夜勤手当と黄金連休



◇◇五月三日①◇◇

 水森は怒りに打ち震えていた。砂噛と付き合い始めてから、不安になったり、ちょっと腹を立てたり、と言うことは今までもあった。だが、ここまでの怒りを感じたことはない。
 対する砂噛も、水森のことを本気で睨みつけている。お互いに一歩も引かない二人は、無言で睨み合いを続けていた。
「これも仕事なんだから、我慢しろ」
 先に口を開いたのは砂噛だった。諭すように淡々と言われた言葉に水森は余計に怒りが湧いて来た。
 仕事?本当にそうか?先ほど見た光景が、頭の中でフラッシュバックする。女と、それに寄り添う砂噛は、自分から見てもお似合いだった。
 怒りと悲しみとがないまぜになり、水森は泣きたくなった。だが、ここで泣くわけにはいかない。また、子供だなんだと有耶無耶にされてしまう。
 あくまで仕事だと主張する砂噛に、水森は叫んだ。
「オレにはさせてくれないくせに!」


◇◇四月二十七日◇◇

 遡ること五日前、水森はCOSMOS本社の打ち合わせスペースで穂村と向き合っていた。
「夜勤、ですか?」
 上司である穂村に先ほど言われた言葉を、水森は繰り返した。
「ええ、そういう形での勤務になります」
「ちょっと待ってください。前の潜入捜査と何が違うんですか?」
 穂村から水森に持ちかけられているのは、以前潜入したこともあるホストクラブ、GALACTICAでの勤務である。明日の土曜からゴールデンウィークで大学も一週間ほど休みになり、ちょうど良かったと告げられたのだ。
「前回と違い、今回は向こうの従業員も事情を把握しています」
「ああ、ゴールデンウィークにVIPが来るんですよね?」
 穂村は頷いた。ゴールデンウィークに地球にやってくるVIPが、ホストクラブに行ってみたいと要望を出して来たという。由梨の言っていた、地球のイケメンは一部に需要がある、というのは本当なんだな、と水森は感じた。
「我々としては、多くの保険に入っていただいているVIPに危険な目に逢われると困ります」
 保険の支払いが発生するほど、会社としては損になる。今回のVIPの父親は、とある星の王族の血を引いているらしく、誘拐などの危険も伴う。その父親たっての希望もあり、地球観光中はCOSMOSの職員が同伴することになった。
「同伴するなら、ホストクラブで働く必要ないんじゃないですか?」
 水森の疑問に、穂村はそうなんですけど、と歯切れ悪く答えた。穂村にしては珍しい態度に、水森は首を傾げた。
「警備と、VIPの対応を受け入れる際に、GALACTICA側からの要望が出たんです」
「要望?」
「はい、水森さんを貸して欲しいと」
「へ?」
 あまりにと予想外な言葉に、水森は間の抜けた声を上げた。ヘルプ、ということは、ただの労働力としてカウントされている?
「GALACTICAでは最近、三人の新人が居なくなったそうです」
 いわゆる飛んだ、状態である。外星人を客とする以上、当然彼らにもチップが埋め込まれており、居場所の特定や記憶の処理はつつがなく行われている。外交上の問題はないらしい。
 問題なのはGALACTICAの経営である。ゴールデンウィークという、世間の財布が緩むタイミングで人手が足りない。これは由々しき事態である。加えて、VIPの接待という、普段はないオペレーション。これはもう猫の手も借りたい状態である。
 そこで白羽の矢が立ったのが水森である。潜入とはいえ以前働いていたことがあるので、勝手が分かっているだろう、というのが向こうの言い分である。
 その要望を局長が飲んだという。昔のよしみもあるし、いつも協力してもらっているし、という理由らしいが、穂村の目に剣呑な光があるので、多分、勝手に決められたのだろう。
「え、保険会社からホストクラブへの派遣ってアリなんですか」
 労働基準法とかに引っかからないのか?と最近勉強している資格試験の内容と照らし合わせながら考える。
「表立っては、協力会社への一時的な出張と、出張先での変則シフトへの組み込みとして処理します」
 つまり、あんまりよろしくないことを、なんとか通すらしい。なかなかにグレーな所あるよな、この会社、と水森はため息をついた。だが、変則シフト、つまり夜勤になるのでそれなりの手当は出るらしく、それは単純に嬉しい。前回同様、アルコールは無効化される薬も支給されると言う。
「それなら、やりますけど……」
「何か、他に気になることありますか?」
 局長の無茶な要求ということもあり、穂村は同情的である。なるべく働きやすいようにと心を砕いてくれている。
「いや、細かいことなんスけど、前あそこで働いたとき、家族にタバコの臭いを指摘されて」
 タバコの臭いは髪に付く。いくらスーツから着替えても、誤魔化しが効かない。あの時は短期バイトで繁華街の近くを通っているから、と説明していたが今回はどうしようか。水森が頭を悩ませていると、穂村が何でもないことのように言った。
「では、シャワー浴びてから帰りますか?」
「でも、その時間銭湯やってませんよ」
「砂噛の家、近いじゃないですか」
 穂村は、きょとんとした顔をしている。なぜその選択肢が先に出ない、と言わんばかりだ。
「え!?」
「交際してましたよね?」
 確かに、水森は砂噛と付き合っている。件のホストクラブと水森の自宅のちょうど中間くらいに彼の家があるのも事実だ。だが、シャワーを借りに恋人の家に行くのは、何だか心理的ハードルが高い。二人はまだ、キスもしていないのだから。
「言いにくければ私から指示しますよ」
「いや、自分で言います、大丈夫です」
 勢いで自分で、と言ってから後悔したがもう遅い。水森は、砂噛の家に行くしか選択肢がなくなった。


「分かった。仕事なら仕方ないだろ」
 その日の夜、恋人の部屋を訪れた時に、水森はゴールデンウィークの仕事の話とシャワーを貸して欲しい旨を伝えた。結果、あっさりと承諾されてしまい、水森は逆に心配になった。
「え、オレここ来るの日跨いでからになりますけど、いいんですか?」
「別に、来ること分かってれば、多少うるさくされても起きねぇよ」
「あ、そうなんスね」
 拍子抜けというか、何と言うか。ここまで気にされないと、むしろ気まずさを感じていた自分が恥ずかしくなってしまう。
「寝てると思うから、勝手に入っていい」
 そう言いながら、砂噛は鍵を水森に渡した。差し出されたそれをまじまじと見て、水森は喜びとも悲しみともつかない気持ちが湧き上がった。
「なんか、せっかく合鍵貰ったのに、感動がない」
「いや、貸すだけだ。今回の件が終わったら返せ」
 砂噛の言葉に追い討ちをかけられた水森は、不満を漏らした。
「なんでですか、恋人でしょ、オレたち」
「別に、普段来るときはオレがいるんだから、いらないだろうが」
 あと、鍵無くしたとき面倒だから、自分で管理しておきたい。砂噛の言葉はいちいち正論で、水森は言い返せなくなった。分かってはいたが、この人、仕事第一でオーケーしたんだな、と思い知らされ、水森はちょっと拗ねた。
「……先輩、仕事だったら他の人でも、シャワー貸すんですか?」
「仕事だったらな」
 あまりにもムスッとした表情を水森がしていたためか、砂噛は言葉を付け足した。
「……仕事でも、合鍵は貸さないな。お前以外は」
 しぶしぶと言った様子で話された内容に、嘘はない。まぁ、それならいいか、と水森は少し機嫌を良くして、ようやく鍵を受け取った。

◇◇四月二十九日◇◇

「つ、疲れた」
 明け方、水森はふらふらの状態で砂噛の家のドアを開けた。繁忙期とは聞いていたが、予想以上にホストクラブは混雑していた。水森が主に請け負うのは、ヘルプやその他雑用で客を取ったりと言ったノルマはないが、それでもキツいものがあった。体力的にも、精神的にも。
 始まる前は、恋人の家に毎日行けるということを、なんだかんだ楽しみにしていたが、今はそんなこと考える余裕はない。一刻も早くシャワーを浴びて眠りたい。
「お邪魔します……」
 なるべく音が立たないようにドアを開けて部屋の中に入る。そろそろと暗い廊下を進んでいると、急に電気がつき思わず水森は声を上げた。
「え!?」
「……電気、つけていいからな」
 呆れた顔の砂噛がリビングへと繋がるドアの前に立っていた。
「すみません、やっぱり起こしました?」
「いや、今日は起きて待っていた」
 恐縮する水森を、砂噛はまじまじと見ている。水森の格好はホストクラブで使っていたスーツから、普段着のTシャツに着替えている。MESの設定にホストの格好を入れるという案もあったが、短期間のことだし他のホストにMESの機能を見られることも避けたかったため、このような形になった。
「ホストの格好、どんなもんか見たかったが、着替えるんだな」
 その言い方は、恋人の普段とは違う格好を見たい、という可愛らしいものではなく、明らかにからかいを含んだものだった。水森がじとりと砂噛を睨むと、楽しそうに笑われた。
「飲み物くらいなら用意してやるから、さっさとシャワー浴びてこい」
 あれこれ言いつつ、砂噛は自分が帰るまで相手をしてくれるらしい。分かりにくいけど優しいんだよな、この人。水森は恋人の気遣いにむずがゆいものを感じながら風呂場に向かった。
 

「お前、親にはホストのことなんて言ってんの?」
「前と同じで、短期で入った工事のバイトってことにしてます」
 シャワーを浴びると少しだけ眠気が覚めた。砂噛が淹れてくれたコーヒーをちびちび飲みながら、水森は束の間の恋人との時間に少し緊張していた。
 砂噛は今まで見たことがない、ラフな格好だった。おそらく寝巻きであろうTシャツにスウェットという、何も飾らない格好をしていてもかっこいい。普段とのギャップでどきどきしてしまう。
 先輩はオレのホストスーツ着た姿みても、からかうだけでこんな風にときめいたりしないんだろうな。水森は少し寂しい気持ちになった。ふと見せる優しさや他者との扱いの違いから、好きでは居てくれていると感じる。だが、好きと言う気持ちの強度は自分のほうが強い、そう感じている。
 ぼんやりと砂噛を見つめていると、目が合った。せっかく会えたし、ちょっとくらいくっつきたいなと思うが、こんな気分の時に拒否されたら立ち直れない。
「そろそろ帰ります。コーヒーごちそうさまでした」
 結局、水森は何もしないことを選択した。砂噛は引き留めることなく、あっさり見送ってくれた。その呆気なさも水森の気持ちを下降させた。疲れているせいか、思考がネガティブに寄っている。早く帰って寝てしまおう。そう考えながら、水森は帰路を急いだ。


◇◇四月三十日◇◇

 日を跨いで、ホストクラブの営業が終わった後、水森は先輩ホストのシュンと店の片付けをしていた。
 この店の営業はきちんと午前零時に終わるが、その後の片付けや在庫、売り上げのチェックで帰る時間は遅くなっていく。
「ヒョウガ、昨日より元気そうだな」
「そうっスね。夜勤のシフトに身体が慣れてきたのかも」
 シュンは、前回の潜入の時から変わらず優しい先輩だった。水森が新人であり、自分のナンバーに影響しない存在である、というのも影響しているかもしれないが、気軽に話せる存在というのは心強かった。
「お前の会社のVIPが来るのって、五月二日だっけ?」
「はい、明後日です」
 このホストクラブにはVIPルームがある。以前潜入捜査した際にも入ったことがあり、今回もそこでの接客になるだろう。VIPルームを含めて、緊急用の避難経路や、危険になりそうなポイントなどは洗い出して穂村に報告している。
 水森はこのホストクラブでの通常勤務が仕事なので、VIPにはCOSMOSの社員であることを伝えない予定だ。なるべく、素の状態で観光を楽しみたいと言う向こうの要望に合わせ、同伴する社員も穂村一人にするらしい。
「今日この後、現場の確認でお前の同僚のかわいい子来るんだよな」
 かわいい子とは穂村のことだろう。楽しそうに言うシュンに、「あの人上司ですよ」と訂正しつつ、水森はテーブルを拭いた。

 
「よぉ、お疲れ」
「え!?お、お疲れ様です」
 穂村との約束の時間に現れたのは、砂噛だった。驚く水森を尻目に、砂噛はシュンやホストクラブの関係者にもあいさつをしている。
「課長が来るんじゃなかったんスか?」
「……急な予定変更があってな」
 うんざりした様子で砂噛は、この日の夕方の出来事を説明し始めた。
 今日の夕方、件のVIPとの顔合わせがあったという。観光は明日から五日間。このホストクラブに来るのは五月三日と四日を予定している。
 観光に同伴する予定の穂村が中心となって説明を行ったが、お茶出しや資料の配布など補助的な立ち回りで砂噛も顔合わせに出席したという。そしてそこで、目をつけられた。
「目をつけるって……」
 あんまりな表現に、水森は思わず口を挟んだ。
「いいだろ、別に。顔で同伴者選ぶなよな」
 砂噛はぶちぶちと文句を言う。ようは、同伴は見た目の良い男性がいいとわがままを言われ、急な変更になったという話らしい。
「課長は反対しなかったんですか?」
「してた。だが、間の悪いことに緊急対応の連絡が来てな」
 ゴールデンウィーク中は、外星人の観光客も増える。世間が賑わっている分、紛れ込みやすい、という心理が働くのかもしれない。観光用の短期保険も対応しているため、そのトラブルに駆り出されたという。
「それで、なし崩し的にオレが担当になった」
 深い深いため息に、本当にうんざりしているのだろう。こんな深夜の確認までさせられれば気持ちは分からなくもない。
「それは……ご苦労様です」
「ああ……ついでに、VIPルームじゃなくて、通常のフロアが体験したいとわがままを言われた」
 それだけ言うと、砂噛はクラブの代表と話すと言って水森から離れていった。当日の動きについて調整し直すらしい。
 大変なことになったな、と水森はそっとため息をついた。仕事とは言え、恋人と同じフロアでホストとして働かなくてはならない。正直かなり恥ずかしい。
「お前の上司さ、すげーかっこいいな」
「あ、あの人は先輩です」
 砂噛と入れ替わるように近づいてきたシュンに、水森は訂正する。
「へー、COSMOSレベル高けぇ……」
「シュンさんもかっこいいでしょ」
「はは!かわいい後輩だな、お前」
 気を良くしたシュンに、肩を組まれる。ホストのノリなのか、この店特有なのか、シュンに限らずこの店のキャストはスキンシップが多めだ。
「あー、VIPのお客様、オレ選んでくれないかな」
「観光客の指名も嬉しいものなんスか?」
「単発でも、ちゃんと売上げにはなるし、観光の人って財布のヒモゆるいからな」
 客を完全に数字として見た発言だが、それこそがシュンの仕事なのだから仕方ない。それでも、自分に接する態度とは異なるドライな側面に、水森は少し肝を冷やした。
「おい」
「あ、砂噛先輩」
 調整が終わったのか、いつのまにか砂噛がそばに立っていた。眉間の皺が先ほどよりも深くなっている。疲れてるんだな、と水森は同情した。
「オレはもう帰るが、お前は?」
 砂噛からの誘いに、水森は高揚した。一緒に帰りたい。恋人らしいことはできないが、ちょっとでも一緒にいたい。だが、締め作業が終わってないし、ホストクラブのヘルプである以上、その仕事はきちんとしなくてはならない。水森は泣く泣く断ることにした。
「すみません、まだ終わってなくて」
「じゃあ先に帰る。……起きてるから電気つけていいからな」
「はーい、お疲れ様です」
 今日も起きててくれるんだな、とちょっと嬉しくなって、水森はニコニコしながら手を振った。
 砂噛の姿が完全に見えなくなると、シュンが話しかけてきた。心なしか緊張した様子だ。
「お前、あの人とシェアハウスとかしてる?」
「え?ああ、ここから近いから寄らせて貰ってるだけですよ」
 砂噛の言った、電気の話からの疑問だろう。水森のあっさりとした答えに、シュンは眉を顰めた。
「そう……お前、狙われてると思うよ。さっきわざわざ言ったの、オレへの牽制だろ。目も怖かったし」
「えー?ないと思いますよ」
 狙うも何も、砂噛と水森は付き合っている。だが、砂噛がシュンの言うような牽制をするとは思えなかった。好きでいてくれることは、分かっている。それでも、嫉妬する砂噛というのは想像がつかなかった。
 
◇◇五月二日◇◇

 その日を境に、水森は砂噛と会えなくなった。単純に、稼働時間が合わないのだ。VIPに付き合って動く砂噛と、深夜まで働く水森ではリズムにずれが出てしまう。
 シャワーを浴びに部屋を訪ねると、玄関に靴はあるものの、砂噛が出てくることはなかった。それに寂しさを感じつつ、水森は、自分ばかりが求めすぎているような気がして、嫌気がさした。元々、砂噛が寝ている中シャワーを借りる約束だったが、最初のほうに会えたこともあって、味をしめてしまったのだ。
 もやもやとしたまま、それでもホストの仕事は続いた。日を追うごとに忙しさも増してきて、仕事中は恋人のことを考えずに済んだ。
 だが、今日はそうもいかない。件のVIPは、予定通りなら今日明日の二日間来店する。シュンを含め先輩社員達は気合いを入れているが、指名を取ることのない水森には関係のない話だ。むしろ、久しぶりに砂噛の顔を見れるという嬉しさと、自分のホストとしての振る舞いを見られる恥ずかしさで、普段よりも動きに精細を欠いた。
「ヒョウガくん、私頼んだの氷入れなくていいやつ」
「え、あ、すみません」
 グラスを準備中に、客に注意され、水森は謝罪した。集中できていないことは自分でも感じているが、ミスが多い。切り替えなくては、と水森は目の前の客に向き直った。
 今日、水森が付いているのはシュンのヘルプである。リカと名乗った女性は、シュンの前から指名しているという。
「リカちゃんは、今日から連休?」
「そうなの、うちの会社、ガチガチにカレンダー通りだから、飛び石になっちゃって」
 でも、ようやく毎日来れそう!と明るく笑うリカに、嬉しいよ、とシュンが返している。虚構を交えながらも、いちゃつく男女を前に、水森は仲良いですね、と合いの手を打った。
「ありがとう、ヒョウガくんは彼女とかイイ人いないの?」
「え、えーと」
 リカに話を振られて、水森は困ってしまった。ヘルプにしか付かないとはいえ、恋人がいるというのは伏せた方が良いだろう。
「か、彼女はいないですね」
 水森がそう答えた時だった。卓の近くを新しい客が通り過ぎていく。落ち着いた印象だが、ハイブランドに身を包み歩く女性に、水森は見覚えがあった。COSMOSの顧客であり、砂噛が対応しているVIPだ。
 シュン達ホストの間に緊張した空気が流れる。大口の客であることは彼らに共有されている。指名を取るための顔見せがこれから始まる。
 一方の水森はそれどころではなかった。客に付き添って、砂噛も向かいの卓に座っている。先ほどの自分の発言を聞かれたかもしれない。
 なんとか様子を伺えないかと、じっと向かいの卓を見つめるが、砂噛はこちらを見向きもしない。向こうもこちらも仕事なので当然と言えば当然だが、少し辛い気持ちになった。
「えー!?シュン行っちゃうの?」
 リカの悲しげな声で、水森は自分の仕事に意識を戻された。どうやら、シュンが顔見せに向かうらしい。
「ごめんごめん。本当はリカちゃんと居たいよ」
 シュンの口から、さらりと嘘が放たれる。それが仕事とは分かっていても辟易してしまう。少し不満げな水森に向かって、ちょっとの間よろしくな、と声をかけるとシュンは向かいの卓へと歩いて行った。


「リカさん、もう、やめときましょうよ」
「でも、シュン戻って来てくれない……」
「あっちには、勝てないっスよ」
 リカにとっては残念なことに、VIPの指名を勝ち取ったのはシュンだった。
 次々と向かいへと運ばれる高い酒の瓶に、観光客は財布の紐が緩い、というシュンの言葉を思い出した。対抗するように、リカも酒を注文していくが、いかんせん経済力が違う。さらに、リカは酒に強くないようで、顔を真っ赤にしている。向こうよりも高値をつけないと戻って来てはくれないだろうが、今日はもう引いたほうが良さそうだ。
「ほら、リカさん、お水飲んで」
「うぅ、くやしい」
 水森の渡した水を、リカは素直に飲む。手元が覚束ない様子で、服にもこぼして行くので、慌てて補助をした。
「シュンさん指名して長いんですよね?これからも続けるなら、今日、無理しすぎない方がいいですよ」
 あの客が観光で来ていることは、リカには伝えられない。なぜ水森が知っているのか、という疑問を持たれると面倒だからだ。だから、水森ができるのは、遠回しな助言だけだ。
 水森の言葉を受けて、リカは不思議そうな顔をした。
「なんか、ヒョウガくん、ホストっぽくないね」
「……そうっスか?」
「うん、普通は対抗心煽って、もっと頼ませようとするよ」
 リカの言葉に、水森はホストの暗い部分を垣間見た気がした。ノリが良く、自分に優しく人ばかりのこの店も、善意だけで回っているわけではないようだ。
 水森の様子など気にせず、リカは喋り続ける。
「ホストというより、弟みたい」
「弟、いるんですね」
「ううん、いないけど、いたらこんな感じかなーって」
 水森にも姉はいないが、いたらこんな風にホストにハマって欲しくはないな、となかなか失礼なことを思った。
「こんな、世話焼きで心配性な弟いたら、可愛がっちゃうなー」
「世話焼きって……」
 話していて気が紛れたのか、リカの機嫌は少し良くなったようだ。それに安心して、水森がリカとの会話を続けていた時だった。
「危ない!」
 急に、砂噛の声が響いて、水森は顔を上げた。見ると、恋人は濡れたスーツで、隣に座る女を庇うように囲っていた。
 床に転がる酒瓶から、誰かが誤ってこぼした酒から、顧客を守ったのだと、頭では理解できた。それでも、水森の目には、距離の近い二人の男女が、絵になるように思えてならなかった。
「ヒョウガ!そっちにあるおしぼりも持って来て!」
「は、はい!」
 反射的にシュンの指示に返事をし、水森は向かいの卓へと足を運んだ。恋人と顔を合わすのが気まずい、などと考えている暇もなかった。
「大丈夫ですか?」
 砂噛におしぼりを渡すと「どうも」と他人行儀に返される。仕事だということは分かっているが、今その距離感を見せられるのは、堪えてしまう。
 それでも、水森は黙ってテーブルの片付けなど、補助作業に移った。彼もまた、ホストでいることが仕事である。
 男性人が動き回る中、一人悠然としていたVIPの女が、にっこり笑って砂噛の肩に手を置いた。
「庇ってくれて、ありがとね」
 そう言って、女は砂噛の頬に口付けた。一秒にも満たない、軽いキスだ。砂噛は「仕事なんで」と言いながら、頬についた口紅を拭っている。
 目の前の光景に、どう反応していいか分からなかった。視界が真っ赤になった気がして、それが怒りによるものだと、一拍遅れて水森は理解した。
 
◇◇五月三日②◇◇
 
 そして、冒頭に戻る。日を跨いで、砂噛の家で顔を合わせた二人は、夜中にも関わらず言い争いを始めた。
 水森は腹が立って仕方がなかった。自分には、仕事が疎かにならないようにと、キスも許してくれないのに。それなのに、あの顧客の女性にはあっさり許していた。
「それは、お互い納得して決めただろ」
「他の人としていいなんて、聞いてないっス」
 拗ねたような言葉遣いで、砂噛を責めると舌打ちを返された。面倒だと思われているかもな、と考えて水森は胸が苦しくなった。
「お前だって、客の女といちゃついてただろ」
「へ?」
 思ってもみなかった言葉を投げかけられて、水森は咄嗟に返せなかった。
「ヘラヘラ笑って、水飲ませたりしてたじゃないか」
「いや、それこそ、仕事っスよ!?」
「ホストと肩組んだりしてたし」
「ノリのいい先輩なんスよ!」
 え、もしかして、嫉妬されている?ここまで言われてようやく水森はその可能性に行き当たった。数日前、シュンに言われた言葉は、正解だったようだ。
 ぶちぶちと文句を垂れる砂噛に、水森は嫉妬されたことを喜ぶ気持ちと、自分の嫉妬心とでどう反応していいか分からなくなった。この人、思ったよりオレのこと好きなんだな。そう考えるとちょっと嬉しくなってしまうが、水森にも譲れない点があった。
「いや、でも!オレはキスしてない!」
「お前だって、恋人いないって言ってただろうが」
「ホストやってんのに恋人いるとか、言えないでしょ!」
 平然としてたくせに、気にしていたのか。あと、ちゃんと恋人ではなく、彼女はいないって言ってはぐらかした。水森の細かい気遣いは、悲しいかな砂噛には伝わっていなかった。

 
 二人はそのまま睨みあった。お互い、自身の行動は仕事によるものだが、相手の行動は許せていない。嫉妬する要素がズレているのもややこしかった。水森は自分のできないキスをさせた、という点にこだわっている。一方で砂噛は自分以外の相手に懐いていく様子に腹を立てているようだった。
 相互不理解、ディスコミュニケーション、格好良く単語を当てはめると今の二人の状態はそれだが、ようはすれ違いからの痴話喧嘩である。もう少し、自分たちの状態を客観視する余力があれば、水森も砂噛も冷静な話し合いに移行できたはずである。だが、仕事の疲れと感情の揺れは二人の思考能力を著しく下げた。
 そのため、痴話喧嘩の幕引きは、非常に物理的なものとなった。
「もういい」
 埒が開かないというように砂噛が呟くと同時に、水森は右手を強引に引っ張られた。次の瞬間、首元に感じた痛みに、水森は堪らず左手を振り上げた。


◇◇五月三日③◇◇

 今日は最初からシュンが卓におらず、リカは不機嫌そうだった。何も話さない訳にもいかず、かと言って気の利いた話題も思いつかず、水森が困っているとリカがため息をついた。
「……首の絆創膏、どうしたの?」
 リカとしては助け舟のつもりだったのだろう。あたふたする新人ホストを見ていられずに、話題を振ってくれた。だが、水森にとっては、触れられたくない話題だった。
「え、えーと……噛まれまして」
 うまい誤魔化しが思いつかず、主語を抜いて話す。嘘ではない。噛まれたのだ、嫉妬した恋人に。マーキングのような行動に喜んでいる自分もいるが、仕事に支障がでるので流石に隠した。シャツが開襟なので、大きめの絆創膏は結局目立ってしまったが。
「ペット飼ってるんだ。犬?猫?」
 女は良い方に勘違いをしてくれたが、水森はそこから話を膨らますことができない。
「…………ド、ドラゴン?」
「はぁ?なにそれ。すべってるよ」
 水森の正直すぎる回答は、冗談と捉えられたようだった。滑っているとは言ったものの、リカは楽しそうに笑っている。水森のぎこちない受け答えが彼女の琴線に触れたようだった。
「ヒョウガくん、結構いいなぁ……」
「ど、どうも?」
 うっとりとした目で見つめられるが、その言動には嘘がある。どうも今日のリカは、自分のことを当て馬として使っている気がする。指名変更というのは軽々しくできないらしいが、ヘルプの水森に惹かれたとなれば、シュンとしても面白くないだろう。ようは、嫉妬をして欲しいのだ。
 ちょうどそのタイミングで、VIPの席から楽しげな笑い声が響く。会話の内容までは聞こえない。当然、こちらの会話も向こうには聞こえない訳で、いくらリカが水森に粉をかける素ぶりをしても、シュンには伝わらないのに。
「ヒョウガくん、好きなもの頼んでいいよ」
 ムスッとした顔で目の前の女が言う。シュンの客である彼女としては面白くないのだろう。自分に構うのも、シュンの気を引くためだと言うのは、水森も分かっている。でも、今の自分にはこの人をないがしろにできない。好きな人への気持ちが、一方通行だと感じた時の辛さは、最近感じたばかりだ。
「オレが好きなものより、シュンさんの好きなやつ頼んで、一緒に待ってましょう」
 ね、と首を傾げて顔を覗き込む。昨日弟みたいとからかわれたのを逆手に取って、意識的に甘えるように話しかけた。当て馬でいるより、健気に待つ態度で寄り添う方が、この人には合っている気がした。
「えー、仕方ないなぁ」
 困ったような口振りだったが、リカは少し微笑んでくれた。それから、シュンが好きなのはこれ、とお酒を選んでいる。
 リカが選んだ酒は、高額ではない。それこそ、向こうのテーブルで頼まれているものには到底及ばない。昨日、張り合った分のツケが回って来ているのだろう。
 今夜もシュンを呼び戻せないだろうな、と水森は考えながら、グラスの準備をしていると、リカが話しかけてきた。
「ヒョウガくん、シュンと仲いいの?」
「可愛がってもらってますね」
 ふーん、とちょっと楽しそうに呟くと、女は「もっとシュンの話して」とねだってきた。水森は少し困ってしまった。いい先輩というのは本音だが、シュンとの付き合いは短く、話せるようなエピソードは少ない。
「えーっと、シュンさん、掃除が得意でマメっスね」
「たしかにシュンってマメなとこあるよねー」
 普段の軽いノリからのギャップがいいよね、と言われ曖昧に頷く。惚れている人間にしかわからない感覚だ。
「そういうところに、グッとくるのよー」
「そんなに熱烈に言われると、照れるね」
 熱弁するリカの言葉に、被せるように声が振ってくる。
「シュン!」
 自分に対するものとは違う、キラキラした目をリカは見せた。視線の先には、シュンが立っている。
「シュンさん、向こうは?」
「ああ、しばらくこっちで大丈夫。代わりにヒョウガ、向こうお願い」
「……分かりました」
 正直、行きたくなかった。あちらのテーブルに行くということは、恋人と顔を合わせることになるのだから。だが、これも仕事である。水森は腹を括って立ち上がった。
 
 
「すみません、シュンさん戻ってくるまで、自分がお相手いたします」
「あら、かわいい。いいのよ、指名したホストが他の客の所行くっていうの、体験したくて行ってもらったんだから」
「……」
 リカは、シュンに明らかにのめり込んでいる。恋愛感情も抱いているだろう。一方で目の前のVIPは完全に娯楽としてホストクラブを消費している。どちらが賢いかと言われれば後者だが、リカの気持ちも含めてアトラクションのように扱う態度に閉口してしまう。
 先ほど、シュンが戻ってきたときのリカの表情を思い出す。輝く瞳に、紅潮する頬。お金を介した恋だろうが、彼女の感情は真っ直ぐで、眩しかった。
 目の前の女に対して、悪感情が募っていく。目を真っ直ぐ見れず、逸らした先にあったのは恋人の顔だった。
「え?」
 水森は思わず声を上げた。砂噛の頬には、明らかな引っ掻き傷があった。それ自体は、知っていたので驚かない。水森が驚いたのは、それを隠していないことだった。
「あら、気になる?」
 この人のこれ、と女が砂噛の頬の傷を指差す。砂噛は眉ひとつ動かさないが、水森としては気が気じゃなかった。
「えっと、すみません、不躾に見ちゃって」
 とりあえず、不自然にならない程度に砂噛に謝罪した。砂噛は水森を一瞥すると、淡々と答えた。
「いえ、別に」
 他人のふりをしなくてはならない。それは分かっている。だが、昨日の喧嘩も相まって、まだ相手が怒っているのではと勘繰ってしまう。先ほどまでの接客も、砂噛にとっては嫉妬の対象なのだろうか。
「ね、どうしてこんな傷ついたと思う?」
 水森としてはボロが出る前に早くこの話題から逃れたかった。しかし、女は許してくれず、楽しそうに話題を膨らます。
「え?えーと、ペットに引っかかれたとか」
 まさか、オレが引っかきました、とは言えなかった。ダラダラと冷や汗をかきながら水森は答えた。
「ペット、ねぇ」
 水森の回答に砂噛はぽつりと呟いた。その言い方が、普段自分をからかう時の、いじわるな響きを含んでおり、水森はちょっと身構えた。だが、予想に反して砂噛はよそゆきの笑みを浮かべていた。
「残念、不正解ですね」
「そ、そうなんですね」
「答え、教えてあげますね」
 え、と水森が呆気に取られているうちに、砂噛が話始めた。
「昨日、恋人と喧嘩しまして。ああ、理由は嫉妬です。昨日ユウさんにキスされたのがバレたんですよ。それで引っ掻かれました」
 いや、めちゃくちゃ端折られてる!水森は反論したかった。オレが引っ掻いたのは、あんたが噛み付いたからだ、と。嫉妬してたのは、あんたもだろ、と。だが、そんなことできる訳もなく「大変でしたね」という無難な返答をした。笑い方がぎこちなくなったのは、勘弁してほしい。
 なんだ、この人。オレが言い返せないのをいいことに好き放題言いやがって。水森はイライラしながら酒の準備を進めていると、女がくすくすと笑い出す。
「困った彼女よね。頬へのキスなんて、あいさつみたいなものでしょ」
 あいさつ。水森も本当は分かっている。目の前の女性から砂噛に恋愛感情はなく、ただのお礼だということは。しかしどうしても、自分はそれすらできないのに、という思いが強くなってしまう。
「的確にその場所引っかくなんて、まるで見てたようで怖いわね」
 そう、咄嗟とはいえ頬を引っ掻いたのはそこがキスされた場所だからだ。傷をつければキスされないだろう、なんて計算ができた訳ではない。単に腹立たしくて、そこに手が出たのだ。
「そ、そんな恋人だと、窮屈そうですね」
 女の言葉に合わせて、水森は相槌を打つ。多少の自虐を交えたのは、やり過ぎたなという反省もあったからだ。
「そんなことない、かわいい恋人ですよ」
 にっこりと、普段は見せない嘘みたいな笑顔を見せられる。完全に、よそ行きの顔だ。だが、その言葉に嘘の臭いはしない。
 マジかよ、この人本気でかわいいと思ってんだ、オレのこと。赤くなってしまった水森の耳に「あら、惚気?」という女のつまらなそうな声が届いた。
「惚気ですかね。まぁ、このくらいかわいいものですよ」
 にこにこと営業スマイルを続ける砂噛を見て、水森は少し呆れてしまった。本気で噛んできたあんたに比べれば、そりゃかわいいだろうよ。そう、心の中で悪態をついた。


◇◇五月四日◇◇

「……なんで、傷隠さなかったんですか」
 深夜、昨日と同様、水森と砂噛は向き合っていた。
 昨夜の険悪なムードに比べれば、雰囲気は落ち着いているが、二人の間にはぎこちなさが残っていた。
「仕事に支障がないからな」
 確かに、砂噛の仕事内容なら傷があろうがなかろうが、関係ない。だが普段の砂噛なら、恋人の存在を匂わす傷を露わにするだろうか。
「すみません、オレがやきもちやいたから、キスされないようにしてくれたんですよね」
 砂噛は、顧客に恋人の嫉妬深さを説明するために、傷を利用していた。殊更に惚気て見せたのも、キスされないためだろう。仕事に支障はないだろうが、それでも本来必要なかった気遣いをさせてしまったことに、水森は罪悪感を感じていた。
 砂噛は水森の言葉に黙って目を逸らしている。おそらく正解だったのだろう。変に誤魔化せば嘘になるが、罪悪感を煽るので肯定もしてくれない。そんな恋人の心遣いが、水森には嬉しかった。だから、ちょっとだけ、昨日より素直になることができた。
「わがまま言って、ごめんなさい」
 水森の謝罪に、砂噛は「別にいい」と短く返した。そんなそっけない態度にも、嘘はなく心地いいなと感じられた。

 今から消毒しても意味ないだろ、と砂噛には言われたが、水森は砂噛の頬の手当を始めた。言われた通り、みみず腫れにはなっているものの血は出ていないし、浅い傷だ。
「……あいさつなら、キスしても大丈夫ですかね?」
 頬をなぞりながら、水森が無意識につぶやいた言葉は砂噛に届いた。そして、呆れたように言われてしまう。
「お前がやると意味合い変わるだろ。恋人なんだから」
「恋人……」
 頬を緩むのを感じながら、水森は反芻した。改めて口にされると、嬉しいやら、気恥ずかしいやら。付き合って数ヶ月経つのに、性的なことを一切していないこともあり、いまだに新鮮に照れてしまう。
 そんな水森の様子に砂噛は少し笑った。ホストクラブで見た時の外行きの笑みではなく、いつもの笑い方を見て、やっぱりこっちがいいな、と水森は少し見惚れていた。
「ほら、お前の方も見せてみろ」
「あ、はい」
 砂噛の言葉に、水森は大人しく従った。首に貼った絆創膏を外す。自分では見えないが、まだ傷は塞がっていない気がした。
 砂噛に消毒液をつけられると、少し沁みた。我慢して耐えていると、砂噛に話しかけられる。
「オレの仕事は今日で終わりだ」
「……そうでしたね」
 先ほど謝った手前の、大手を振って喜べないが、水森としては嬉しかった。恋人のそばから、距離感の近い女がいなくなるのは安心だ。
「お前のほうはまだ続くんだよな?」
「そうっスね。あ、でも、明日からはシュンさんも他にかかりきりってことないし、オレのヘルプも楽になります」
 にこにこと上機嫌に話す水森は、自分の言葉に恋人が眉を顰めたことに気が付かない。
「……良かったな」
「はい!リカさんも、なんだかんだ可愛がってくれるんで、あの二人とはやりやすいです」
 水森の言葉は、本音だ。初めて付く客やキャストの元よりも、少しでも関係性が作られている二人のほうが過ごしやすい。シュンがいる時は、リカも変に水森を当て馬のようにせず、弟のように扱ってくれる。その時間の卓には嘘がないというのも嬉しかった。
 ホストクラブへの出勤は残り二回。終わりが見えてきたこともあり、水森は少し気を抜いていた。恋人とのわだかまりが消えたことも大きい。
 だから、気が付かなかった。恋人がみるみる不機嫌になっていることに。
 消毒が終わった傷口を砂噛はじっと見つめ、面白くなさそうに呟いた。
「まぁ、また隠して、ペットに噛まれたことにでもしとけ」
 え?と水森が呆けていると、昨日と同じ痛みが彼の首元を襲った。

◇◇五月某日◇◇

「手当入ったんで、パフェ食べに行きましょう!パフェ!」
 水森の熱い主張によって、二人がパフェを食べに来たのは、五月半ばの週末だった。歓楽街に程近い場所に位置するそのパフェ専門店は、飲み会後やアフターに利用するいわゆるシメパフェとしての営業がメインらしい。二人が訪れた昼下がりは閑散としていた。
 男二人でパフェって浮かないか?と砂噛は気乗りしない様子だったが、それでも席に座ると真剣にメニューを見ている。
「砂噛先輩、どれ食べます?」
「メロンにするかな、期間限定らしいし」
「じゃあオレはさくらんぼにしよっと」
 穏やかな雰囲気の中、パフェを注文する。この前の連休は、不安や嫉妬に塗れて終わってしまったので、この何気ない時間を過ごせることが、水森にとっては嬉しかった。
 上機嫌な水森に対して、砂噛は気まずそうに目を伏せていたが、やがて口を開いた。
「悪かったな、ソレ」
「え?ああ……」
 砂噛の言うソレとは、水森の首元に貼られた絆創膏だろう。砂噛につけた引っ掻き傷は、二日も経たずに消えたのに対して、水森の首の噛み痕は今だに残っていた。そもそも割と痛いくらいに、しかも二回も噛まれて、くっきり歯型に内出血していた。ようやくポツポツと血の痕が残る程度になった。
「いいんですよ。妬いてくれたんでしょ」
 ちょっとからかうように、水森はにやりと笑った。いつもからかわれてばかりなので、ここぞとばかりに指摘するが、相手の方が上手だった。
「そうだよ」
「え?」
「妬いたんだよ」
「そう……ですか」
 平然と言い放たれ、逆に水森のほうが照れてしまう。想いの強さは同じくらいの気がするが、いつも自分のほうが余裕がなくなるのはなぜだろう。考えても答えは出ず、水森は黙って赤面するしかなかった。

 
 注文したパフェは思っていたよりもすぐに出てきた。可愛らしい見た目だが、結構なボリューム感があり、食べ切れるかな、と水森は不安になった。
 ちらりと前を伺うと、砂噛は上部に飾られたメロンから食べ始めている。水森は溶ける前にと上部のアイスから切り崩しにかかった。
「ところで、お前、なんで急にパフェ食べたいとか言い出したんだよ」
「え?えーと、人からこの店のこと聞いて、美味しそうだなって。割引券も貰ったし」
 水森の話に嘘はない。ただ、深掘りして欲しい話でもなかったので、話題を変えることにした。ちょうど、話したいこともあった。
 水森は鞄から財布を取り出すと、中から出した物を砂噛の方へ差し出した。
「そういえば、これ、返すの遅くなりました」
「ああ、それか」
 水森に渡された部屋の鍵を、砂噛はあっさり受け取った。鍵の返却についてはあらかじめ言われていたことだが、ちょっと惜しいな、と感じてしまう。
「お互い、ゴールデンウィーク働き詰めだったな」
「そうですね……」
 返事をした後、水森はさくらんぼを口に含む。手間をかけて種をくり抜いているようで、食べやすい。女の子は口から種を出す姿を恋人に見られたくないだろうから、その配慮なんだろうな、と店側の努力を推測した。
 砂噛の言う通り、二人に休みはなかった。水森は元々の予定通り連休中はホストクラブに貸し出されていたし、砂噛はVIPが帰った後も、報告書や穂村の手伝いで奔走していた。
「お前、試験勉強進んでる?」
「夜勤してて進む訳ないでしょ」
「それはそうだな」
 痛いところを突かれた。試験まであと三か月あるが、そろそろ本腰を入れて勉強しなくてはならない。落ちても別にクビにはならないが、恋人ができて浮かれていたせいだ、などと周りに思われたくない。
「受かれよ、試験」
「え、あ、はい」
 釘を刺すように言われ、水森は反射的に頷く。
「そんで、さっさと手を出させてくれ」
 さらりと言われた言葉に、水森は絶句した。なんでもない、という顔で欲を見せてくる恋人に、信じられない気持ちでいっぱいだ。
「……先輩さぁ」
 元々そっちが言い出したルールだろとか、噛むのはオッケーなのかとか、言いたいことは色々あった。だが、水森は言葉を繋げなかった。
 結局、水森も同じ気持ちだ。さっさと受かって手を出して欲しい。
「何?」
 たぶん、砂噛も分かっている。こちらを見る口元には、意地悪げな笑みが浮かんでいる。
「……何でもないっス」
 ダメだ、敵わない。諦めて水森は、パフェを口に運んだ。
 

 お互いパフェを食べ進め、半分くらいに差し掛かったところで、再び砂噛が口を開いた。
「ところで、ここ、お前が働いていた場所に近いな」
 ぎくりと、水森は動きを止めた。口に含んだクリームの味が急に重く感じる。
「誰に紹介された?……いや、当ててやる。ホストの時の客から聞いたよな」
 水森は何も言えない。大当たりだ。
 VIPが来なくなった後も、連休中、水森はホストで働いていた。その時リカから、この店の話を聞いたのだ。
 シュンを取り戻して上機嫌なリカは饒舌だった。アフターで行ったここが良かっただの、パフェのチョイスが可愛いだの、シュンの目の前で惚気るだけの一種のプレイのような会話だったが、その言葉に嘘はなく、饒舌に惚気る彼女はイキイキとしていた。
 水森はちょっと羨ましくなった。自分も、恋人とパフェを食べたいし、どんな選択するかでときめきたい、と。
 いいな、と思わず言ったら、リカが割引券をくれた。おいしいから今度行っておいで、と言われたのでおそらくパフェを食べたいだけの奴と思われている。否定するのも変なので、ありがたく頂戴した。
 そして、バレたら怒られそうだな、と思いつつ砂噛を誘った。迷ったが、自分の欲望には勝てなかったのだ。
 その結果がこれである。
 沈黙したままの水森に、肯定と受け取ったらしく、砂噛はため息をついた。その音に、水森はびくりと肩を揺らす。
「別に、そのくらいで怒ったりしねぇよ。変に隠されたことが腹立つ」
「ごめんなさい」
 素直に謝って、恐る恐る砂噛の顔をみると、言葉通り怒りというより呆れた顔をしていた。
「なんで、わざわざそんな場所選んだんだよ」
「だって、リカさんが羨ましくて」
 拗ねたような口調になってしまう。考えてみれば、自分は砂噛とデートというものをしたことがない。だいたい会うのは家だし、食事に行くくらいはそもそも付き合う前からしていた。だから、普段ならしないであろう「パフェを食べに行く」という行為に、特別感を見出した。
 そんな、細かいことまで話すのは、ちょっと気恥ずかしく、水森は適当な理由で濁した。
「ここのさくらんぼのパフェ、おいしいよって教えてくれましたし」
 そう思うと、この量をリカは食べ切ったのか。女の人ってなんで甘いものだと際限なく食べられるんだろうな。水森がそんなことを考えていると、地を這うような低い声が聞こえてきた。
「……随分、そいつのこと信頼してるな」
 やばい。水森は自分の失態に気づいたがもう遅い。明らかに不機嫌な砂噛が身を乗り出してくる。
「もう一回、噛んでやろうか?」
 砂噛の長い指が、水森の絆創膏をなぞる。隠されたその下には、消えかけた痕がある。
 リカの話をしすぎた。そう後悔しながらも、強い感情が自分に向いていることに、水森は喜びも感じている。痕を上書きしてもらっても、構わないくらいだ。
 だが、薄着になりつつある季節、首の絆創膏は割と目立つ。大学でも、怪我?と聞かれることが増えた。
「勘弁してください……」
 現実的な選択をした水森は丁重にお断りした。結局、この日の支払いを水森が持つことで、許してもらった。
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