」
そう言う馬喰の目も笑っていなかった。彼女にとっても自分の作ったMESが虚仮にされた形だ。腹立たしいに決まっている。
COSMOSは保険の会社。頭を使い、時に力も使い、顧客の保障を行う。だが、守ってくれるのは、正しくお客様であるときだけだ。お客様の枠から外れたら、安心とは程遠い思いをすることになる。
「ドラ男、大丈夫かー?」
「何がだよ」
鉄の問いかけに、砂噛は苛立たしげに答えた。
水森のことは当面、課のメンバーが交代で見守ることとなった。犯人に狙われていることもあったが、正規の方法でない記憶改竄の悪影響がないとも言い切れない、というのも大きな理由だ。
「夜はお前の家で面倒見るんでしょ?」
「そうなったな」
「お前ら、恋人同士だけど、やりにくくないの?」
二人が話をしているのは、会社の廊下である。穂村は馬喰と技術的な対応について話があるとのことで、先に部屋を出たところだった。
砂噛は咄嗟に他に人がいないことを確認した。課の人間には、自分と水森のことを伝えていたが、おおっぴらに喧伝したい訳ではない。
「……別に、付き合う前と一緒だろ」
見たところ人はいなかったが、心持ち小声で答える。鉄もそれに倣い声のトーンを少し落とした。
「ドラ男さ、記憶なくした水森とまだ会ってないっしょ」
「別件で外に出てたからな」
砂噛が会社に戻った時には、水森は医療班に連れて行かれており、ただ記憶を失ったという事実だけを告げられた。
「ウチは、カチョー達が戻って来た時、会社いたからさ、ちょっと話したんだけど」
そこで鉄は一旦話を区切った。口を開けては閉じ、言葉を選ぶように何か言い淀んでいたが、やがて諦めたのか再び話し始めた。
「なんか、いつもの水森って子犬じゃん」
「人間だが?」
こんな時に何を言ってるんだコイツは。砂噛が怪訝な顔をしていると、鉄に睨まれる。
「例えだし!素直で、つっぱしって、じゃれてくるところ犬みたいってこと」
「それは、まぁ」
見た目に反して直情型で、先輩先輩とじゃれてくる、と言う点には砂噛も同意できた。
「今は、猫っぽい」
「猫」
マジで誰か翻訳してくれ。そんな砂噛の気持ちが伝わったのか、鉄は自ら解説を続けた。
「愛嬌は見せるけど、奥まで心は開かず、どこか冷めてる感じ」
「とりあえず、お前が犬派ってことは分かった」
「茶化すな!心配で言ってんのに!」
ぎゃいぎゃいと言い募る鉄をいなしつつ、この時砂噛はそれほど深刻には考えていなかった。初対面で緊張かなんかしていたんだろ、と軽く捉えており、記憶のほうもすぐ戻るだろうと不安視していなかった。
それが間違いだと気がついたのは、家に連れ帰ってからだった。
砂噛は、鉄の忠告に真面目に取り合わなかったことを後悔した。
明らかに心に壁を作った男子高校生、ただし外見は自分の恋人、というのはなかなかに精神を疲弊させた。
事務的な話は、会社で穂村が済ませていたので、水森から改めて文句がでることもない。彼の嘘を見抜く能力が健在であることも大きかったようだ。記憶を失っていると言う説明も、驚きながらも受け入れていた。
どこか警戒しているらしい水森に、どう接すればいいか分からず、砂噛はさっさと一日を終えることにした。寝てしまえば、会話は不要だ。
夕飯は、宅配ピザにした。狙われている水森を連れて外食する訳にもいかず、かと言って、砂噛に自炊する能力はない。
二人きりの夕食は、今まで楽しいものだった。主に水森が話しかけて、砂噛が答えて、という会話が多かったが、それでも恋人との時間と言うだけで、心地よい時間だった。
しかし、記憶をなくした水森とする、今の食事は苦痛だった。まず、沈黙が重い。目の前の高校生は気にした様子もなく、黙々とピザを食べているが、砂噛は食欲がわかなかった。仕方なく代わりに、缶ビールを空けてちびちび飲む。
記憶を失う前の水森には随分懐かれていたんだな、と砂噛はぼんやり思った。仕事の先輩後輩から始まった関係だったが、初期から水森はそれなりに感情豊かだった記憶がある。最初は先輩への気遣いもあった気がするが、徐々に素の表情を見せるようになり、敬語こそいまだに抜けないが砕けた態度になっていった。
貼り付けたような笑顔や、壁のある受け答えが、本来の水森の他人への態度なのかもしれない。そうすると、自分たちに見せていた顔はCOSMOS で働く、という特殊な環境で発生したむしろイレギュラーなものだったことになる。
そうだとすると、水森が自分と付き合っていたというのは、中々に奇跡的な状況だったのかもしれない。他の形で出会ったら、おそらく成立しなかっただろう。そこまで考えて、砂噛は考えるのをやめた。イフの話など、いくら考えてもキリがない。
食事が進まない砂噛を尻目に、水森はピザの大半を平らげた。そういえばコイツ、検査やらで昼飯食べてなかったな、と砂噛は思い至った。食事中無言だったのは、単に空腹だったのかもしれない。
ややあって、水森が口を開いた。
「砂噛さんとオレって、仲良かったんですか?」
「まぁ、悪くはない。なんでそう思った?」
これ、と水森はピザを指差す。
「何も聞かれてないのに、オレの好きなトッピングばっかりだったから」
しまった、と砂噛は口には出さずに思った。別に何でもかんでも隠す必要はないが、できる限り自分との交際に繋がることは言わないでおこうと砂噛は考えていた。
記憶のない水森にとって、自分は見知らぬ男だ。そんな奴と付き合っていました、という事実は今の水森にはストレスだろうという、砂噛なりの配慮だった。穂村と鉄にも口止めしている。
「砂噛さん、オレへの当たり強いから、嫌われてんのかと思ってました」
ちょっと笑って冗談ぽく、水森は言った。砂噛はこの表情には見覚えがあった。自分が傷つきそうな時、予防線でわざと茶化す、水森の癖だ。相手の返答が嘘であろうと、いくらかマイルドに受け取れるように、自身で調整しているのだろう。
「……悪かった」
砂噛は本心から謝罪した。記憶を失った子供に取るべき態度ではなかった。
「言い訳になるが、普段のお前との違いに戸惑った。……お前に対して害意はない」
真摯な言葉に、水森は、目を瞬かせた。砂噛の言葉に嘘がないことが分かると、はぁー、とため息をついた。
「良かったー、めっちゃ気まずかったですよ」
「すまん、なるべく早く慣れるようにする」
「あ、慣れないでいいですよ」
は?と砂噛が首を傾げると、水森は何でもないことのように言った。
「オレの記憶、すぐ取り戻すって言われたんで」
水森にそう言ったのは、穂村だろう。
「何にも覚えてないけど、心が勝手に『じゃあ大丈夫か』って納得しちゃってるんですよね」
そう話す水森は、普段通り子供のようだった。砂噛は、そこまで信頼されている穂村が、少し羨ましくなりつつ「そうか」とだけ返事をした。
会社の経費で買った布団も無事に届き、二人は就寝準備を始めた。
逃走中のブラムクスタファ星人が襲撃してくる可能性も考えたが、元々彼らはサイバー系につは強いが武闘派ではない。侵入して来たとしても、自分なら対処可能と砂噛は考えた。
「砂噛さーん」
慣れなくていいと言われたが、なるべく普通に接してやりたいと思う。だが、どうにもこの呼び方には違和感を感じる。砂噛は、ため息を我慢して呼ばれた洗面所に顔を出す。
「どうした?」
「歯ブラシって予備あります?頼むの忘れてて」
「あった、と思う」
ガサガサと洗面所の棚を漁る。小分けされた小物入れを三つ開けてようやく予備が見つかった。ほら、と水森に渡すと、呆れたような顔をされた。
「場所、把握してないんですか?」
「……買ったのも、入れたのもオレじゃないからな」
あんまりにも洗面所が荒れていたので、水森が勝手に小分けしたのだ。この家の整理整頓はほぼ水森が行っており、砂噛は自分の家ながらどこに何があるか半分も把握していない。
別に、砂噛が頼んだ訳ではない。恋人になって家に来るようになった水森が、ある日急に「マジで耐えられない」と言って片付け始めたのだ。人を呼ぶため、砂噛なりにある程度片付けたつもりではいたのだが、水森の感覚では荒れていたらしい。「なんでこんな荒れてて普通に暮らしてるんスか」とぶつぶつ文句を言いながら、それでもどこか楽しそうに掃除をしていたので、砂噛は止めなかった。
そんな事情を察したのか、水森はへー、と無機質な返事をする。そして、二つ並んだ歯ブラシを見て、ニヤニヤと問いかけて来た。
「恋人のですか?」
「……ああ」
お前のだよ、と言ってやりたかったが、そうもいかず、砂噛は疲れたように返事をするに留めた。
気心の知れた同僚であれば、リビングに通すくらいはやぶさかではないが、それでも掃除やある程度の片付けの時間は欲しい。見せたくはない物、見せたくはない姿を隠すために。
それが今、何の準備もなく男子高校生を招き入れる羽目になっている。砂噛にとって複雑だったのは、この高校生が決して見知らぬ相手ではなく、仕事の後輩であり、自身の恋人だったことだ。それこそ何度も家に上げたことがあるし、本来であれば、今更抵抗を感じることのない相手だが、今日は勝手が違った。
男子高校生、水森は、初めて入る場所であるかのように、キョロキョロと部屋を見回している。今朝、砂噛が脱ぎ捨てていった部屋着をソファの上に見つけたらしく、そこからは気まずげに目を逸らしていた。
どうしたもんかな、と思いながら、砂噛はとりあえず、見せたくないと判断したものを片付けていく。主に服とか、空のペットボトルとか、生活感が出ている物を。
「広い部屋っスね。結婚してます?」
「してない。一人で暮らしてる」
へー……と、自分から聞いたくせに水森はさして興味も無さそうな返事を返した。
「保険屋って儲かるんですね」
「調査員だからな、場合によって手当がつく」
主に危険が伴う場合だが、砂噛はそこについては伏せた。説明が面倒だった。
「会社でも説明したが、記憶が戻るまではここで暮らしてもらう」
「はーい」
水森の返事は素直だった。会社では散々ごねていたが、諦めたようだった。
「布団とか、着替えとか必要そうな物は経費で買ったから後で届く。足りない物があればその都度言え」
最低限必要なことを伝えると、話すことがなくなってしまう。気まずい時間だが、水森は気にした様子もない。何がいるかなー、なんてぶつぶつと呟いている。
そういえば、と水森は顔を上げた。
「えっと、名前なんでしたっけ?」
「砂噛だ。さっきも言っただろ」
語気が強くなった自覚はあった。記憶をなくした水森に当たるのはお門違いだが、端々に感じる違和感に苛立ちを覚えた。
「じゃあ、改めてよろしく、砂噛さん」
本心を見せない、上っ面の笑顔。砂噛は、やめろと怒鳴りたい衝動をぐっと堪えた。
「……よろしく」
かろうじてそれだけ返すと、目を逸らした。恋人のそんな他人行儀な顔、見ていたくなかった。
なぜ水森が記憶を失っているのか。話は本日の昼まで遡る。
この日、水森は穂村と貸し付け金の返済を滞らせたブラムクスタファ星人の元へと向かうと言っていた。砂噛が聞かされていたのはそこまでだ。
結論から言うと、水森と穂村の返済金の回収は失敗に終わった。抵抗するブラムクスタファ星人の男と揉み合う中、水森が倒れたという。穂村が気取られた隙に、男は逃げた。幸い、水森はすぐに目を覚ましたが、穂村のこと、自分が調査員であることを忘れていた。
水森を会社の医務室で検査させる中、穂村、砂噛、鉄の三人は現状の整理をしていた。
「MESがバグった?」
砂噛の言葉に、穂村は頷いた。
「正確には、外部干渉を受けて異常な記憶改竄が起こったようだ」
「外部干渉って?」
鉄の疑問に、穂村は水森のピアスを取り出した。彼のMESである。砂噛から見ると、普段と様子が変わらないように見える。
「馬喰さんに調べてみてもらった。見た目には分からないが、外部から信号を送られた形跡が有る」
サイバー系に強い、ブラムクスタファ星人らしい抵抗だ。件の男は何度か返済を滞らせ、MESを使って追いかけたこともあるので、その時に情報と対策を取られたのだろう。
「じゃあ、MES直せば、水森の記憶も戻るってこと?」
鉄の言葉に、穂村は一瞬言い淀んだ。
「……ああ、MESを正確に直せれば」
「難しいんですか?」
含みのある言い方に、砂噛が問いかける。
「どんな改竄がされているのか、詳細なログが消されている。元に戻すには、相手が使ったデバイスを手に入れる必要がある」
つまり、逃してしまった男を捕まえないと、記憶が戻せない、ということだ。砂噛は息を飲んだ。逃げた相手の手がかりは今のところない。水森の記憶修復は絶望的な状況と言える。
全員、次の言葉を発せなかった。COSMOSの情報網を使っても、逃げ回る相手の補足には時間がかかる。
「なんや、辛気臭い顔しとんな」
暗い沈黙を打ち破ったのは、いつの間にか部屋に入ってきた馬喰だった。
「えぇニュースや。このMES、改竄ログは消されとるが、通信の記録はそのまんまや」
そこまで消す時間なかったんやろ、と馬喰は一人納得しているが、三人には話が見えてこない。穂村が代表して問いかける。
「つまり、どういうことですか?」
「通信を元に、相手の居場所割り出せるっちゅーことや」
三人は目を見開いた。光明が見えてきた。
「ただ、向こうも馬鹿やない。あっちにもMESの位置は分かるし、完全に情報消すために水森狙ってくるやろな」
「望むところです」
穂村の低い声が部屋に響いた。
「回収させてもらいます。水森さんの記憶も、お金も」
「向こうから来てくれるなら、むしろラッキーっしょ!」
「二度とこんなまねしない様に後悔してもらわないとな」
三人の目はギラギラと怒りに燃えていた。三人とも仲間の記憶を消されて、黙っていられる様な性格ではなかった。
「おー、怖い怖い」
そう言う馬喰の目も笑っていなかった。彼女にとっても自分の作ったMESが虚仮にされた形だ。腹立たしいに決まっている。
COSMOSは保険の会社。頭を使い、時に力も使い、顧客の保障を行う。だが、守ってくれるのは、正しくお客様であるときだけだ。お客様の枠から外れたら、安心とは程遠い思いをすることになる。
「ドラ男、大丈夫かー?」
「何がだよ」
鉄の問いかけに、砂噛は苛立たしげに答えた。
水森のことは当面、課のメンバーが交代で見守ることとなった。犯人に狙われていることもあったが、正規の方法でない記憶改竄の悪影響がないとも言い切れない、というのも大きな理由だ。
「夜はお前の家で面倒見るんでしょ?」
「そうなったな」
「お前ら、恋人同士だけど、やりにくくないの?」
二人が話をしているのは、会社の廊下である。穂村は馬喰と技術的な対応について話があるとのことで、先に部屋を出たところだった。
砂噛は咄嗟に他に人がいないことを確認した。課の人間には、自分と水森のことを伝えていたが、おおっぴらに喧伝したい訳ではない。
「……別に、付き合う前と一緒だろ」
見たところ人はいなかったが、心持ち小声で答える。鉄もそれに倣い声のトーンを少し落とした。
「ドラ男さ、記憶なくした水森とまだ会ってないっしょ」
「別件で外に出てたからな」
砂噛が会社に戻った時には、水森は医療班に連れて行かれており、ただ記憶を失ったという事実だけを告げられた。
「ウチは、カチョー達が戻って来た時、会社いたからさ、ちょっと話したんだけど」
そこで鉄は一旦話を区切った。口を開けては閉じ、言葉を選ぶように何か言い淀んでいたが、やがて諦めたのか再び話し始めた。
「なんか、いつもの水森って子犬じゃん」
「人間だが?」
こんな時に何を言ってるんだコイツは。砂噛が怪訝な顔をしていると、鉄に睨まれる。
「例えだし!素直で、つっぱしって、じゃれてくるところ犬みたいってこと」
「それは、まぁ」
見た目に反して直情型で、先輩先輩とじゃれてくる、と言う点には砂噛も同意できた。
「今は、猫っぽい」
「猫」
マジで誰か翻訳してくれ。そんな砂噛の気持ちが伝わったのか、鉄は自ら解説を続けた。
「愛嬌は見せるけど、奥まで心は開かず、どこか冷めてる感じ」
「とりあえず、お前が犬派ってことは分かった」
「茶化すな!心配で言ってんのに!」
ぎゃいぎゃいと言い募る鉄をいなしつつ、この時砂噛はそれほど深刻には考えていなかった。初対面で緊張かなんかしていたんだろ、と軽く捉えており、記憶のほうもすぐ戻るだろうと不安視していなかった。
それが間違いだと気がついたのは、家に連れ帰ってからだった。
砂噛は、鉄の忠告に真面目に取り合わなかったことを後悔した。
明らかに心に壁を作った男子高校生、ただし外見は自分の恋人、というのはなかなかに精神を疲弊させた。
事務的な話は、会社で穂村が済ませていたので、水森から改めて文句がでることもない。彼の嘘を見抜く能力が健在であることも大きかったようだ。記憶を失っていると言う説明も、驚きながらも受け入れていた。
どこか警戒しているらしい水森に、どう接すればいいか分からず、砂噛はさっさと一日を終えることにした。寝てしまえば、会話は不要だ。
夕飯は、宅配ピザにした。狙われている水森を連れて外食する訳にもいかず、かと言って、砂噛に自炊する能力はない。
二人きりの夕食は、今まで楽しいものだった。主に水森が話しかけて、砂噛が答えて、という会話が多かったが、それでも恋人との時間と言うだけで、心地よい時間だった。
しかし、記憶をなくした水森とする、今の食事は苦痛だった。まず、沈黙が重い。目の前の高校生は気にした様子もなく、黙々とピザを食べているが、砂噛は食欲がわかなかった。仕方なく代わりに、缶ビールを空けてちびちび飲む。
記憶を失う前の水森には随分懐かれていたんだな、と砂噛はぼんやり思った。仕事の先輩後輩から始まった関係だったが、初期から水森はそれなりに感情豊かだった記憶がある。最初は先輩への気遣いもあった気がするが、徐々に素の表情を見せるようになり、敬語こそいまだに抜けないが砕けた態度になっていった。
貼り付けたような笑顔や、壁のある受け答えが、本来の水森の他人への態度なのかもしれない。そうすると、自分たちに見せていた顔はCOSMOS で働く、という特殊な環境で発生したむしろイレギュラーなものだったことになる。
そうだとすると、水森が自分と付き合っていたというのは、中々に奇跡的な状況だったのかもしれない。他の形で出会ったら、おそらく成立しなかっただろう。そこまで考えて、砂噛は考えるのをやめた。イフの話など、いくら考えてもキリがない。
食事が進まない砂噛を尻目に、水森はピザの大半を平らげた。そういえばコイツ、検査やらで昼飯食べてなかったな、と砂噛は思い至った。食事中無言だったのは、単に空腹だったのかもしれない。
ややあって、水森が口を開いた。
「砂噛さんとオレって、仲良かったんですか?」
「まぁ、悪くはない。なんでそう思った?」
これ、と水森はピザを指差す。
「何も聞かれてないのに、オレの好きなトッピングばっかりだったから」
しまった、と砂噛は口には出さずに思った。別に何でもかんでも隠す必要はないが、できる限り自分との交際に繋がることは言わないでおこうと砂噛は考えていた。
記憶のない水森にとって、自分は見知らぬ男だ。そんな奴と付き合っていました、という事実は今の水森にはストレスだろうという、砂噛なりの配慮だった。穂村と鉄にも口止めしている。
「砂噛さん、オレへの当たり強いから、嫌われてんのかと思ってました」
ちょっと笑って冗談ぽく、水森は言った。砂噛はこの表情には見覚えがあった。自分が傷つきそうな時、予防線でわざと茶化す、水森の癖だ。相手の返答が嘘であろうと、いくらかマイルドに受け取れるように、自身で調整しているのだろう。
「……悪かった」
砂噛は本心から謝罪した。記憶を失った子供に取るべき態度ではなかった。
「言い訳になるが、普段のお前との違いに戸惑った。……お前に対して害意はない」
真摯な言葉に、水森は、目を瞬かせた。砂噛の言葉に嘘がないことが分かると、はぁー、とため息をついた。
「良かったー、めっちゃ気まずかったですよ」
「すまん、なるべく早く慣れるようにする」
「あ、慣れないでいいですよ」
は?と砂噛が首を傾げると、水森は何でもないことのように言った。
「オレの記憶、すぐ取り戻すって言われたんで」
水森にそう言ったのは、穂村だろう。
「何にも覚えてないけど、心が勝手に『じゃあ大丈夫か』って納得しちゃってるんですよね」
そう話す水森は、普段通り子供のようだった。砂噛は、そこまで信頼されている穂村が、少し羨ましくなりつつ「そうか」とだけ返事をした。
会社の経費で買った布団も無事に届き、二人は就寝準備を始めた。
逃走中のブラムクスタファ星人が襲撃してくる可能性も考えたが、元々彼らはサイバー系につは強いが武闘派ではない。侵入して来たとしても、自分なら対処可能と砂噛は考えた。
「砂噛さーん」
慣れなくていいと言われたが、なるべく普通に接してやりたいと思う。だが、どうにもこの呼び方には違和感を感じる。砂噛は、ため息を我慢して呼ばれた洗面所に顔を出す。
「どうした?」
「歯ブラシって予備あります?頼むの忘れてて」
「あった、と思う」
ガサガサと洗面所の棚を漁る。小分けされた小物入れを三つ開けてようやく予備が見つかった。ほら、と水森に渡すと、呆れたような顔をされた。
「場所、把握してないんですか?」
「……買ったのも、入れたのもオレじゃないからな」
あんまりにも洗面所が荒れていたので、水森が勝手に小分けしたのだ。この家の整理整頓はほぼ水森が行っており、砂噛は自分の家ながらどこに何があるか半分も把握していない。
別に、砂噛が頼んだ訳ではない。恋人になって家に来るようになった水森が、ある日急に「マジで耐えられない」と言って片付け始めたのだ。人を呼ぶため、砂噛なりにある程度片付けたつもりではいたのだが、水森の感覚では荒れていたらしい。「なんでこんな荒れてて普通に暮らしてるんスか」とぶつぶつ文句を言いながら、それでもどこか楽しそうに掃除をしていたので、砂噛は止めなかった。
そんな事情を察したのか、水森はへー、と無機質な返事をする。そして、二つ並んだ歯ブラシを見て、ニヤニヤと問いかけて来た。
「恋人のですか?」
「……ああ」
お前のだよ、と言ってやりたかったが、そうもいかず、砂噛は疲れたように返事をするに留めた。
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