海の日は試験期間
大学の定期試験というものは、高校とは全く違う。勉強の内容ではない。人脈がものを言うのだ。
まず、教授というものが試験に重きを置いていないので、毎年同じような問題が出ることが多い。そうなると、過去問を手に入れたもの勝ちで、サークルなどの伝手を使っていかに過去問を集めるかが鍵となる。中には、過去問に対する模範回答をつけて売り捌くものもいる始末だ。
こんなんで評価されるなんてたまったものではない、と中には真っ向から挑むものもいるが、それは少数派だ。バイトにサークルと、大学生は勉強以外も忙しい。
学びたいことがあるからと、大学進学を決めた水森だったが、抜けるところは力を抜きたい。資格試験も控えているし、COSMOSでの仕事もあるのだ。要領よくやりたい。そんなわけで、彼は過去問入手に躊躇いはなかった。
彼はサークルに入っていないものの、明るく人当たりの良い性格から、それなりに友人が多かった。必然、過去問はそれなりの種類手に入り、試験対策は問題なし、かのように思えた。
思えたのだが。
「ダメだ……」
水森はため息をつくと机の上にシャーペンを投げ出した。いくら過去問があり、ヤマがはれるからと言って多少は勉強しなくてはならない。短期決戦でなるべく早く済ませるために、家でも机に向かっていたのだが、どうしても集中力が続かない。
水森はそっと、自分の頬に手を当てた。先月、恋人にキスされた場所だ。今も、唇の感触や温度が残っているようで、思い出すだけで体温が上がる。そのまま唇へと手をスライドさせる。自分が何も言わなければ、口付けられていたのはこちらだったはずだ。惜しいことをしたと思う反面、頬だけで今だに心を乱しているので拒否しておいてよかったとも思う。
頬とはいえ、キスをしたという事実もだが、砂噛が自分に対する欲を明確に示してきた、ということが水森を動揺させた。付き合い始めからどこか余裕があって、こちらを子供扱いしていた恋人が、我慢できないという目でこちらを見ていた。好きだと言われたときの熱い視線を、さらに煮詰めてドロドロにしたような、そんな目線だった。
資格が取得できたら、キスもそういうこともしたい。そんなことは自分からも言っていた。だが、現実味を持って考えられていなかったのだと突きつけられた気分だった。あの、熱くて強い視線を受け止めきれるのか。正直自信を持てなかったし、加えて最近新たな不安も出てきてしまった。
スマホで明日の予定を確認し、水森は再度ため息をついた。
◇◇◇
夏の日のキャンパスは、暑い。影となる建物が少なく、広い敷地内は照り返しで眩しいくらいだった。
午前中の講義を終えて、水森は学食に来ていた。暑い外とは打って変わって、ここは冷房が効きすぎていて寒いくらいだった。冷やし中華でも食べようかと思っていたが、温かいものが食べたくなり、結局選んだのはラーメンである。
水森の今日の授業は先ほどの三限で最後だ。通常であればそういう日は、昼を食べる前に家に帰るか出社しているが、今日はこの後大学で用事があった。ラーメンを啜りながら、この後の予定を考えて、水森は憂鬱になった。
「あれ、水森くん?」
「……こんにちは」
上方からの呼びかけに、水森は口元を抑えながら挨拶した。話しかけてきた男は、爽やかな大学生を絵に描いたような男だった。清潔感のある短髪は染めておらず、Tシャツにジーパンというシンプルな格好。飛び抜けて顔がいいわけではないが、機嫌良さそうに柔らかい表情をしており、人当たりの良さを感じさせた。
しかし、水森はこの男が苦手だった。見た目からは分からない、男の性格がどうしても受けつけない。それでも、挨拶は返さなくてはならない。なぜなら相手は、COSMOSの顧客なのだから。
「今日、二時からだよね?」
「はい、メールしたとおり、校内のカフェで待っています」
愛想笑いを浮かべながら、水森は返事をする。男の後ろには、女性がお盆を持って控えている。どうやらこれから二人で学食を食べるようだ。
じゃあ、後で、と男が去っていくと、水森は肩の力を抜いた。自分より奥の席に移動して行った男女がけらけらと笑いながら話す声を聞いてげんなりとした。恋人同士に特有の距離の近さを感じる。二時からの面談が憂鬱になりながら、水森は残りのラーメンを啜った。
待ち合わせの時刻よりも早く、男はカフェに現れた。試験勉強をしながら待っていた水森は慌ててノートを片付ける。男はその様子を楽しそうに眺めながら、話しかけてきた。
「その過去問、語学のだよね?ボクもフラ語だったから見覚えあるよ」
「へぇ、大変ですね。他の星の言語覚えるなんて」
「ん?んー、まぁ、趣味だと思えば苦じゃないよ」
星に帰った時の話題にもなるしね。そう言って笑う男にはどこか余裕があった。趣味という発言のとおり、男は大学に何かを学びに来ているわけではない。出身の星の方が文明レベルが上なので、地球で学ぶことなんてない、と先月面談した時に言われた。向こうにしてみれば、ちょっとした観光の一環で、相手の国の文化を体験している、といった感覚なのだろう。
この大学は、水森が通っていた高校とは違いCOSMOSと提携しているわけではない。教授も職員も外星人の存在を知らないし、穂村のように審査を行う社員が通っているなんてこともない。本当にたまたま、水森の進学先にこの男がいたのだ。ちょうどいいから、と男の担当を穂村から引き継いだのが先月のことだ。
男は永住目的ではなく観光として数年間地球に滞在しているという。本来、穂村が担当するような相手ではないが、男の父親がその星の重鎮ということで対応していたらしい。しかし、目立った問題を起こすわけでもない、ということから引き継ぎが決定した。穂村は水森の数倍忙しい。
男のことは、金持ちの道楽息子が海外の大学に留学しているようなもの、と水森は捉えていた。向こうは向こうで、穂村から紹介された水森を値踏みするように見て、そして「よろしくね、水森くん」と話しかけてきた。男の方が一学年上なので、後輩として接することにしたようだ。だが、単に後輩として扱うだけではなく、会話の端々に明らかに自分を軽んじた態度を感じた。
お互いに、良い感情を持っているとは言い難かったが、両者ともに外面は良い。担当の変更に異論を唱えることはなく、引き継ぎはつつがなく行われた。
そして、本日が二回目の面談となる。面談といっても、地球での生活に困っていることはないか、何か情報が漏れるリスクはないか、などの状況確認でしかない。男は義務とされる保険には入っているものの、貸付金を必要としていないので、返済の義務もない。定型的な問答だけで、水森の仕事は終わった。
そこで、終わりにしても良かったのだが、どうしても黙っていられず、水森は仕事とは関係のない質問をした。
「さっき学食で一緒だった女性は、新しい彼女さんですか?」
「うん、かわいいでしょ?」
男には通じていないようであったが、新しい、とわざわざつけたのは嫌味である。男が取っ替え引っ替え彼女を作っていることは大学内で有名になっている。これだけ噂になっているのに、それでも付き合おうとする女が絶えないのは、人当たりの良さと見た目の爽やかさのせいだろう。
「……先月お話したとき、出身の星に婚約者がいるって言ってませんでした?」
水森は、自分の声が硬くなるのを感じた。踏み込みすぎたかな、と思いつつも止められなかった。そんな後輩の様子を、男は小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「遊びだよ、遊び。一時の関係って割り切ってるよ。地球人でも学生時代に付き合っていた恋人と添い遂げるなんて稀でしょ?」
悪びれることなく男は言ってのけた。穂村には決して見せることのなかった態度だ。水森のような下っ端では、咎めることはできないだろう、そうタカを括っているのが見てとれた。
何か、言ってやりたかった。しかし、水森はただの保険屋でしかない。素行に問題があれど、この問題はCOSMOSが介入するような類のものではない。
結局、水森はため息をついて、面談の終わりを告げた。
◇◇◇
家に帰ると、水森はベッドにダイブした。面談自体は短時間だったはずなのに、どっと疲れが出てしまった。課長である穂村には、とりあえず問題なしとメールで連絡を入れ、ひとまずの仕事は完了である。
あの男と話すのは疲れる。外星人だから、と言うよりも、彼の性格の問題だと思うが、価値観が全く合わない。学費を出すことも、進学することも自分で決めたことだが、あんな風に半ばお遊びで大学に来ているのを見ると馬鹿にされているような気分になってしまう。水森を年下の新人と見て明らかに軽んじてくる態度もやりづらさを加速させる。
加えて、男の発言はいちいち水森の不安を煽るものだった。「遊び」「一時の関係」と言う考え方は、別に地球人でもよく見られるものだ。だが、どうしても外星人と言う属性でくくると、連想してしまう。自分の恋人のことを。
砂噛には、頬にキスされて以来、何もされていない。ただあの一件があった後、水森は砂噛にこっぴどく叱られた。軽い気持ちで穂村に「半ば強引にキスされた」と愚痴とも惚気ともつかない話をしたところ、恋人は危うく懲戒処分を食らいかけてたと言う。処分は免れたが、砂噛の年間目標になぜか水森の資格取得が加えられたと言う。プレッシャーだからマジでやめて欲しい。
上司に話す内容じゃない、と怒っている砂噛に、そもそもあんたが急に事を進めようとしたのが悪い、と言う言葉は飲み込んだ。思うことは色々あったが、水森としても関係を進めたい気持ちはある。
ただ一方で、欲を向けられるとどうしても考えてしまうことがある。いわゆる、性欲を発散するような行為がこの交際の目的なのか、と。今日面談したあの男のせいで、こんな思考になっているのは分かっている。自身の恋人は、あの男のような軽薄さはないことも理解している。ただ、ふと相手が外星人であることを意識すると、不安になるのだ。いつか、自分の星に帰るまでの繋ぎなのではないかと。
冷静に考えれば、そもそも水森が試験に合格するまで手を出さないと言い始めたのは恋人の方からだし、今も水森の主張を受け入れて色々と我慢してくれている。大切にされている、と感じているし、いくらでも不安を払拭できる材料があるのに、もしかしてと考えてしまうのは、砂噛にも失礼だ。そう頭では理解している。
たぶんこの不安は、自分の自信のなさからきているのだろう。そう水森は考えていた。
水森には性行為の経験がない。性的なことへの興味はもちろんあるし、恋人とのそういったことも期待している。その反面で、経験不足のために下手すぎて幻滅されたら、それが原因で別れることになったら、とネガティブな考えが浮かんでしまう。そうして、恋人の欲を真っ向から受け止めきれずに、恐れや不安となって出て来てしまっている。
いまさら経験のなさをカバーすることはできない。腹を括るしかない。そう、分かってはいるのだが、なかなか踏ん切りがつかず、水森は頭を悩ませ続けた。
◇◇◇
鉄から電話がかかってきたのはその日の夜だった。彼女のほうは今日出社の予定だったので、仕事が終わってからかけてきたようだ。
「よっす、おつかれー」
「お疲れ様です。何かありました?」
対面でと変わらない明るい調子の鉄の声は、悩み、沈んでいた水森の心を少し浮上させた。
「水森って、明日大学行く?」
「行きますけど……なんか緊急の仕事っスか?」
それならば、大学は休まなくてはならない。高校の時から、穂村にことあるごとに拉致されていたので諦めてはいるが、試験前はなるべく勘弁してほしいのが正直なところだ。
「いや、会社来てほしいって訳じゃなくて。ウチが大学行きたいから案内してくんない?」
「え?はぁ、いいっスけど」
鉄は確か大学には進学していないはずだ。大学というものに興味があるのかもしれない。そう考えて、水森は承諾した。
「昼過ぎでいいっスか?明日四限ないんで。十三時くらいですけど」
「オッケー!じゃあ、そのくらいに大学の前に行くね」
終始明るい様子の鉄に釣られて、水森も声が明るくなる。ちょうど良い気分転換くらいに考えていた。
「どんなところ見たいとかあります?」
「えっとねー」
続く鉄の言葉は、水森が思いもしないものだった。
「水森が、今日面談した外星人が良くいる場所、とか」
「……え?」
できることなら次の面談まで忘れていたかった人物のことを言われ、水森は戸惑った。鉄は、そんな様子を気にせずに続ける。
「ウチ、明日敵情視察したいんよ」
まず、教授というものが試験に重きを置いていないので、毎年同じような問題が出ることが多い。そうなると、過去問を手に入れたもの勝ちで、サークルなどの伝手を使っていかに過去問を集めるかが鍵となる。中には、過去問に対する模範回答をつけて売り捌くものもいる始末だ。
こんなんで評価されるなんてたまったものではない、と中には真っ向から挑むものもいるが、それは少数派だ。バイトにサークルと、大学生は勉強以外も忙しい。
学びたいことがあるからと、大学進学を決めた水森だったが、抜けるところは力を抜きたい。資格試験も控えているし、COSMOSでの仕事もあるのだ。要領よくやりたい。そんなわけで、彼は過去問入手に躊躇いはなかった。
彼はサークルに入っていないものの、明るく人当たりの良い性格から、それなりに友人が多かった。必然、過去問はそれなりの種類手に入り、試験対策は問題なし、かのように思えた。
思えたのだが。
「ダメだ……」
水森はため息をつくと机の上にシャーペンを投げ出した。いくら過去問があり、ヤマがはれるからと言って多少は勉強しなくてはならない。短期決戦でなるべく早く済ませるために、家でも机に向かっていたのだが、どうしても集中力が続かない。
水森はそっと、自分の頬に手を当てた。先月、恋人にキスされた場所だ。今も、唇の感触や温度が残っているようで、思い出すだけで体温が上がる。そのまま唇へと手をスライドさせる。自分が何も言わなければ、口付けられていたのはこちらだったはずだ。惜しいことをしたと思う反面、頬だけで今だに心を乱しているので拒否しておいてよかったとも思う。
頬とはいえ、キスをしたという事実もだが、砂噛が自分に対する欲を明確に示してきた、ということが水森を動揺させた。付き合い始めからどこか余裕があって、こちらを子供扱いしていた恋人が、我慢できないという目でこちらを見ていた。好きだと言われたときの熱い視線を、さらに煮詰めてドロドロにしたような、そんな目線だった。
資格が取得できたら、キスもそういうこともしたい。そんなことは自分からも言っていた。だが、現実味を持って考えられていなかったのだと突きつけられた気分だった。あの、熱くて強い視線を受け止めきれるのか。正直自信を持てなかったし、加えて最近新たな不安も出てきてしまった。
スマホで明日の予定を確認し、水森は再度ため息をついた。
◇◇◇
夏の日のキャンパスは、暑い。影となる建物が少なく、広い敷地内は照り返しで眩しいくらいだった。
午前中の講義を終えて、水森は学食に来ていた。暑い外とは打って変わって、ここは冷房が効きすぎていて寒いくらいだった。冷やし中華でも食べようかと思っていたが、温かいものが食べたくなり、結局選んだのはラーメンである。
水森の今日の授業は先ほどの三限で最後だ。通常であればそういう日は、昼を食べる前に家に帰るか出社しているが、今日はこの後大学で用事があった。ラーメンを啜りながら、この後の予定を考えて、水森は憂鬱になった。
「あれ、水森くん?」
「……こんにちは」
上方からの呼びかけに、水森は口元を抑えながら挨拶した。話しかけてきた男は、爽やかな大学生を絵に描いたような男だった。清潔感のある短髪は染めておらず、Tシャツにジーパンというシンプルな格好。飛び抜けて顔がいいわけではないが、機嫌良さそうに柔らかい表情をしており、人当たりの良さを感じさせた。
しかし、水森はこの男が苦手だった。見た目からは分からない、男の性格がどうしても受けつけない。それでも、挨拶は返さなくてはならない。なぜなら相手は、COSMOSの顧客なのだから。
「今日、二時からだよね?」
「はい、メールしたとおり、校内のカフェで待っています」
愛想笑いを浮かべながら、水森は返事をする。男の後ろには、女性がお盆を持って控えている。どうやらこれから二人で学食を食べるようだ。
じゃあ、後で、と男が去っていくと、水森は肩の力を抜いた。自分より奥の席に移動して行った男女がけらけらと笑いながら話す声を聞いてげんなりとした。恋人同士に特有の距離の近さを感じる。二時からの面談が憂鬱になりながら、水森は残りのラーメンを啜った。
待ち合わせの時刻よりも早く、男はカフェに現れた。試験勉強をしながら待っていた水森は慌ててノートを片付ける。男はその様子を楽しそうに眺めながら、話しかけてきた。
「その過去問、語学のだよね?ボクもフラ語だったから見覚えあるよ」
「へぇ、大変ですね。他の星の言語覚えるなんて」
「ん?んー、まぁ、趣味だと思えば苦じゃないよ」
星に帰った時の話題にもなるしね。そう言って笑う男にはどこか余裕があった。趣味という発言のとおり、男は大学に何かを学びに来ているわけではない。出身の星の方が文明レベルが上なので、地球で学ぶことなんてない、と先月面談した時に言われた。向こうにしてみれば、ちょっとした観光の一環で、相手の国の文化を体験している、といった感覚なのだろう。
この大学は、水森が通っていた高校とは違いCOSMOSと提携しているわけではない。教授も職員も外星人の存在を知らないし、穂村のように審査を行う社員が通っているなんてこともない。本当にたまたま、水森の進学先にこの男がいたのだ。ちょうどいいから、と男の担当を穂村から引き継いだのが先月のことだ。
男は永住目的ではなく観光として数年間地球に滞在しているという。本来、穂村が担当するような相手ではないが、男の父親がその星の重鎮ということで対応していたらしい。しかし、目立った問題を起こすわけでもない、ということから引き継ぎが決定した。穂村は水森の数倍忙しい。
男のことは、金持ちの道楽息子が海外の大学に留学しているようなもの、と水森は捉えていた。向こうは向こうで、穂村から紹介された水森を値踏みするように見て、そして「よろしくね、水森くん」と話しかけてきた。男の方が一学年上なので、後輩として接することにしたようだ。だが、単に後輩として扱うだけではなく、会話の端々に明らかに自分を軽んじた態度を感じた。
お互いに、良い感情を持っているとは言い難かったが、両者ともに外面は良い。担当の変更に異論を唱えることはなく、引き継ぎはつつがなく行われた。
そして、本日が二回目の面談となる。面談といっても、地球での生活に困っていることはないか、何か情報が漏れるリスクはないか、などの状況確認でしかない。男は義務とされる保険には入っているものの、貸付金を必要としていないので、返済の義務もない。定型的な問答だけで、水森の仕事は終わった。
そこで、終わりにしても良かったのだが、どうしても黙っていられず、水森は仕事とは関係のない質問をした。
「さっき学食で一緒だった女性は、新しい彼女さんですか?」
「うん、かわいいでしょ?」
男には通じていないようであったが、新しい、とわざわざつけたのは嫌味である。男が取っ替え引っ替え彼女を作っていることは大学内で有名になっている。これだけ噂になっているのに、それでも付き合おうとする女が絶えないのは、人当たりの良さと見た目の爽やかさのせいだろう。
「……先月お話したとき、出身の星に婚約者がいるって言ってませんでした?」
水森は、自分の声が硬くなるのを感じた。踏み込みすぎたかな、と思いつつも止められなかった。そんな後輩の様子を、男は小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「遊びだよ、遊び。一時の関係って割り切ってるよ。地球人でも学生時代に付き合っていた恋人と添い遂げるなんて稀でしょ?」
悪びれることなく男は言ってのけた。穂村には決して見せることのなかった態度だ。水森のような下っ端では、咎めることはできないだろう、そうタカを括っているのが見てとれた。
何か、言ってやりたかった。しかし、水森はただの保険屋でしかない。素行に問題があれど、この問題はCOSMOSが介入するような類のものではない。
結局、水森はため息をついて、面談の終わりを告げた。
◇◇◇
家に帰ると、水森はベッドにダイブした。面談自体は短時間だったはずなのに、どっと疲れが出てしまった。課長である穂村には、とりあえず問題なしとメールで連絡を入れ、ひとまずの仕事は完了である。
あの男と話すのは疲れる。外星人だから、と言うよりも、彼の性格の問題だと思うが、価値観が全く合わない。学費を出すことも、進学することも自分で決めたことだが、あんな風に半ばお遊びで大学に来ているのを見ると馬鹿にされているような気分になってしまう。水森を年下の新人と見て明らかに軽んじてくる態度もやりづらさを加速させる。
加えて、男の発言はいちいち水森の不安を煽るものだった。「遊び」「一時の関係」と言う考え方は、別に地球人でもよく見られるものだ。だが、どうしても外星人と言う属性でくくると、連想してしまう。自分の恋人のことを。
砂噛には、頬にキスされて以来、何もされていない。ただあの一件があった後、水森は砂噛にこっぴどく叱られた。軽い気持ちで穂村に「半ば強引にキスされた」と愚痴とも惚気ともつかない話をしたところ、恋人は危うく懲戒処分を食らいかけてたと言う。処分は免れたが、砂噛の年間目標になぜか水森の資格取得が加えられたと言う。プレッシャーだからマジでやめて欲しい。
上司に話す内容じゃない、と怒っている砂噛に、そもそもあんたが急に事を進めようとしたのが悪い、と言う言葉は飲み込んだ。思うことは色々あったが、水森としても関係を進めたい気持ちはある。
ただ一方で、欲を向けられるとどうしても考えてしまうことがある。いわゆる、性欲を発散するような行為がこの交際の目的なのか、と。今日面談したあの男のせいで、こんな思考になっているのは分かっている。自身の恋人は、あの男のような軽薄さはないことも理解している。ただ、ふと相手が外星人であることを意識すると、不安になるのだ。いつか、自分の星に帰るまでの繋ぎなのではないかと。
冷静に考えれば、そもそも水森が試験に合格するまで手を出さないと言い始めたのは恋人の方からだし、今も水森の主張を受け入れて色々と我慢してくれている。大切にされている、と感じているし、いくらでも不安を払拭できる材料があるのに、もしかしてと考えてしまうのは、砂噛にも失礼だ。そう頭では理解している。
たぶんこの不安は、自分の自信のなさからきているのだろう。そう水森は考えていた。
水森には性行為の経験がない。性的なことへの興味はもちろんあるし、恋人とのそういったことも期待している。その反面で、経験不足のために下手すぎて幻滅されたら、それが原因で別れることになったら、とネガティブな考えが浮かんでしまう。そうして、恋人の欲を真っ向から受け止めきれずに、恐れや不安となって出て来てしまっている。
いまさら経験のなさをカバーすることはできない。腹を括るしかない。そう、分かってはいるのだが、なかなか踏ん切りがつかず、水森は頭を悩ませ続けた。
◇◇◇
鉄から電話がかかってきたのはその日の夜だった。彼女のほうは今日出社の予定だったので、仕事が終わってからかけてきたようだ。
「よっす、おつかれー」
「お疲れ様です。何かありました?」
対面でと変わらない明るい調子の鉄の声は、悩み、沈んでいた水森の心を少し浮上させた。
「水森って、明日大学行く?」
「行きますけど……なんか緊急の仕事っスか?」
それならば、大学は休まなくてはならない。高校の時から、穂村にことあるごとに拉致されていたので諦めてはいるが、試験前はなるべく勘弁してほしいのが正直なところだ。
「いや、会社来てほしいって訳じゃなくて。ウチが大学行きたいから案内してくんない?」
「え?はぁ、いいっスけど」
鉄は確か大学には進学していないはずだ。大学というものに興味があるのかもしれない。そう考えて、水森は承諾した。
「昼過ぎでいいっスか?明日四限ないんで。十三時くらいですけど」
「オッケー!じゃあ、そのくらいに大学の前に行くね」
終始明るい様子の鉄に釣られて、水森も声が明るくなる。ちょうど良い気分転換くらいに考えていた。
「どんなところ見たいとかあります?」
「えっとねー」
続く鉄の言葉は、水森が思いもしないものだった。
「水森が、今日面談した外星人が良くいる場所、とか」
「……え?」
できることなら次の面談まで忘れていたかった人物のことを言われ、水森は戸惑った。鉄は、そんな様子を気にせずに続ける。
「ウチ、明日敵情視察したいんよ」
