海の日は試験期間

 大学が試験期間に入り、周りの雰囲気も変わった。暗い顔をしている者、ぶつぶつと一人で何か呟く者、諦めていると公言する者、それらが一緒くたに構内をうごめいているものだから、一言で言ってカオスである。
 流石にこの期間は、普段サボりがちな生徒も顔を出すので、普段よりも人口が多い気がする。
 サークル活動も控えめになるし、ダラダラと食堂に居座るものもいない。水森も自分の試験が終わったら、家に直帰する、そんな生活をしていた。
 例の外星人から呼び出されたのは、そんな試験期間の真っ只中だった。

「あれ、水森くんだけ?」
 構内のベンチで、男はヘラヘラと笑って水森を出迎えた。ベンチに座っている男の横で、先日食堂で見かけた彼女が、青ざめた顔で座っている。明らかに異様な雰囲気なのに、いつも通り軽い調子の男の態度が、信じられなかった。
「会社には、連絡しました。後ほど、課長が来るはずです」
 それまで、詳細きかせてもらえますか?内心は焦りながらも、水森はなるべく冷静に話しかけた。男はわざとらしく肩をすくめて見せた。面倒ごとに巻き込まれた被害者のようなジェスチャーだが、巻き込んだのはそっちの方だ。
「電話でも言った通り、困ったことになってね」
 そう言って、男は軽く後ろを振り返った。視線を向けられた彼女はびくりと肩を震わせる。へらへらとした笑顔は崩さないくせに、その目線は冷ややかだ。
「彼女、妊娠したって言っている」
「それは……」
 目の前の男が、普通の大学生だったら、責任取れよ、としか言えない事柄だ。だが、男は外星人だ。生まれてくる子は、COSMOSで監視しなくてはならないし、そもそも母体への影響も計り知れない。彼女にはかわいそうだが、しばらく監視されながらの生活になるだろう。
 水森が、彼女のこれからを思案する中、男は面倒そうに言葉を続けた。
「堕ろしてって言ってんだけど、聞いてくれなくてさ。君ら、記憶いじれるよね?」
「……あんた、自分に都合の悪いこと、全部消すためにオレ呼んだのか?」
 想像していたのと全く違う要求に、水森は怒りを覚えた。無責任に孕ませて、相手の体の心配もせず、都合の悪いことを全て消して自分だけまた快楽を享受しようとしている。そんな男の姿勢に、虫唾が走った。
 そんな水森の様子に、男は笑みを消した。彼は心外だ、という表情をして水森に冷ややかな目を向けている。自分が正しいと信じて疑わない。そんな表情がますます水森の神経を逆撫でした。
「ボク、デバッグ保険入ってたはずだけど?」
「あれは、主に情報漏洩の対策で、今回みたいなケースには対応してない」
「わかってないな、堕ろすにしても、産むにしても、彼女の体には負担がかかる。そこの説明で、結局ボクの素性はバレる」
 水森は言葉に詰まった。男の言う通り、外星人の子を宿したとなれば、背景情報とリスクの説明は発生する。そして、男が責任を取らないとなると、デバッグが必要になり男の望んだ通り、記憶の改竄が行われる。
「さっきから、何の話をしているの?」
 言い争う二人の後ろで、女は涙を溜めた目でこちらを見てくる。妊娠については、本来男と二人で話し合うつもりだっただろうに、よく知らない後輩を呼ばれた上に、情報漏洩という聞き馴染みのない言葉に戸惑っているようだ。
「すみません、こっちの話です。その、体調は大丈夫ですか?」
 なるべく優しい声を意識して、水森は彼女に話しかけた。男の話よりも、まずは女の体調に気を遣うべきだった、と反省も込めて。
「え?」
「妊娠されてるって、聞いたので」
「あ、はい……体調は大丈夫です」
 女の声は弱々しく、目が泳いでいる。
 これは嘘だ。
 水森は、女になんと声をかけて良いか、わからなくなってしまった。
 
◇◇◇

 女は、妊娠などしていない。その嘘に今気づいているのは水森だけだ。なんでこんなことになっている?水森は女の考えが読めずにいた。
「あの……なんで妊娠したって話になったんですか?」
「……別れ話をしてたら、急に妊娠してるのにって言われたんだよ」
 そう答えたのは男だった。女は青ざめた顔を歪ませた。憎悪すら感じさせるその表情は、先ほどの弱々しい印象とは真逆のものだ。
「君も、嘘だって思う?ま、でも念の為ってことあるから、検査して処理しておいてよ」
 女の目から静かに涙が流れ始めた。どんな気持ちなのだろう。嘘までついて、繋ぎ止めようとした相手が、自分のことを蔑ろにする言葉を聞き続けるのは。
 水森は男を睨みつけた。
「あんた、最低だな」
「最低でも、お金払ってるんだ。顧客からの正当な要求でしょ?」
 男は余裕な態度を崩さない。確かに、男の要求は顧客の範囲を逸していない。水森は、男の思い通りに目の前で泣いている彼女を切り捨てる手助けをすることになる。
 悔しくて、でもどうしようもない。彼女が本当に妊娠していなかったことは救いだが、今後も同じようなことが繰り返されるのだろう。そして、そのたびに水森は記憶を消さなくてはならない。
 先日、鉄に言った言葉が、自分にブーメランになって返ってくる。どんなに素行が悪くても、保険会社にできることは注意どまりだ。歯痒くて、仕方がなかった。
「ほら、もう連れて行ってよ。明日も試験があるんだから」
 面倒くさそうに男はため息をついた。この話は済んだとでもいいたげだ。
 水森は、男を睨みつけながらも、言われた通り、女の方に近づいた。悔しい、歯痒い、でも言われた通りにするしかない。そんな思いが、彼の動きを鈍くした。
「なに……?」
 女が怯えたようにこちらを見ている。記憶改竄のことは理解していないようだが、何か得体の知れないことをされる。そう直感しているようだった。
 何か、落ち着かせるような言葉をかけないと。水森が口を開いた時だった。
「水森、お待たせ」
 鉄が、水森の肩に手を置いた。
 
◇◇◇

 急に登場した鉄に、男も、その彼女も戸惑いを見せている。どこからどう見ても立派なギャルが、水森の横に仁王立ちをしている。
「鉄先輩……、課長は?」
「来ないよ。水森から連絡きた時、ウチも一緒にいたから役目を代わってもらった」
 鉄は目の前の男を睨めつけるように見ている。水森は気が気ではなかった。鉄は男に対して私怨を抱いている。どんな行動をしでかすかわからない。
 案の定、鉄は男に指を突きつけて、啖呵を切り始めた。
「おい、お前彼女妊娠させたんだってな!」
「な、何なんですか?貴女に関係ないでしょ」
「関係ある!ウチのダチもあんたに弄ばれたって言ってた!」
 今にも飛びかかりそうな鉄の腕を水森は掴んだ。そして小声で耳打ちをする。
「あの、妊娠、嘘みたいです。別れたくなくて、男を繋ぎ止めるために咄嗟に言っちゃったみたいで」
「あっそ。どっちにしても、こいつが最低野郎ってのは変わりないでしょ」
 だめだ、止まらない。鉄は言葉通り、再び男に向き直った。
「おい、お前の親が偉い立場にいるとか、ウチには関係ないかんな。責任取る気がないくせに、子供できる行為してんじゃねぇ!」
 白昼のキャンパスで、鉄の声は朗々と響き渡った。ただでさえ鉄の見た目は目立つ。他の学生たちが遠巻きにこちらを眺め、足を止め始めている。
「うるさい、地球人もやっていることだろう!?こっちは金を払ってるんだ。さっさと記憶を消してくれ」
 鉄の物言いに釣られたのか、男の言葉にも余裕がなくなっている。水森も先ほど言われたセリフだ。
 パァンと乾いた音が響いた。鉄は男の頬をビンタした音だ。完全に油断していたようで、男は地面に倒れ伏している。
「お前の言うとおり、記憶は消すよ。彼女も、お前みたいな奴の記憶、ないほうがいーだろうし」
 でも、と鉄は男を見下ろしながら叫ぶように言い放った。
「保険会社にも、選ぶ権利あるんだよ。お前が今のまんまだったら、次からデバッグ保険の審査通ると思うなよ!」
 怒りが収まらない様子の鉄の腕を水森は慌てて引っ張った。そうして小声で問いかける。
「先輩、今の話……」
「大丈夫、カチョーの指示だから」 
 穂村は男が記憶改竄を求めてくることを予想していたようだ。それも見越して警告を指示したのだろう。ただ、殴ることまでは多分指示に入っていない。
 大丈夫かな、これ。水森は不安になった。審査についての警告は正当としても、殴ったことを訴えられたら向こうが有利だ。
 水森が焦っていると、男がゆっくりと起き上がった。なんて言われる?先ほどのように怒り狂うか、嫌味ったらしくこちらを追い詰めてくるか。どちらにしても鉄を糾弾してくるだろう。水森は鉄の壁になるように半身を乗り出した。
 しかし、どこか呆けたような目の男から告げられたのは、予想外の言葉だった。
「惚れました……」
「はぁ?」
「ボクのことを真剣に、そして正しい方向に導こうとしてくれる、貴女こそ運命の人だ!」
「いや、女癖ヤベェからどうにかしろって言ってるだけなんだけど」
 鉄が目だけ水森に向けてくる。男が、鉄から逃げるために突飛なことを言っているのではないかと疑っているようだ。水森は顔が強張るのを感じた。とても信じられないことだが、男からは一切嘘の臭いがしなかった。
「あの、本気みたいです……」
 水森の言葉を受けて、鉄は心底嫌そうな顔をした。

◇◇◇
 
 あの外星人の騒動は、なんとか収まった。鉄のおかげで騒ぎが大きくなったが、あらぬ方向に転び、事態が好転したので、トータル良かったのかもしれない。
 課長への報告は鉄がしてくれるという。お言葉に甘えて、水森は会社にはよらずに帰ることにした。
 駅で電車を待ちながら、ふと、今なら恋人にさらけ出せる気がした。色々と。善は急げで、水森はメールを打った。二回目ともなると、ためらいもない。
 程なくしてきた、問題ないと言う返信に、水森は鞄を背負い直した。
 
「先輩、オレ実はモテるんスよ」
「何だよ急に」
 家について早々、勢い込んで告げられた言葉に砂噛は怪訝そうな顔をしている。
「でも、オレ、童貞なんス」
「おい、マジで何の話だ?」
 砂噛からすれば、家を訪ねてきた恋人が急に性経験の乏しさについて開陳し始める、という訳のわからない状況だ。だが、水森はそんなこと気遣っていられない。嫌われるかも、という不安と緊張で口の中はパサパサだ。
「資格とれて、そういうことすることになっても、テ、テクニックとかないし」
 恥ずかしくなって、水森は目を伏せた。とてもじゃないがこんなこと、目を見て言えない。どうにも落ち着かず、手元を無意味にいじりながら、意を決して一番の懸念を口にした。
「先輩のこと満足させられない、かも」
 最後の方は尻すぼみになってしまった。大丈夫、きっと受け入れてくれる。そう思いつつも、やっぱりがっかりされるかも、という考えもよぎる。
 はぁ、と砂噛が大きく息を吐くのが聞こえ、水森はびくりと肩を震わせた。そんな様子に気づいてか、恋人は彼の頭をがしがしと乱暴にかき混ぜた。
「アホか。元から期待してねぇって」
 呆れたような言い草に、水森の不安は吹き飛んだ。代わりに怒りが湧いて出る。こっちは真剣に悩んでいたのに、と顔を上げて恋人を睨むと、想像とは異なり真剣な目が見えた。
「それ目当てで一緒にいる訳じゃないんだ。ゆっくりでいい」
 そう言って、優しく頬を撫でられる。柔らかく、ゆっくりとした手つきが心地よい。こんなにも優しく、大切にしてくれる人のことを信じきれずに、不安になっていたのか。馬鹿だな、と水森は自嘲した。
 恋人の手に自分の手を重ねる。伝わってくる体温は、自分よりも少し低い。自分の中のもやもやした暗い感情が消えて行くのを感じ、水森は表情を緩めた。
 恋人の様子を感じ取ってか、砂噛も先ほどまでとは異なり、どこかからかうように目を細めた。
「その時が来たら、ちゃんとリードしてやるから、お前はオレの下で喘いでりゃいいんだよ」
「喘いでって……」
 ちょっと感動していたのに。あんまりにあけすけな言い草に、水森はちょっと笑ってしまった。それから、ん?と首を傾げた。
「あの、オレが抱かれる側で決まりなんですか?」
「ああ、そうだろ」
 いや、なんとなく、今までも言葉の端々からそんな気はしていたが。そんな当たり前のように言われてしまうと、なんだかな、と思わないでもない。
 水森だって、男だ。いずれは童貞を卒業するものと思っていた。まさか、その前に抱かれる側になるとは。
 でもなぁ、と水森は恋人の目をじっと見つめた。普段、冷めた目をしているくせに、欲をはらんだ目線は熱いくらいだ。それを抑え込んで、我慢して、大切に扱ってくれているんだ。そう思うと、なんだかたまらなくなってしまった。
「……お前、抱く側がいいのか?」
 そう聞いてくる砂噛の表情には迷いが見えた。水森がもし望むなら。いやでも自分が抱きたい。そんな風に葛藤しているのだろうか。
 ずるいな、と思ってしまう。そんな必死な顔で悩んで。いつもは大人に見える恋人がなんだか子供に思えた。水森は少し笑って恋人に答えた。
「抱かれる方でいいっス」
 優しいくせに、自分の欲には正直で、そんな様子が愛おしくて。抱かれてもいいと、思ってしまったのだ。
 
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